家でパトリックと愛犬・カネル(シナモンという意味)にお別れをした。
来た時はパトリックが迎えに来てくれたが、帰りはマルゴが自動車で駅まで送ってくれた。
この二人、こうして交替で三日間の滞在の面倒を本当によく見てくれたのだ。
駅で列車を待っていると、駅員さんがやってきて「日本人か?」と聞いてきた。
「そうだ。」と言うと彼は、「日本に行ったことがある。」とのこと。
だから彼は懐かしかったのだ。
青い制服を着た、太っちょさんだが、いかにも人がよさそうだった。
プラットホームのマルゴに送られて、列車は出発した。
モルレイの街
席は窓際だったけれど通路側にムッシュとマダムが座っている。
観察するとどうやらムッシュは私に声をかけたいのを、躊躇しているようだ。
そこで「こんにちは」と声をかけた。
そして聞いてみた。「私は何人に思う?」「中国人?朝鮮人?ベトナム?日本?タイ?インドネシア?マレーシア?カンボジア?・・・・???」
彼曰く「中国人!」
でも彼は最初から日本人と判っていたのだ。
何故なら話してみると彼等の身内に日本人と結婚している人がいるようだし、向かいに座るマダムが「SUDOKU(数独)」をしているではないか。
何のことはない日本通なのだ。
そこで私はあえてお返しに聞いてみた。「ムッシュはフランス人かい?」
彼は即座に答えた。「私はブルトン人だ!」
この返事に彼等のブルトン人としての誇りを感じた。
彼は大学教授にでも見える風貌だが、元銀員だったそうだ。 さすがフランス、堅い仕事をしていたにしてはユーモアのセンスがある。 折しもリーマンショックの後だったから、「いい時に辞めたよ。ラッキーだった。」と言った。 彼等はブルターニュの西の端の街「ブレスト」から乗ってきたとのこと。これからパリの息子の家に行き孫に会うのだと、嬉しそうにマダムは言った。
彼らは初めてデートで映画を見に行ったそうだ。
それは何と「裸の島」という日本の映画で、映画も素晴らしく、思い出にいつまでも残っているそうだ。新藤兼人のほとんど台詞の無い映画で、その村の人々の生活が見て取れたと話してくれた。
おしゃべりなマダムは、モンパルナス駅についてもタクシー乗り場まで、ご主人をほっといて私と話し続けたのだった。
この上品なマダムからは、帰国後もメールがくる。
文章を書くのが好きとかで、いつもメールには詩が付けられている。
解読が難しく、閉口する。
そして、お孫さんの名前は、ブルトン語で太陽を意味する名前だと説明があった。
こうしてブルトン文化も継承されて行くのだろう。
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