worldNote

世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

裁判員制度は土台無理

2010年11月26日 | 行政・事案・司法
前回だか、あろう事か、裁判長が控訴を勧めるという、信じがたい出来事もあったが...

時事:「一生悩み続ける」=少年犯罪「大人と同じ刑に」-裁判員経験者2人が会見
会社員の30代男性は「どんなに悩んで結論を出しても、被告や被害者はどちらかは納得がいかない。一生悩み続けるんだなと思った」と話した。2人が殺害、1人が重傷を負う凶悪事件だったことについて「(ほかの裁判員の)皆さんも具合の悪い精神状態になったが、わたし自身は参加できてよかったと思います」と振り返った。
朝日:裁判員「命奪うのは大人と同じ刑に」 石巻少年死刑判決
 「どんな結論を出しても、被告と被害者、どちらからも恨みや納得できないという思いを持たれる。怖くて、一生悩み続けるでしょう」
> どちらからも恨みや納得できないという思いを持たれる。怖くて、一生

これはいかん。裁判はリンチではない。判決について、裁判員がうらみを引き受けるかの如き話になってしまっている。裁判員は、あくまで社会、市民の代理として、裁判に臨むのではなかったのか。いちいち、判決の責任を問われては、たまらない。というか、裁判員自身が、そのように受け止めている事は、非常に深刻な問題だと思う。

> 具合の悪い精神状態

これも、個人の問題、自分の問題になっちゃってる、という事を意味する。ほとんど、死刑台のスイッチを押したような心理状態である。

こういう風になってしまうのは、裁判員制度が駄目だという証拠だと思う。要するに、裁判員はPTSDを負ったに等しい。常に素人をその任に当たらせるのだから、土台無理なのである。

裁判員制度は現代の赤紙だというなら、それはその通りだと思う。赤紙、結構、と言うなら、筋は通るが、皆にお勧めできる話ではない。人には適性というものがあるし、いずれにせよ、強い使命感と訓練とステータスと名誉が必要だ。それを腰掛でやらせようというのだから、無茶なのだ。

投票ボタン


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。