後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の 年間第25日のミサの動画の紹介」

2021年09月18日 | インポート
2021年9月19日の10時から始まる年間第25主日のミサの、カトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。


カトリック関口教会、
9月19日10:00 
 年間第25主日ミサ 、https://www.youtube.com/watch?v=o7wH38RnpUo
司式 タルチシオ菊地功大司教,S.V.D


聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q  


今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

挿絵代わりの油彩画はルノアールの作品です。

順に、「ポン=ヌフ」(1872)、「ラ・グルヌイエール」(1869)、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876)です。

「ポン=ヌフ」(1872)
「ラ・グルヌイエール」(1869)
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876)
追記;「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」について、
・・・パリのモンマルトルに実在する「ギャレットの風車」の名を持つダンスホールでの舞踏会の様子が描かれた作品です。

画中の人物たちは、ルノワールの友人たちがモデルになっています。ルノワールはこのダンスホールの近所に住んでいましたが、大きなキャンバスを持ち運ぶ事が困難な為、現場で描いた小さな絵をアトリエに持ち帰りこの作品を描き上げました。

1877年の第3回印象派展に出品された本作品はルノワールの代表作でもあり、印象派作品の中でも最も有名な名画に数えられます。

「平和な悠久のイラクの風景写真」

2021年09月18日 | 写真
平和な悠久のイラクの風景写真の出典は、http://joy555.blogspot.com/2013/09/blog-post.html です。

1番目の写真はバグダードのZawra 公園です。

2番目の写真は歴史的な都市遺跡のパルティア帝国のハトラ寺院です。

3番目の写真はバビロンのはイシュタル門です。

メバビロンはメソポタミア地方の古代都市で、市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がっています。

4番目の写真はイシュタル門の装飾のライオンです。

5番目の写真はバビロンの遺跡です。

バビロンの記録は前3千年紀末に登場し、ここにアムル人がバビロン第1王朝を建設、前18世紀に第6代の王ハンムラビがメソポタミアを統一しました。


「湾岸戦争とアメリカによるフセイン大統領の逮捕と処刑」

2021年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカは1991年の湾岸戦争で初めて中東に大規模な軍事介入をしました。それ以来30年間軍事行動を続けていましたが最近の8月31日にアメリカ軍は中東から完全撤退し中東における軍事介入を終了しました。
この30年の間、中東地域ではいろいろな悲劇が起きました。
今日はアメリカの大規模な軍事介入のキッカケになった湾岸戦争と、フセイン大統領の逮捕と処刑について簡単に振り返ってみたいと思います。
いずれも次の昨日の記事に関連したことです。
「戦費6兆円、アメリカ兵死傷者10万人、20年のアフガニスタン戦争の総括」、2021年09月17日
「20年前の9月11日、何が起きたのか ── 写真で振り返る」、2021年09月17日 
さて湾岸戦争は1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻を懲罰するためにアメリカ軍を主とする多国籍軍がイラクと戦ったペルシャ湾地域での戦争でした。1991年1月17日のアメリカ空軍のイラク空爆から始まった戦争です。
1990年8月2日イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表したのです。
これに対しアメリカ軍などは事態解決するため翌1991年1月17日にアメリカが参戦します。国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めます。
こうして湾岸戦争が 始まりました。

1番目の写真は塹壕でイギリス陸軍第1機甲師の兵士たちです。(1991年1月6日)。 

2番目の写真は砂漠の嵐作戦に参加し地雷を除去するサウジアラビア陸軍です。1991年3月1日、クウェートにて撮影。 

アメリカ軍を主とする多国籍軍が2月27日にはクウェート市を解放しました。2月28日の朝に戦闘が終結したのです。
このアメリカのクウェートの解放へ反発したイスラム過激派がアメリカでの同時多発テロ事件を起こしたのです。それは2001年の9月11日のことでした。
一方湾岸戦争直後にイラクのフセイン大統領は、「イラク国民よ。イラクこそ勝者である。イラクは悪とテロと侵略主義の帝国であるアメリカのオーラを破壊するのに成功したのだ」と演説します。

3番目の写真は若い頃のフセイン大統領です。

4番目の写真は大統領に就任した頃のフセイン大統領です。(1979年) 

1992年の3月3日にイラク代表が暫定休戦協定を受け入れたがましたがイラク軍の主力は多くが温存されフセイン大統領は強気でアメリカを罵倒し続けたのです。1992年から2003年までの11年間、アメリカを罵倒し続けたのです。
怒ったブッシュ大統領は2003年3月20日イラクが大量破壊兵器を保有しているという大義名分をかかげて、イラク戦争を開始したのです。攻撃はアメリカ軍が主力でありイギリス軍もこれに加わりました。 
そして4月9日バグダードは陥落しますがフセイン大統領は逃亡します。
しかし 2003年12月13日アメリカ陸軍第4歩兵師団と特殊部隊により、イラク中部ダウルにある隠れ家の庭にある地下穴に隠れているところを見つかり逮捕されたのです。

 5番目の写真は米兵に取り押さえられた直後のフセイン大統領です。
2004年7月1日 にアメリカで始まった裁判で死刑が判決されます。
2006年12月30日フセイン大統領はアメリカ軍拘置施設から移され、バグダードにある刑務所で絞首刑になったのです。
それは 1991年の湾岸戦争から15年後でした。これで一応アメリカのイラクへ対する報復が終わったのです。その後のイラクには親米政権が現在まで続きます。
以上がアメリカで同時多発テロが何故起き、それに対応してアメリカがどのような報復をしたかの物語です。この全ての悲劇は1991年の湾岸戦争から始まったのです。アメリカが引き起こした30年間の大きな悲劇でした。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)