「カランバカ」から「デルフィ」に向かう途中、ペルシャ戦争の激戦地になった「テルモピレー」に立ち寄った。
この戦争は、アメリカ映画、「300 (スリーハンドレッド)」でもよく知られている。
紀元前480年、南下してきたペルシャ軍20万に対して、スパルタのレオニダス王が率いたのは、選りすぐりのたった300人の部隊だった。
結局、スパルタ軍は奮戦むなしく全滅し、レオニダス王も戦死したのだが、その死闘が繰り広げられた場所。
[戦場跡にあったレオニダス王の像]
[レオニダス王の石碑]
バスはテルモピレーからしばらく走り、途中からは「デルフィ(デルポイ)」方面に向かった。
デルフィ(Delphoi)は、霊峰パルナッソス山の麓にあり、古代アポロンの神託がなされた場所で、古代ギリシャでは数々の「聖地」があるが、その中でも一番の「聖地」となっていた。
そこにある「古代デルフィの遺跡」はユネスコの世界文化遺産に登録されている。
デルフィ遺跡を観光した。
最初は博物館に入りこの遺跡からの発掘品を見た。
そこで見たのが「へそ石」。
これは「オンファロス」と呼ばれ、「地球のへそ」という意味らしい。
当時、デルフィは世界の中心と信じられていたので、この「へそ石」がデルフィの象徴であり、この石の上で巫女が神託をしたといったような説明があったが、良く分からなかった。
[へそ石]
展示物は他には遺跡の復元図や模型などがあった。
一応それらを頭に入れてから実際の遺跡を歩いた。
中央の円錐形の石が「オンファロス」。
博物館にあったのはローマ時代のもの。
実際にデルフィは古代ギリシャ世界の中心に位置していたらしく、アテネ・デルフィ・オリンピアを結ぶと二等辺三角形になるらしい。
[アテネ人の宝庫]
ずいぶん立派に残っていると思ったら、復元されたものだった。
マラトンの戦いでの勝利を記念してアテネの人々が奉納した宝庫。
[下から見たアポロン神殿]
主神アポロンに捧げられた神殿。
15本×6本の柱があったが、現在は6本の柱が復元されている。
主祭壇にはアポロンの石像が収められていたとか。
[上から見たアポロン神殿]
[アテネ人の柱廊]
サラミス海戦での勝利を記念してアテネ人が奉納した建物。
かつては7本の柱で天井を支え、戦利品が並べられたが、現在では柱が3本しか残っていない。
写真では2本だが、右にもう1本ある。
一番左は壊れかけの柱。
[古代劇場]
背後にある山の傾斜を利用して造られていて、中央で演劇などが行われていた。
客席は35列、4500人を収容できた。
ここは現在でも時折野外コンサートが催されることがあるとか。
一通りデルフィ遺跡を見てから次に向かったのが「アラホバ」。
アラホバはデルフィから西へ10kmほど行ったところにある街。
この街で散策の時間があった。
アラホバは山の斜面にある街で、スキーリゾートになっている。
雪の季節には大勢のスキー客で賑わうらしいが、雪のない時期に行ったためとても静かだった。
[アラホバの街並み]
山の斜面にあるスキー客の保養地。
[街のランドマークになっている時計台]
[メイン通り]
アラホバの街の散策後はバスで30分走り、世界遺産の「オシオス・ルーカス修道院」の見学をした。
この修道院の聖堂は”奇跡を起こす聖人ルカス”によって10世紀前半に建てられ、”中期ビザンティン建築の傑作”と言われている。
聖堂の天井には一面のモザイク画があり、そこいら中にキリストの絵があった。
ドーム型の天井、採光を考えた窓など、今まで見たこともない建築様式だった。
これがビザンチン建築なのだと納得した。
これから再びアテネに戻るには時間がかかるため、この修道院の見学時間は30分しかなく、内部をもっと見たかったのだが、ほんの一部だけしか見られなかった。
その後、アテネまで約200kmの道を戻り、アテネに到着した時は夜8時になっていた。