あちこちの梅が満開になり春がそこまでやって来たようです。心浮き浮きする季節です。
梅の下で茶会をしたり、やがて弥生の雛祭も来ます。そして復活祭も来ます。
この季節の歳時記と言えば梅の花と雛祭りと復活祭ではないでしょうか?
今日はまず梅と、その下での茶会の写真と、雛飾りの写真をお送りいたします。そ
梅の花の写真は府中市郷土の森博物館公園で撮りました。雛飾りの写真はネット検索してお借りしたものです。

思い返してみると雛飾りを見たのは新婚の頃でした。戦前、戦後の困窮した時代に育った私は雛祭どころではなかったのです。それに男だけの兄弟でしたから女の子のお祭りとは縁が無かったのです。
結婚した妻が持参してきた七段の雛飾りを飾った時には吃驚したものです。
しかし何年か後には七段の雛飾りを毎年飾るのが億劫になりました。そこで最後の写真のような小さなものがガラス箱に入っているものに変えました。
毎年3月3日がちかづくとそれを床の間に飾り、菱餅や雛あられや白酒を供えています。雛を飾って子供達と「今日は楽しい雛祭・・・・」などと歌っていました。孫達が幼い頃は毎年、家内と雛祭りを楽しんでいたものです。菱餅や雛あられを食べたり白酒を飲むのが楽しかったようです。
ある年になったら、孫達は、「もうそんな年じゃないよ!雛祭リは勘弁!」と言って寄り付かなくなりました。
それでも家内は一人で楽しんでいます。3月4日になると急いで雛飾りを仕舞っています。「しまうのを忘れるとお嫁に行けない」と言いながら苦笑しています。自分の年を思い出しているのです。
雛祭リは我が家の季節の歳時記です。
雛祭が終わると復活祭がやって来ます。
ついでに復活祭の意味ついて書いてみたいと思います。
簡単に書いてしまえば復活祭はキリストが金曜日に十字架にかけられ処刑され、3日後の日曜日にに生き返ったことをお祝いするお祭りです。
キリストが生まれた日はクリスマスとして日本でもお祝いの食卓を囲む人が多く、日本の重要な歳時記として定着しています。
その一方で復活祭は日本ではあまり有名ではなく、一部のクリスチャン関係者だけが祝っています。
復活祭の期日は春の到来を祝う原始宗教のお祭りを踏襲していますので、日本でももっと有名になっても良いと思います。
しかしキリスト教徒にとっては復活祭は一番重要な祭日です。クリスマスよりも非常に重要な祭日です。
その理由はキリスト教信仰の中心をなすのが、キリストが生き返り、その後、天に登って神の右の座に着いたという事実を信じることなのです。
そして最後の審判の時が来ると、キリストは再び帰って来ます。そして全ての死者の肉体も蘇り、復活するのです。
復活祭とはイエス自身の生き返りを祝い、全ての死者の生き返りを祈る重要な祭日なのです。
上に書いたことはあまりにも荒唐無稽なことですね。少なくとも大部分の日本人には受け入れられない空想に過ぎません。
私も本物の日本人ですから復活祭が日本へ受け入れらなかった事情は痛いほど良く分かります。なにせ仏教にはそんな空想論は皆無なのです。
さて欧米人は本当にキリストの復活や全ての死者の肉体の生き返りを信じているのでしょうか?
これこそ欧米人の心の裏にある迷いなのです。ある時は信じ、ある時は疑います。私はカトリックなのである時は確かに信じています。
100%そのまま信じている欧米人もいます。60%信じている人もいます。20%信じている欧米人もいます。しかしここで重要なことは欧米人なら皆が以上に書いた復活の話を知っているのです。
南米の有名な革命家のチェ・ゲバラでさえ、聖書の一句の「愛が無ければ、」を使った「愛が無ければ、革命家になれない」というセリフを言っていたのです。
このように欧米の文化や政治や社会現象の下敷きに、キリスト教があるのです。無意識のうちに欧米人はその影響を受けているのです。
それは我々日本人が仏教の影響を無意識のうちに受けているのと同様です。カトリックの私も仏教の影響を深く受け、仏教が好きです。
話がそれました。止めます。
今日は春の歳時記としての梅の花と雛祭り、そして復活祭にまつわる話を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)