(梅畑の中にある馬頭尊)
(馬頭尊2)
(馬頭観音3)
(馬頭観音4)
(松井田宿4)
前回述べた夜泣き地蔵のある丸山坂を登り下りする山道(旧中山道)を進むと、
左右に馬頭尊や馬頭観音などが、
旧中山道の案内役をしてくれる。
道路は曲がりくねっているが、やがて信越本線にぶつかり、
線路に平行して歩くようになる。
しばらくすると右側に碓氷神社の赤い鳥居が見えてくる。
神社の本殿は急な階段を上ったところにある。
神社入り口の赤い鳥居脇には、寛政12年の庚申塔、
文化5年の二十二夜塔が並び、その脇にある昭和二年の道標には、
「碓氷神社ヨリ東 立野 西 高墓 松井田停車場へ一里二丁」と刻まれている。
碓氷神社は由緒ある神社で、伝説によれば、
(1.建久年間(1190~1199)源頼朝公が信州浅間の牧狩りの際、
碓氷神社に祈願せられ、境内に御所を置かれた。このことにより
以来この地を「御所平」と呼ぶようになった。
2.正応年間(1288~1293)鎌倉北条氏
この地信州より関東への入り口なるをもって、
碓氷郷総鎮守として崇敬せらる。
光明天皇(1377)は碓氷郷の一宮と定められ崇敬祈願さる。)
(碓氷神社の赤い鳥居)
(庚申塔や道祖神)
(道しるべ)
(御所平の信号と踏切)
この碓氷神社の横に踏切と信号機があり、信号は伝説の通り「御所平」と書いてある。
信号で信越線と線路と平行している国道18号を横断する。
線路はあと2kmも西に進めば、JR横川駅に到着する。
国道に沿って歩道を進むと、「小山沢」の信号で中山道はすこし左にそれる。
それた道は100mもしないで、すぐ国道に合流するが、合流地点の手前右側に
「百合若大臣の足跡石((ゆりわかだいじんのあしあといし)」の伝説の石がある。
(小山沢の信号)
(百合若大臣の足跡石、石のへこんだところが見える)
説明によれば、
(この石は、百合若大臣が強弓を射たときに、足で踏み潰したので、
石の上が凹んだと言われています。
その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく、
大きな弓と長い矢で川向こうの山に向け「よし、
あの山の首あたりを射抜いてみよう」と思いつき、
満身の力を込めて射放った。
その時、後足を踏ん張っていたのが、この石という。
それを見て、家来の一人も負けじと思い、
腰にぶら下げていた弁当のむすびを力いっぱい放り投げ、
山には二つの穴があいた。
それで今でも、二つ穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、
この山を「星穴岳」と呼ぶようになったという。
百合若大臣がその時使った弓矢が妙義神社に奉納されている。」
星穴岳は妙義山にあり、伝説の二つの穴が見えるらしい。
(一所懸命妙義山を見たが、見えなかったので、家に帰ってからネットで調べたら、
なるほど、星穴岳に二つ穴があるのを知った。)
遠くからは小さな穴に見えるが、
登山するとその穴は巨大なものだということが解る。
(写真1.妙義山の星穴岳)
(写真2.大きい穴)
(写真3.小さいほうの穴)
(以上3点の写真は、下記URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~tana/myougi.htmlのホームページから転用)
分かれた道は再び国道に合流するが、すぐ先に「旧中山道→」の案内看板があるので左折し、
信越線の「十五中山道踏切」と書かれた踏切を渡る。
道路右側に「中山道 左 坂本宿3,0km 右 松井田宿5,3km」の案内看板があり、
旧中山道であることが確認できる。
(中山道→の看板)
(第十五中山道踏切)
(「中山道 左 坂本宿 右 松井田宿」の里程標)
やがて「峠の釜めし」で有名な荻野屋の発祥の地の看板がある。
旧中山道は直進するが、看板の手前を左折するとJR横川駅である。
(おぎのやの看板、この駅では週末祝日しか釜飯は買えない)
日本橋をスタートして18日目は、ここから東京に帰る。
まっすぐ歩けば松井田から坂本まで9,5kmであるが、史跡を見学しながら歩くと、
実に23,5km歩数にして約4万歩になった。