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阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や平和構築活動、趣味や日常生活についてメッセージを発信します。

ハーフの子供と日本の未来

2006年11月16日 11時59分59秒 | 日常
 ご無沙汰してしまいましたが、皆さん、如何お過ごしでしょうか。

 ドイツに住む妹が2人目の子供を出産したこともあり、10日ほど現地を訪ねていました。妹は環境工学の研究者で、ドイツ人のパイロットと結婚したこともあり、もう6年間、ドイツに住んでいるのです。

 3歳になる最初の子供には、会うたびに警戒されるのが大変なショックでした。また、母も下の妹も、さらに父まで名前に「ちゃん」を付けたニックネームで呼ばせているのに、私だけが「おじさん」と呼ばれることも納得できません。従って、今回はドイツでの家庭生活に密着して過ごしました。絵本などを買い込んで歓心を買い、一緒に遊んだり幼稚園の送り迎えに行ったりして、子供とも打ち解けることができました。

 それにしても、ハーフの子供が成長する過程はとても面白いですね。3歳になる最初の女の子は、70%ぐらいは白人の子供のような顔立ちで、最初に見た時は、妹が産んだ子供だとは信じられないほどでした。でも、日本について学ぶごとに、時おり見せる表情の中に日本的なものが増えていくようです。もっとも性格は、ドイツのお母さんに似ているようですが・・・。

 2人目の子供は、「アジアの美しさを知る」女性に育つこと、そして、たぶん、妹がもう少し自分に似た子供になることを願って、美亜という名前をつけたのですが、生まれた時の顔立ちは最初の子以上に白人的なようです。まだ性格はわかりませんが、奥ゆかしさを感じるところなど、何となく私に似てくるような予感もしています。

 今回、最初の子供が日本語とドイツ語を巧みに使い分けているのが印象的でした。妹夫婦は、将来、子供たちが日本、ドイツのどちらでも生きていくことができるように、かなり厳格に教育する方針のようなのです。大人になった時に、どちらを選択するのか。国政を目指す身としては、どうすれば、日本がより魅力的な国になれるのか、考えてしまいます。

 ドイツの田舎町は本当に美しく、環境や文化に配慮しながら、人々が健康的に生活できるような空間を大切にする精神が人々に根づいています。しかし、ナチス時代の教訓で差別ばかりか競争までも過度に排除した政策の影響か、経済のダイナミズムはあまり感じられず、ドイツ語が話せない移民の増加が社会問題する一方で、優秀な人材が外国に流出する事態も問題になっています。一方で「強いドイツ」復活への期待が、右翼的な政治行動へと飛躍する危険も秘められているようです。
 
 少ない若者が大勢の高齢者を支える社会構造が将来さらに進行する日本。移民政策の方向性が、この国の未来を決めると言っても過言ではありません。特に、知的労働に従事する、または目指しているアジアの人々にとって魅力的な国になれるかどうかは、日本社会のダイナミズムを生み出す最大の鍵だと思います。

 自由競争を促進し、経済の活性化を図りながら、生きる喜びを創造するにはどうすれば良いのか。成功例、失敗例も併せ、ドイツの政策は日本にとってのモデル、そしてライバルになることでしょう。子供たちの成長を見守ると共に、その良い点を学び日本の政策にも反映させることも、重要な目的になりそうです。  

  
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激闘の中の「美しさ」

2006年08月21日 23時20分01秒 | 日常
 延長15回引き分け再試合になった甲子園の決勝戦。2日続きの激闘の末、早稲田実業が駒大苫小牧を4-3で破って優勝しました。活動中だった昨日はライブで観ることはできませんでしたが、今日は予定を調整しテレビの前で夢中になって両チームを応援しました。

 こんなに人々の心を捉え、感動させた甲子園は久しぶりだと思います。人々の気持ちを動かしたのは、選手の全力プレー、そしてその周辺のシーンの中に誰もが感じた「美しさ」だったのではないでしょうか。

 自らの精神と技術を高いレベルでコントロールし、クールな熱投を続けていた斉藤佑樹投手が、クールダウンのキャッチボールをしながらあふれる涙をこらえているシーン、観ていた私も目頭が熱くなりました。さらに泣き崩れる仲間を励ます駒大苫小牧の田中将大投手の笑顔も美しいものでした。そのシーンに3連覇を目指すエースが背負ってきた重圧の大きさを改めて感じました。

 限界を超えた2日間、24イニングの壮絶な死闘だったからこそ、そんなシーンの数々が際立ち、本物の美しさを感じることができたのでしょうね。心から感動しました。

 政治もまた、美しくなければならないと思います。では、お前にとっての美しさとは何かと言われたら、それはひたすら現場を歩き、勉強を続け、もがきながら闘うこと。つまり自分ができる唯一のことを継続することしかないと思います。カッコ良くも美しくもないけれど、それをやり抜くこと、つまり、美しくないことを続けることがたったひとつの道。両チームの選手がここまで重ねてきた練習を思い、改めて確信しました。

 写真:斉藤投手と田中投手(日刊スポーツ・上田博志氏撮影) 


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熱闘甲子園!

2006年08月18日 08時46分32秒 | 日常
久しくゆっくり観ることができなかった夏の甲子園、今年は時間がある時は熱心に観ています。

私が応援するのは、基本的には弱そうな高校なのですが、特に公立高校や、体格に恵まれない選手が頑張っていると応援したくなってしまいます。ハンデを克服しながら心をひとつにして闘っている姿には本当に心を動かされますね。この舞台に立つことは本当に大変なこと。途中で負けた選手たちの思いも背負い、最後まで闘い抜く姿にはいつも励まされます。

特に感動したのは静岡商業の165センチの小さなエース・大野健介投手が投げる姿です。ピンチになっても、投げる前に必ずニッコリ微笑み、甲子園で投げる喜びを全身で表しながら力投する姿にすっかりファンになってしまいました。

私も中学時代は野球部で、甲子園を夢見た球児でした。残念ながら甲子園を目指すその前に挫折してしまいましたが、甲子園に通った子供の頃は憧れのお兄さんに見えた球児たちが、今は自分の子供(がいたらですが・・・)のお兄さんぐらいの年齢になったせいか、何となく父親のような気分で見てしまう自分に驚いています。大野投手を観ていて、もう、30年近くも前に甲子園を沸かせた東邦高校の1年生「バンビ」坂本佳一投手を思い出しました。東洋大姫路との決勝戦、私は甲子園で観ていました。最後にサヨナラホームランを打たれて負けた時も、なにより全力を尽くした清々しさを全身から感じたのを覚えています。

私は16歳の時から日記をつけているのですが、その前の中学時代に書いていた「必殺帳」というノートがこの前出てきました。「一球入魂」「闘魂」「根性」「文武両道」などの熱い言葉でページごとに自分を鼓舞していて、素振りや腕立て伏せなどの日々の目標回数もビッシリ書かれていました。当時の私は背が小さかったので、月ごとの身長が伸びる予定をチームメートの分まで書いてあったり、なかなか試合に出られないのに5打数5安打2ホームラン(サヨナラ)などと、試合での活躍予定なども書いてあって、今読むと思わず笑ってしまいます。

しかし、この頃から腕立て伏せ、腹筋、スクワットを最低100回ずつするのが未だに日課になっていて、年齢を重ねても体型、体力が変わることもありません。野球で花を咲かせることはできませんでしたが、当時の気持ちは、その後の様々な活動に取り組む上での体力、精神力の土台になっているような気がします。


 写真:力投する静岡商業大野健介投手(http://blogs.yahoo.co.jp/mishelhome/17079912.html 

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サンクト・ペテルブルグと「罪と罰」

2006年07月21日 01時32分34秒 | 日常
 皆さん、こんにちは。阪口直人です。

 ロシアでの仕事を終え、今は私の専門分野でもある「平和構築」について、大学などを訪ねて聞き込み調査をしているところです。ずっとブログの更新ができませんでしたが、ようやく日本語が使えるパソコンを見つけました!

 今回、印象的だったことのひとつは、サンクト・ペテルブルグの街をゆっくり歩いたことでした。今はまさに白夜の季節。夜も0時過ぎまで明るいので、本当に時間を有効に過ごすことができました。

 さて、私はドストエフスキーが好きで、高校生の時に殆どの作品を読んだことがあります。彼の作品が持つ圧倒的な力は、瞬く間に読者を惹き込み、読者の精神を支配してしまうとは読む前から聞いていましたが、私も現実世界と本の中の世界の区別がつかなくなってしまうほど熱中しました。中でも熱心に読んだのが代表作の「罪と罰」で、17歳の時に3回、20歳の時に1回読み、今回再び読み返しました。この本の舞台が当時のペテルブルグで、作品の舞台をゆっくり歩くことは私の夢のひとつだったのですが、今回、地元の女性に案内してもらい、本当に最高の形で実現しました。

 驚いたことは、当時の建物が殆どそのまま残っていること、そして、特にそれが保護されたり、観光化されているわけではなく、本当にさりげなく、しかし、そのままの形で残っていることでした。ラスコーリニコフやソーニャが住んでいた家、アリョーナ・イワノーヴナ(金貸しの老婆)を殺して斧を隠した隙間など、それはもちろんドストエフスキーの設定なのですが、150年以上前に、同じ場所を彼が歩き、あの作品の構想を練ったことを感じるだけで感激でした。

 今回案内してくれた女性は、まさに作品の舞台になった地域に住んでいて、最高の案内者でした。彼女も「罪と罰」は読んだけれど、普段歩いているところに、作品のさまざまな舞台があったことを詳しくは知らなかったそうです。しかし、私が期待した以上に本当に詳しく調べてきてくれたので、この作品と同じ7月のペテルブルグの下町を満喫することができました。

 ロシアという国は、外国人を監視していた名残りも残っていて自由に旅行することはできません。決して行きやすい国ではないけれど、だからこそ、いろんな想像が駆り立てられる、不思議な魅力のある国ですね。未だ相互理解が十分とは言えませんが、まず人の交流がもっと盛んになることで、より理解も進むことでしょう。私の今回の仕事の成果もそんな方向で役立てられればと思います。


 写真: 彼女の右側の壁の奥、下の方に見える穴が、ラスコーリニコフが老婆を殺した後、斧を隠した場所との設定になっているようです。彼女のノートはお父さんから聞いてくれたこの作品にゆかりの場所についてのメモでいっぱいでした。


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観光開発と経済発展

2006年07月10日 11時17分18秒 | 日常

 民主党の国会議員候補者募集には2000人を超える応募があったようです。再び公認されるためのハードルはとても高いのですが、何とか再挑戦の機会が得られるように頑張ります。

 公認のプロセスに入るにはしばらく時間がかかるようです。

 そんなこともあって今日からロシアに行ってきます。観光開発に関する調査の仕事です。観光開発と経済発展について大変興味があり、NHKのドキュメンタリー番組(「新生カンボジア・3年目の現実」1995年11月放送)を制作したり、旅行雑誌に連載を持っていたり、修士論文もエコ・ツーリズムと経済効果について書いたりしました。その延長線上の調査なので、私の研究や政策にも活かせると期待しています。

 ちょうどサミットが行われる時期にサンクトペテルブルグに行きますので、現地の学生とディスカッションする機会も作ってもらいました。

 その後、ジュネーブの国連本部にも足を延ばし、私の専門分野(平和構築)についての調査も行います。約2週間の不在になりますが、携帯、およびメールにはアクセスできると思いますので、連絡がある方はそちらにご連絡下さい。また、可能であればブログにも報告させて頂きます。

 では行ってきます!


 阪口 直人


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人生とは旅である。14年目の七夕の夜に

2006年07月07日 23時17分49秒 | 日常
人生とは旅であり、旅とは人生である
 ~1992年7月7日-

俺が「選挙」という旅に出てから今日でちょうど14年の月日が経った。
29歳の七夕の日、国連ボランティアとしてカンボジアに旅立ち、その旅は始まった。

カンボジアの秘境ラタナキリ州。

国連が史上初めて一国の代わりに統治を行うUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の一員になり、選挙を成功させるため、毎日、夢中になって活動を続けた。

高床式の民家に住み、連日、地雷や不発弾の埋まったジャングルを歩き、何度もマラリアに襲われながら、俺の任地であるボケオ郡での選挙実施のため準備を行った。

脅迫に遭い、仲間が殺されても、ひたすらカンボジアの未来を信じ活動を続けた。

この旅が、こんなに長くなるとは、俺自身思いも寄らなかった。

カンボジアの後はモザンビーク、さらにボスニアに行き、そして、専門学校の教員に。大学院でも勉強を続け、その後、首藤信彦衆議院議員の政策秘書になった。

国会で秘書をしながら、インターバンドという平和構築NGOの事務局長も兼務した。
アジアの民主化支援NGOとともに、スリランカ、東ティモール、パキスタン、カンボジア、アフガニスタン、インドネシアなどの紛争地域で選挙を支援する活動を続けた。
また、平和構築活動において重要な除隊兵士を支援する活動の責任者になり、カンボジアでのプロジェクトを立ち上げた。
紛争地の現場と国会の両方で活動を行う中で、俺自身が国政に携わり、変えたいという強い思いに突き動かされた。民主党の候補者公募に応じ、2003年、衆議院選挙の候補者になった。

選挙は国の未来を決める大切なもの。

それだけに、候補者は多くの人前に晒され、また多くのジャーナリストから取材を受ける。
多くの期待や注目を集め、そして当選のための責任を負う。
地道な活動の苦労を忘れさせてくれる人のやさしさに感動することもあれば、自分の存在価値を全て否定されるような批判に苛まれる。

衆議院選挙の候補者になって以来、「選挙、好きですか」と言われても、「好きだよ」と素直に言えない自分がいた。
多くの方々の支援に感動を覚えると同時に、保守的な地盤、圧倒的に強力な対立候補の存在は、とてつもなく大きな壁だと感じていた。

けれど、総支部代表として2度目の挑戦になった昨年9月11日の総選挙の後、志を遂げるまでは、絶対にあきらめたくない自分が確かにいることがわかった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

落選の翌日から一週間、俺は毎日駅に立った。
どこの駅に立っても掛けてもらった「がんばれよ」の励ましの言葉。本当に多くの方々に支えられていることを実感した。

選挙という旅の中でも「総支部代表」は、俺にとって特別に重い地位だった。

2度目になった2005年の衆議院選挙に向け、俺は、政権交代の必要性について、また、議員になった時に実現する政策について、連日、駅頭に立って訴え続けてきた。
「政治家として、俺は何を変えることができるのか」それだけを考えて活動してきた。

俺は2005年の総選挙、民主党の可能性はかなり大きいものと感じていた。
多くの候補者仲間が、政権交代という使命を胸に、地を這うような活動を続けていた。
俺も20000件以上の地域の方々と対話をし、岡田代表(当時)を招いてタウンミーティングを行い、そして凍えるような冬の日も、灼熱の夏の日も、毎日駅頭に立って支持を訴えてきた。
しかし、本当に残念だったのは、最初は民主党優勢と見られた選挙戦が、終始小泉首相のペースで進み、民主党が100%の力を出すことができなかったことだ。
「郵政民営化」をたったひとつの争点にし、次々に「刺客」を放ってマスコミの話題を独占する小泉首相の劇場型選挙戦略の前に、民主党が完全に埋没してしまったからだ。

89901票を頂きながら、当選という結果を出せないままに総支部代表を辞任するのは、とても辛いことだと感じている。しかし、民主党の規約に従い、再度、公募に応じて、チャレンジを続ける決断をした。

紛争地の選挙支援、そして自分自身の選挙活動の中で培った経験は、これからも俺が政治活動を行う上での基盤になるだろうし、自信になると思う。

みんなの声を胸に、これからも挑戦を続ける。

そう思えばこそ、これから先の新たな旅で、どんな困難なことがあろうと、乗り越えていけると信じられる。

新しい挑戦はこれから始まる。

いったんは、民主党神奈川17区総支部代表を辞任するけれど、政治への挑戦をやめることは絶対にないだろう。
駅頭で、民家の軒先で、また路上で、さらに世界各地で、人々の声を聞いて歩くだろう。
民主党の公募に応じ、最初に挑戦した時と同じ気持ちで。そして、14年前の今日、勤めていたキヤノンを辞めて、カンボジアに赴いた時の瑞々しい気持ちを持って-。

そして、最後まで信じ、応援して下さった方々に心の底から一言を。

   ありがとう。more than yesterday. 明日を信じて。

                                   さかぐち直人


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町屋と人形さまの町おこし

2006年04月29日 09時11分45秒 | 日常
 皆さん、おはようございます。

 今週は、とにかく地域を歩きました。火曜日は山北町、水・木曜は秦野市、そして昨日は小田原市の支援者と一緒に商店街や民家を訪ね、地域の方々と意見交換をしました。昨年は、一軒でも多く訪ねることを自分に課していましたが、今は、件数よりも、できる限りお話を聞かせて頂く事を念頭に置いて歩いています。

 中小の商店の状況は本当に厳しく、改めて、格差が広がっていることを実感しました。同時に、多くの方々が、地域の環境や文化を活かし、何とか町を活性化したいと必死に努力していることも改めて感じました。

 私の大学時代の友人である吉川真嗣さんが新潟県村上市の町おこしに奮闘する姿を描いた「町屋と人形さまの町おこし」(学芸出版社・吉川美貴著)をHPの掲示板でも紹介したことがあります。古い町並みと人形を活かした町おこしの過程がイキイキと描かれていて、ひとりの人間が、町おこしを通して人々の価値観までを変えることができるんだ!」と力を与えてくれる本です。以前、私が熱心にその話をしたところ、私が住んでいる国府津で、まさにその本をテキストにして、新たな町おこしの機運が盛り上がっています。国府津を気に入り、避寒地として何度も滞在していた第15代将軍・徳川慶喜をテーマとした町おこし。このことはいずれ詳しく紹介したいと思います。

 今日はこれから小田原・足柄地域連合のメーデーに参加し、午後からは和歌山に行って来ます。様々な地方都市の町おこしの現場を見ると同時に、遠い親戚でもある和歌山1区の民主党候補者・岸本周平氏と意見交換を行うのを楽しみにしています。

 
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国際結婚

2006年03月28日 00時59分31秒 | 日常

 日曜日は友人の結婚披露宴に出席しました。

 花嫁はドイツ人でした! 彼女は妹の親友で弁護士なのですが、研修のため日本に来ていた時、3ヶ月ほど私の家に住んでいたことがあったのです。

 実は私の妹もドイツ人と結婚をしていて、ダルムシュタットという町で環境工学の研究職に就いています。妹と新郎とはダルムシュタット工科大学での研究仲間ですが、お二人の出会いは何と妹の結婚披露宴だったそうです。そんな経緯もあって、お二人とは、私の家族・親戚も交えたお付き合いをさせて頂いているんです。

 新郎・新婦がお互いの言葉を流暢に話すこと、また、相手の文化や考え方について深い理解を持っていることを知り、国際結婚における相互理解の必要性を実感しました。特に新婦は、以前はあまり日本語が上手ではありませんでしたが、激務の中、美しい日本語を使えるようになっていることに驚きました。

 私も外国人女性との恋愛経験がありますが、結婚は、お互いの家族、そして文化と永続的な関係を築くことでもあり、本人同士がコミュニケーションできるだけでは十分ではないのでしょうね。また、お互いが自己実現への強い意識を持っている場合、少なくともどちらか一方が、自国や特定の国以外でもそれを実現できるようにすること、つまり相手の仕事や生活に「譲歩」をしないと、長く関係を継続することは難しいようにも思います。今回の新郎新婦も、将来ドイツに住むのか、日本に住むのか、とても悩んでいるようでした。でも、そのどちらも可能になるよう努力をしていることに敬服しました。

 美男美女のカップルですが、赤ちゃんはどんな子供に育つのでしょう!? 妹の子供も、最初は白人の要素が圧倒的に強いように思えたのですが、成長するに従って妹にも似てきて、みんなの目を楽しませています。でも、どちらに似ようと、子供こそは、ふたりをつなぐ一番の力になるのでしょうね。
      
 末永くお幸せに。