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世界の覚書

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宣戦布告なき対日戦争を韓国は行なっていた

2013年08月03日 | 軍事・諜報
中央日報:常習的に侵犯する日本人を決死阻止した独島義勇守備隊
2012年08月19日12時22分

1954年11月21日明け方、日本の海上保安庁の艦艇3隻が独島(トクト、日本名・竹島)に接近した。1000トン級PS-9、PS-10、PS-16艦は、左右と中央から島を包囲した。日本の航空機も旋回した。600メートル前。拳銃の音とともに一斉射撃が始まった。M-1小銃が火を吹いた。迫撃砲弾はPS-9艦の甲板に当たった。PS-10艦も暗雲のような煙を吐き東に逃げた。(ホン・スンチル『この地がどこの地なのか』)

53~54年に入り独島を侵した日本は痛手を負った。死傷者は16人。

恐れを知らずに銃と大砲を海上保安庁の艦艇に撃ちまくった彼らは独島義勇守備隊だった。(中略)独島義勇守備隊構想は機甲部隊の傷痍軍人出身ホン・スンチル(当時23歳)のアイデアだった。(中略)警察からいくつかの銃器の貸与を受け合宿訓練もした。戦争中である2軍と慶北(キョンブク)兵事区司令部を訪ね小銃、拳銃、軽機関銃1丁を得た。釜山(プサン)のヤンキー市場に行きアシカ1頭と引き替えに拳銃と小銃を取得した。すべて自費だった。そのように編成された義勇軍は15人規模の戦闘隊2組、補給連絡担当3人、予備隊5人、補給船船員5人など45人だった。装備は軽機関銃2丁、M-2小銃3丁、M-1小銃10丁、拳銃2丁、手榴弾50発、0.5トンのボート1隻。53年4月20日に義勇隊は独島の西島に上陸した。(中略)7月12日午前5時、日本のPS-9の侵犯時は真価を発揮した。艦艇の90メートル前から軽機関銃で200発(中略)義勇隊は66年の防衛勲章を受けた。輝かしい活動に対する報いにはみすぼらしかった。
前にも引用したような気がするが、これは民兵による戦争である。従って、韓国は宣戦布告なき戦争を日本に対して行なっていたも同然である。戦争行為だから、ホン・スンチルは処罰を受ける代わりに勲章を受けた。なぜ韓国の行動に日本がまともに対処しなかったのか。

多分、9条のせいだ。

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