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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。
 



『教科書から消えた日本史-学校で習った「歴史」は間違いだらけ-』河合敦 2008

最近の研究を反映した最新(?)の日本史を紹介した興味深い好著で、『なぜ偉人たちは教科書から消えたのか-肖像画が語る通説破りの日本史-』(2006)の後編的な位置づけのようだ。氏は多作の作家みたいになっているが、修士で日本史専攻で高校教師、つまりれっきとした歴史研究者である。読みやすいし、ちょっとポピュラー志向ではあるが、そこまでは許容範囲。だが、第5章第2節「沖縄戦」を読んでずっこけた。
私個人としては、軍の命令書等はないものの、「集団自決」には日本軍の強制、ないしは住民にそう思わせるに十分な状況が存在したと考えている。(p.251)
明らかに、左翼的な歴史研究者だったのだ。歴史の実相ではなく、思想的言説を優先させる、とんだポピュリストであった。他の歴史事象の理解や解説は、確かなものがあるように思われるのに、この落差はいったい、どうしたわけだろう。
自国民の命を奪った日本軍(p.254)

 沖縄県民の多くは、日本軍の近くにいることを安全だと信じ込み、軍と行動を共にした。アメリカ人に捕まれば、拷問されたり陵辱されたりした後、むごい殺され方をすると教えられていたからである。なおかつ、捕虜になることは、死ぬより恥ずかしいという教育も徹底されていた。
 そのため、民問人は常に砲弾にさらされ、多数の死傷者を出した。また、アメリカ軍に包囲されたさいには、手榴弾などでの集団自決も後を絶たなかった。
 はじめアメリカ軍は、民間人が抵抗しなければ捕虜として丁重に対応したが、司令官バックナー中将が日本兵に暗殺されたことに激怒し、民間人も無差別に虐殺することも多くなっていった。アメリカ兵は、防空壕やガマにガソリンを流し込んで火をつけたり、手榴弾を投げ込んだり、毒ガス兵器を使用するなどして、多数の命を抹消していった。
 そんななかでも、ひめゆり部隊の悲劇は有名であろう。沖縄の女子学生たちは、野戦病院の看護婦として従軍させられていた。ひめゆり部隊は、そうした学生看護婦隊だった。彼女たちは、第三外科壕にいたが、そこにアメリカ軍がガス弾を投げ込んで、数十名の若い命を奪ったのである。
 だが、沖縄県民の命を奪ったのは、アメリカ軍だけではなかった。じつは、日本軍も民間人を殺害したといわれている、足手まといになることから、集団自決を強要したり、スパイ容疑をかけて射殺したりした。敵に投降しようとして殺された人々もあったようだ。
これだけ読めば、その有害性が一目で明らかだろう。

米軍が沖縄戦で壕(ガマ、洞窟)を攻撃するのに、毒ガス兵器が使われたという話は始めて聞いた。

沖縄タイムス:2008年4月24日(夕) 猛毒化学兵器の可能性/浦添で発見 迫撃砲弾-米軍遺棄なら国内初
浦添市で七日に見つかった液体の入った迫撃砲弾は、
(中略)M57迫撃砲弾で、液体が入ったタイプは煙幕用の発煙弾か、マスタードガスが入った化学弾の二種類しかない。両タイプとも形状や内部構造が全く同じといい、中を開けないと化学兵器かどうか確認できないという。(中略)内閣府の遺棄化学兵器処理担当室の担当者は「これまで国内で米軍の化学兵器が出たという話は聞いたことがない」と話す。

沖縄戦研究者の大城将保さんは「ひめゆり学徒のガマに投げ込まれたガス弾や黄リン弾も一種の化学弾だが、使用が禁止された物ではなかった。今回発見された砲弾が禁止兵器であれば大変な問題だ」と話した。
あの沖縄タイムスでさえ、こうした解説を付記している。ガマに投げ込まれたガス弾は、警察が使用するようなものだったのだろう。黄燐弾は殺傷兵器ではあるが、毒ガスではない。

建設現場で見つかった迫撃砲弾22発(長さ60cm、直径8cm)の真相はまだ分からないが、いずれにせよ迫撃砲はドーンと斜め上に撃つもので、オープンな環境(野戦)で使うものだろう。

国会審議 外務委員会 平成20年5月21日
○平沢委員長 次に、照屋寛徳君。
○照屋委員 去る五月七日の当委員会における質問に引き続き、私は、四月七日に浦添市で発見された化学兵器の可能性のある米国製M57砲弾二十二発の問題について質問をします。
 無事回収作業は終わりました。現在、沖縄県の不発弾保管庫に移送され、保管をされております。
(中略)
○鎌形政府参考人 今回、浦添市で発見された米軍の化学弾の疑いのある砲弾の処理についてのお尋ねでございますけれども、今回発見された砲弾につきましては、現地の海兵隊の調査などによりまして、米国製の砲弾であるということは確認されておりますけれども、先ほどからも御指摘のとおり、現時点では、化学兵器であるとは確認されていないというものでございます。
 今後とも、米国と緊密に連絡、連携をとり合って、砲弾の識別、どういう砲弾であるのかということの作業を行った上で、その上で、どのような処理をするかというのを関係省庁と相談して判断していくことになろうかと思います。
なんか、宙に浮いたような話だ。内容物の確認は先の話になりそう。

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コメント
 
 
 
Unknown (匿名です)
2015-03-26 19:46:39
はじめまして。
この本を読んで、何か変だと感じたので検索したところ、でこちらにたどり着きました。

自分はそれ程歴日本史に明るいわけではないのですが、この本は、中途半端な部分が多いように感じます。
たまたま目に入った本を手にとって読んだだけなのですが、曖昧な表現も多く、あまり読む価値がない本のように感じました。

身の回りに歴史の話を好む人がいないもので、ついつい書き込みをしてしまいましたが、もし不愉快でしたら削除してください。
また、歴史について議論したいわけでもございません。
 
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