後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

強い北風の中、ジブだけでセーリングして来ました

2010年09月24日 | 写真

曇りで風の強い日でしたが、2人の嬉しいお客さんが来てくれました。クルーザーヨットに乗る楽しさを深く分かっているお客さんです。今年の夏の前に、東京湾で一緒に大型ヨットに乗って、知り合ったYMさんとTSさんです。熱心にヨットの構造から、走り方まで学ぼうとしています。

その上、集合してから2時間半も修理をしてくれました。YMさんはスクリュー軸からの水漏れを解決してくれました。TSさんはボルト・ナットが外れてダイナモがエンジン本体から脱落しかかっている危険な状態を修理してくれました。そして自働操舵装置の固定軸の受け木をネジ止めし防水剤まで塗ってくれました。最後にメイン・シートが入るマストの穴を電動ドリルと電動ヤスリで削って、シートが擦り切れないように滑らかな穴にしてくれました。

その後で、12時30分に出港しました。沖にでると北風がビュービュー吹いています。ディンギーを持ってて、いつもセイリングをしているTSさんが今日はジブだけですねと言います。

YMさんもTSさんも自分から率先していろいろしてくれますので全てを安心して任せます。私は楽なセーリングです。しかし強風なので大きくヒールします。突風も来ます。YMさんとTSさんが頑張ってくれます。しかし沖では波も荒く、ますます風が強くなりましたので帰港しました。

6.7ノットが最高速度でした。楽しいセイリングをして、修理までしてくれたYMさんとTSさんへ感謝し、午後3時に解散しました。次回は10月4日からの週に、またしましょうと約束しました。変わり映えのしない写真ですがお送りいたします。冷たい北風がビュービュー頬をなでているとご想像下さい。失礼しました。

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世界を支配する帝国としてのアメリカを内側から支えるもの

2010年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの世界制覇は21世紀も続くと言われています。歴史上、ローマ帝国も強大でしたが、世界帝国としてのアメリカはそ以上の広がりを有しています。

それを内側から支えているものはいろいろありますが、今日は激しい自由競争を中心にした個性教育を取り上げ、ご紹介したいと思います。制度そのものは日本と似ていますが、実際の学校の内容は雲泥の差があるのです。以下にその大きな違いを、私の体験にもとずいて描き出してみたいと思います。

@アメリカの学校における個性教育が強い社会を作る 

日本の学校で個性教育の重要性が叫ばれていますが、個性教育の具体的内容の議論が少なく、抽象的な理想論だけがまかり通っているようです。

アメリカの学校でも集団で生徒を教育しているので、表面的には日本と同じです。ところが教育の仕方や重点の置きかたが決定的に違うのです。

日本の学校では総平均点のみが重要視されています。また暗記力を重視し知識の多さだけをもって成績を決めがちです。知識の暗記は個人の独創性を殺すという事実を日本では無視しているのです。

一方アメリカの学校では総平均点の他に、科目毎の優等賞、絵画コンテスト、ボランテア賞、スポーツでのマネージャー賞などなど色々な賞を与え、優れた個性を引き出そうとしています。したがって生徒間の競争が多種多様になり、決して知識の暗記能力を比較することはありません。 

多様な自由競争が一番重要視されます。これは知識の暗記のみを重視する日本の学校には受け入れられない教育方法です。

このような学校内の教育の重点の置き方が非常に違うだけでなく入学試験のあり方の相違も重要です。

@アメリカの大学には入学試験が無い・・・大学の高い教育効果

日本ではあまり知られていませんが、アメリカの大学には入学試験が有りません。その代わり高校の時の総平均点(GPAと呼ぶ)で大学入学の可否を決めています。書類選考だけです。

取得科目数が多くて総平均点が高ければどこの有名大学へも入学できるのです。このように総平均点で選ぶので結局は日本と同じように見えますが入学試験が無い事実は非常に大きな違う結果をもたらします。

例えば、入試向け専門の暗記勉強や予備校・塾の類が無くなります。普段の高校の勉強を熱心にして成績を上げていれば自然に希望の大学へ入学できるので必要が無いのです。

また大学入学の場合、総平均点が低くても、数学や物理のみが優秀であれば有名大学の数学科や物理学科へ入学出来ます。生物系の学科が特に優秀であれば医学部への入学も可能です。従って高校以下の学校では好きな学科目だけ勉強しても良いのです。個性の輝きを尊重して入学を認める。これが個性教育の実態です。

一方、日本では学校の優劣を全生徒の総平均点でランクづけします。従ってアメリカ式教育をすると、その学校の順位が下がってしまう場合があります。日本では学校の順位が下がれば優秀な生徒が集まりません。それでは困ると考える学校関係者が多いのです。。

アメリカの大学では良い意味での「玉石混交」の大学生が集まっています。多種多様な才能を持った学生が大学を卒業して社会へ出て行くのです。柔軟で強力なアメリカの社会がこうして出来あがっているのです。種々の才能を持った個人が社会を構成しているのがアメリカです。日本ではこのような学校教育はほとんど不可能です。 

 @アメリカの大学には何故入学試験がないのでしょうか? 

日本では毎年一回だけの大学入試試験で入学者を決めています。

アメリカでは個々人の異なる才能を1回の入学試験で判定するのは不可能であり、不公平と考えています。その代わり、大学の1年生から2年生へ進級するとき成績の悪い2割くらいの学生を強制退学させます。その後も、2年から3年、3年から4年への進級の折に、更に卒業の時にと、毎回成績の悪い1割くらいの学生を強制退学させます。

この強制退学の制度は、「一回の入学試験」を4回に分けて行うという考え方です。学生の勉強の成果に従って大学から卒業する学生を厳しく選んで行くのです。個人の成果を尊重した、しかし厳しい選別方法です。 

この強制退学制度は大学内の教育効果を決定的に向上させています。大学は勉強しないと卒業できない。この当たり前の考え方を一番有効に実現する方法です。 

日本の大学ではこれが実行できません。もし毎年2割もの強制退学者を作れば社会的に大問題になります。しかしアメリカでは当然のこととして社会からも広く歓迎されているのです。 

アメリカの大学は2学期制と4学期制がああります。2学期制では120単位を取得すると卒業できます。これは表面的には日本の大学と同じです。4年に分けると1学年30単位であり、それを取れば1年ずつ進級出来ます。しかしアメリカでは、全ての科目で何回も試験に合格しなければ単位が与えられないのです。実は、これがなかなかの難関です。日本の大学のように容易に単位を与えないのです。

@アメリカの大学の飛び級制度の威力 

ところで、優秀な学生は120単位を3年で取得する者もいます。するとその時点で卒業出来ます。このように4年制の大学を3年で卒業するのを飛び級と言います。アメリカでは飛び級で卒業した学生は就職が簡単で、その上初任給が多いのです。しかし、一方で、5、6年かけて卒業する人も居ます。人それぞれの考えで大学に在学する年数を決めているのです。

アメリカでは一流大学で取得した単位はどこの大学へ転校してもその大学の取得単位として認められます。転校が自由なのです。日本の例で言えば、北海道大学の経済学部の2年後期を終了した学生が東京大学の経済学部の3年生として転校出来るような制度です。日本では不可能ですね。

筆者の体験ですが、東北大学の工学部の修士課程で取得した28単位の全てをオハイオ州立大学の工学部の大学院の取得単位として認定してくれました。到着直後にいきなり博士課程へ受け入れてくれたのです。これもアメリカの教育制度の優れた点と感心しました。

@アメリカの大学は激しい競争と厳しい試験の連続

私はアメリカの大学院に在学した2年間ほど激しく勉強を続けた経験は生涯で唯一つの体験でした。それは地獄のような厳しい勉強と競争の体験だったのです。

3ケ月毎の期末試験で少しでも成績が良くなると翌月の給料が増えたのです。貧乏暮らしだったので、それが嬉しく、ますます激しい勉強をした思い出があります。

日本の大学の甘さは世界に類がないと言われています。実感としてそれは本当だと思います。甘やかされた大学生が世の中へ際限もなく毎年出て行く日本の社会は脆弱な社会になるのは当然かも知れません。日本が韓国に追い越され、中国に追い越されるのも致し方無いと思います。

アメリカは21世紀も世界を制覇し続ける大帝国として存在すると思います。何故なら、その原因がアメリカ社会の内側に厳然として存在しているからです。原因はいろいろあって決して単一なものでなく複数の原因が組合っていると考えるのが自然です。しかし非常に重要な原因はアメリカの優れた学校教育にあると私は信じています。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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写真の説明:左は、オハイオ州立大学内のLord Hall という建物で筆者が1960年から1962年の間に実験装置を作って研究していた建物です。

右は同じくFontana Laboratory という建物で、マフィアの親分のように見える学科主任のFontana教授が建設費の一部を寄付して作った建物です。彼の部屋はこの入り口を入りすぐ右手にりました。懐かしい写真なのでついでに掲載いたしました。