清瀬市郊外の雑木林地帯に不思議なお寺があります。
延年山転壽院、長命寺という浄土宗のお寺です。昨日その写真を撮ってきました。
不思議な事はこのお寺に江戸幕府の歴代将軍の戒名を彫りこんだ巨大な石燈籠が並んでいることです。
この謎解きは後にして昨日撮って来た写真をお送りします。







写真に写っている石燈籠には 5代綱吉の戒名の常憲院殿や8代吉宗の有徳院殿などが判然と読めます。故人の冥福を祈って有力大名が寄進した石燈籠です。
江戸将軍のお墓は上野の寛永寺と芝の増上寺に分かれてあります。ですから石燈籠はもともと寛永寺と増上寺にあったものです。
それなのにその立派な石燈籠が何故、草深い旧清瀬村の長命寺にあるのでしょうか?
謎解きをします。
原因は日本の敗戦でした。敗戦で困窮した芝の増上寺が敷地の一部をプリンスホテルを建設をしようとした会社へ売却したのです。その折に多数の石燈籠を整理して長命寺へ移設したのです。
その後寛永寺も石燈籠を長命寺へ贈りました。
そんな訳で長命寺の本堂の前に大きな石燈籠がずらりと並んでいるのです。
そして長命寺は江戸幕府直轄の川越藩にあるお寺の末寺だったのです。ですから長命寺は寛永寺や増上寺と関係が深かったのです。
このように地方史にはいろいろ興味深いものがあるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=========================
(1)延年山転壽院長命寺、
長命寺は、感誉上人(天正2年寂)が当寺を創建したといいます。感誉上人は川越蓮馨寺を創建したほか、川越大蓮寺、川越見立寺、大船大長寺等を創建した高徳の名僧です。
新編武蔵風土記稿による長命寺の縁起
(下清戸村)長命寺
境内除地、三千八百二十五坪、浄土宗、入間郡川越蓮馨寺末、延年山転壽院と号す、本堂九間に五間半南向、本尊弥陀三尊長一尺五寸、立像、脇士各八寸許の坐像なり、開山感誉上人本山蓮馨寺と同く当寺を草創し、天正二年五月十八日示寂、此僧は小田原北条氏の家臣大道寺駿河守の甥なる由を傳り、されば当寺の紋今に三鱗を用ゆなどゆへあることなるべし。
鐘楼。本堂の前にあり、九尺四方明和年中に鋳しものなり。
観音堂。本堂に向て左にあり、三間四方南向なり、木の立像にて長二尺許の十一面観音を安ず。また左右に西国三十三所の観音の写をおけり。各長一尺許の木像なり。(新編武蔵風土記稿より)
(2)江戸幕府歴代将軍の位牌と戒名、https://wheatbaku.exblog.jp/18003654/
岡崎の大樹寺には、徳川将軍家の位牌が揃って祀られていんます。
歴代の将軍名、戒名、位牌の高さなどを以下に示します。
初代家康 前大相国一品 徳蓮社崇誉道和大居士 位牌の高さ 159センチ
2代秀忠 台徳院殿 一品大相国公 位牌の高さ 160センチ
3代家光 大猷院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 157センチ
4代家綱 厳有院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 158センチ
5代綱吉 常憲院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 124センチ
6代家宣 文昭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 156センチ
7代家継 有章院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 135センチ
8代吉宗 有徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 155.5センチ
9代家重 惇信院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.4センチ
10代家治 浚明院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5ンチ
11代家斉 文恭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 156.6センチ
12代家慶 慎徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5センチ
13代家定 温恭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 149センチ
14代家茂 昭徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.6センチ
(3)感誉上人、
感誉存貞は後北条氏重臣、大道寺政繁の甥で小田原に生まれた。小田原の伝長寺で出家した後、弘経寺で修行する。修行後は小田原に戻り伝肇寺の住職となった。
感誉存貞は北条一族の信仰を集め、1548年(天文17年)には北条綱成の開基により、東郡岩瀬村(現在の鎌倉市岩瀬に大長寺を建立。翌1549年(天文18年)には大道寺政繁の母、「蓮馨」の開基により、川越に蓮馨寺を建立するなど多数の寺を開いた。
1563年(永禄6年)、増上寺に移り法主となる。増上寺では檀林の整備を行った。
1566年(永禄9年)、増上寺の法主を大長寺二代目住職雲誉円也に譲り、地方を放浪した。1574年(天正2年)に大長寺へ戻り、同年5月18日に死んだ。
感誉存貞開山と伝わる寺院[編集]
大長寺(現鎌倉市岩瀬) 開基:北条綱成 創建:1548年(天文17年)
蓮馨寺(現川越市連雀町) 開基:蓮馨(大道寺政繁の母) 創建:1549年(天文18年)
馬蹄寺 (現上尾市) 開基:不明 創建:天文年間
見立寺(現川越市) 開基:大道寺政繁 創建:1558年(永禄元年)
安養寺(現長野市青木島町)開基:武田信玄 創建:1567年(永禄10年)
大蓮寺(現川越市元町) 開基:蓮馨(大道寺政繁の母) 創建:1567年(永禄10年)
小林寺(現上尾市小敷谷) 開基、創建年代不明
清戸長命寺(詳細不明)
延年山転壽院、長命寺という浄土宗のお寺です。昨日その写真を撮ってきました。
不思議な事はこのお寺に江戸幕府の歴代将軍の戒名を彫りこんだ巨大な石燈籠が並んでいることです。
この謎解きは後にして昨日撮って来た写真をお送りします。







写真に写っている石燈籠には 5代綱吉の戒名の常憲院殿や8代吉宗の有徳院殿などが判然と読めます。故人の冥福を祈って有力大名が寄進した石燈籠です。
江戸将軍のお墓は上野の寛永寺と芝の増上寺に分かれてあります。ですから石燈籠はもともと寛永寺と増上寺にあったものです。
それなのにその立派な石燈籠が何故、草深い旧清瀬村の長命寺にあるのでしょうか?
謎解きをします。
原因は日本の敗戦でした。敗戦で困窮した芝の増上寺が敷地の一部をプリンスホテルを建設をしようとした会社へ売却したのです。その折に多数の石燈籠を整理して長命寺へ移設したのです。
その後寛永寺も石燈籠を長命寺へ贈りました。
そんな訳で長命寺の本堂の前に大きな石燈籠がずらりと並んでいるのです。
そして長命寺は江戸幕府直轄の川越藩にあるお寺の末寺だったのです。ですから長命寺は寛永寺や増上寺と関係が深かったのです。
このように地方史にはいろいろ興味深いものがあるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=========================
(1)延年山転壽院長命寺、
長命寺は、感誉上人(天正2年寂)が当寺を創建したといいます。感誉上人は川越蓮馨寺を創建したほか、川越大蓮寺、川越見立寺、大船大長寺等を創建した高徳の名僧です。
新編武蔵風土記稿による長命寺の縁起
(下清戸村)長命寺
境内除地、三千八百二十五坪、浄土宗、入間郡川越蓮馨寺末、延年山転壽院と号す、本堂九間に五間半南向、本尊弥陀三尊長一尺五寸、立像、脇士各八寸許の坐像なり、開山感誉上人本山蓮馨寺と同く当寺を草創し、天正二年五月十八日示寂、此僧は小田原北条氏の家臣大道寺駿河守の甥なる由を傳り、されば当寺の紋今に三鱗を用ゆなどゆへあることなるべし。
鐘楼。本堂の前にあり、九尺四方明和年中に鋳しものなり。
観音堂。本堂に向て左にあり、三間四方南向なり、木の立像にて長二尺許の十一面観音を安ず。また左右に西国三十三所の観音の写をおけり。各長一尺許の木像なり。(新編武蔵風土記稿より)
(2)江戸幕府歴代将軍の位牌と戒名、https://wheatbaku.exblog.jp/18003654/
岡崎の大樹寺には、徳川将軍家の位牌が揃って祀られていんます。
歴代の将軍名、戒名、位牌の高さなどを以下に示します。
初代家康 前大相国一品 徳蓮社崇誉道和大居士 位牌の高さ 159センチ
2代秀忠 台徳院殿 一品大相国公 位牌の高さ 160センチ
3代家光 大猷院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 157センチ
4代家綱 厳有院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 158センチ
5代綱吉 常憲院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 124センチ
6代家宣 文昭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 156センチ
7代家継 有章院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 135センチ
8代吉宗 有徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 155.5センチ
9代家重 惇信院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.4センチ
10代家治 浚明院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5ンチ
11代家斉 文恭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 156.6センチ
12代家慶 慎徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5センチ
13代家定 温恭院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 149センチ
14代家茂 昭徳院殿 贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.6センチ
(3)感誉上人、
感誉存貞は後北条氏重臣、大道寺政繁の甥で小田原に生まれた。小田原の伝長寺で出家した後、弘経寺で修行する。修行後は小田原に戻り伝肇寺の住職となった。
感誉存貞は北条一族の信仰を集め、1548年(天文17年)には北条綱成の開基により、東郡岩瀬村(現在の鎌倉市岩瀬に大長寺を建立。翌1549年(天文18年)には大道寺政繁の母、「蓮馨」の開基により、川越に蓮馨寺を建立するなど多数の寺を開いた。
1563年(永禄6年)、増上寺に移り法主となる。増上寺では檀林の整備を行った。
1566年(永禄9年)、増上寺の法主を大長寺二代目住職雲誉円也に譲り、地方を放浪した。1574年(天正2年)に大長寺へ戻り、同年5月18日に死んだ。
感誉存貞開山と伝わる寺院[編集]
大長寺(現鎌倉市岩瀬) 開基:北条綱成 創建:1548年(天文17年)
蓮馨寺(現川越市連雀町) 開基:蓮馨(大道寺政繁の母) 創建:1549年(天文18年)
馬蹄寺 (現上尾市) 開基:不明 創建:天文年間
見立寺(現川越市) 開基:大道寺政繁 創建:1558年(永禄元年)
安養寺(現長野市青木島町)開基:武田信玄 創建:1567年(永禄10年)
大蓮寺(現川越市元町) 開基:蓮馨(大道寺政繁の母) 創建:1567年(永禄10年)
小林寺(現上尾市小敷谷) 開基、創建年代不明
清戸長命寺(詳細不明)