映画とライフデザイン

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映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」

2019-08-12 08:14:59 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」は2018年日本公開のエリッククラプトンの人生を描いたドキュメンタリー


エリック・クラプトンをはじめて知ってから50年になる。早いものだ。車を運転するときはエリック・クラプトンの曲を流している。タイミングが合わず、映画館にはいけなかったが、今回貴重な映像の連続でうきうきしてしまう。エリック・クラプトンが好きだという最近の若い人にクリーム時代の歴史的名演「クロスロード」を聞かせたことが何度かある。クイズをだす。このギターは誰でしょう?唐突な質問なのかもしれないが、わからない。エリック・クラプトンの名前をだすとみんな驚く。こんな攻撃的で激しかったのかと。

エリック・クラプトンのギターもすごいが、リズムセクション2人のテクニックもすごい。自己顕示欲が強いんじゃないかと思われる若き3人の技巧を競い合う演奏はロック史上最高のプレイだ。


1.ブルースへの傾倒
英国に生まれたエリッククラプトンは子どものころ内気な少年だった。そのころの映像を見るとアルバム「リプタイル」のジャケットを思い出す。エリックは周囲で誰も注目しない黒人のブルースに傾倒していく。やがてヤードバーズに参加して、そのギターで一目置かれるようになる。しかし、ポップス系の音楽づくりに嫌気がさし脱退、ジョン・メイオールのバンドへ移る。そこでは黒人ブルースを基調にした曲がつくられていた。

ある時、エリックはエレクトリックギターとマーシャル製アンプの組み合わせの妙に気づく。ご機嫌なサウンドがでるのだ。ますますエリックは開眼、ハーモニカのリトル・ウォルターの影響もうけながらそのギターのフレーズに磨きをかけていく。このころのエリッククラプトンは上昇あるのみといった感じである。



2.クリーム

1966年ドラムスのジンジャーベイカー、ベースのジャックブルースとともにクリームを結成する。ジョン・メイオールのバンドから突然脱退する。ジャズの素養がある高いレベルのテクニックをもつ2人とのコンビで一世を風靡する。室内の録音ではサイケデリックなギターの音色が際立つ。ライブではお互いの腕前を競い合う異次元のサウンドでファンを沸かせる。コンサートでは延々40分にわたっての演奏することもある。フィルモア・イーストでの伝説のライブはアルバムにもなり、世界中のロックファンを熱狂させた。しかし解散、クリーム結成前から元々不仲だったジンジャーベイカーとジャックブルースの二人の喧嘩が絶えないのも原因の一つである。


3.ジョージハリソンとの友情と女性問題
エリッククラプトンはそのギターの腕前を買われて、様々なミュージシャンのバックで演奏するようになる。1967年12月アレサフランクリンのアルバム「レディソウル」「Good to Me As I Am to You」ではアレサのボーカルに絡むようなブルース調のリードギターを披露。


親友だったジョージハリソンに誘われビートルズの録音にも参加、「ホワイトアルバム」の中の「While My Guitar Gently Weeps」ではリードギターを披露する。ポールマッカートニーのピアノにリンゴスターのハイハットが絡むイントロに、泣きの入ったエリック・クラプトンのギターがからみつく。映画ではビートルズのセッションの映像がでてくる。
1971年8月、ジョージハリソン主催のバングラデッシュ救済チャリティコンサートでは「While My Guitar Gently Weeps」エリッククラプトンのリードギターが聞ける。これは版権の問題でしばらくは輸入盤しかなく、あわてて高い輸入盤をねだって買った自分はレコード針がすり切れるくらい聞いたものだ。
ジョージ追悼コンサートにて↓


このころエリック・クラプトンにはシャーロット・マーティンという恋人がいた。ジョージハリソンの妻であるパティと4人で会う関係であったが、次第にパティに魅かれていく。

4.デュアン・オールマンとの出会い

クリームが解散して、スティーブ・ウインウッドとブラインドフェイスというバンドを結成するが、アルバムを一作だけ出して解散する。そのころ、オールマン・ブラザース・バンドのリードギターであるデュアン・オールマンのコンサートを見て衝撃を受け、一緒にセッションをするようになる。1970年8月人妻パティへの思いを募った「レイラ」で気があったデュアンオールマンとツインギターの共演をする。


当時所属したデレクアンドドミノスには結局デュアン・オールマンは参加しなかった。その後1971年10月デュアン・オールマンはオートバイ事故で死亡、前年に亡くなっていたジミ・ヘンドリックスと合わせギターの盟友をなくし、エリック・クラプトンは落胆する。そしてドラッグに溺れる日々を過ごすようになるのだ。

このあたりまでが自分にとっては親しみやすいところ。
酒とドラッグで転落そして復活というのはおきまりの構図だが、転落前の上昇基調のころをみているときが楽しい。1970年代初頭中学生になったころ、はじめてロック雑誌「ミュージックライフ」を買った。ニューロックがブームになりつつあるときで、次から次へとロックミュージシャンが来日していた。星加ルミ子編集長率いる雑誌上ではエリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスどっちが上かなんて議論がされていた。懐かしい。

1974年から北欧のツアーにでるエリッククラプトンが映る。「アイ・シャット・ザ・シェリフ」がエリックにとって初の全米ヒットチャートナンバー1になるのも1974年9月だ。マイアミを思わせるジャケットとサウンドにイメチェンした感じを当時持ったが、まだまだアル中から抜けきれなかったんだなあ。いろいろあったけど、ご子息の高層ビルからの転落死は不運としか言いようにない。現在のいいパパぶりは悪い路を通り抜けた感がある。


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