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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

さらば友よ  アランドロン&ブロンソン

2011-06-15 18:17:42 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
アランドロン主演の68年のサスペンス物だ。アメリカ映画の名脇役だったチャールズブロンソンがフランス映画でものすごい存在感を示す。主演2人と言ってもいいくらいだ。男と男を競い合っている。映画のストーリー展開にはこれといった驚きはない。全盛時代の2人をからめた映像をBGM的に楽しめばいいのではないか


アルジェリア戦線帰りの兵士たちを乗せた船がマルセイユについた。その中に、軍医の主人公ことアラン・ドロンもいた。そのドロンに「知り合いの友人では?」といきなり若い女が話しかけてきた。ドロンは無視して歩き続けた。同じ船から戦争を商売にしてきた男ことチャールズ・ブロンソンもおりた。彼は部下をかきあつめ、次はコンゴに出かけ一稼ぎしようとたくらんでいた。それには軍医が必要なため、ドロンをくどいていた。
ブロンソンを殴り倒し、ドロンは彼を追ってきた若い女のシトロエンに乗った。女はドロンに仕事を頼んだ。彼女はパリの会社の債券をひそかに持ちだし利用していた。それを金庫に返さなければならない。医務室の隣りに金庫がありクリスマスの連休の間に、それを返してほしいというのだ。ドロンはその仕事をひきうけた。医務室にハイスピード分解写真装置のついたカメラを持ち込み、金庫室の見通せる小窓にそれをセットした。金庫のダイヤル番号を盗み出そうとした。金曜日は会計簿をしまうために金庫が開けられることになっていたがその日は2億フランの現金がしまわれるのを知って、ドロンの目的はかわった。債券を返して同時に、中身をいただこう。だが、カメラは7つのダイヤルのうち、3つしか写してなかった。組合せは無数にあり、時間は三日三晩しかない。ドロンが作業を開始したとき、ブロンソンが現れたが。。。。



68年日本でいえば昭和43年である。GSブームもひと段落したころか。世は大学紛争にあけくれていたころだ。そういう日本とこのころのフランスと比較すると、顔立ちが違う。明らかにフランス人の顔がアカぬけている。女優達の美人度が高い。映画に登場するくらいだから、容姿のいい人を集めている可能性もある。生活の豊かさに比較にならない何かがあった。同時に走っている車に注目したい。日本車と欧州産の車のスタイリングには大きな差があった。なめらかなカーブが美しい。
映像の色合いも鮮やかだ。こういう映画を見ながら日本人たちは大きな影響を受けたのであろう。当時の鈴木清順監督作品にもそういう影響が感じられる作品もある。でもどことなくダサイ。越えられない壁があった。



この作品の中身は正直大したことない。ただ、2人の存在感は強烈だ。70年代日本のCM界にはなくてはならない存在だった。アランドロンは「ダーバン」チャールズブロンソンは「マンダム」でそれぞれの個性を強く日本人に印象付けた。今CMを見ても古臭さは感じない。ここでも何回か取り上げたが、「マンダム」のブロンソンの存在はすべての日本人に強いインパクトを与えた。自分も学校で下敷きに彼の記事の切り抜きを入れておいたものだ。あの渋い声が耳に響く。そういう彼を起用するきっかけがこの映画ということになれば、ここでの彼の姿がかっこいいのは言うまでもない。
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オーケストラ!

2011-05-11 18:42:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「オーケストラ!」は想像以上におもしろかった。元気が出る映画だ。
旧ソ連時代に地位を奪われたロシアの元天才指揮者が、30年後の今、共に音楽界を追われた演奏家たちを集め、ボリショイ交響楽団に成り済ましてパリ公演を行う話だ。単純な話と思しき映画だが、徐々に盛り上がる熱い感動に胸がジーンときた。


モスクワの劇場清掃員として働く主人公アンドレイ・フィリポフことアレクセイ・グシュコブは、ロシア・ボリショイ交響楽団で主席を務めた天才指揮者だった。彼は、30年前“ユダヤ主義者と人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家たち全員の排斥を拒絶して解雇された。ある日、清掃中にアンドレイは、1枚のFAXを目にする。それは、パリの音楽の殿堂シャトレ座に出演するオーケストラを2週間以内に見つけたいという内容だった。その瞬間、彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。


アンドレイはまず、元チェロ奏者で今は救急車の運転手に話を持ちかける。呆気にとられるが、アンドレイの熱意に押され、一緒に昔の仲間を訪ねていた。最後に干されたマネジャーまで引っ張り出し、タクシー運転手、蚤の市業者、ポルノ映画の効果音担当……モスクワの片隅でかろうじて生計をたてている彼らを訪ねる。ほとんどが二つ返事で承諾する。演奏曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ソリストはパリの若手バイオリニストであるアンヌ=マリー・ジャケことメラニー・ロランを指名。受け入れないと思っていたオーダーを彼女が受託しパリ行きが本当のものになりそうであったが。。。。。

オーケストラだけに登場人物が多い。でもそんなに複雑にはならない。キーとなる指揮者を主役として流れから外していないので、ストーリーが大きく脱線しない。わかりやすい脚本だ。
単純な構図ではあるが、共産党独裁時代、ロシアにおけるユダヤ人問題など政治的要素も加わり、見ようによっては壮大なテーマである。設定がありえそうにないのに、共産圏の政権の大変動もあったので、もしかしたらこんなことあるかもと思わせるのは映画脚本がうまいのかと思う。
主役のアレクセイ・グシュコブはポーランド人、準主役のフランス人若手美人女優メラニー・ロランはユダヤ系である。同時にフランスやロシアの俳優も大勢引っ張り出す。人種のるつぼといった感じだ。ここではあえてユダヤ系登場人物のせこさを前面に出す。


コメディタッチで数多くの俳優を平等に活躍させる中、やはり際立つのがメラニー・ロランの美貌であろう。現代的な美貌の中にバイオリニスト役としても通じる上品さを兼ね備える。タランティーノの「イングロリアルバスターズ」にも出演と、将来の活躍を予感させる大器である。

最後にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を迫力満点に楽しめた。
これは本当によかった。
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ソウルキッチン

2011-01-26 18:01:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
コメディ映画「ソウルキッチン」渋谷の劇場で見てきました。ドイツ映画を見る機会はほとんどない。しかも、ドイツに行ったことも、ドイツ語も習ったことはない。今回ある評論家が絶賛しているのを見て急に行きたくなった。食感に訴えるシーンやセンスのいい音楽もよくなかなかの作品である。



「ソウル・キッチン」の舞台はドイツハンブルクの倉庫街にあるレストランだ。大衆食堂兼ライブハウスというべきこの店を舞台に、ドタバタ騒ぎが起こる。
主人公ジノスことアダム・ボウスドウコスは、滞納していた税金の支払いを迫られたり、椎間板ヘルニアになったりと、さんざんだ。恋人も上海にいってしまった。腰痛で調理ができなくなったため、頑固者のシェフを雇うことにした。彼は前の店で客とケンカしてやめた腕のたつシェフだ。

「ソウルキッチン」が大衆食堂として人気があったメニューを一気にやめさせて4種類だけのメニューにする。前からの常連がいなくなる。そんなとき、服役中の兄が仮出所してきた。そして、ウェイトレスに惚れた兄が彼女のために盗んだDJセットで音楽をかけると、店は連日、大盛況になる。 しかし絶好調もつかの間、主人公の元の同級生である強欲な不動産屋や、石頭で淫乱な税務署の女まで出てきて次第にハチャ滅茶になるが。。。


ドイツは欧州各国からの移民、特にトルコ系移民が多く、多民族が住まう国になっているようだ。ハンブルグといえば、ビートルズが売れる前にしばし滞在していたところという認識しかない。近代的な都市というよりも、若干タイムスリップしたようなところだ。初めて見る街だ。そんな街の倉庫を改造して作られたレストランはなかなか魅力的。そこにさまざまな登場人物を出していく。
ある意味「ブルースブラザース」をほうふつさせるような映画の匂いを感じた。
音楽のセンスが実にいい。DJにのめり込むほど音楽好きというアキン監督は、作中にさまざまなディスコ音楽に加え、ドイツやギリシャの音楽を混然とちりばめた。ギリシャ移民2世のボウスドウコスは俳優業のかたわらギリシャ料理店を経営しており、本作のモチーフとなっている。


登場人物がそれぞれ奇怪な動きをするので、映画館の中は笑いの渦に包まれていた。
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アンナと過ごした4日間  

2010-08-31 05:39:18 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「アンナと過ごした4日間」は典型的なネクラ映画でありストーカー映画だ。
映画を支える音楽はよく、映像の雰囲気も悪くない。でもどうもこういう映画の評価はむずかしい。

ポーランドのとある田舎町、数年前のある日、釣りに出かけるが雨に降られた主人公は、家路を急ぐ途中、小屋で男にレイプされているアンナの姿を目撃してしまう。現場に釣り道具を忘れ逃げ出したレオンは、容疑者として逮捕され服役したのだった…。
主人公は、近くの看護師寮に住むアンナの部屋を毎晩のぞき見ることだった。そして彼は大胆な行動に出てしまうのであるが。。。。



合わない映画かもしれない。こういう映画を評価する人がいるってことは、映画評論家は基本的にネクラということなんだろうなあと思う。
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街のあかり アキ・カウリマスキ

2010-07-18 18:31:37 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
フィンランドのアキ・カウリマスキ監督の作品。以前みた「過去のない男」でもやるせない世界を描いたが、この作品の主人公のドツボ度は高い。滑稽な顔をした俳優たちによる味ある映画である。

警備員の主人公は家族や恋人にも恵まれない孤独な男である。そんな彼が一人でたたずむときに一人の女性が現れる。さみしそうだったからと近づく彼女と一緒に食事をしたりする。暗い彼にも少し光がさしたように思えた。しかし、彼女はマフィアの親分の情婦であった。大きなたくらみがあって彼に近づいていたのであったが。。。。



フィンランドの風景はどことなく古い。昭和40年から50年代の日本の風景よりも少しレトロにしたような印象だ。映画の画面に出てくる家具や車や服が独特の雰囲気を持つ。アメリカにもない光景だ。机や椅子を工業デザイン的に見た感じもイメージが違う。そういう風景がなおのことアキ監督の不思議な世界に導きだす。

この映画は比較的短い。途中から主人公を奈落の底に突き落とす。善悪の観念からもう少しいいことがあってもいいようなものなのに、何もいいことがない。気持が落ち込んでいる時に見ると、一気に落ち込んでしまう気もするが、ここまで悪いことはないだろうとみるべきなのか?いずれにせよ何かを考えてしまう作品であった。

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湖のほとりで

2010-05-28 05:49:13 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
イタリア映画である。殺人事件が起こり、それを追う刑事の話である。
ヨーロッパ映画らしい重苦しいタッチで、イタリアらしい明るさがかなり押さえてある。イタリアでも風景はスイスのような田舎町が舞台である。

主人公の刑事は舞台となる北イタリアの町に異動できた。その町は湖に隣接した静かな田舎町である。その湖のほとりで若い女性の遺体が発見される。犯人探しが始められる。遺体を医師が見ると彼女は処女であった。乱暴された形跡もない。死を自然に受け止めていた形跡がある。そして若い男が容疑者として浮かび上がってくるが。。。。



正直不毛なタッチの映画は苦手である。ミステリーであるが、推理や立ち回りの派手さはない。個々の登場人物の会話を通じての心理描写が中心となる。刑事自体問題を家庭に抱えている。みんな何かとつらい思いをしている。そういう人間模様を描写する。
男性よりも女性に美しい人が多数出てくる。イタリアの女性は美人が多い。

うーん、どうかなあ
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ある子供  ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

2010-05-13 05:54:31 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「ある子供」はカンヌ映画祭でパルムドールとなったフランス・ベルギー映画である。かなりいい加減な若いカップルの偶像である。正直そんなにいい映画とは思えない。これがうけるということで価値観の違いを感じる。

20歳と18歳の男女カップルに子供が生まれた。女の子は純粋に喜ぶが、男はなんか気乗りしない。入籍の話もはぐらかしているが、結局2人で届けに行くことになる。届けに行くと窓口は混雑していた。行列に並んでいると、男は女を並ばせ赤ちゃんを連れて散歩にでる。散歩にでて歩きながら、子供を売ることを思いつき、携帯で連絡しながら取引の相手に赤ちゃんを連れて行くが。。。。

このあとは転落の連続である。悪いことをしているのであるから仕方ない。これでもかというほど男に試練を浴びせる。

日本も昔は子供のない親への養子の話は多かった。最近少子化でかなり減ったのではないか?あまり聞かない。それでも貧しい国ではこういう子供の売買は数多くされているようだ。
母親の合意を得ずに勝手にすすめている主人公の振る舞いは悪い振る舞いと道徳的に判断されるのであろう。途中から転向もむなしい。

なんかやるせない映画であった。
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シェルブールの雨傘  カトリーヌ・ドヌーブ

2009-08-13 20:14:48 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
カトリーヌ・ドヌーブ21歳の時の代表作。全編セリフが歌で語られるミュージカル。色彩設計が見事で、このころのフランスの他の作品のようなどんよりとしたムードがない。画像の美しさだけで存在感がある映画である。

シェルブールの町で傘屋を営む母と一緒に店で働く17才のカトリーヌドヌーブは、20才の自動車修理工の男と一緒と付き合っていた。しかし、男は召集令状が出てアルジェリア戦線に駆り出されてしまう。その時彼女は妊娠していた。美しいドヌーブを追う男は多く、その中の一人からの求愛に彼女の心は動くが。。。。

ストーリー自体はたいしたことはない。戦争に出征した後、彼ないし彼女が別の相手を探すというパターンは古今東西たくさん映画で語られてきた。悲愛が語られても、正直少しも心は動かされないし、涙どころではない。ここでは映画の醍醐味といえる画像の美しさがすべてである。もちろんミシェルルグランの有名な主題歌は美しいメロディであるし、音楽自体は悪くない。しかし、画像の美しさに比べると驚くほどのことではない。
まずは衣装が素敵である。そんなにデザインが奇抜なわけではない。ドヌーブが着るとすべて引き立つ。フィオーレ・イエローや薄めのサーモンピンク、パッションオレンジ、パステル系のブルーなど原色よりは若干落とした淡い色の衣装を使う。そこに鮮やかな色の傘がコントラストで使われる。室内の色はオフホワイトというべき色でそんなに強い色ではない。一部使われるグリーンやブルーの室内の木部の塗装もきれいである。雪の中のシーンもホワイトに対するコントラストがよく考えられていた美術であった。シトロエンがジャガーEタイプでよく使われたオリーブグリーン色だったのも印象的で、単なるバックだがセンスのよさを感じさせた。

若いころに劇場で見た。しかし、なぜかDVDが絶版だった。つい最近デジタル化で映画公開された。見損なって悔しい思いをしたが、すぐDVD出てありがたかった。フランス映画は白黒のどんよりしたものと色鮮やかなカラー作品と両方あり対照的である。最近では「アメリ」の美術に感心した。いい伝統である。この作品と同時期の「男と女」には美しいアヌークエーメが出ているが、比較するとこの作品の美術の素晴らしさは際立つ。
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