軽井沢は明治19年に宣教師のショーが別荘を作ってからいろいろな外人宣教師が避暑に訪れ有名になりました。そのような経緯があるので軽井沢にはハイカラな雰囲気があります。
それはさておき、軽井沢家内が撮った写真で追加して示したいと思います。

1番目の写真は軽井沢の雲場池です。
軽井沢で私が好きなところは雲場池です。十年一日の如く、何時行っても静寂につつまれています。何十年と変わらぬ風景に会うと何故か心が深く休まります。

2番目の写真は旧三笠ホテルです。営業はしていませんが明治期のホテル建造物として公開しています。駐車場が少し離れているのが残念です。

3番目の写真は軽井沢に行くとよく昼食を食べたイタリアン・レストランです。名前はリストランテ・エ・バール・アルソーレと長い名前です。味は美味でした。

4番目の写真は万平ホテルです。ここも昔よく行ったところです。明治時代のクラシック・ホテルの雰囲気が漂っていました。

5番目の写真は万平ホテルのメイン・ダイニングルームの前の廊下にあるステンドグラスです。館内は伝統的な古いホテルの内装になっていて落ち着いた空気が流れています。食事も古風なフランス料理で、サービスが行き届いています。
軽井沢にはジャムの沢屋やハム・ソーセージの腸詰屋など美味なものを売っている店があります。

6番目の写真は旧軽井沢銀座です。若い人々に人気があり、何時行っても多くの若い人で賑わっています。家内とともに往復して買い物を楽しみました。
そして実はこの旧軽井沢銀座を真っ直ぐ山に登ると旧碓氷峠に出るのです。車で登と10分位で峠に行けるのです。峠には茶店や神社がありましたが店は閉まっていました。峠まで来る観光客は少ないのでしょう。

12番目の写真は別荘の庭に巨木が茂っている様子です。
写真をご覧になりながら高原の軽井沢を散策しているような気分になって頂けたら嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料============
軽井沢の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2
江戸時代には、五街道のひとつ中山道が通る宿場町であり、中山道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていた(碓氷峠は、江戸よりの隣の宿場町、坂本宿との間)。軽井沢付近には軽井沢宿(旧軽井沢)のほか、沓掛宿(中軽井沢)・追分宿(信濃追分)が置かれていた(この3宿をまとめて「浅間三宿」という)。また、浅間山を望む景勝地としても有名であった。
※ 関連 江戸← 坂本宿 - 碓氷峠 - 軽井沢宿 - 沓掛宿 - 追分宿 - 小田井宿 →京
江戸時代が終わり明治時代に入ると、一旦は宿場町としての機能を失って没落した。しかしその後、1886年(明治19年)にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーがたまたま訪問し、高林薫平の居宅を借り受けて7月から8月まで滞在し、故郷のトロントと似ていると感じた。
1888年(明治21年)、ショーは「つるや」(現在のつるや旅館)の主人の佐藤仲右衛門のあっせんによって大塚山に別荘を設け、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開いた。別荘第1号は、民家を移転し、改造したものである。後に移築され、ショーハウス記念館としてショー記念礼拝堂の裏に現存する。
以下省略します。