阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

サッカー場が墓地になった悲劇をこえて-ボスニアの健闘と集団的自衛権

2014年07月07日 14時17分44秒 | 政治

 サッカーのワールドカップ、私は初出場したボスニア・ヘルツェゴビナを応援していました。日本代表監督を務めたイビチャ・オシムは対立していた3つの民族のサッカー協会を説得してひとつにまとめ、民族を超えてチームがひとつになりました。地区予選で快進撃を演じ、初出場を決めたのです。

 1996年、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボで日本政府派遣の選挙指導員として活動していた時、こんな小噺を聞いたことがあります。「君の兄さんは何してる?」「サッカー場でゴールを守ってるよ」「父さんは?」「観客席で応援してる」過酷な内戦が続き、セルビア人勢力に包囲されたサラエボでは、周辺の山々から銃弾が降り注ぎ、多くの市民が犠牲になりました。狭い盆地であるサラエボには犠牲者を埋葬する十分な場所がなく、私の担当地域にあったオリンピック会場やサッカー場まで墓地になりました。そんな状況を表し、少しでも悲しみを忘れようとする小噺に胸が痛みました。一方で、戦争の影は小さな子どもたちにも及んでおり、写真の子どもたちは「セルビア人をやっつけろ!」と言いながら戦争ごっこをしていました。
 
 オシム監督が率いる90年のイタリア大会でマラドーナを翻弄し、世界的なスターになったストイコビッチはユーゴスラビアの国民的英雄でしたが、内戦によって民族は引き裂かれ、セルビア人の彼を見るボスニアの人々の気持ちは何とも複雑だったと想像します。
 
 しかし、彼も戦争の被害者です。ユーゴスラビアチームは国際サッカー連盟から排除され、タレントが揃い優勝さえ期待された94年は予選を戦うこともできませんでした。コソボ内戦に伴うNATOのユーゴ空爆の時、試合でゴールを決めた後、ユニフォームをたくし上げ、Stop Strikeと書かれたTシャツを見せながらピッチで咆哮していた姿も忘れられません。

 テレビ観戦の時間はあまりないのですが、ワールドカップでは、内戦や圧制、災害から立ち上がろうとしている国、サッカーによって国民の心がひとつになり、内戦や混乱から立ち直るきっかけが生まれそうな国を応援することにしています。今回のボスニアは1勝2敗で予選リーグ敗退でしたが、アルゼンチン相手に大健闘するなど心を打つ戦いぶりでした。

 集団的自衛権の行使が売られていないケンカを買いに行くことになり新たな悲劇を生む結果になってはならない。ボスニアで刻んだ記憶を国会での議論に活かしていかなくてはと改めて思います。