後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

墓前へ供えた花の手入れに行きました・・・そしたら、、、

2010年09月22日 | 写真

彼岸の入りに供えた花の水が切れて、萎れるていると思い、水を持って行きました。萎れた花をとり、水をさし、水切りをしました。花の手入れが終り、周りを見回したところ、活き活きとした花々が沢山あります。そうです彼岸の間は毎日お参りに来て花へ水をやり、活け直しているのです。私は少し遠方なので毎日は無理ですが、毎日お墓へ通っている人々も居るのです。そんな活き活きした花の写真を下に示します。感心しました。世の中の人々の偉さに頭が下がります。

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新撰組、井上源三郎の墓参へ行ってきました

2010年09月22日 | 写真

感動的だったのは源三郎の墓前へ色々な数多くの人々が絵画や追悼文を供えていたことです。住職さんの親切で雨に濡れないように大きな箱が用意してあります。私は一枚一枚丁寧に取り出して、墓前に並べ写真を撮ってきました。

源三郎さんは心やさしい隊長だったようで多くの人がその優しさを讃え、追悼文を捧げていました。お墓は上から三番目の写真の右端の正方形に近い形のものです。その裏に上から4番目のような文章が刻みこんでありました。

ちなみに井上家の大きな墓石の隣に2番目に大きな墓石が立っています。先の戦争で戦死した家族のお墓です。源三郎さんの墓石の大きさや位置と比較すると感慨深い思いをいたします。

お墓のあるお寺はJR日野駅の南口から右手へ徒歩3分のところの宝泉寺です。源三郎さんのことは検索するといろいろ出て来ますので、ここでは割愛いたします。それにしても今日は暑い日でした。

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淋しげな秋の高原の花々の写真をお送りいたします。

2010年09月22日 | インポート

丁度2年前の9月22日の草津、白根山のお釜付近の高原で撮影した写真をお送りいたします。高原の秋は足早になって来ます。そしてすぐに粉雪が舞い、深い雪に埋もれるのです。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。例によって家内が撮りました。

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シーア派十二イマーム派のWikipedeaの記事をご紹介致します

2010年09月22日 | うんちく・小ネタ

十二イマーム派(じゅうに イマーム は)は、イスラム教シーア派の一派。イランイラクレバノンなどに分布し、イランの国教でもある。シーア派諸派の中では最も信者の数が多い最大派であり、そのために外部の観察者からはシーア派の主流派と見られることも多く、日本では報道などで単に「シーア派」といった場合は十二イマーム派を指すことがほとんどである。 十二イマームという名前は、歴史上12人のイマーム(シーア派指導者)が現れたことによる。

十二イマーム派においては、シーア派指導者であるイマームの地位は、初代アリー(661年没)以降、十二代目までムハンマドの子孫によって継承された。そして十二代イマームの時、そのイマームが人々の前から姿を消した。これは言葉通りの意味ではなく、世界の内側もしくは存在の見えぬ次元に「隠れ」た、とする(9世紀おわりから10世紀初頭)。この「隠れ」(ガイバ)の状態は現在に至っても続いており、最終的には最後の審判の日にイマームは再臨すると信じられている。

「隠れ」に基づく十二イマーム派に特徴的な政治思想に、イマーム再臨までのあいだ不在のイマームの代理としてイスラム法学者が信者を指導できるとするものがある。20世紀にホメイニーの提唱した「法学者の統治論」とそれに基づくイラン・イスラーム革命では、この思想が精神的支柱となった。出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%B4%BE です。

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アメリカはキリスト教的正義をイランへ押しつけ過ぎる・・・争いや戦争が起きる

2010年09月22日 | インポート

Damavand_in_winter1_2 我々は明治維新以来欧米の文化に染まってしまい、そのキリスト教的考え方が無意識のうちに善として飲みこんでしまっています。そしてそれが宗教に関係なく、人類へ幸福をもたらす黄金律と信じています。

例えば「人はみな自由で平等であるべきだ」という考え方は無宗教の日本人も善であると信じています。しかしこの考え方はキリスト教の「人間は神の前では自由であり、全て平等です」という教えから出来た思想です。神の前ではという部分を省略すると、全人類へ適用可能な黄金律になります。

イランでは人権が侵害されているから圧力をかけ、イラン社会に自由と平等を広げようとする運動が盛んです。いわゆる人権外交です。

アメリカはその政策を特にイランへ強要するのです。しかしそれはキリスト教の立場です。少なくともイラン政府は、そして保守的なイスラム教徒はアメリカの宗教的な宣戦布告と感じてしまいます。

イランは政治とイスラム教が合体した宗教国家です。その善悪を議論する前にイスラム教の教え通りの社会を作っている事は現在の人類の貴重な一つの文化パターンです。この文化パターンをまず尊重して客観的にその事実を理解すべきと思います。

それではそれはどのような社会なのでしょう?

イランではシーア派12イマーム派を憲法によって国教としています。従ってそれ以外の人間の権利は極端に差別されます。宗教国家ですから当然です。イスラム以外のキリスト教、ユダヤ教は異教徒として存在を容認されていますが、権利は差別されています。無神論者は死刑の適用を受けます。

男女関係ではイスラムの女がイスラム教徒でない男性と婚外交渉を行えば女は死刑です。この逆の場合は男は「鞭打ち100回」だけで放免されます。またイスラム教の棄教は禁止され、発覚したときは死刑です。

女性の人権は無視されていて、ベールやスカーフの着用が強制され、自由な恋愛も原則として禁止です。同性愛者は死刑です。

泥棒や強盗のような犯罪の刑罰は人体切断や石打ちの刑が執行されます。

国際的な調査では、イランでの死刑執行数が非常に多いことが分かっています。

死刑執行数の多い国は一位が中国です。2位グループにはイランやサウジアラビアやパキスタンがあります。これらの国々は皆イスラム教国であることにご注目下さい。北朝鮮は2位グループに入ると推定されます。

このようなイスラム教社会ではキリスト教的な定義の人権は無視されているのは当然です。

イスラム教の非常に大きな特徴は宗教が個人の日常の全ての生活を規制していることです。ですからこそ仕事中でも一日数回決まった時間に礼拝をします。仕事を放り出して、礼拝をするのです。

このような特徴はキリスト教や仏教には有りません。日曜日以外は仕事優先!宗教は暇な時!です。

従ってイスラム教国にアメリカ流れの「人権」の輸入を強要すると、イスラム教を否定することになるのです。

この論理の流れはごく自然なので理解し易いと思います。

21世紀の戦争は欧米とイスラム圏との戦いになると色々な識者が予測しています。20世紀は資本主義と共産主義、そして軍事独裁主義の3つどもえの戦争の連続でした。21世紀の始めの2001年9月11日が同時多発テロ事件が起きたことは象徴的な意味を持っています。

下にWikipedeaの「イラン」の項目http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3にある写真をしめします。上の写真はイランの北方にある高い山で、下の写真は首都テヘランと、伝統的な音楽師の絵です。

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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