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命の授業、豚のPちゃん殺す?

2005年11月12日 | 社会・教育
フジテレビで放映された「命の授業 豚のPちゃん...」は、12年前の話。小学校のクラスで豚を1頭育てて食っちゃおうという長期プロジェクト授業だったのだが、これは無茶くちゃだ。完全に豚に感情移入し、「殺す」とか「墓」とか「少しでも命を永らえさせて」とか、単なる観念上の混乱を引き起こしただけに終わっている。最後に食肉処理場のトラックに引き渡す時、皆で「Pちゃん~」とか叫んで嘆き悲しんでいた。

この授業は、最初から失敗していたとしか言いようがない。

当時の先生も生徒も、授業を肯定的にとらえていて、「考えさせられてよかった」みたいな事を言っている(あるいは、否定的コメントがカットされたのかもしれないが)。ペットと家畜では、その観念上の位置づけは全く異なる。これが大陸に行くと、ペットでも非常事態なら食べちゃうのだが(客が来たら、ごちそうのために、屠って食っちゃうことはあるようだが、それは韓国の犬の話か)、そこに妙な感情はない。日本に、そんな文化はない。だいたい、「殺す」とは何事か。食用として「屠る」ことは、「殺す」とは違うのではないか。それに、ちゃんとした遊牧文化圏なら、にあたって、宗教的儀礼を行う。そういうものが、日本には何もないし、先生にもそんな想像力はなかったみたいだ。食用家畜は、そういうシステムの中で飼わなければいけない。クラスのペットみたいにしてどうする。それが「追悼」とか意味不明の話を引き起こしている。

動物を家畜として飼うのであれば、まるまると育っていく様を、「おいしそう」と思わなければならない。そうでなければ嘘だ。この授業は、ペット化を容認し、放置した。先生は、命をもてあそんだだけだ。逆に「命の大切さを教えられた」とは言うが、そこでいう「大切な命」は意味不明である。そこに違和感を感じないのは、いかにも日本人的だ。文化の規範が、大事なところで喪われているか、壊れてしまっているようにしか見えない。

追記:2008年10月27日 ミヤネ屋が再び取り上げたようだ。実は映画化されたのだ。なるほど、再び関心が寄せられる訳である。

ブタがいた教室 2008年11月1日(土)より、全国ロードショー

愚かな企画である。

追記:『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』を読んだ。100%、予想通りの内容であった。本稿の内容にも、まったく修正の必要がない(ただ、食うという方針は生徒の前では貫徹されていなかったし、曖昧なまま。そもそも養豚に関する知識ゼロで始めていたのだ)。ちなみにTV制作会社が作っていたドキュメンタリーはNHKで放送されるはずだったが、試写の結果、NHKに却下された。「間違った教育」だから、放映するわけにはいかないという激怒。結局フジテレビ系で放映されたのだが、これもキャスターがナレーションを付けるのを一旦拒絶している(最終的には協力したようだが)。理由はNHKと同じ。「先生」は今は大学で教えているが、未だに自分のどこが間違っていたか、分からないようだ。答えのない問題に答えを出そうとしてはいけないのだ。設問自体が間違えている。葛藤や悩みは、確かに人生の楽しみであり貴重な現実には違いないが、豚は半年で出荷すべきだったのだ。こんな問題を3年間引きずったのだ。

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16 コメント

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豚と牛の違いも含めて (てつ)
2014-08-08 17:09:18
 このたび、『夢は牛のお医者さん』という作品が上映され、好評です。テレビ局の報道記者が取材で訪れた山村の小学校で、入学生が少ないからと、子どもの代わりに牛を入学させ、卒業させたニュースが取り上げられ、牛を可愛がった子どもの一人が獣医を志し、その子の追跡取材を続け、見事最初の志通りに獣医となって活躍している様を描いたという筋書きです。

 黒田恭史氏の『豚のPちゃんと32人の小学生』実践と比べると、経済動物を学校内で飼育している点は同じですが、期間が短いながらも、しっかりお別れができ、成人後の進路につながり、豚と牛との扱いの差、治療と売却に際しての経済動物としての対費用効果を見極める目が育ち、頼もしい獣医師として地域の家畜診療に寄与する人材に育っている様をみることができます。何よりも、黒田実践の録画映像が、テレビ局から「間違った教育」と酷評を受けたのとは好対照です。

 同じ頃、漫画を原作とした『銀の匙』や も観ました。酷評される向きがあるようですし、主人公の動機の不純さは『夢は牛のお医者さん』とは比べようもないですが、これは豚に名前をつけながらも経済動物の命の価値を考えさせる教育として、十分な内容を持っています。

 大阪府貝塚市の精肉店を舞台とした『ある精肉店の話』も観て、それは見事な職人芸であり、被差別問題とともに、地域文化づくりの話でもありました。黒田恭史氏が範とした鳥山敏子氏は、鶏や豚を子どもの前で殺して食べるという凄まじい授業をされたものでしたが、そこにもつながると思われます。

 2007年にフジテレビで放映されたドラマ『牛に願いを』は、大学生の年代で経済動物の命の価値を考えさせようとする作品でした。

 NHK教育テレビ『わくわく授業』で取り上げられた東京都立瑞穂農芸高校の実践は、高校生の年代で同じテーマを取り上げたドキュメンタリー作品でした。

 『NNNドキュメント'06』で取り上げられた「牛飼いナオキと育子さん」は、育てる場所が学校外であることの特性も利点であると感じられました。そのナオキくんのその後の進路も、最初の志通りになっていけば、『夢は牛のお医者さん』のような長期にわたる成長記録作品になりうるのかな、とも考えました。

 経済動物の命の価値を考えさせる教育を取り上げるドキュメンタリーやドラマは、今後ますます深まりと広がりをみせていくことでしょう。
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Unknown ( )
2013-10-26 02:45:49
命の授業の様な教育を受けずに大人になったんだが、
特にその授業がなくても、
生きていれば何らかの形で命の大切さを学べる訳だから、
あってもいいし、無くてもいい授業だなと思った。

あってもいいし、無くてもいい授業っていうのは、
結局のところ、必要ないんじゃないだろうか。
年齢にあわないショックを与えてしまう
デメリットの方が多いんじゃないだろうか。
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Unknown (Unknown)
2013-10-26 02:45:37
命の授業の様な教育を受けずに大人になったんだが、
特にその授業がなくても、
生きていれば何らかの形で命の大切さを学べる訳だから、
あってもいいし、無くてもいい授業だなと思った。

あってもいいし、無くてもいい授業っていうのは、
結局のところ、必要ないんじゃないだろうか。
年齢にあわないショックを与えてしまう
デメリットの方が多いんじゃないだろうか。
返信する
目的が手段を浄化するとは限らない (worldNote)
2010-11-01 11:18:18
> わざわざ自らの手で殺させる必要もありません。

そんなプランは、最初から最後まで無かったと思いますが。

> 本当の目的

授業の意図、少なくとも教師の主観的にはどうであったかは、あまり異論がありません。

まずいのは、未熟で無防備な生徒が、豚を観念的に感情移入(ペット化)してしまう事を、成り行きに任せてしまった点。

目的が手段を正当化(浄化)するかどうかは、時と場合によるでしょうが、この場合は不適切な教育であったと考えます。
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Unknown (toorisugari)
2010-10-31 10:10:38
この授業に批判的なコメントが多いようですが、私はこの授業は成功だったと思います。
特に最後の、豚を業者に引き取ってもらう判断は、この上なくベストだったと言えます。

この授業の目的は何だったでしょうか。豚を殺して食べることではありません。
本当の目的は、子供たちが命を頂くということや食肉業者に対し、感謝の念を持つ
ようになることです。
子供達は十分に感謝の念を持つようになったと思います。
それさえ達成されたなら、わざわざ自らの手で殺させる必要もありません。
最初の豚を殺すゴールが揺らぐことは、大した問題ではないのです。
情が移った豚を殺させた場合、子供達に何らかのトラウマを残させるリスクもあります。
小学校の授業ひとつでそのようなリスクを犯すこともないでしょう。
には技術も必要でしょう。そういう意味でもプロに任せた方がいいです。
下の学年に引き継がせるというのも、上記のような理由から根本的解決になりません。費用もかかりますし。

どの方も、命を頂くことはどういうことか…それを子供達が知るには…
ということばかり考えて、真の目的やその他諸問題に目がいってないと思います。
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映画「豚がいた教室」を観ました。 (BUBU)
2010-10-28 21:22:21
 今頃ですが、期待して中学生の息子と観ました。
とてもがっかりです!あまりにやるせなく投稿します。
本当にあれが命の授業なのでしょうか?
子どもに考えさせるといっても、かなり子どもの思考が混乱したままの話し合いで本当に考えさせたといえるのか?「僕たちが卒業したらPちゃんも寂しいから、食肉センターに」とか、子どもに罪はないけどその考え方じゃ親子心中の発想と同じでしょ。もう少し深く考える助けがいると思います。
 最後の寿命まで面倒みないと本当に決断したなら、Pちゃんを殺すなら、見送って終わりではなくせめて、最後まで見届け食べて欲しい。それが命に対する責任でしょ。
見送って終わりじゃきれいごとです。
現実をみない今の食生活と同じです。
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Unknown (Unknown)
2010-02-21 09:47:51
この先生は異常人格としか思えない。この先生が死んだら、ぜひ子供達に食われて欲しい。
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本は読んだのですか? (安室怜二)
2008-11-13 00:04:15
>しかしこの「授業」は、「1匹の子豚を買ってきて、長く世話して育てた後で、殺して食えますか? 食用だから食いますよね? 人間だから仕方ないですね」という方向性なんですよ。


違うと思いますよ。
確かに、スタート時点では『豚を飼って殺して食う』と事をゴールとしていたとようです。
また、ペットと家畜と混同してるのも明らかに誤りだとは思います。
しかし、三年経った時点での黒田氏のスタンスは「長く世話して育てた後で、殺して食えますか? 食用だから食いますよね? 人間だから仕方ないですね」では無いと思います。
黒田氏が書かれたは本はお読みになりましたか?

また、『「殺」と「屠」の違い』とは何ですか?
殺すとは生物の命を奪う事ですよね。
とは(主に)食用に家畜を殺す事ですよね。
つまり「」は「殺す」に含まれると思うのですが。
それとも、それ以上に何か違いがあるのでしょうか。

それから、『まるまると育っていく様を、「おいしそう」』との発言に違和感を覚えてる方が何人かいますが、私も同様に違和感を覚えます。
畜産業に携わったことがおありでしょうか。
また、実際にご自身で何らかの生物を屠った事はおありでしょうか。
差支えが無ければ教えてください。
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Unknown (worldNote)
2008-11-12 19:34:57
> 食べるのであれば生き物を殺したってかまわない

これだけだと、ちょっと誤解を招くかと思います。弱肉強食、食うか食われるか、みたいになっちゃいますから。「殺したってかまわない」は言葉として残酷です。

「殺す」と「」では意味合いが違うと思います。日本ではその辺の区別が曖昧なのが難点ですが、本来ならそこの区別を教えるのが「授業」の役割でしょう。しかしこの「授業」は、「1匹の子豚を買ってきて、長く世話して育てた後で、殺して食えますか? 食用だから食いますよね? 人間だから仕方ないですね」という方向性なんですよ。これはわざとらしい残酷さです。そして最後まで、「殺」と「屠」の違いは教えなかったようです。この授業の問題点は、まさにそこ。
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確かにそうですけど (天然)
2008-11-12 18:02:45
本来、豚という生き物は『食べ物』ですし、Woldnoteさんの考え方はごもっともだと思います。
私も小学生時代先生に、『食べるのであれば生き物を殺したってかまわない』といってました。
生きるためにはしょうがないことですから。
だからこそ、食べるときにはその殺してしまった生き物に感謝して『いただきます』というのだともいっておられました。
でも、いくらそう思っていても、思い出の品がなかなか捨てられないように、Pちゃんも食べられなかったのでしょう。
まあ、最初に飼った家畜だからだと思いますよ。
次からはああはならないでしょうねぇ。
長文すみませんでした。
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弟子の曲解・暴走? (海驢)
2008-10-29 23:09:55
なんだか変なコメントも付いてますが、この件、当方はworldnoteさんの見解に全面的に賛成ですね。

映画紹介のリンク先を読むと、「鶏をさばいて食べたり、ブタを丸ごと一頭食べる授業、通称”鳥山実践“で知られる教育者・鳥山敏子氏」の著作から影響を受けた小学校の『新米教師』が、深い考えもなく「やっちまった」ように思えます。

しかし・・・「当該教師:命の大切さを教えられた」とは、笑止千万ですな。
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おかしな理屈です。 (ちょび)
2008-10-26 19:06:43
>まるまると育っていく様を、「おいしそう」



一度、畜産業に携わってみてはどうですか?
そんなこと微塵も感じたことはないですけど。

変な理屈つける大人がいるから「いただきます」を言えない子供が増えていく。
日本の文化でしょう?嘆かわしい限りです。
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Unknown (サンバの良心)
2008-10-19 23:25:19
人間は植物性食材だけで、健康に暮らすことができます。

つまり、必ずしも、動物を殺して食べなくてもいいのです。

倫理面から考えれば、人間は菜食主義への道をめざし、畜産は縮小していくべきだ、と考えます。
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Unknown (worldNote)
2008-09-07 00:37:34
3年前のエントリへのコメントにちょっと吃驚。コメンテータさんの文脈と論拠が書かれてないので何に反論したらいいのか迷いますが、本文に変更すべき点はないと考えます。

家畜を飼う人は、家畜を製品、商品として育てていると思います。製品の製造に、製作者(職人)として愛情に似た感情を込めるということは、あるでしょう。

家畜とペットの境が曖昧になるのは、畜産農家の家の子が、家の仕事に不慣れなうちにありうる話かとは思いますが、多分すぐに理解し、了解してしまうと思います。
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Unknown (通りすがり)
2008-09-06 19:56:12
>ペットと家畜では、その観念上の位置づけは全く異なる。
>動物を家畜として飼うのであれば、まるまると育っていく様を、「おいしそう」と思わなければならない。そうでなければ嘘だ。

家畜を育てたことのない人だけがそういう嘘をつける。
あなたこそ、この授業をうけるべきだった。
あなたは間違っている
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Unknown (総理大人)
2005-11-26 10:53:18
ん?鋭い。いや、当たり前といえば当たり前ですね。

思わずコメントしちゃいました。

私もPちゃんに限っては、あの番組構成に流されてました。



>食用家畜は、そういうシステムの中で飼わなければいけない。クラスのペットみたいにしてどうする。



そりゃそうだ。なんで気づかなかったんだ。。



>そこに違和感を感じないのは、いかにも日本人的だ。



ほんとすみません。。
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