アメリカは1991年の湾岸戦争で初めて中東に大規模な軍事介入をしました。それ以来30年間軍事行動を続けていましたが最近の8月31日にアメリカ軍は中東から完全撤退し中東における軍事介入を終了しました。
この30年の間、中東地域ではいろいろな悲劇が起きました。
今日はアメリカの大規模な軍事介入のキッカケになった湾岸戦争と、フセイン大統領の逮捕と処刑について簡単に振り返ってみたいと思います。
いずれも次の昨日の記事に関連したことです。
「戦費6兆円、アメリカ兵死傷者10万人、20年のアフガニスタン戦争の総括」、2021年09月17日
「20年前の9月11日、何が起きたのか ── 写真で振り返る」、2021年09月17日
さて湾岸戦争は1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻を懲罰するためにアメリカ軍を主とする多国籍軍がイラクと戦ったペルシャ湾地域での戦争でした。1991年1月17日のアメリカ空軍のイラク空爆から始まった戦争です。
1990年8月2日イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表したのです。
これに対しアメリカ軍などは事態解決するため翌1991年1月17日にアメリカが参戦します。国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めます。
こうして湾岸戦争が 始まりました。

1番目の写真は塹壕でイギリス陸軍第1機甲師の兵士たちです。(1991年1月6日)。

2番目の写真は砂漠の嵐作戦に参加し地雷を除去するサウジアラビア陸軍です。1991年3月1日、クウェートにて撮影。
アメリカ軍を主とする多国籍軍が2月27日にはクウェート市を解放しました。2月28日の朝に戦闘が終結したのです。
このアメリカのクウェートの解放へ反発したイスラム過激派がアメリカでの同時多発テロ事件を起こしたのです。それは2001年の9月11日のことでした。
一方湾岸戦争直後にイラクのフセイン大統領は、「イラク国民よ。イラクこそ勝者である。イラクは悪とテロと侵略主義の帝国であるアメリカのオーラを破壊するのに成功したのだ」と演説します。

3番目の写真は若い頃のフセイン大統領です。

4番目の写真は大統領に就任した頃のフセイン大統領です。(1979年)
1992年の3月3日にイラク代表が暫定休戦協定を受け入れたがましたがイラク軍の主力は多くが温存されフセイン大統領は強気でアメリカを罵倒し続けたのです。1992年から2003年までの11年間、アメリカを罵倒し続けたのです。
怒ったブッシュ大統領は2003年3月20日イラクが大量破壊兵器を保有しているという大義名分をかかげて、イラク戦争を開始したのです。攻撃はアメリカ軍が主力でありイギリス軍もこれに加わりました。
そして4月9日バグダードは陥落しますがフセイン大統領は逃亡します。
しかし 2003年12月13日アメリカ陸軍第4歩兵師団と特殊部隊により、イラク中部ダウルにある隠れ家の庭にある地下穴に隠れているところを見つかり逮捕されたのです。

5番目の写真は米兵に取り押さえられた直後のフセイン大統領です。
2004年7月1日 にアメリカで始まった裁判で死刑が判決されます。
2004年7月1日 にアメリカで始まった裁判で死刑が判決されます。
2006年12月30日フセイン大統領はアメリカ軍拘置施設から移され、バグダードにある刑務所で絞首刑になったのです。
それは 1991年の湾岸戦争から15年後でした。これで一応アメリカのイラクへ対する報復が終わったのです。その後のイラクには親米政権が現在まで続きます。
以上がアメリカで同時多発テロが何故起き、それに対応してアメリカがどのような報復をしたかの物語です。この全ての悲劇は1991年の湾岸戦争から始まったのです。アメリカが引き起こした30年間の大きな悲劇でした。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)