今日の午後は立教大学の公開講座を傍聴に池袋に行ってきました。
立教大学史学会という研究会の主催で、「島津氏の琉球出兵400年に考えるーその実相と言説ー」というテーマで報告、パネルディスカッションが行われました。
1609年(慶長14年)に薩摩藩主島津氏が琉球王国に侵攻し勝利をおさめ、その後薩摩藩の強い影響下に置かれながらも明・清という中華国家とも関係を保つという微妙なパワーバランスの上で国家運営を琉球王国はなしていきます。
その後現在まで続く琉球・沖縄の波乱万丈の運命がこの時始まったといえると思います。
講座では歴史学、文学の立場から報告がなされ、本土側、琉球側から島津氏の琉球侵攻がどのように捉えられていたかにつきお話がありました。
江戸時代に薩摩と琉球の関係を題材として「薩琉軍記」という読み物には、このころすでに沖縄、朝鮮、明・清に対する日本の優越性を説く記述が見受けられます。
一地方の歴史からも「日本のアジア観」という大きな思想を読み解くことができます。
たまには仕事と関係のない分野で教養を高めるのもいいものですね。
立教大学史学会という研究会の主催で、「島津氏の琉球出兵400年に考えるーその実相と言説ー」というテーマで報告、パネルディスカッションが行われました。
1609年(慶長14年)に薩摩藩主島津氏が琉球王国に侵攻し勝利をおさめ、その後薩摩藩の強い影響下に置かれながらも明・清という中華国家とも関係を保つという微妙なパワーバランスの上で国家運営を琉球王国はなしていきます。
その後現在まで続く琉球・沖縄の波乱万丈の運命がこの時始まったといえると思います。
講座では歴史学、文学の立場から報告がなされ、本土側、琉球側から島津氏の琉球侵攻がどのように捉えられていたかにつきお話がありました。
江戸時代に薩摩と琉球の関係を題材として「薩琉軍記」という読み物には、このころすでに沖縄、朝鮮、明・清に対する日本の優越性を説く記述が見受けられます。
一地方の歴史からも「日本のアジア観」という大きな思想を読み解くことができます。
たまには仕事と関係のない分野で教養を高めるのもいいものですね。