12月6日は、ネルソン・マンデラの逝去と共に、日本の民主主義が死んだ日として記憶するしかないのだろうか?
憲法で保障された国民の「知る権利」を侵害する特定秘密保護法案が、憲法で保障された表現の自由に基づいた行動を「テロ」と断定する人物が党の幹事長を務める政党によって強行採決で成立した。これを民主主義の否定と言わずして何と言うのか。私たちが求めた第三者機関の設置は「検討」と骨抜きにされた。国家権力は都合の悪い事実を隠し、その情報にアクセスしようとするだけで犯罪者に仕立て上げられる可能性がある。明日から、日本は全く別の社会になることだろう。このような形で成立させてしまった力不足を恥じるしかない。
20年近く前の1994年4月、私は南アフリカ共和国にいた。国連の平和維持活動に参加するためモザンビークに向かう途中、ネルソン・マンデラが大統領候補として立候補していた歴史的な選挙の熱気をどうしても感じてみたかった。ヨハネスブルグでは黒人居住区アレッサンドラを訪ね、初めての投票へ長い列を作る人々の嬉々とした姿に接した。アパルトヘイトに決別し、全ての国民が参加する歴史的な選挙。ネルソン・マンデラは圧倒的な支持で大統領に選ばれた。28年間監獄に収容されていた彼は抵抗のシンボルだったが、自分の命を奪おうとした敵に対してさえ国民和解を呼びかけるリーダーでもあった。15年間を自宅軟禁で過ごしたアウンサンスーチーもそうだが、自分の命よりも人々の自由のために闘い続けた彼らの姿からは真の勇気と気高さが滲み出ているように感じる。もっとも、石破幹事長に言わせれば彼らもテロリストになるのだろう。自由と民主主義を求める彼らの運動を支援し、その一端を占めていた私も当然テロリストだ!名誉なことである。ま、ある日突然逮捕されるかもしれないが…。獄中で何年かを過ごしたところで彼らのようなカリスマが備わるとは思わないが、何の苦労もなく政治家になった日本のリーダーよりはましな政治家になれるかもしれない。
「何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは不可能です」
これは、ネルソン・マンデラの言葉だ。日本における戦争への突入は治安維持法によって国民の自由な意思を抑圧することから始まった。特定秘密保護法案の成立で国民の権利は徐々に狭められていくだろう。厳しくチェックを続けなくてはならない。もちろん、テロリストと言われても声を挙げ続けなくては!
下記はモザンビークでの写真です。マンデラ氏の行動が彼らの権利を守るために貢献したことは言うまでもありません。
顔に入れ墨や金属を埋め込んだモザンビークの女性
モザンビークの女性ゲリラ
私が住んでいた家の前で漁をする村人たち