『あ、春』は1998年に相米慎二監督、佐藤浩市主演で制作されたホームドラマである。
その年のキネマ旬報ベストワンとなっている。
「ニ流小説家」「嘆きのピエタ」いづれも生死不明の親が突如出現する物語だった。
それを見ながら、「あ、春」を思い出す。
良家の娘と結婚して平凡な生活を送るエリートサラリーマンの主人公の前に、死に別れたはずの父親と名乗る男が現れ大騒ぎになる話だ。ほのぼのとしたムードが流れる中、父親山崎努の大暴れぶりが見ものだ。
主人公韮崎紘(佐藤浩市)は、一流大学を出て証券会社に入社、良家のお嬢様・瑞穂(斉藤由貴)と逆玉結婚して1人息子にも恵まれていた。実の母親(富司純子)からは幼い時に父親と死に別れたと聞いてきた。ところがある日、彼の前に父親だと名乗る男が現れたのである。酔った帰り道に絡んできた男・笹一(山崎努)を、いきなりは父親だと信じられない。それでも、笹一が話す内容は紘の記憶と符合するものもある。妻の母親(藤村志保)と一緒に住む自宅に笹一を連れて行った。
しかも、実家の母親に確認すると、まだ生きていたの?という反応だ。笹一は遊び人でどうしようもない男だと言う。
それでも、彼を追い出すわけにもいかず、笹一をしばらく家で預かることにした。笹一は庭の草木の手入れや男手の要る仕事をこなしたり、節分には鬼を演じて子供もなついて喜ばれたりもした。しかし、昼間から酒を飲んだり、幼い息子にちんちろりんを教えたりした後、義母の風呂を覗いたのがばれ笹一は追い出された。
笹一は近所の公園に棲家があるホームレスの男たちと一緒に生活するようになる。ところが、街角で酔ったサラリーマンに暴力を振るわれているのを見て、息子が助けたことから、再び同居するようになる。それからも悪びれる風もなく一緒に暮らす。証券不況が続き、会社も倒産がささやかれるのが紘は家も会社も問題を抱えている状態だ。
そんなある日、笹一の振る舞いを見かねた紘の母・公代が来て、紘は笹一との子ではなく、自分が浮気してできた子供だ、と告白する。その話に身に覚えのある笹一は、あっさりその事実を認め、荷物をまとめて出て行こうとするが、その途端に笹一が倒れてしまう。病院の診断では、末期の肝硬変だというが。。。。
この映画は98年に製作という世相をあらわしている。山一證券他いくつかの証券会社の倒産が97年の秋だった。北海道拓殖銀行の倒産も世間をあっといわせた。
そのころからリストラが盛んになり、職を失った人たちが増えていく。ホームレスもあちらこちらで見られる。ホームレスの男たちをいたぶる男たちがいることも話題になった。
主人公とそれを取り巻く環境はその縮図のようだ。
この映画はそういう世相の中、それぞれマイペースに生きる人を取り上げる。
キャラが浮世離れはしていない。それなので自然に入っていける。
佐藤浩市と同僚村田雄浩との会話はリアリティがある。2000年をピークとするIT相場があるので、98年くらいから相場はよくなるけど、信用不安があるので、証券も銀行も強者にお金が集まる傾向があった。証券は野村證券、銀行は東京三菱銀行のそれぞれ1人勝ちだった。それ以外であれば、かなり厳しい状況だったのではないか。主人公が客先に電話をして、以前は取引の多かった顧客が口座を引き上げる場面が出ている。その時、主人公が勤める証券会社はかなりやばい状況になっていて、村田演じる同僚は次の勤め先を探している。そして見つける。主人公を誘う。
それでも主人公は転職を決意しない。そのうちに状況は悪化する。
この頃のサラリーマン事情を良く捉えている印象だ。
その奥さん役の斉藤由貴がかわいい主婦を演じる。精神状態が不安定である。別に旦那が悪いわけでない。ちょっとしたことでもストレスに感じる弱い女性を演じているのだ。そんな彼女は最初は山崎努を嫌がるがホームレスになっているのを見て同情する。むしろ夫よりも感情流入している。
父親がいない娘をうまく演じている。
母親役は藤村志保でお嬢さんテイストが染み付いている女性という印象だ。フェリス女学院から大映女優になるという絵に描いたようなキャリアで着物が似合う。
成金じゃないお嬢様上がりのおばあさんを演じるのはお手の物だろう。
富司純子がいつもとちょっと違う役を演じる。主人公の母親だが、やり手オバサンのテイストだ。丹沢のドライブインを切り盛りしている。いい年をしているが、彼女目当てに来るトラック運転手も多い。
すべてのお客さんにいい顔をして愛想を振りまく。息子夫婦の三浦友和、余夫婦とは合わない。その彼女が昔の連れ合いの出現に戸惑うが、狼狽するわけではない。腰が据わって堂々としている。ヤクザ映画で備わった貫禄だろう。
それぞれの個性がまざり良い映画になった。
相米慎二監督が今でも生きていればとつくづく感じる。
その年のキネマ旬報ベストワンとなっている。
「ニ流小説家」「嘆きのピエタ」いづれも生死不明の親が突如出現する物語だった。
それを見ながら、「あ、春」を思い出す。
良家の娘と結婚して平凡な生活を送るエリートサラリーマンの主人公の前に、死に別れたはずの父親と名乗る男が現れ大騒ぎになる話だ。ほのぼのとしたムードが流れる中、父親山崎努の大暴れぶりが見ものだ。
主人公韮崎紘(佐藤浩市)は、一流大学を出て証券会社に入社、良家のお嬢様・瑞穂(斉藤由貴)と逆玉結婚して1人息子にも恵まれていた。実の母親(富司純子)からは幼い時に父親と死に別れたと聞いてきた。ところがある日、彼の前に父親だと名乗る男が現れたのである。酔った帰り道に絡んできた男・笹一(山崎努)を、いきなりは父親だと信じられない。それでも、笹一が話す内容は紘の記憶と符合するものもある。妻の母親(藤村志保)と一緒に住む自宅に笹一を連れて行った。
しかも、実家の母親に確認すると、まだ生きていたの?という反応だ。笹一は遊び人でどうしようもない男だと言う。
それでも、彼を追い出すわけにもいかず、笹一をしばらく家で預かることにした。笹一は庭の草木の手入れや男手の要る仕事をこなしたり、節分には鬼を演じて子供もなついて喜ばれたりもした。しかし、昼間から酒を飲んだり、幼い息子にちんちろりんを教えたりした後、義母の風呂を覗いたのがばれ笹一は追い出された。
笹一は近所の公園に棲家があるホームレスの男たちと一緒に生活するようになる。ところが、街角で酔ったサラリーマンに暴力を振るわれているのを見て、息子が助けたことから、再び同居するようになる。それからも悪びれる風もなく一緒に暮らす。証券不況が続き、会社も倒産がささやかれるのが紘は家も会社も問題を抱えている状態だ。
そんなある日、笹一の振る舞いを見かねた紘の母・公代が来て、紘は笹一との子ではなく、自分が浮気してできた子供だ、と告白する。その話に身に覚えのある笹一は、あっさりその事実を認め、荷物をまとめて出て行こうとするが、その途端に笹一が倒れてしまう。病院の診断では、末期の肝硬変だというが。。。。
この映画は98年に製作という世相をあらわしている。山一證券他いくつかの証券会社の倒産が97年の秋だった。北海道拓殖銀行の倒産も世間をあっといわせた。
そのころからリストラが盛んになり、職を失った人たちが増えていく。ホームレスもあちらこちらで見られる。ホームレスの男たちをいたぶる男たちがいることも話題になった。
主人公とそれを取り巻く環境はその縮図のようだ。
この映画はそういう世相の中、それぞれマイペースに生きる人を取り上げる。
キャラが浮世離れはしていない。それなので自然に入っていける。
佐藤浩市と同僚村田雄浩との会話はリアリティがある。2000年をピークとするIT相場があるので、98年くらいから相場はよくなるけど、信用不安があるので、証券も銀行も強者にお金が集まる傾向があった。証券は野村證券、銀行は東京三菱銀行のそれぞれ1人勝ちだった。それ以外であれば、かなり厳しい状況だったのではないか。主人公が客先に電話をして、以前は取引の多かった顧客が口座を引き上げる場面が出ている。その時、主人公が勤める証券会社はかなりやばい状況になっていて、村田演じる同僚は次の勤め先を探している。そして見つける。主人公を誘う。
それでも主人公は転職を決意しない。そのうちに状況は悪化する。
この頃のサラリーマン事情を良く捉えている印象だ。
その奥さん役の斉藤由貴がかわいい主婦を演じる。精神状態が不安定である。別に旦那が悪いわけでない。ちょっとしたことでもストレスに感じる弱い女性を演じているのだ。そんな彼女は最初は山崎努を嫌がるがホームレスになっているのを見て同情する。むしろ夫よりも感情流入している。
父親がいない娘をうまく演じている。
母親役は藤村志保でお嬢さんテイストが染み付いている女性という印象だ。フェリス女学院から大映女優になるという絵に描いたようなキャリアで着物が似合う。
成金じゃないお嬢様上がりのおばあさんを演じるのはお手の物だろう。
富司純子がいつもとちょっと違う役を演じる。主人公の母親だが、やり手オバサンのテイストだ。丹沢のドライブインを切り盛りしている。いい年をしているが、彼女目当てに来るトラック運転手も多い。
すべてのお客さんにいい顔をして愛想を振りまく。息子夫婦の三浦友和、余夫婦とは合わない。その彼女が昔の連れ合いの出現に戸惑うが、狼狽するわけではない。腰が据わって堂々としている。ヤクザ映画で備わった貫禄だろう。
それぞれの個性がまざり良い映画になった。
相米慎二監督が今でも生きていればとつくづく感じる。
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