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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「日本列島」 宇野重吉&芦川いずみ

2014-08-25 05:40:45 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「日本列島」は1965年の日活映画
実話に基づき、ノンフィクションタッチが得意な熊井啓監督がメガホンをとり真実に迫る。


米軍占領下から抜け切れていない日本で、アメリカ人が殺されるが、日本警察の頭ごなしに処理される。
それに対して、調査に入ったが、知れば知るほど危ない目に会うという話だ。
内容自体は怖い

昭和三十四年秋SキャンプCID(犯罪調査課)のポラック中尉は、通訳主任秋山(宇野重吉)に、リミット曹長事件の解明を命令した。一年前、リミットが水死体となって発見されるや、米軍は、日本の警察を無視して事故死と発表、死体を本国に送還した。秋山はかつて最愛の妻が米兵に暴行を受け、事故死として死体が引渡されたことがあった。

この事件を執拗に追う昭和新報記者の原島(二谷英明)と共に、秋山は、警視庁捜査三課黒崎(鈴木瑞穂)から、リミットが死の直前日本に出たニセドルを追っていたこと、精巧なドイツ製印刷機とその技術者伊集院元少佐が消えた事実を知らされた。伊集院の一人娘和子(芦川いずみ)を訪れた秋山は、伊集院が数年前正体不明の男に連れ去られ、涸沢と名乗る男が他言せぬよう家族を脅迫すると立ち去ったことを聞いた。


涸沢(大滝秀治)は米軍占領時代謀略機関で活躍した謎の男であった。昭和二十九年、贋ドルにまつわる信交会事件に、当時検事として立ち会った弁護士日高(内藤武敏)は、涸沢の部下佐々木(佐野浅夫)の口から、サン・ピエール教会を根城として、不良外国人がたむろすることを調べていた。佐々木を訪れた秋山、原島は、佐々木が涸沢にリミットが贋ドルを追及していると知らせた事実を知り驚愕とした。やはりリミットは涸沢に消されたのか!数日後、佐々木は水死体となってあがった。佐々木の妻(北林谷栄)は秋山と原島にどうしてそうなったのかと詰め寄る。

突然秋山にポラック中尉から調査中止命令が出た。秋山はキャンプをやめて調査を続行した。昭和三十五年外国航空スチュワーデス椎名加代子が水死体となってあがった。容疑者として出頭したサンピエール教会サミエル神父は、取り調べの終らぬまま突然帰国した。多くの疑問を残したまま三年が過ぎた。


昭和三十八年、スペンサー大尉から沖縄に伊集院らしい男が陳陽成と名乗っていると聞き、秋山は和子に了解を得ると沖縄に飛んだが。。。(作品情報より)

熊井啓らしい事実をつなぎ合わせながら、真実に迫るやり方だ。
熊井のドキュメンタリータッチの映画は「帝銀事件」にしろ「下山事件」にしろモノクロ映画だが、それが似合う。警察の捜査陣やとりまく報道陣を映しだす映像が、現在の映画よりも妙に迫力があるように感じる。その臨場感がいかにも熊井作品らしい。自分は相性がいい。
ネット社会になり、以前であればもみ消されたようなことでも公になってしまう今ではありえないことなのかもしれない。「戦後は終わった」という論調がされていた時代でも、米軍の秘密に近寄ろうとする面々が始末されたという事実が残っていたことが示される。
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映画「網走番外地」 高倉健

2014-08-24 05:45:17 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「網走番外地」は1965年の高倉健主演の東映映画、シリーズ第一作である。
網走と言えば刑務所といまや観光地化しているが、そのようになったのもこの映画があったからだろう。
当時35歳の高倉健が若く、深い雪の中の撮影はさぞかし大変だったと思うが、動きもきびきびしている。「青大将」こと田中邦衛待田京介、「悪魔くん」の潮健児の動きが滑稽で嵐寛寿郎が渋い。
いかにも音痴の主題歌も健さんが歌うと味がある。耳について離れない。


網走刑務所に新入りの囚人たちのなかに橘真一(高倉健)がいた。母が再婚することになり、幼い頃から義父・国造のもとで妹とともに暮らすことになった。しかし、義父との折り合いがうまくいかず家をとびだし、やくざの世界に足を踏みいれた。他の組に殴りこみに行った際に、傷害事件を起こし、懲役三年を言い渡されたのだった。

二人が入れられた雑居房には依田(安倍徹)の古株の囚人に混り初老の阿久田(嵐寛寿郎)がいた。依田は殺人鬼・鬼寅の弟分と称して房内を牛耳っていた。こんな依田に権田(南原宏治)は共鳴し、橘はことごとく反抗した。そんなある夜、依田と権田がしめしあわせて橘に襲いかかり、乱闘騒ぎが看守に発見されてそれぞれ懲役房に入れられた。

妹の手紙で、橘は母が病床に倒れたことを知った。橘は森林伐採の斧にたくして懸命に働いた。保護司・妻木(丹波哲郎)は橘に親身の世話をしてくれ、仮釈放の手続きも進めてくれた。そのころ雑居房では依田を中心に脱獄計画が進められていた。だが決行寸前、阿久田の裏切りで脱獄計画は崩れ去った。殺気だつ房内で阿久田は自分の正体をあかした。8人殺しの殺人鬼として恐れられた鬼寅だったのだ。


雪の山奥へ山奥に作業に出た囚人たちは、護送トラックから飛び降り脱走を計った。橘も権田に引きずられて路上に叩きつけられた。二人は手錠でつながれたまま雪の中をひた走った。権田は前科五犯のしたたかものだ。

刑務所に入るとき、高倉健がスーツを着てのネクタイ姿だ。バシッと決めている。
でもこれってありえないよね。
単調な話だけど、見せ場はいくつも用意されている。





1.トロッコでの逃走
これが豪快だ。
実写だとこちらまでトロッコに乗ったような気分にさせられる。
このまま止まらなかったらどうするんだろう?何て考えてしまう。

2.手錠をはめたままの2人の囚人
トニーカーチスとシドニーポワチエのコンビで名作「手錠のままの脱獄」がある。基本的発想は同じだ。
仲の決して良くない2人の逃走だけに、手錠はじゃまだ。なんとかカットしたい。
別々に行動と考えるわけである。
線路の上に2人寝そべって、レールにくさりをのせてカットさせようとするわけだ。
おいおい危ないなあ。でも見ている方はどうなるのか気になってしまう。妙な緊張感だ。


3.嵐寛寿郎の貫禄
物静かな立ち振る舞いである。
同室の囚人たちが、脱走をたくらもうとする。1人が仮病を使って、苦しそうにもだいているのを、刑務官に助けてもらおうとするのがおとり。鍵を開けようとしたすきに、逃げだすというわけだ。横にいるアラカンが大したことないですよと言い。結局鍵を開けず、脱走は未遂に終わる。当然まわりは怒って反撥するが、彼はたじろがない。そして正体を明かす。


8人殺しの殺人鬼なのだ。
水戸黄門が印籠を示すがごとく、まわりは驚き何も言えなくなる。なかなかのシーンだ。

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映画「乾いた花」 池部良&加賀まりこ

2014-06-28 05:53:47 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「乾いた花」は昭和39年の篠田正浩監督による松竹映画作品だ。原作は石原慎太郎による。

ジャケットの加賀まりこが若い。小悪魔と言われたころの彼女である。当然かわいいし、危険な香りもある。
主役は出所間もないやくざを演じる池部良である。これがいい。その2人を中心に白黒でスタイリッシュにまとめる。後ろには武満徹の前衛音楽が流れる。演歌調や浪花節調でなく、アウトローのムードをじんわりさせる。これが実に効いている。なかなかの拾いもので映画のレベルはかなり高い。ネタばれになるが、ラストシーンも余韻を残してうまく終わる。

映画のストーリーは単純だ。
出所間もないやくざ村木(池部良)がいる。人を殺して三年ぶりに娑婆へ出たばかりだった。組に戻り親分(宮口精二)にあいさつして、賭博場に久々に向かう。昔の仲間が多数いる中に、一人の若い女性(加賀まりこ)がきっぷの良い博打を打っていた。次の賭場で村木は再びその少女に会い、サシで勝負した。

その夜、村木は思いがけなく屋台でコップ酒を飲む少女を見た。名は冴子、もっと大きな勝負のある場所へ行きたいとせがむ。約束の日、彼女はスポーツカーMGで現れた。賭け額が張る場でも、冴子はさっそうと立ちまわった。後ろでは気味の悪い男が様子をうかがっていた。葉という男(藤木孝)は、中国帰りで殺しと麻薬だけに生きているという。その死神のような眼に、村木は言いしれぬ危険を感じた。村木と冴子は、夜の街を狂ったようにMGを走らせた。
その後やくざ同士の縄張り争いに巻き込まれ、村木は刺客を引き受けざるを得ない状況になるのであるが。。。

池部良がかっこいい。ヤクザ映画と言うと東映スタイルを想像するが、ここでの組員のファッションは特にいわゆる最近のやくざや不良のテイストを彷彿させるものではない。普通である。でも、賭博場面が妙にリアルティがある。
「先にコマ、先にコマ。。。」「どっちもどっち。。。。」と胴元が仕切る。賭博場に流れる異様な雰囲気がどこか違う。
行ったことないのでわからないが、実際の賭博場を取材したのであろう。他のヤクザ映画で見る「手本引き」よりもリアルである。

池部良には新子(原知佐子)という女がいた。彼女はずっと出所を待っていた。元々は普通の事務員であり、結婚を嘱望されている男もいた。でも池部良が戻ってきて、一度抱かれると離れられなくなるのだ。
ヤクザには情交はつきものだという。いったんくっつくと1週間は腰の抜けるまで「ヤチをきり」相手を離れられないような状態に持っていく。そんな話を笠原和夫の本で読んだことがある。でも、その池部良も加賀まりこの意外性のある魅力に魅かれていく。そこがこの映画のミソである。


殺し屋村木は刺客を引き受け、仕事を履行する。
ピストルで相手を撃つわけではない。ドスで相手を刺すわけである。その前に見せる池部良の表情がまさに殺人鬼の表情になっている。自分は実際の殺しを目の前で見たことがない。でも豊田商事事件オウム真理教の村井秀夫殺人事件はテレビで臨場感あふれるように映し出していた。その時の殺し屋の表情と今回の池部良の顔がだぶる。リアルなものへの接近がこの映画の凄味である。
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映画「黒い画集 ある遭難」 

2014-04-24 18:37:33 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒い画集 ある遭難」は1961年の東宝映画

これも松本清張の短編集「黒い画集」の一つだ。3作見たがこれが一番スリリングかもしれない。
「網走番外地」や東映お色気路線で有名な映画監督の石井輝男による脚本が上手にまとまっている。時間軸をずらす処理もうまい。以前原作は読了しているが、内容は覚えていない。映画を見ていくうちに、ドキドキ感が高まりどういう風に決着をつけるのかをわくわくしながらみた。傑作だと思う。

山男たちが、崖から滑落した山男の死体を引き上げている。鹿島槍で銀行員3人のパーティが、ガスで道を見失い、その一人が谷に滑落してしまった。死体が荼毘に付されているのを見つめながら、姉(香川京子)は初心者の浦橋が助かって弟が遭難したことに疑問を持っているようだ。

山岳雑誌の「岳人」に同僚浦橋による寄稿文が載る。

浦橋の回想が始まる。快晴の鹿島槍頂上には銀行員の江田(伊藤久哉)、岩瀬秀雄(児玉清)、浦橋(和田孝)の3人が映る。 その後、下山を始めると先ほどまでの好天がウソのようにガスが立ち込めてくる。「引き返そう」と江田が言うと、岩瀬は強硬に進もうと主張する。それなのに岩瀬は息苦しそうだ。目的地まではあと少しだが、やむなくパーティは今来た道を引き返した。

ガスの中をさまよいながら浦橋は同じ道を引き返していると思っていた。しかし、江田が牛首山の方に紛れ込んだようだと言い出す。黒部側で反対だ。布引岳と牛首山がよく似ているので間違えたのだ。雨は激しくなる。岩瀬はグッタリしている。江田は小屋に救援を頼みに行ってくるといい2人は残された。激しい雷雨で、岩瀬の容態が悪くなっていると浦橋が感じたとき、岩瀬が意味不明なことを言いつつ、走り出し崖から落ちていった。
今回の山登りでは、江田の好意で寝台車で行った。しかし、浦橋がトイレに起きると、岩瀬が真っ青な顔で、デッキに立っている。眠れないようだ。山に入ってからも岩瀬の体調は悪そう。江田が頻繁に休憩をとるが、かえって岩瀬は疲れていく。水を飲む量も次第に多くなっていく。小屋に泊まっても、岩瀬は眠れない様子だ。浦橋は改めてそう追想した。

銀行で勤務中の江田に岩瀬の姉の真佐子から会いたいと電話が入った。約束の場所にいくと、もう一人東北の電力会社につとめている従兄の槙田(土屋嘉男)がいた。真佐子は弟の遭難場所に花を捧げてやりたいと言う。ただ、自分では冬の登山は無理。代わりを松本高校の山岳部だった従兄の槙田に頼んだので一緒に行ってくれないかという。江田は休暇を取れたら一緒に行くと答えた。
2人は新宿発の夜行列車に乗って山に向った。列車に乗ると、槙田は「岳人」に掲載された浦橋の記事を思い起こさせる話をしてきた。槙田は夜中に寝もせずにいたりしたので、江田は不気味に感じた。
山に入ると、槙田は遭難した登山スケジュールを再現するような行動をとる。やたらと休憩を取りたがったり、同じ場所で水筒に水を入れたりする。それにしても何でこんなに休んだり、水を飲みまくるのかと江田に問う。山小屋に入っても、寝床で槙田は江田を追及する。自分の調べでは、松本の気象台が当日天気が崩れると予報を出していたと指摘する。

翌日、遭難現場で献花を終えたあと、槙田は江田に向って話を始める。寝台車で眠れなかったのは、江田がショックを与えることを言ったからではないか?天候も予報で予知したはずだし、休憩を多くとって疲れさせたのもおかしい。しかも、黒部側の山の地図を持って行かせなかったことなど意図的なものが感じられると言うのであるが。。。

最近でも名カメラマン木村大作がメガホンを取った「剣岳」など登山を描いた映画は見応えのあるものが多い。撮影の困難さがにじみ出ている。機材を運ぶのも大変だろう。監督、カメラマンはもちろん演じる出演者たちもかなりしんどい仕事だ。黒澤明脚本谷口千吉監督による「銀嶺の果て」や井上靖原作の「氷壁」という名作もあるが、この作品も登山ミステリーとして記憶されるべき作品だと思う。
前半のガスが立ち込める中の夏山登山のシーンはもとより、伊藤久哉と土屋嘉男の雪山登山シーンはCGがない時代だけによくやったなあと感じさせる。特に最後の転落シーンはおいおい大丈夫?と驚く。

メジャーと思しき俳優は香川京子だけである。撮影の困難さで断る人気俳優もいたかもしれない。最近亡くなった若き日の児玉清が遭難した岩瀬を演じる。精悍な風貌も見せるが、ここでは苦しい表情が続く。突然発狂した時は、「山月記」の虎になった男が猛然と走りだす場面を連想した。土屋嘉男は最近までTVによく出ていただけに親しみがある。香川京子の美貌は愁いがあり、いつもながら素敵だ。

映画を見ていて、リーダーの江田を槙田が責めていく構図は途中から見えていく。でも、映画をどう決着をつけるかは想像つかない。2人の間に取っ組み合いもあるのか?どういう結末になるのかをドキドキしながら見守っていった。やはり最後5分以内までドキドキさせる映画はスリリングだ。ヒッチコックの映画が製作されている時代だが、似たような緊張感を呼び起こす。
結果的に結末は原作と異なる。映倫がからんでいたのであろうか?どっちがいいかは人によるだろう。

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映画「ぼんち」 市川雷蔵&越路吹雪

2014-04-19 05:08:51 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ぼんち」は1960年の市川崑監督による大映映画だ。

山崎豊子の出世作で船場ものである。足袋屋の跡取りを市川雷蔵が演じて、正妻、二号に当時の日本映画を代表する美女が出演する。御大山田五十鈴が母親役で、雷蔵の相手役は大映の若尾文子、中村玉緒、京マチ子に加えて、東宝から草笛光子、なんと越路吹雪まで出演する。まさに映画全盛時代を飾る作品といってもいい。

昭和の初めの大阪船場が舞台だ。
四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、女系家族の中で育った。河内屋は三代も養子旦那が続き、父親(船越英二)は丁稚奉公から婿に入った。祖母・きの(毛利菊枝)、母・勢以(山田五十鈴)にすすめられ砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁にもらう。二人は家事の細かいことに文句を言い、弘子をしめつけた。妊娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎を産んだ。喜久治には不満はなかったが、姑たちは弘子を離別するよう仕組んだ。

昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。「富の家」の娘仲居・幾子(草笛光子)が好意をよせた。父が死に、喜久治は五代目の河内屋の若旦那におさまった。

襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭のお福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。彼女を喜久治にとりもち娘を生まそうと企んだ。喜久治は待合で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。妾となったぽん太はしきたりに従って本宅うかがいに現われた。さすがの勢以も気をのまれた。ぽん太に男の子が生れた。

きのは五万円の金で生れた子と縁切りをするよう言った。喜久治は幾子が芸者に出るのを知ると彼女も囲った。
日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。喜久治は道頓堀のカフェーで女給比佐子(越路吹雪)と出会った。愛想のない女だったが気にいった。幾子が難産の後、子癇を起して死んだ。妾の葬式を旦那が出してやることは許されない。喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の体を投げ出して慰めた。日中戦争から太平洋戦争へ。喜久治は灯火管制下にも妾の家をこまめに廻った。空襲で河内屋も蔵一つを残し全焼した。ぽん太、比佐子、お福がやって来たが。。。

凄い女優陣である。
京マチ子をはじめとした大映スターのことはこれまで繰り返し語ってきた。
草笛光子についても語った。「光子の窓」の時代からまだ現役を続ける彼女には敬服する。

(越路吹雪)
越路吹雪についてはブログで初めて取り上げる。この映画での彼女の顔つきは印象的だ。

まだ小学生になってまもない時、紅白歌合戦の赤組で異色な女性がいることに気づいた。越路吹雪である。まず顔が普通の顔をしていない。歌も異彩をはなつ。子供の自分からすると怖く見えた。テレビ画面に向かって目を伏せた記憶がある。
その彼女の良さがわかるには時間がかかった。中学生になり洋楽を聞くようになった後で、彼女の歌の良さがわかるようになっていた。当時彼女のコンサートチケットを入手するのは困難だった。ライブ映像を見た時、凄い人なんだと思う。

宝塚出身である。テレビのワイドショーで乙羽信子と一緒に出ていたことがある。同期だ。雰囲気があまりにも違う2人だが妙に気が合ったそうだ。乙羽らしくやさしく「コーちゃん」と呼ぶ声が今でも印象に残る。月丘夢路も一緒らしい。
そんな彼女をスケッチした絵がある。文化勲章を受章した日本画の小倉画伯によるものである。

いかにも彼女の特徴をつかんだ女性画家らしい傑作である。。ちょうどこの映画と同じ時期だ。

映画の中でお風呂で若尾文子、京マチ子と戯れるシーンがある。

こんな肌を見せるシーンは他にはないだろう。それを見るだけでもこの映画は価値があった。

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映画「にっぽん泥棒物語」 三國連太郎

2014-04-17 05:26:13 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「にっぽん泥棒物語」を見た。1965年の東映映画でキネマ旬報4位という作品だ。
題名の通りに三國連太郎演じる泥棒の武勇談かと思って映画を見たのだが、まったく違う結末となった。監督は社会派の巨匠山本薩夫監督である。終わってみると納得するが、最初はそんな様相はまったく示さずストーリーが進む。途中からの展開はあれよあれよという感じで、当時の演劇界を代表する有名俳優が軒並み出演して、いかにも社会派らしい映画になる。その意外性に驚く。

東北のある町が舞台だ。最初に映るシーンは、家屋侵入して泥棒を働き荷台に盗品を積んだトラックを嫁入り道具の輸送車に見せようとしているところだ。検問の警官に助手席に座る花嫁の姿を見せ、あっさりくぐりぬける。そしてその盗品を「盗品買い」の業者に持っていくのだ。

主人公林田義助(三國連太郎)は妙見小僧と言われる「破蔵師」である。狙いをつけた家に押し入り土蔵に穴を開けて品物をリレーで運び出すと、盗品買いの処へもってゆき現金に代えるのだ。
義助が前科四犯の破蔵師になったのは歯科医の父が死んだあと、母(北林谷栄)や妹(緑魔子)を養うため、歯科医を継ぐが、戦争で薬が手に入らず、この商売に入ったのだ。

義助が仲間たちと温泉に遊びにゆき、芸者桃子(市原悦子)と仲良くなり世帯をもつことになった。桃子は歯科医師と結婚できると喜んだのだ。しかし、里帰りする桃子に、手土産をと盗品の着物を渡したのがケチの始まりだ。生活費の足しにしようと桃子は着物を買い取りに出し、盗難届の出ている着物とわかってしまう。安東刑事(伊藤雄之助)につかまって拘置所ゆきとなった。

ここで自転車泥棒庫吉(江原真二郎)と知り合う。義助は保釈になると庫吉と計画を立てて、深夜2時過ぎに呉服屋に忍びこんだ。ところが、巡回中の消防団に追われ線路づたいに逃げた。そこで深夜義助は九人の大男とすれちがった。その夜明けのこと、大音響と共に杉山駅で列車転覆事件が起った。悪さの数々がばれて刑務所に行った義助は、杉山駅列車転覆事件の犯人だという三人の囚人に会った。無実を訴える三人の男を見て、義助はあの夜会った大男とは違うと思っていた。

4年刑務所にいて出所した義助は、親の死に目に会えなかった。そして田舎の村のダム工事現場でまじめに働きだした。うっかり村人の歯を直したばかりに、医者とみなされもぐりの歯医者をやることになる。そんな時重病にかかっていたはな(佐久間良子)を助けてくれと言われて口移しの水を与えたら助かってしまった。結局はなと結婚することになり子供も生れた。その後村で平和な生活を送っていた。義助は昔の仲間(花沢徳衛)と酒を酌み交わすときに、杉山事件の夜、線路際で偶然大男に出会ったことを話してしまう。そうしたら昔仲間の弟が弁護士を連れてやってきた。法廷で兄に話したことを証言してほしいというのだ。法廷に出廷すれば、自分の前科がばれてしまうと急遽妻を引き連れて引っ越した。

しかし、引越した先は警察にばれてしまう。旧知の安東刑事から「あの場所で出会ったのは三人だ」と言わなければ、愛妻に前科をばらすと脅かされていた。しかし、弁護士、報道機関はあきらめずに義助の元を日参するのであるが。。。。

古き良き時代の話だ。今でも泥棒はいるだろうが、昔の田舎の資産家はさぞかし狙われただろう。
今でも田舎町には蔵がたくさん建っている。そこには貴重な財産が隠されているのであろうか?


この話も冤罪の話だ。
まさか有名な「松川事件」がネタになっているとは思わなかった。その昔はこんな冤罪で一生刑務暮らしをせざるを得なかった人たちが数多くいたのであろうか?戦後まもなく長きにわたり牢獄に入っていた日本共産党員がGHQの指示で釈放されたのはいいが、労働運動で大暴れしまくる。しかも、共産化の波はアメリカ本土でも吹き荒れ、マッカーシズムと言われる赤狩りの流れになる。アジアでも中国大陸を共産党が支配することになった。まだ占領下にあった日本でもGHQと日本政府がグルになって共産主義者を再度弾圧するようになっていた。そこで冤罪がいくつか生まれる。実際共産党がしかけたテロ行為もあったかもしれないが、労働運動に携わる人たちが図らずも犯人扱いされた事件も多かっただろう。
DNA鑑定が定着した現在の科学捜査のレベルは冤罪を減らしていると思われる。

何よりも面白いのが最終の裁判場面だ。これ自体は社会派の山本監督が万人を楽しませようとした内容だ。
こんな裁判ないだろうなあ!と思いながら爆笑の渦を巻き込んだ三國連太郎の演技は天下一品だ。東北弁もいい。
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映画「黒い画集 寒流」 池部良&新珠三千代

2014-04-16 17:18:04 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒い画集 寒流」は1960年の東宝映画だ。
「黒い画集」松本清張の傑作短編集で、先日も「あるサラリーマンの証言」を見たが、実におもしろかった。「寒流」はサスペンス仕立てであるが、殺人事件はからまない。昭和35年前後のサラリーマン状況を巧みに映し出しており、面白い。

池部良の銀行支店長ぶりは、冷静沈着な振る舞いでいかにも一時代前の支店長像である。何よりも見モノは新珠三千代の美貌である。「けものみち」の時に少年のころは池内淳子に関心を持たなかったという話をしたが、新珠三千代も同様である。はやりまくった「細うで繁盛記」はときおりみていたが、彼女を見ても何も感じなかった。でもここでの新珠は気品があり、本当にきれいだ。年齢を重ねて初めてわかる女性の美しさである。「洲崎パラダイス」のあと、「女の中にいる他人」の前でこのあたりが一番いいのかもしれない。

安井銀行の役員会の模様が映し出される。常務の桑山(平田昭彦)は池袋支店の支店長に本店貸付課長の沖野(池部良)を推している。反対派閥の副頭取(中村伸郎)一派はまだ時期尚早と反対するが、多数決で沖野の昇格が決まる。桑山と沖野は大学の同窓、前頭取の子息ということで桑山は早くも常務に昇格している。桑山は女に手が早く、沖野は銀座のホステスとの手切れ問題処理を密かにしていた。

池袋支店長となった沖野は、新任の挨拶廻りの時に料亭「比良野」の女主人前川奈美(新珠三千代)の元を訪れた。未亡人で美人の女将であった。その後、奈美が増築のため一千万円の融資を頼みに来た。自身の決裁範囲を超える多額の融資のため、桑山常務に相談した。お店に一度寄ってみろよといわれ沖野は1人で飲みに行った。店が繁盛しているのを確認して、この大口取引を承諾した。
未亡人の奈美は相談する男性が欲しかったところだった。やがて二人は親密の度を増し、奈美は沖野と体の関係を待った。
結婚を口にする奈美に、病弱の妻(荒木道子)をかかえる沖野の心は動いた。

そんな時、桑山が池袋支店に沖野を訪ねて来た。成績が好調ということで激励に来たのだ。沖野の部屋に遊びに来ていた桑山は奈美を見て一目惚れした。帰り際に料亭まで送っていった。
桑山は週末湯河原へゴルフに行こうと沖野と奈美を誘った。手の早い桑山は早朝に奈美の部屋に忍び込む。
桑山は、都内に進出するための追加融資を種に奈美を口説いたのだ。一方沖野が自宅へ帰ると、妻のところへ医者が往診に来ていた。どうやら睡眠薬を飲んで自殺未遂をしていたのだ。
沖野は自身が興信所で女性関係を調べ上げられていることを知った。わかった以上、奈美との結婚を本気で考えようとしていた。ところが、奈美は急によそよそしくなった。

しばらくして、沖野は宇都宮支店に転勤させられた。異動の送別会で関東の大支店長と沖野を持ち上げたが、桑山は沖野がじゃまになったのだ。
嫉妬心から沖野は、宇都宮支店にあって仕事が手につかなかった。沖野は秘密探偵社を訪れた。そこで探偵の伊牟田(宮口精二)に桑山の素行調査を依頼する。しばらくたち伊牟田が調査報告書を持参してやって来た。奈美は旧大名屋敷を買い取り六千万円はする店内の改装、それに桑山との情事の日取りまでが詳細に記されてあった。
沖野はこの資料を持って上京、総会屋の福光喜太郎(志村喬)に会う。株主総会でスキャンダルと不正貸付をバクロ、桑山を社会的に葬るためだ。総会の前に福光が桑山の常務室を訪れるのであるが。。。。

映画を見ながら「半沢直樹シリーズ」を連想したが、現代とは様相がまったく違う。
総会屋やヤクザなんて人種は、平成金融不況時代から銀行とは縁がない存在になってきているのではないか?(裏ではわからないが。。。)ネット社会となり、わずかなヤバイ関係を発見するだけで大騒ぎとなる。この映画で志村喬丹波哲郎が演じる役柄は現代では抹殺された存在になっているかもしれない。特に丹波哲郎のシーンは異様な雰囲気だ。
「半沢直樹」と「寒流」に1つだけ共通点がある。悪党の常務を演じる俳優が香川も平田も東大出身である。俳優になったというだけで世間でいう東大エリートとは違う立場だけど、ちょっと間違ったらそうなっていたという訳だし、2人とも悪党がうまい。

宇都宮に左遷というストーリーとなる。池袋支店の業績がいいというセリフがあるのに、そんなにすぐ異動させられるものなのかと感じてしまう。映像ではどうやらJR宇都宮駅前の大通りを映しているというのがよくわかる。自分も30代半ばから宇都宮に5年行っているので、立場は同じようなものだが、ホンダ、キャノンが進出して工業団地が充実している現在よりもこの時代の方がもっと衝撃が大きいかもしれない。「半沢直樹」シリーズでもやたらと出向や左遷話が出てくる。地方を楽しむのも悪くないと思うんだけど、世間の若手はあのテレビを機に出向や地方勤務を嫌がる傾向があるという。もったいない。

それにしても平田と池部は大学の同窓で、平田の女関係の清算にも池部が関わっている関係なのになんでこんなにいがみ合うのかなという感じがする。そこが不思議かな?3人でお風呂に行く場面もちょっと不自然だ。映画でゴルフ場に行く場面がある。湯河原に行くと言っているが、海が見える打ちおろしの美しいゴルフ場だ。平田がショットを打った後、新珠の登場でカットだが、湯河原カンツリーみたいだ。

ここでのオチはその後どうなるのかをはっきり言わない。
でもこの時代の映画はどれもこれも大物の方がうまく逃げるという展開だ。その時代背景だったのであろうか?
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映画「けものみち」 池内淳子

2014-04-12 07:17:02 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「けものみち」は1964年製作の松本清張原作を映画化した東宝映画
政財界の裏の世界にスポットをあて、その中でしぶとく生きていこうとする男女の生きざまを描く。あえて白黒映画でつくられているが、それがいい形で緊迫感を高めている。武満徹の音楽も絶品でかなりよくできている映画だ。


池内淳子といえば、60年代後半から80年代にかけては視聴率20%を確実に稼げる女優としてもてはやされていた。自分も東芝日曜劇場「女と味噌汁」などはよく見ていたものだ。しかし、まだ少年だった自分にはさほどいい女には見えなかった。それは自分の母と同世代だったからなのかもしれない。息子は母親に女というものは感じないものだ。同時に母親と同世代の女性にも関心を示さない。きっとそういうことだったんだろう。
この映画で見る池内淳子は美しい。逆に彼女がよく見える年齢に自分が差し掛かったのかもしれない。ある意味悪女であるこの映画の池内淳子は金持ち老人の前で肌をあらわにしてもてあそばれるが、肝心なところは見せない。それでも入浴シーンなんかを見るとドッキリしてしまう。20%女優と言われたころにこんな大胆な場面を見たことはなかったので意外であった。そんな池内淳子を見るだけでも価値がある。

主人公成沢民子(池内淳子)は、寝たきりの夫寛次を旅館の女中勤めで養っている。ある夜ついた客のホテル支配人小滝(池部良)は魅力的な男性で2人は魅かれあった。小滝に誘われ、深夜自宅に戻り、事故死をよそおい夫を焼き殺した。小滝と一緒に旅館にいるというアリバイをつくったのだ。そして民子は翌日、小滝の紹介で弁護士秦野(伊藤雄之助)と共に鬼頭洪太(小沢栄太郎)の豪邸を訪れた。身体の不自由な老人鬼頭の世話をするため民子は選ばれた。金にまかせた華美な生活、民子は鬼頭に身体をまかせながら、いつか小滝が忘れられない人となった。


一方焼死事件に不審を抱いた警視庁捜査一課の久恒刑事(小林桂樹)は、当日現場付近に民子らしい女がいたことを聞きこみながら、民子のアリバイを崩せず、次第に民子の美しさに職業を逸脱したみだらな行為を迫るのだった。

久恒の調査で、鬼頭は元満州浪人で、戦後莫大な金を手にし、政治を裏から動かし、右翼団体を握っている人物であり秦野とは、かつて鬼頭のもとで働いていた鉱夫の偽名で、本物の弁護士秦野は満州で行方不明となっていた。また小滝は左翼くずれで、満州から古美術を盗み秦野らに近づいて、一つのラインを形成していることが判明した。
その頃政界では、ある殺人事件にまきこれた高速道路公団総裁香川が辞職し、新しい総裁が椅子についた。鬼頭のさしがねであることは当然ながら、確証がつかめず久恒はいらだった。だが鬼頭の手は久恒のうえにものびたが。。。


普通の旅館の女中が気がつくと、政財界を揺さぶる大物と接触するようになる。この映画の鬼頭は児玉誉士夫がモデルではないかと思う。戦後20年たっていないころは、まだ戦争の影がチラチラする。戦後のどさくさを没落せず生き残った人たちは本当に強い。満州という場所を舞台にして大金を得て、それをそのまま日本に持ち込んだ人は少ない。その少ない人が戦後を牛耳っていたのは皮肉だ。左翼崩れなんて言葉は徐々に死語になってきている。松本清張は常に共産党を応援してきたある意味アカだが、政財界の裏側はしっかり観察してきた。切れ味は鋭い。それがこの映画にもよくあらわれている。

この時代の映画では、黒澤明監督「悪い奴ほどよく眠る」もそうだが、政財界の大物がうまく生き延びるという設定が多い。汚職もうまく握りつぶしている。今はどうだろうか?インターネットで悪いうわさが広まわるので、大新聞を一時的に抑えても簡単には握りつぶせない。児玉誉士夫は戦後の汚職事件にかなりかかわったと言われる。でも結局ロッキードで失脚した。むしろ日本の悪しき慣習を嫌ったアメリカの手で葬られた。古き良き日の日本というより、悪い時代の日本といった方がいいかもしれない。みんなとやかく言うけど、今の方がましだ。

池部良演じる支配人が勤めているというホテルは、赤坂という場所からいってホテルニュージャパンと推測される。横井英樹がオーナーで起こした火災のことでしばらく騒がれていた。当時大学生だった自分は、赤坂紀尾井町でバイトをしていて、偶然出くわした。あの騒乱ぶりは今も目に残る。今のプルデンシャルタワーを見るたび思い出すが、世紀の悪党横井英樹はよくもあの土地を手に入れたなと感心する。

(参考作品)
けものみち
艶っぽい池内淳子
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映画「黒い画集 あるサラリーマンの証言」 小林桂樹

2014-04-09 19:16:27 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒い画集 あるサラリーマンの証言」は1960年の作品
松本清張「黒い画集」という短編集は、粒ぞろいの作品を集めている。どれもこれもスリリングで面白い。中でも「天城越え」が一番有名だ。この作品では、部下と不倫をしているサラリーマンが、情事の帰り道で近所の人と出会ったのに、それを知らないと言い張る。その時間に出会ったとわかれば、近所の人は殺人事件無罪となるのに違う返答をする。流れはヒッチコックばりのサイコサスペンスである。当時のキネマ旬報ベストテン第2位で小林桂樹をはじめとして当時の東宝映画の常連たちが上質のサスペンスを作り上げている。

丸の内にある東和毛織の管財課長・石野(小林桂樹)は、妻(中北千恵子)と子供二人の家庭生活も円満でありながら、同じ課の事務員梅谷(原知佐子)との情事を楽しんでいた。七月十六日の木曜日も、いつものように石野は、会社が終ると新大久保のアパートに梅谷を訪ねた。その帰途、駅の近くで近所に住む保険外交員の杉山とすれちがい挨拶をかわしてしまった。妻には、遅くなった理由を渋谷で映画を見て来たからだと言った。

三日後、石野は刑事(西村晃)の訪問を受けた。十六日の午後九時三十分頃、新大久保で杉山に会ったかどうかと質問された。会ったと言えば、梅谷との関係を洗いざらいにしなければならない。破滅を意味した。石野は、会った覚えはないと答えた。その夜、杉山が向島の若妻殺しの容疑者として逮捕された。石野は梅谷を品川のアパートへ移転させた。彼は杉山が犯人でないことを知った。犯行は、杉山と会った時間に、向島で起っていたのだ。石野は証言台でも「会った事実はない」と証言した。杉山の「どうして嘘を言うのですか」という絶叫を聞き流しながら。

部長の甥の小松が、梅谷と結婚したいと言い出した。梅谷もすべてを清算する機会だという。石野も、波風の立たぬ生活に戻ろうと決心した。アパートに行くと、梅谷が学生の松崎と只ならぬ関係を結んでいた。梅谷は、松崎が石野と彼女の間柄をタネに脅迫したのだという。松崎は社に現われ、石野に五万円を要求した。松崎はチンピラの早川(小池朝雄)に借りた麻雀の金に苦しんでいたのだ。石野は三万円で手をうつことにした。約束の日、約束の時間には間があるので、映画を見、アパートへ行った。が、石野を待っていたのは松崎の死体だった。(kinenote 引用)

昭和30年代のオフィスというのは、自分には未知の世界で映画の中で見れるのが楽しい。日経平均の昭和33年から36年にかけての推移をみると、凄いピッチで急上昇している。ある意味エリートサラリーマンにとってはいい時代だったのかもしれない。映画では主人公は東京の西北部に住むとされ、休みには渋谷で遊んでとなると井の頭線の住宅街に住むと推測すべきだろう。新大久保周辺の映像も三丁目の夕日と同じころの東京の姿を鮮明に映し出してくれる。おばさん役でテレビその他で見ることが多い原知佐子が魅力的な事務員を演じる。

主人公は超一流ではないが、名の通った上場会社に勤務していると解説される。月給7万5千円、手取り5万7千円このほかにボーナス40万でるという。昭和35年の年間の株式ダウ平均は約1100円程度今の10分の1くらいだ。月給を10倍と考えると今でいえば年収1300万と上場会社課長としてはまんざらありえる話だ。でもこの年収じゃ女をかくまえないよな。いくらかは援助しているといった程度だろう。

家に言い訳がましく行き先を嘘言って遊ぶことは自分にもある。誰かに会うとは思わないところで、知人に会うこともある。ときおり、あの時間に○×のあたりにいたでしょと言われることもある。でもこの場合はとんでもない事件がからんでいたのだ。会ったと言えば確実に無罪になるのに隠してしまうのだ。自分だったらどうするんだろうなあ?

バックにはペギー葉山の「南国土佐。。」や水原弘「黒い花びら」が流れる。主人公だけでなく、蝶ネクタイをして出勤する人たちが割といる。そんな時代背景を目で楽しむのも悪くない。
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映画「人生劇場 飛車角」 鶴田浩二

2014-04-06 10:29:43 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「人生劇場 飛車角」は尾崎士郎の「人生劇場 残侠編」に出てくる飛車角をクローズアップした1963年の東映映画だ。
主演は東映に移籍間もない鶴田浩二、脇を高倉健が固める。
映画の構想はのちの東映社長岡田茂で、この映画を起点として、すでに行き詰っていた「時代劇の東映」から大きく路線変更していくのである。チャンバラ映画が任侠道の殺陣に代わる。

なんせ始まりが村田英雄の名曲「人生劇場」で始まるのである。これが超渋い。
「や~ると思えば、どこま~でやるさ~」思わず心臓がドキドキしてしまう。村田英雄は自ら出演している。当然鶴田浩二の男っぷりが映画の見どころなんだけど、佐久間良子の哀愁に満ちた姿も美しいし、高倉健の若々しさも好感が持てる。何よりドキッとさせるのが月形龍之介である。東映では「水戸黄門」の黄門さまといった印象が強いが、黒澤明の初期作品「姿三四郎」でも見せる凄味ある表情が円熟味を見せる。彼がこの映画の一番の見どころではないだろうか。

横浜の遊女だったおとよ(佐久間良子)と逃げのびて来た飛車角こと小山角太郎(鶴田浩二)は、小金親分の計らいで深川の裏町に住むことになった。そんなある日、小金一家と文徳組は喧嘩になった。一宿一飯の義理を持つ飛車角は、宮川健(高倉健)と熊吉を連れて文徳一家に殴りこんだ。そこで飛車角は文徳を刺し殺し、吉良常(月形龍之介)と名のる老人に救われた。吉良常は一目みて飛車角に惚れこんだ。
小金の弟分奈良平(水島道太郎)の計らいでおとよと逢った飛車角は、警察に自首、五年の刑で前橋刑務所に服することになった。飛車角の帰りを待つおとよを、奈良平は深川不動の夏祭に誘った。その二人の目の前で小金親分(加藤嘉)が何者かに殺された。奈良平の冷たい笑いにおとよは総てを察した。おとよは逃げた。そのおとよを宮川が救った。そこで二人は同じような身の上であることを知って自然に結ばれた。だが、宮川はおとよが飛車角の女と知って愕然とした。そして悩んだ。
そんな頃、恩赦で飛車角が刑務所を出た。吉良常一人が出迎えに出ていて、おとよと宮川のことを飛車角につげた。飛車角は男らしくおとよをあきらめ、吉良常の勧めるまま吉良へ足を運んだ。吉良で青成瓢吉(梅宮辰夫)と知り会った飛車角は、吉良で骨を埋めようと決心するのだった。吉良常が娘のように可愛がっている料理屋よしだやの娘お千代(本間千代子)も、そうした飛車角を慕うようになった。そうした飛車角のところに宮川とおとよが詫びを入れに来た。飛車角はどうするのか。。。

佐久間良子は何度も「行かないで!自分と一緒に逃げよう」というが、男は復讐のための決闘に向かう。義理と人情の世界である。果たしてこの映画から51年たって、こんな男っているだろうか?終戦から18年たったこのころは、まだ女よりも義理という世界が重んじられていたのであろうか?一方この時代は、左翼思想に基づく裏切りに次ぐ裏切りの世界もある。政治の世界なんかは寝業師だらけだ。義理と人情っていうのはすばらしいなあと思う人物もいたのか?自分はもう生まれていたが、このあたりはわからない。
でもヒットしたのは事実だ。これがヒットしなければ、鶴田浩二、高倉健の任侠物や「仁義なき戦い」シリーズは生まれていなかったかもしれない。

佐久間良子が日経新聞に「私の履歴書」を連載している時に、鶴田浩二との秘密の恋を告白していた。有馬稲子も名前こそださねど市川監督との関係を告白したのと同じである。なかなかの話であった。公然の秘密であったのかもしれないが、現代日本の知識層が誰もが読む連載の中ではドキドキさせるものであった。まさに付き合っている時の2人の絡みなんで、妙に真実に迫るものがある。
しかも、暴漢から守ってくれた高倉健と関係を持ってしまうが、高倉が自分の情夫の元の盟友と知り困惑する場面もなかなかリアルである。このあたりの佐久間良子の若き日の女っぷりもいい感じに映る。

飛車角を支える吉良常を演じる月形龍之介の存在感が凄い。代表作「水戸黄門」シリーズはすでに撮り終えている。黄門さんのパフォーマンスでなんとも言えない貫禄、落ち着きを得た月形龍之介が重厚感ある風格を見せる。極道の道でも一目を置かれる男ってこんな感じなのではないか?軽くなく、逆に黒澤明「姿三四郎」で見せる荒くれ者的な表情のように残虐的イメージもない。映画をしっかり引き締めている。
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映画「暗黒街大通り」 高倉健

2014-02-12 17:07:04 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「暗黒街大通り」は昭和39年の東映映画
東映が徐々に時代劇から方向転換しているころだ。
若き日の高倉健、梅宮辰夫が兄弟分として出ている。映画としては普通だが、高倉健はさすがの存在感だ。
昭和30年代後半の東京が写しだされる。

博徒中万組の中田万造(金子信雄)とグレン隊東京地下警察会長黒岩元(安倍徹)が手打ち式を行っていた。「成金」の刺青をした任侠人忍朝二郎(大木実)は、中万から黒岩を叩くよう依頼された。失敗に終わった後、狙われ自宅で命を落した。忍鉄也、銀二郎、健三の三兄弟は、まだ幼かった。死ぬ前に父からは何があっても三兄弟で行動を共にするように言われた。
元凶を黒岩とみた三兄弟はこの手打式の会場に殴りこんだ。子供ながらに復讐に向かう姿を見て中万は三人を引き取った。
十数年のち、中万は関東総代となり、黒岩はグレン隊の大組織東京クラブのボスにおさまっていた。中万と黒岩は暗黒街で牙を競い合う。鉄也(高倉健)、銀二郎(梅宮辰夫)、健三(待田京介)の兄弟は関西から九州へと流れたが、育ててくれた中万の元へ戻っていた。

中万の長男勝雄が興行主となった人気歌手三条早苗(中原早苗)の公演が黒岩組の手で邪魔されていた。三兄弟は早速に手際良く黒岩組の愚連隊を捌く。中万組には3人と幼なじみである組長の娘(三田佳子)がいた。彼女は密かに鉄也に心を寄せていた。兄弟は彼らの父の通称であった「成金一家」の再興を条件に、黒岩傘下のシマを次々と奪っていった。黒岩組にとっては今や勝雄に代ったこの兄弟の存在が大きかった。黒岩は色仕掛けや様々な方法で兄弟を危地に陥しいれようとしたが。。。

この昭和39年当時の映画製作でアラが目立つ。ストーリーもありがちで大きな変化はない。
ここでは俳優を追いかけるべきだろう。

高倉健の芸歴でいえば、この年は時代劇では「宮本武蔵」の佐々木小次郎役、「飢餓海峡」の刑事役を演じている。任侠映画は前年の鶴田浩二との共演「飛車角」から演じはじめてきている。このころは、演じればすべて主役というわけではない。それでも後年でも感じる彼でなくてはならない強いオーラがある。どちらかと言えば、二枚目俳優の色彩だ。

梅宮辰夫も後年の「仁義なき戦い」あたりと比較すると、まだまだ若い。ピストル扱いの名手で、人気歌手と恋仲になる役だ。相手はのちの深作欣二監督夫人の中原早苗が演じる。梅宮辰夫はある意味同郷で、彼の父上は自分の小学校の校医だった。風邪引いた時よく診察してもらった。母に言わせると、父上の方がハンサムだと。梅宮医院には美人の看護婦がそろっていたのが子供心に印象に残る。

脇役が自分の役割を心得ているのがいい。
金子信雄は「仁義なき戦い」で見せる意気地のないずるい親分役がここでもうまい。この間見た「総長賭博」でも同じようなテイストだった。晩年の料理評論家ぶりもよかった。

安倍徹はこのあといったいどのくらい悪役を演じたのであろうか?自分が初めてドラマを見るようになってから中年になるまで彼は徹底して悪役だった。ここまで徹することが大事なんだろう。

大木実の任侠人も悪くない。

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映画「競輪上人行状記」  小沢昭一

2014-02-06 21:07:10 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「競輪上人行状記」は昭和38年の小沢昭一主演の日活映画だ。
原作は直木賞作家寺内大吉でその後ロマンポルノで数多くの作品を監督した西村昭五郎がメガホンをとる。
その気がないのにやむなく実家の寺を継いだ主人公が、競輪に狂って財産を失い転落していく姿を描く。普通であれば、一気に終りのところが最後にかけて面白い展開を見せる。そこで見せる小沢昭一がいい感じだ。

主人公伴春道(小沢昭一)は坊主が嫌いで中学校の教師をしていた。バレーボールの顧問で女子生徒の指導をしていた。家庭環境がうまくいっていなくて、家出をした教え子サチ子の面倒を見ていた。そんな時、実家の宝寺院の住職兄伴玄道が突然亡くなってしまう。
葬儀で戻ると、住職の未亡人みつ子(南田洋子)は悲しんでいた。そして、父玄海(加藤嘉)から兄嫁と子もお前が面倒をみて、寺を継ぐように言われる。兄嫁はもともと好きなタイプだったが、父親には反撥した。ところが、父は教師の退職願を出してしまう。しかも、オンボロ寺の本堂再建の資金を集めるのに檀家を回ってあるかねばならなかった。資金集めに奔走したがうまくはいかなかった。

ある日、松戸競輪で車券を一枚買ったのが、運よく大穴となってしまう。突然競輪に目覚める。しかし、ビギナーズラックは続かない。徐々にエスカレートした彼はすぐさま有り金を使い、本堂再建費として父親がためていた百万円余りをも使い果してしまうのだ。そうした時父が突然死んでしまう。春道は坊主になる決意を固め、頭をまるめて京都大本山に行った春道は修業の末、下山し寺の再建に精を出すが、競輪狂いの悪い虫がまたでてくるが。。。

ギャンブル狂いの没落する姿を描いた映画は多い。ここでも同様だ。
(ネタばれあり)
思わぬ大穴が出て、次も買ったら当たりそうな気がする。同じように大金を次から次へと車券買いにつぎ込むが外れる一方だ。絶対使ってはいけないお金に手を出すと同時に、ノミ屋にも手を出し、たちまちツケがたまってやくざに追われる。無理やり実家の寺も売りに出される。よくある話だ。

でもここから夢をつなぐ。。。。
最後は公営ギャンブルにいる予想屋だ。坊主の格好をしているからハクがついている。
横には教員時代の教え子が手伝いをしてくれる。身寄りがなく、預けられた家でも虐待を受けた悲しい女の子だ。セリフにも出てくるが、「社会の底辺を彷徨う子」が慕ってずっと付いてくる。頼られるっていうのはいいよね。
もっと早く気がつけばいいのにと思うが、そうはならない。バクチは買う人よりも胴元が儲かる。同じように予想屋も自分で買わなければ、わずかな予想代だけどチリも積もれば山となるといったところだろう。

寺内大吉と言えば、小学生のころキックボクシングの解説をしていたベレー帽のオヤジだ。当時いったい何者と思っていた。まさに生臭坊主ここにありといったところだ。

最初に出てくるのは大宮駅である。自分も現在埼玉居住であるが、昭和50年代半ば以前の大宮は知らない。現在と同じように、ものすごい人ごみだ。同じように昭和37年の「キューポラのある街」にも大宮駅のホームが出てくる。確か大宮の次の駅は蓮田ってホームの看板に書いてあったな。
あとは都内のドヤ街、昭和30年代後半って、自分は生まれていたんだけど、なんか汚いよな。
「三丁目の夕日」のように美化した姿だとどうも違和感を感じる。
これぞ30年代の日本の下層社会だ。

競輪上人行状記
ギャンブル好き特有の転落映画
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映画「女経」 若尾文子、山本富士子、京マチ子

2014-01-27 22:08:14 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女経」は1960年公開の大映映画だ。
若尾文子、山本富士子、京マチ子の最強美人女優にそれぞれ悪女を演じさせるオムニバス映画。
大映は夜のムードを出すのが得意である。コントラストの強い照明計画で3人の悪事を暴きだすように映し出す。これがなかなかいい。
1960年代入りたての風景がカラーでばっちり映る。猥雑な感じがただよう「三丁目の夕日」と同時期の東京の街並みだ。あの映画は時代考証に難ありだけど、その正解はこの映画にあるといった感じだ。

「耳を噛みたがる女」若尾文子
主人公紀美(若尾文子)は隅田川の水上生活者の娘だ。キャバレー勤めで男を巧みにだましては金をまきあげている。その金で兜町に向かい株を買っているしっかり者だ。
紀美はどの男の誘いも交わしていたが、会社社長のドラ息子正巳(川口浩)だけは別扱いだった。2人はデートした後で店で一緒にのみ、そのままホテルの一室へ。
翌朝、紀美が寝ているうちに正巳はぬけ出す。正巳は紀美が商売ぬきで自分を愛していたのかと感じる。この日、正巳は父の命令で好きでもない娘と結婚式を挙げることになっていた。昨夜は、自由恋愛最後の夜だった。やはり自分を本当に愛している女と付き合う方がいいのでは?と正巳は紀美を探しに出たが。。。。

この当時の若尾文子が演じる役はどれもこれもあばずれ女なんだよなあ。
九段の富士見町あたりの芸者役として出てくる「女は二度生まれる」もそうだけど、やらせそうでやらさないで徹底的に男をだましきる。ホテルまで男が連れ込んでも、巧みにウソを言って逃げ切る。男のかわし方はまさに天才、しかも儲けた金は全部株へ。こんな女この当時多かったから、いつも同じような役やるのかなあ??

「物を高く売りつける女」山本富士子
「流行作家三原靖氏失踪か!」と新聞が報じている。三原(船越英二)は海岸の崖っぷちで1人たたずんでいた。その彼の眼前を謎の美女(山本富士子)が横切りドッキリする。
翌日には、三原は砂浜で彼女が泣いている姿に出くわす。女は死んだ主人の手紙を火で焼いているところだった。翌日、門構えのしっかりした一軒家の前を通ると、彼女が立っていた。三原氏は家の中に招かれ事情を聞いた。か細い声の彼女は夫を亡くした美しい未亡人で名は爪子という。そして、風呂をすすめられる。湯舟につかる三原氏の前に白い裸身の爪子が入ってきた。私に背中を流させて下さいと入ってくる。三原氏は思わず興奮してしまう。そして、爪子はこの家は売りに出してあると三原に話す。売値六百万でもうすぐ売られてしまうという。三原は自分がこの家を買うと告げる。
三原は百万円持って爪子の家を訪ね売買契約書は成立する。ところが、翌日三原氏が爪子の家を訪ねると門に置手紙があった。そこには重要な用事で不在になる。売買契約の事務は東京霞町の不動産屋がやると書いてあったが。。。

山本富士子がいい着物を着て、細い声をだしながらおしとやかな雰囲気を出す。
こういう鎌倉美人は実際にいそうだ。おしとやかなフリしてしっかりだます。途中で声のトーンがガラッと変わる。これも悪女だ。でもだまされる船越英二もだまされたふりしながらしっかりしている。このオチはうまい。
山本富士子がお風呂に入る場面は肝心なところを何も見せないのにドキドキしてしまった。

「恋を忘れていた女」京マチ子
お三津(京マチ子)は京都で宿屋を営む。昔は先斗町の売れっ妓だったが、主人に先立たれた後で、木屋町にバー、先斗町でお茶屋を経営している。
死んだ主人の妹弓子が恋人吉須(川崎敬三)と結婚するため金を借りにきた。財産を狙ってきたものと思い、お三津はいい返事をしない。すると、妹からお三津は芸者上がりで打算的で金の亡者でと文句を言われる。お三津は呆然とする。そこへ、お三津の昔の彼氏である兼光(根上淳)から電話がくる。お三津の店チャイカで待っていると言われるが、はっきり返事をしない。
宿屋では、亡き夫の父親五助(中村雁治郎)が部屋で待っていて一緒に今夜寝ようと迫ってくる。お三津はそこを逃れて五助を交わしつつ自分の酒場チャイカへ向う。奥の部屋で兼光は彼女を待っていた。お三津は彼に甘えるように寄り添う。しかし、頼みごとがあるという兼光に手形の割引を切出され一気にさめた。そのとき、兼光を捕まえに刑事が店に入ってきた。兼光は逃げようと必死に抵抗するが。。。

舞台は京都。
金の亡者になった女だ。「いつでもお金の多い方へ転ぶというのは芸者の考え方でしょ。でも私は違うの。私はね、騙されてもいいの」と言われて、腹を立てると同時に恋を忘れていたことに気づく。そんな時昔の男から連絡が来るのだ。途中で京マチ子の動きが変わる。この三話では一番まともな話だ。ちょうどこういうタッチのドラマ昭和40年代に京マチ子テレビで演じていたなあ。バーの経営者という役柄はいつもながら絶妙のうまさだ。

(参考作品)

女経
3人の大女優の悪女ぶりを堪能する


夜の蝶
夜の銀座で張り合う京マチ子と山本富士子


女は二度生まれる
九段富士見の芸者を演じる若尾文子のしたたかさ
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映画「ある殺し屋」 市川雷蔵

2014-01-26 07:51:19 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ある殺し屋」は市川雷蔵が現代の殺し屋を演じる1967年の大映映画だ。

市川雷蔵は若くしてがんに倒れこの2年後早すぎる死を遂げる。大映映画の看板スターだった雷蔵と言えば「眠狂四郎」「大菩薩峠」といった時代劇である。ドーラン化粧をして出てくる彼の姿はまさに妖気にあふれ、冷酷そのもののニヒルな剣豪である。その彼が化粧を落とし素の顔で演じる。この映画は彼にとっては珍しい現代劇である。名キャメラマン宮川一夫の撮影で、森一夫がメガホンをとる。脚本は珍しく増村保造監督によるものだ。
殺し屋としてはちょっと無理があるなあ?というディテイルはあるが、無口に演じる雷蔵はここでもいい。

小料理屋を女中と2人静かに営む塩沢(市川雷蔵)はプロの殺し屋だった。暴力団木村組組長(小池朝雄)から敵対する暴力団組長の大和田(松下達夫)の殺人を2千万円で請け負い、日本舞踊の師匠のふりをして、パーティに忍びこみ難なく針一本で大和田を始末する。塩沢の腕に惚れた木村組幹部の前田(成田三樹夫)が弟分にしてくれないかと現れるが断られる。ひょんなことから塩沢の男っぷりに惚れて、押しかけ女房のように小料理屋に潜り込んできた圭子(野川由美子)という女が加わる。3人で麻薬取引に絡んだ2億円の大仕事を計画する。その一方で前田と恵子の二人は塩沢を裏切ろうとするが。。。

殺し屋と言えば、ゴルゴ31や必殺仕事人を想像してしまう。雷蔵が演じる塩沢は独身、女中と2人小さな小料理屋を営んでいる。殺し屋としての影はない。部屋の中には戦争中の航空隊にいた写真が置いている。暴力団組長の殺しでは「必殺仕事人」のように静かに針で急所を刺す。鮮やかな捌きだ。


ただ本当の殺し屋って「ゴルゴ31」のように単独行動かつ秘密主義で誰かと組むことはありえない気もする。
ここでは、映画として地味になりすぎるのを恐れたのであろうか?野川由美子、成田三樹夫の2人が仲間に加わる。野川は若く美しい。一番いい頃だ。

こういう華もいないと成り立たないということなんだろうが、普通殺し屋だったら、こんな女と組むだろうか?と思ってしまうけど。。。成田三樹夫はいつもながらのいい味を出す。
最初出てきた女中を見て、化粧はしていないが声は同じ。もしかして歌手の小林幸子の若い時?と思ったらまさにそうだった。これは貴重な映像だ。自分が小学生のころは青春もののドラマに出ていた記憶が強い。それよりもウブな映像だ。あばずれ女の野川由美子に追いだされる役だ。

映画は簡潔にまとめられ、おそらくは2ないしは3本だての1本としてつくられた作品だろう。
自分が小学校高学年のころ、五反田に大映の映画館があった。子供のころから親に連れられて、かなり見に行った。勝新太郎は不気味な感じがして、二枚目の市川雷蔵が演じる映画の方が好きだった。特に「忍びの者」が大好きで、彼が死んだ時は死亡を知らせる記事を一日中見ていた。そして間もなく大映は倒産する。その流れもあり、今でも市川雷蔵の映画は好んで見ている。今生きていれば82歳で老人になってもいい役者だったんだろうなあと思うが、寿命だったのであろう。
当時の日本映画としては、かなりスタイリッシュな色合いが強い。

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映画「博奕打ち 総長賭博」 鶴田浩二

2014-01-25 05:51:20 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「総長賭博」は東映やくざ映画でも名作の誉れが高い1968年の映画である。

「仁義なき戦い」笠原和夫による脚本を陸軍上がりの山下耕作が監督する。
当初は客入りも悪く、2人は東映の岡田撮影所長(のち社長)から絞られたそうだ。ところが、三島由紀夫がこの作品を絶賛する。当時はヤクザ映画への評価は低いころだった。一転注目を浴びるようになる。


鶴田浩二を初めて知ったのは小学生の高学年のときだ。当時ヒットチャートマニアになりつつあった自分は、毎週トップ10を確認していた。ポップスが主流のときに、ヤクザと思しき和服を着た男が耳に手を当て歌う姿が何かいやだった。何でこんな歌ヒットするの?と思っていたが、トップ10にはずいぶん長くとどまっていた。「傷だらけの人生」である。その頃の自分には鶴田浩二の良さは全くわからなかった。その後も彼を好きになったことはなかった。

ところが、映画を数多く見るようになるとヤクザ映画にたどり着く。その手の類に無縁な自分が鶴田浩二の男っぷりのよさにドッキリしてしまった。その映画が「博奕打ち 総長賭博」である。総長賭博とはいうものの博打の現場をずっと映すわけではない。任侠道の筋を通す通さないの話が続く。


昭和9年、天龍一家の親分荒川が脳溢血で倒れる。跡目を決めるために幹部が集まり、そこで中井(鶴田浩二)が推薦される。中井は自分は元々よそ者だといい、生え抜きの兄弟分で服役中の松田(若山富三郎)を推した。しかし、松田の出所まで待たねばならない。そこで組長の舎弟である仙波(金子信雄)は弟分の石戸(名和宏)を跡目に決定させる。一家では全国の親分集が集まる花会に準備にかかっていた。そこでお披露目ということになる。中井は石戸の跡目昇進には不満が残ったが、幹部が集まって決まったことは従うしかないと受け入れた。

時期が来て、松田が出所することになった。中井は松田組の組衆とともに出迎えに行った。中井は石戸に親分が決まったことを伝えた。松田は予想外の話に憤慨する。松田が出所した天龍一家の幹部への挨拶で、松田は不満をぶつけ、跡目の石戸に反逆する。中井は説得するために松田に会いに行く、今にも殴りこみに出ようとする松田を自分の顔を立ててくれと説得する。
松田はしぶしぶ応じた。ところが、松田組の若い衆が石戸の元へ夜襲をかける。石戸の若い衆は憤慨して、松田の元へ殴り込みをかけようとするが。。。。


鶴田浩二のセリフが冴える。
「一家として決まったことをのむのが、渡世人の仁義だ。白いもんでも黒いと云わなくちゃならねぇ。それぐらいのこと知らねぇ、おめぇじゃねぇだろう」
ビジネスの世界ではよくある話、会社の方針が気に入らなくても受け入れねばならないことがある。
自民党の郵政民営化を反対した議員が冷や飯をくった事件が記憶に新しい。
今回は跡目の決定について、思惑とちがったが、受け入れざるを得ない状態だ。

「こんなちっぽけな盃のために、男の意地を捨てなきゃならねぇのかい」
兄弟の杯だ。その盃を残しているのである。

「これがおめえと五分の盃を交わした兄弟の盃だ。おめぇがどうしてもドスをひかねぇってんなら、俺はこいつをここで叩き割って、おめぇの向こう口に廻るぜ。俺の任侠道は、それしかねぇ」

鶴田浩二は上層部の決定が気に入らないので殴りこみをかけようとする若山富三郎に向ってこのように言うのだ。
そこまで兄弟分に言われればといったん若山富三郎は方針を受け入れるのであるが。。。


こんなセリフ、鶴田浩二が言うからかっこいい。
韓国の新しいヤクザ映画「悪いやつら」を見た。いいと思うけど、背筋に電流は走らない。
この映画は鶴田浩二の男っぷりに感動するのだ。それだけではない。若山富三郎も迫力があっていいし、この2人を切り返しショットで片方だけを映すのではなく、一緒に撮る。しかも長回し、そこにはとんでもない緊迫感が走る。

金子信雄は「仁義なき戦い」で見せるのと同じようないい加減な親分ぶり、お姫様女優桜町弘子の姉さんぶりが感動を呼ぶ。
確かに傑作だ。
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