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愛知県岡崎市在住
永続のページ管理人の個人日記

本当の内匠頭は私かも

2007年03月01日 | 気づき
◆◆ プライドをとるか社員をとるか

大栄電機工業の大野社長さんが浅野内匠頭になるの?と題してブログを書いておられました。本文で浅野内匠頭に触れていませんでしたが、要するに腹に据えかねる扱いを受けたことを例えておられました。でも、グッと飲み込んで我慢されたようなので大野さんは内匠頭になれなかったようです。すばらしいことです。

忠臣蔵で悲劇の人ですが視点を変えて浅野内匠頭は個人の感情にかられて剣を抜き藩士とその家族を路頭に迷わせた短気な人と表現する人もいます。(決して私が吉良のお膝元の吉良町に近い岡崎にいるから言うのではありません)

例え相手がどんなに悪くても殿中で「抜く」のはご法度です。これは私がいつも悪法といえど法、守らなくて良い道理はないと語るのとまったく同じ理論です。家臣と家族のことを冷静にかえりみるゆとりが本人にあれば抜かなかったかもしれません。自分の行動が次に何を引き起こすか?自分で自分を俯瞰することがトップには求められます。


◆◆ 我こそが本物

会社と社員を顧みることができたからこそ大野さんは浅野内匠頭になるの?」と自分に言い聞かせて我慢できたのでしょう。そういう意味では常にブチ切れるのが早い私こそ浅野内匠頭に近い存在なので、注意する必要があります。


◆◆ 買えるのは

いつもお世話になっているS社の社長さんが事あるごとに語られるのは、「金持ちは何を買えるか?」「それは意地」ということです。札ビラでたたいて来た人に対し自分を通すことができるという意味です。T社系列の外注さんのように生殺与奪剣を握られている場合には特に感じられることでしょう。

ちなみに「意地」は、技術がある場合、貧乏が我慢できる場合など、他にも「張る」ことは可能です。弁護士を頼む、他で高く買う、他に安く売るなどができる場合には「買う」ことができます。

社員を大切に思った場合には「自分を殺して」受け流すこともできるかも知れません。「意地」を張ったり・買ったりできるようになるのも良いですが、やはり「意地」がいらない状態を経営者としては目指したいものです。