フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

パリの邸宅滞在編

2011年06月13日 | パリ17区

これは、マダムの中のマダムの続編(パりの邸宅にて)である。

  

この年のフランス旅行は、友人宅をはしごする旅の最初の年であった。18泊のうち、一泊を除き、すべて友人宅であった。

その一泊もモンサンミシェルで夕日が見たいので、レンヌ在住の夫婦が「もしも気が変わったらいつでもうちに泊まって」との申し出を丁重にお断りしたのである。

 

パリは友人が多く、一軒に絞ることが出来ず、「空港まで送迎する」と言ってくれた夫婦のところを主な滞在場所にし、やはりメールでの温かさを感じる度合いによって、あと二軒を一泊ずつさせていただくことにしたのだった。

 

このマダムは前述の通り、「大きな家なので泊まりに来て」と会ったその時に言われたこともあったし、セレブマダムの住まいはどんなものなのか興味もあった。

 

マダム宅では、彼女の夫、日本語の話せる次男とそのガールフレンド、その時長男と交換留学で滞在していたアメリカ人がテーブルについていた。

一通り紹介が終わると、お茶を飲んだ。

次男君はその時、17歳くらいであった。

マダムから「この夏に日本に行くと言うのよ。またいろいろと相談に乗ってね」と言うことで、もちろん了解した。

次男君は日本語で少し話をした後、ガールフレンドと出かけて行った。

 

私の部屋は、留守中の長男の部屋であった。

後でわかったが、どうやら留学生は普段その部屋を利用していて、その日同じアパルトマンの上の階の小さな部屋に移動してくれたようであった。

 

彼女は家の調度品の特にセーブル焼きのものについて、説明をしてくれた。素晴らしいものであることは素人目にもわかる数々だった。

 

 

そして、セーブル美術館を案内してもらい、トロカデロのあたりからエッフェル塔を眺め、ダイアナ妃が事故死したアルマ・マルソーに近いカフェでお茶を飲んだ。

自分でクリームを入れて飲むショコラ・ショー(ココア)はとても甘いが美味しかった

 

この時、夫妻は「子供の教育費がたくさんかかる」と言った。

しかし、日本とは違い、医師であるご主人も二人の息子に医師になってほしいという希望は全くないのだ。

子供の人生は親が決めるものではないという考え方は、フランス人にとって当たり前のことだという。

現に今彼らは法律を学ぶ大学生になっている。

日本では親からのプレッシャーで医学の道を志す子供が多くいる現実と大きく違うことに驚いた。

 

このカフェはマダムの行きつけのカフェで、給仕の男の子は顔見知りであった。

そこでチップを置こうとしたマダムをこのご主人は制した。

豊かな階層は必ずチップを置くとばかり思っていたが、そう言うことでもなさそうだ。

アメリカでの生活の経験もある彼女はチップをいつもは奮発しているのであろうと推測したが、ご主人はサービスに特別な満足をしない限り、チップは不要だという姿勢だった。

 

チップについては日本では習慣がないので、いつもいくらおけばいいか悩む。

こういう時フランス人はどうするのか、素知らぬ顔をしながら、実は全神経を集中して事態の推移を観察する私がいる。

 



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