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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

東京都北区最大の総合病院の突然死

2008年01月27日 | 環境・天災・健康
2007年10月31日、東京都北区最大の総合病院が突然死した。予告は9月27日の事で、突然だった。1ヶ月の余裕を持った解雇は、まさにビジネスライクな、赤字店の閉鎖に等しい。

読売:「災害拠点」東十条病院が新患・救急受け入れ停止…来月末で全科休止(2007年9月29日
「東十条病院」(馬場操院長、350床)が医師の確保ができなくなったとして、27日に突然、新規の患者や救急搬送の受け入れを休止していたことがわかった。同病院は10月31日を最後に全科で診療をやめるとしている。同病院の常勤医は9割が日本大学医学部の派遣医師で、病院側は「日大が医師を引き揚げてしまったため、運営が困難になった」と説明している。

東十条病院は医療法人社団りんご会が1991年6月に開業した。地上7階、地下2階建てで、内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科など16の診療科があり、北区内では最もベッド数が多い。毎月の外来患者は1万5000人程度に上り、都の災害拠点病院にも指定されている。同病院は27日、「常勤医師を確保することが難しくなり、このままでは患者さまに十分な対応ができない」とする張り紙を玄関前に掲示した。新患はこの日から受け付けず、10月31日を最後に全科で診療をやめるという内容で、通院患者に対しては、別の張り紙で、今後は他の病院に紹介するための診察しかできないと告知した。一方、現在61人いる入院患者については、全員分の転院先を確保したとしている。患者や家族の間で騒ぎになり、区からの連絡で初めて事態を知った都は28日、医療安全課の職員を病院に派遣、事情を聞いた。同病院は常勤医30人体制で運営され、このうち28人が日大からの派遣だった。
読売:東十条病院、職員に解雇通告(2007年9月29日
東十条病院に医師を派遣していた日大板橋病院の沢充・院長によると、板橋病院の眼科医師が1人減るため、9月30日付で、東十条病院から常勤医師を1人引き揚げ、10月以降は非常勤医師を出すという形で話がまとまっていたという。「全科休診になるというのは、東十条病院で張り紙を見た医者からの話で初めて聞いた。約束違反だ」と憤慨している。
J-CAST:大病院「突然の閉鎖」ディスカウントストア閉店と同じ感覚!?(2007/11/ 2
今年5月には建て直しのための経営陣入れ替えがあり、「企業から資金を集めやすい」との理由から、チェーン経営者一族が役員を独占した。現経営陣によれば、この入れ替え後、日大側が医師を引き上げため、医師不足に陥ったのだという。入れ替えから、9月下旬の休止決定まで5ヶ月ほど。「短すぎる」と、山口一臣・週刊朝日編集長は疑問を口にする。「赤字のまま10年続けて来たのに、経営陣が変わったとたんに閉鎖が決まっている。本当に建て直しが目的だったのか。あらかじめ閉鎖が頭にあったのではないか」

たしかに、売れ行きの悪いチェーン店が撤退するのと同じような感覚で、病院をたたまれては困ってしまう。
東京都医師会:地区医師会長協議会報告(2007.11.12
協議事項:地区医師会からの報告
(三)
北区医師会より医療法人社団りんご会東十条病院の休診について経過報告。スーパーの(株)オリンピックが病院を経営、医療法改定にともない経営困難となり、日大からの理事長、院長は解雇となり、日大からの派遣医師は引き上げた。
東十条病院の突然死については、『週刊東洋経済』(2007年11月3日号)に詳しい(p.50~52)。要するにスーパーマーケットチェーンのオリンピックの経営者金澤富夫氏による、病院経営、医療ビジネス参入の顛末なのだ。会社経営の病院は「営利目的」(よく分からない概念だが)だとして、当時(1980年代後半)非常に反発があり、東京都の肝いりで理事構成を、地元医師会5名、東京都・厚生省3名。日本大学医学部3名、金澤氏サイド2名と、出身母体別に人数枠を決めてようやく調整がつき、1991年6月に開業した。しかし出資金は金澤氏サイドの丸抱えである(8億100万円のうち、8億円)。金澤氏サイドとしては、何とか支配を確立したいと、非常に長いスパンで布石を打ち、今日の事態に至ったものと思われる。というのは、開業5年後に経営難に陥ったのだが、家賃負担の重さが「最大の原因」だったという。病院建物の所有者はメディコープで、同社は金澤氏の資産管理会社なのだ。メディコープは14億円の債務免除に応じ、金澤氏サイドに不利な病院経営の約束事の多くが、その際に解消された。病院は2007年6月にも赤字の危機に陥り、この際に金澤氏サイド以外の理事が全員退職し、金澤氏サイドないし近い人物で理事構成が固められた。同時に行われた院長交代で、日大の脳神経外科(前院長の出身母体)の堪忍袋の緒が切れた。その後、他の診療科も次々と医師派遣の中止に動く形となった。それが、病院側の言う「日大が医師を引き揚げてしまったため」につながっている。しかし日大医学部として決めた話ではなく、寝耳に水の診療科もあったわけだ。

だいたい、研修制度問題で大学病院が医師を引き上げる傾向が根底にあったわけで、それでも東十条病院は日大医学部の「関連病院」として極めて高い位置づけにあったと思われる。端的にいって、日大サイドと金澤氏サイドは我慢比べをしていた格好だ。実質的なオーナーである金澤氏サイドが匙を投げて、この話は終了した。半分は、医師派遣を渋った日大に責任を負わせるようにして(その辺は情報操作がある)。閉鎖後の東十条病院の(施設の)その後がどうなるかは、よく分からない。

このエピソード自体は、病院経営不振のひとつに過ぎない。確かに流通業の経営者が実質的なオーナーである病院が、いかにも無責任に放り投げた形で、非常に悪い前例となった。しかし医学界の体質も気になるし、他のあらゆる関係者の体質も気になる。研修制度を変えたのも、無関係ではない。

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