日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

ギリシャの旅③ デルフィ

2020-11-10 07:00:00 | 海外旅行

「カランバカ」から「デルフィ」に向かう途中、ペルシャ戦争の激戦地になった「テルモピレー」に立ち寄った。

この戦争は、アメリカ映画、「300 (スリーハンドレッド)」でもよく知られている。

紀元前480年、南下してきたペルシャ軍20万に対して、スパルタのレオニダス王が率いたのは、選りすぐりのたった300人の部隊だった。

結局、スパルタ軍は奮戦むなしく全滅し、レオニダス王も戦死したのだが、その死闘が繰り広げられた場所。

 

 

[戦場跡にあったレオニダス王の像]

 

[レオニダス王の石碑]

 

バスはテルモピレーからしばらく走り、途中からは「デルフィ(デルポイ)」方面に向かった。

デルフィ(Delphoi)は、霊峰パルナッソス山の麓にあり、古代アポロンの神託がなされた場所で、古代ギリシャでは数々の「聖地」があるが、その中でも一番の「聖地」となっていた。

そこにある「古代デルフィの遺跡」はユネスコの世界文化遺産に登録されている。

 

デルフィ遺跡を観光した。

最初は博物館に入りこの遺跡からの発掘品を見た。

そこで見たのが「へそ石」。

これは「オンファロス」と呼ばれ、「地球のへそ」という意味らしい。

当時、デルフィは世界の中心と信じられていたので、この「へそ石」がデルフィの象徴であり、この石の上で巫女が神託をしたといったような説明があったが、良く分からなかった。

 

[へそ石]

 

展示物は他には遺跡の復元図や模型などがあった。

一応それらを頭に入れてから実際の遺跡を歩いた。

 

 

中央の円錐形の石が「オンファロス」。

博物館にあったのはローマ時代のもの。

実際にデルフィは古代ギリシャ世界の中心に位置していたらしく、アテネ・デルフィ・オリンピアを結ぶと二等辺三角形になるらしい。

 

 

[アテネ人の宝庫]

ずいぶん立派に残っていると思ったら、復元されたものだった。

マラトンの戦いでの勝利を記念してアテネの人々が奉納した宝庫。

 

 

[下から見たアポロン神殿]

主神アポロンに捧げられた神殿。

15本×6本の柱があったが、現在は6本の柱が復元されている。

主祭壇にはアポロンの石像が収められていたとか。

 

[上から見たアポロン神殿]

 

[アテネ人の柱廊]

サラミス海戦での勝利を記念してアテネ人が奉納した建物。

かつては7本の柱で天井を支え、戦利品が並べられたが、現在では柱が3本しか残っていない。

写真では2本だが、右にもう1本ある。

一番左は壊れかけの柱。

 

 

[古代劇場]

背後にある山の傾斜を利用して造られていて、中央で演劇などが行われていた。

客席は35列、4500人を収容できた。

ここは現在でも時折野外コンサートが催されることがあるとか。

 

一通りデルフィ遺跡を見てから次に向かったのが「アラホバ」。

アラホバはデルフィから西へ10kmほど行ったところにある街。

この街で散策の時間があった。

アラホバは山の斜面にある街で、スキーリゾートになっている。

雪の季節には大勢のスキー客で賑わうらしいが、雪のない時期に行ったためとても静かだった。

 

[アラホバの街並み]

山の斜面にあるスキー客の保養地。

 

[街のランドマークになっている時計台]

 

[メイン通り]

 

 

アラホバの街の散策後はバスで30分走り、世界遺産の「オシオス・ルーカス修道院」の見学をした。

 

 

 

 

この修道院の聖堂は奇跡を起こす聖人ルカス”によって10世紀前半に建てられ、”中期ビザンティン建築の傑作”と言われている。

聖堂の天井には一面のモザイク画があり、そこいら中にキリストの絵があった。

ドーム型の天井、採光を考えた窓など、今まで見たこともない建築様式だった。

これがビザンチン建築なのだと納得した。

 

これから再びアテネに戻るには時間がかかるため、この修道院の見学時間は30分しかなく、内部をもっと見たかったのだが、ほんの一部だけしか見られなかった。

その後、アテネまで約200kmの道を戻り、アテネに到着した時は夜8時になっていた。

 

 

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