サラゴサはスペインの礎、アラゴン王国の古都だった街で、現在もアラゴン州の州都となっている。
「ゴヤ」の生まれ育った街でもあり、マドリードとバルセロナのちょうど中間にある街。
マドリードからサラゴサまではAVEで約1時間半かかった。
サラゴサ駅からはタクシーですぐにホテルに向かったのだが、ホテルは大聖堂の真正面、広場の中にあった。
そこは車が入れない場所なので、大聖堂の前を荷物をゴロゴロと転がしながら歩いた。
この大聖堂は「聖母ピラール教会」、前に広がる広場は「ピラール広場」となっていた。
[聖母ピラール教会]
聖母マリアに捧げた聖堂で、バロック様式になっていた。
内部は広々としていて、荘厳だった。
ゴヤのフレスコ画もあった。
この広場のあたり一帯が歴史的建造物が集まる観光名所になってて、この広場からは市庁舎、サン・サルバドール大聖堂(ラ・セオ)、取引所(ラ・ロンハ)などを見ることができた。
[ビラール広場]
正面左が「ラ・セオ」の名で有名なサン・サルバドール大聖堂。
左側の入り口は工事中だった。
「ラ・セオ」はサラゴサの世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」の中の一つとなっている。
聖母ピラール教会の見学は無料だったが、こちらは有料。
ひととおり中を見学して、併設しているタペストリーミュージアムへも行ってみた。
フランドル様式のタペストリーや数百年も前のものなど、さまざまなタペストリーが展示されていた。
「ラ・セオ」からエブロ川に向かって歩いたところには石の橋、「ピエドラ橋」があった。
この橋が「聖母ピラール教会」を写す、フォトスポットになっていた。
[ピエドラ橋から見た聖母ピラール教会]
[対岸から見た聖母ピラール教会]
この日は「ピエドラ橋」の橋桁の下で、バンド演奏があり、多くの人が集まっていた。
次に行ったのがもう一つのムデハル様式で有名な建物の「アルハフェリア宮殿」。
ムデハル様式とは、スペイン独自の中世の建築様式で、イスラム文化を取り入れたものとなっている。
この宮殿はイスラム支配時代のもの。
市内中心地から少し離れた、サラゴサ駅にほど近い場所にあったので、ここまではタクシーを利用した。
このムデハル様式の代表的な「アルハフェリエ宮殿は」、イスラム教とキリスト教が見事に融合している建物となっていた。
[アルハフェリエ宮殿]
高い塀と窓、見張り塔が丸みを帯びているのがイスラム様式になっている。
中庭に面した広間の入り口にあった、ムデハル様式の柱。
中庭はイスラム様式で、オレンジの木が植えられていた。
何となくアルハンブラ宮殿に似ているような・・・
[王座のあった広間の天井]
松かさの形をした豪華な装飾がぶら下がっていた。
この黄金色の松かさは、新大陸の象徴だとか。
天井が素晴らしい部屋の一つ。
イサベル1世とフェルナンド2世の二人の王様の権力を象徴するため、この宮殿を増改築した際、天井に象徴としての印を残した。
この模様の中で、矢の束はフェルナンドの象徴。
矢はスペイン語で「flecha」---Fを表わす。
くびき(馬などの首にあてて馬車を引く横木)はイザベルの象徴。
くびきはスペイン語で「yugo」---Y(当時はYsabelと書いた)
くびきの上の部分には「TANTO MONTA」と書いてあるプレートがある。
ガイドブックによると、「Tanto monta cortar como desatar(切るのも解くのも同じ)」の略で、アレキサンダー大王にまつわる伝説「ゴルディアスの結び目」に因んだフレーズだということで、「難解な問題は、既成概念にとらわれずに新しい視点で解決せよ」という意味だとか。
「アルハフェリア宮殿」を見学後は昼食をとる予定だったが、シエスタのためどこのお店も開いてなかった。
そこで市場に行ってみた。
[市場]
市場はまだこの時間に開いていたのでここでお昼を済ませた。
昼食後はまた「アラゴンのムデハル様式の建築物」の一つになっている「サン・パブロ教会」まで歩いた。
シエスタの終わった時間から見学できるようになっていたので、それまで待った。
[サン・パブロ教会]
8角形のレンガ造りの塔が印象的な建物で、独特なイスラム様式の外観だった。
入り口の門はアーチ型。
中に入ると一般的なキリスト教の教会だった。
内部の祭壇部分は豪華な金細工で、両脇には宗教画があった。
[豪華な天井]
他の観光客は誰もいなく、静かな教会だった。
サラゴサでの主な見どころはこれで終わった。
今までムデハル様式の建築物はあまり見たことがなかった。
ゴシック、ロマネスク、ルネッサンス、バロックなどとはちょっと違った雰囲気を持った建物という感想を持った。