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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

六本木「比呂」

2008-08-27 20:13:36 | 食べもの
月曜、火曜ともに飲み会であった。

月曜日は上海から大学時代の友人が来日してきて、六本木から四谷荒木町で飲んだ。先週メールがあって、ビザの関係で来日するのでセットしてくれとの依頼があった。
彼は大学卒業後クレジット関係の仕事についた。入社10年経った時に香港の駐在員で3年ほど香港へ行った。いったん帰国した後で、ヘッドハンティングされて香港に再度向かった。そして、もう一回転職して香港資本デパートの外商に入り、今は上海のデパートにいる。
大学の時はAが3つという実に見事な成績を残した。東大出の父上もびっくりするほどの成績だったが、語学のセンスは抜群だ。中国語も標準語、広東語両方できるし、英語、韓国語もできる。語学の上達はすべて恋の語りでマスターするという豪傑だ。結婚歴2回で、今は2回目の奥さんと離婚できないまま四川出身の女性と付き合っている。
香港が好きになったのも彼の影響、でも今彼がいないので2年ほど香港ご無沙汰している。

待ち合わせは六本木俳優座裏「比呂」だ。なんとこの店は行き始めて28年になる。マスターはまだまだ元気だ。東映の敏腕プロデゥーサー俊藤氏を父に持ち、昔の藤純子いまの富司純子さんは実の妹だ。昔変わらぬ坊主頭で今もなお店に出ている。でもこういう店があると気が楽だ。長い六本木通いでなくなった店は多い。比呂にしても姉妹店2つあったがなくなった。あとはイタリアンのシシリアや中華の香妃園、インド料理のモティくらいかな。。。
料理メニューはむかしから全然変わらない。明石焼き、どんど焼きをはじめとした関西風メニューに加えて、砂肝、つぶ貝の焼き物がおいしい。
昔は慶応体育会メンバーをはじめとした学生が目に付いたが、最近は昔来た連中がつれそって来るというイメージ。年齢層は30代から50代くらいまでか。。。
遅くなるとホステスたちも目立ってくる。
焼酎割りを知ったのも、明石焼きを知ったのも全てこの店だ。永遠にわれわれのために残ってほしい店だ。

5人プラス一人先月念願かなって晩婚を果たしたメンバーが奥さんを連れてきた。
そのあとは荒木町「プチジュコン」へ
以前は六本木にあった。ここも25年くらい行っている。ママは70になるのかな?若い子が数人いてハチャ目茶に歌を歌って酔ってしまった。
楽しかった。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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なんと懐かしい (IMAG)
2008-11-25 15:07:12
比呂の名前、懐かしいです。私も出入りし始めたのは30年前。殆ど同じ時期かもしれませんね。俊藤さんは、さすがに皺は増えましたが、相変わらずのだみ声ですね。ホッとします。昔、厨房にいた面々の顔をひとりひとり思い出します。六本木の歴史のような居酒屋ですね。
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30年ですか。。 (wangchai)
2008-11-25 19:04:27
コメント有難うございます。
私が最初に行ったのが、昭和55年の初めだと思います。確かにここと今はなきタコ坊の厨房メンバーは懐かしいですよね。一緒に旅行に行ったこともありましたから。。。
O,U,K,Aさんなどずいぶん遊びました。
地下にあるころはジュークボックスかけたなあ。

今は奥さんも手伝っていて、健全ですよね。
待ち合わせで場所をいちいち教えなくてもいいのがこちら、いくとすぐ社長が声を掛けてきて「この間はXがきたぞ」とか「Yはクラブの女と来たぞ」なんて個人情報すれすれの話をしたりしてきます。やっぱり落ち着きます。



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