goo blog サービス終了のお知らせ 

映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「本を綴る」

2024-10-06 21:49:13 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「本を綴る」を映画館で観てきました。


映画「本を綴る」は本屋が日本から次々となくなっていることに寂しさを感じる作家が栃木、京都、香川と町の本屋をまわる話である。ロードムービー的に各地で新しい出会いがある。監督はベテラン篠原哲雄で、脇役での登場が多いメンバーで構成されるまさにインディーズ系の映画だ。

破壊的な場面が多そうな映画とか今週の新作はのれそうにない新作が揃い、この映画を選択する。ヤクザ映画の殿堂だった跡地にある映画館では、東京で一館のみの公開で満席だった。年間本200冊読了が個人目標で今年はすでに達成している自分には本屋の話は親しみがもてる。

小説が書けなくなった作家一ノ関(矢柴俊博)は、全国の本屋を巡りながら本の書評や本屋のコラムを書くことを生業にしている。一ノ関にはベストセラーがあるが現在新作が書けていない。

那須の図書館でのイベントで講師となった一ノ関は図書館司書の石野(宮本真希)とともに森の中にある小さな本屋を訪れる。古書を探している時に、本に挟まった恋文を発見する。宛先は京都だ。送付先に届けるために京都へ向かう。


京都には学生時代の友人が書店の店長をやっていた。人伝に恋文の送付先の消息をたどると、本人は亡くなっていた。それでも孫娘花(遠藤久美子)が錦市場の近くで小料理屋をやっていることがわかり立ち寄る。花には婚約者がいたが、香川で人助けで溺れて亡くなっていた。香川に一度行ってみたらどうかと花を誘い出す。書店訪問で向かった香川で再会して花とともに婚約者の墓参りに向かう。

本屋愛に満ち溢れる心温まる快作である。
人気俳優がいない配役だ。それが公開館が少ない理由だろう。主役の矢柴俊博の出演作は観たことある作品が多いけど記憶にない。傑作という映画ではない。末梢神経を刺激するようなシーンもない。でも、本と書店に対する愛情がにじみ出ていてムードがあたたかい。好感がもてる。

古本に挟まっていた恋文を持参する話、作家の主人公が以前本で書いた廃村にかかわる人物を探す話などを書店巡礼にあわせて混ぜ合わせてストーリーの基調とする。主人公一ノ関はダム建設のために廃村になった町のことを書いてベストセラーとなったが、その村の住人からクレームを受けて新しい小説が書けなくなった。そんな挫折自体は驚くような話ではないが、うまく絡めた印象をもつ。

主人公が巡る各地の風景は建物も含めて十分目の保養になる。ロードムービー特有の楽しみだ。那須塩原市図書館みるるは広がりのある空間と階段のあるフロアに特徴がある良くできている設計だ。京都では廃線跡と思しき線路を歩く。香川県観音寺では今まで見たことのない海を見渡す絶景の場所にある高屋神社や海岸線に沈む夕陽の美しさが堪能できる。高屋神社は特にすばらしい。


⒈町の本屋への思い入れ
いきなり閉店した本屋の前で立ち止まる主人公の姿が映る。町の本屋の経営がきびしいのも時代の流れだろう。ものすごい勢いで本屋がなくなっている。残念だ。ネット販売で購入することも多いけど、本屋で実際に立ち読みしないとムダな本を購入してしまう。そういった意味では本屋がないのは困る。自分の主戦場は神保町の東京堂書店、新宿のブックファーストと紀伊國屋、池袋のジュンク堂だ。本屋は書店員の目利きが重要で、平置き本でそのセンスがわかる。

那須の本屋はこんな場所に来る人がいるのかな?という場所にある。京都や高松でも本屋を紹介する。なくなった本屋の本を引き取りミニバンで運んで販売するのも映し出す。


⒉京都の小料理屋の女将
この主人公が世帯持ちなのかどうかの言及はない。栃木、京都、高松それぞれの場所で美女に遭遇する。主役の矢柴俊博も気分よく仕事ができただろう。那須の図書館司書は宮本真希で、25年前に深作欣二監督作品「おもちゃ」に出演した時に観ている。歳はとったがより魅力的になった。

京都で古本の中に挟まった手紙の持ち主に会おうとして、結局亡くなっていて孫娘に会う。遠藤久美子が演じる。以前は出番も多かった。それにしても長らく映画を観ていて、小料理屋の女将役でこんなに素敵な女性を見たことがない。センスの良い着物で接客する姿がいい。建物も素敵だ。こんな店近くにあったら多少高くても通うだろうなあ。


エンディングロールで歌声が聴こえる。聴いたことある声だ。アスカだなと思ったけど自信がない。その直後にクレジットにASKAとあり感動する。色々と問題も起こしたが、健在ぶりがわかってうれしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「傲慢と善良」 奈緒&藤ヶ谷大輔

2024-10-04 10:08:30 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「傲慢と善良」を映画館で観てきました。


映画「傲慢と善良」辻村深月の原作を「ブルーピリオド」萩原健太郎が監督で映画化した作品である。原作がベストセラーだけど未読。本屋でこの表紙よく見かけたなあ。辻村深月原作の映画化では「朝が来る」「ハケンアニメ!」いずれも自分の好きな作品だ。直近のアニメ作品は観ていない。漫画原作の多い昨今の日本映画事情を考えると文学系では公開作品は多い方だ。

ビール会社を経営する青年実業家の架(藤ヶ谷大輔)マッチングアプリで婚活をはじめ、数多くの女性と会ってきた。いずれもピンとこなかった時に出会った真実(奈緒)に好感をもち付き合いをはじめる。1年経ち結婚に踏み切れなかった架に真実がストーカーの存在を告白する。保護するために架の家に移り住み婚約の流れとなったその時に、真実が突如失踪する。


手がかりを得るために群馬の実家に行くと、母親(宮崎美子)から東京に行ったのでこうなったと小言を言われる。お見合い相手がストーカーだったのではとお見合いをセットした県会議員夫人(前田美波里)に会い、2人のお見合い相手にも会った。でも疑うような気配はなかった。一方で架の女友達が以前紹介した真実と会った時の話を聞き、架は真実の真意を確認して呆然とする。

主演2人に好感がもてる現代版ラブストーリーである。ただ不自然さが残る。
会社の若手に結婚式のスピーチを頼まれ、なれそめを聞くと婚活系で結びついたケースが増えてきた。照れながら話す新郎によると、休日のホテルのラウンジで2人で待ち合わせをすると、周囲には同じような男女が大勢いるそうだ。娘の友人にもマッチングアプリで男女とも美男美女の幸せな結婚をしているカップルもいる。マッチングアプリの出会いは怖そうな感じもするが、決してレアケースではない。

この映画での奈緒が演じる真実は自分も引き寄せられる女の子だ。藤ヶ谷大輔が演じる架が数多くの女性に会ってきてピンと来なかったけど、彼女を選ぶ気持ちはよくわかる。小説の設定が未読なのでわからないが、映画を観るとそう思える。ところが、彼氏の方がなかなか結婚しようと言わないので、女性が口には出せずに心配しているのだ。そこでトラブルにつながることが発生する。よくあるような話に見えるけどどうなんだろう。女性が気を引くためにウソをつくことはよくあることだ。

ただ、映画を観ていて、強引な設定が多すぎる印象をもつ

1,男性側の昔の女友達との奇妙な偶然
映画の中ではキーポイントとなる部分だけど、偶然にしては出来過ぎの設定に感じる。架の友人にホームパーティに誘われて2人で参加した時にいた架の女性の友人がいる。その2人に奈緒が送別会が終わる時に偶然会うのだ。そこで誘われて3人で飲みに行き、架が2人に語った奈緒の評価に加えて、もしかしてあなたの行動が狂言ではないかと言われるのだ。

映画ではむちゃくちゃ女のいやらしさが露呈する場面に見えるけど、そもそも自分の送別会で職場の人に囲まれている中で、一度あったきりの女性たちと一緒に飲みに行くかしら?という設定が強引な気もする。しかも、いくらいじわるな女性でも平気でこんなこと言うのか?との疑問は残る。

2.宮崎美子にはめずらしい役
真実が失踪して、あわてて架は行方を探す。群馬前橋の実家で母親に会うとイヤミを言われる。この母親は宮崎美子には珍しい嫌な女の役だ。父親は県庁勤務で仕事を終え、周囲も県内で勤める人が多く母親は地元の女子大に行かせてお見合いで結婚させるつもりだった。姉は違った道を歩んで自立して生活しているので、なおのこと次女に期待する。東京に行ったのがそもそも間違いで、自営業の人と一緒になるのもどうかと架を前にして言う。自分の価値観に凝り固まっている。そんな感じの話し方をする宮崎美子をはじめて見た。こういう役もするんだ。

自分の大学の時の友人で県庁の上級職に合格して郷里に戻ったのが2人いた。片方の場所は北関東で自分が転勤でそこに住み付き合いがあり、片方は九州でよく遊びに行った。家族にこんなイメージの人はいない。2人とも局長クラスで県の職務を終えたが、周囲にこんな価値観をもつ家族のいる家があるのだろうか?県職員って良い人が多くその家族も違う気がするけどなあ。


⒊前田美波里
ストーカーに追われているのを真実が告白して、架は以前お見合いをした人と何かがあるのでは?と母親が信頼している県議会議員夫人に会うことになる。お見合いの斡旋をしている。演じているのは前田美波里だ。静かに話すのだが、ドスが効いていてものすごい迫力だ。誰もが驚かされるだろう。でも、若き日のボリューム感あふれる肢体を知っている若者は少ないだろう。

昭和40年代前半、前田美波里は当時としては異色の存在で加山雄三の若大将シリーズなどでそのエキゾティックな姿を観ることができる。自分は大学生の時に30代になったくらいの前田美波里のショーを六本木の今はなきクレイジーホースで見た。目の前で見る前田美波里の躍動感あるダンスにただただ圧倒された記憶が鮮明だ。


群馬でのシーンのいくつが印象深い。お見合い相手2人のキャラは対照的だけど、地方都市の人にありがちの雰囲気がよくでていた。佐賀でのシーンもロケ地の設定も含めて自分にはよく見えた。西田尚美がよかった。

4.奈緒は嫌われているのか?
自分のブログで奈緒主演の「先生の白い嘘」のアクセスが妙に多い。8月も9月も7番以内に入って、近作ではもっとも多いアクセスだ。なぜなんだろうといつも思っている。前作同様、奈緒は好演なのに映画.comの評価が悪い奈緒女に嫌われるタイプの女性なのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「黒蜥蜴」 丸山(美輪)明宏&三島由紀夫&深作欣二

2024-10-02 18:52:40 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒蜥蜴」を名画座で観てきました。


映画「黒蜥蜴」江戸川乱歩の原作を三島由紀夫が戯曲化したもの1968年に映画化した。深作欣二監督、丸山(美輪)明宏主演で三島由紀夫も自ら特別出演している豪華な顔ぶれだ。直近の名画座作品ではもっとも見逃せない作品だ。DVDはなく名画座以外では観ることができない。京マチ子版の「黒蜥蜴」もあり、ブログにアップした。京マチ子の妖艶な姿もすばらしい。でも、この戯曲は三島由紀夫が丸山明宏のためにつくった戯曲だ。56年前だけに古さを感じる部分はあってもやはり役者の貫禄が違う。

富豪の宝石商岩瀬の元に高価なダイヤ「エジプトの星」を強奪して娘早苗(松岡きっこ)を誘拐するという脅迫状がくる。岩瀬は名探偵明智小五郎(木村功)に警護を依頼して大阪のホテルに滞在する。その隣には岩瀬の旧知の有閑マダム緑川夫人(丸山明宏)も滞在していた。早苗は緑川夫人から亡くなると見せかけて山川と名乗る雨宮(川津祐介)を紹介される。2人が部屋で歓談しようとする隙に早苗を拉致して雨宮は大阪駅から新幹線で東京へ向かう。緑川夫人が黒蜥蜴だったのだ。明智小五郎が手を回していたおかげで早苗は助かる。黒蜥蜴はその場を得意の変装で逃げ切る。

その後、岩瀬家の自宅に再度脅迫状が来て,用心棒を大勢雇って警察も厳戒体制をとっていた。それなのに黒蜥蜴は手段を選ばず、岩瀬家の家政婦が誘拐に加担して早苗を誘拐するのである。

若き日の丸山(美輪)明宏を観るための映画だ。
ここまで錚々たるメンバーが集まる事は滅多にない丸山明宏演じる黒蜥蜴は妖艶で,変装したときの男装の麗人ぶりは宝塚人気男役のような美的感覚だ。

もともと戦前に江戸川乱歩が書いた小説を昭和30年代に三島由紀夫が戯曲化したわけで、古くさいのは仕方ない。令和の世で考えると、高額のダイヤ泥棒とかもいそうもないし、誘拐の設定もこんな安易にできるわけがない。防犯カメラもあるし、たやすく黒蜥蜴が逃げれるわけがない。そこを突っ込むとキリがない。昭和40年代の子供向けキャラクターモノの実写版TVを見るような感じだ。

現代から見ると稚拙に見える映像も、俳優の貫禄でほぼカバーしてしまう。丸山明宏のナイトクラブのショーを観るような感覚だ。明智小五郎に対して見せる恋心がこの戯曲のポイントなのに明智小五郎役の木村功は適役だったかな?との疑問をもつし、川津祐介も普通。その中で特に良かったのが当時21歳の松岡きっこだ。これがとびきり美しい。大きな眼に眼力を感じる。夜の番組に登場して、その色気に圧倒されて子供心に魅力的な女性だと思っていた。


三島由紀夫自ら生人形役ででてくる。切腹する2年前だ。黒蜥蜴の手によって殺された死体を剥製化した人形となる。特にセリフはないが、肉体美をやたらと誇示したがる三島由紀夫だけに裸を見せつける。黒蜥蜴の棲家には以前写真で見た三島由紀夫の自宅を思わせる美術品や調度品が置いてある。三島自身に黒蜥蜴には思い入れがあるようだ。



音楽は冨田勲だ。後にシンセサイザーで有名になる富田勲がジャズやバロックや様々な音楽を混ぜたバックミュージックでサスペンスを盛り上げる、いきなりゴーゴー喫茶のような謎のクラブが出てくる。サイケデリックが流行の頃だ。緑川夫人がオーナーのクラブで黒蜥蜴こと丸山明宏も妖艶な姿を見せる。店の感じが自分が小学生だったときのサスペンスにつきもののクラブの雰囲気で、自分は小学生時代に戻ったような感覚を持つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「Cloud クラウド」 菅田将暉&黒沢清

2024-10-01 06:42:58 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「Cloud クラウド」を映画館で観てきました。


映画「Cloud クラウド」黒沢清監督菅田将暉と組んだサスペンスタッチの新作である。菅田将暉だけでなく、共演者の窪田正孝、古川琴音、岡山天音、奥平大平など最近の映画でいずれも主演を張る豪華メンバーだ。正直言って、黒沢清監督の最近の「スパイの妻」「蛇の道」はいずれも自分にはイマイチな作品だった。本作は題材が転売ヤーというネット社会でやりやすくなった商売をクローズアップするので気になる。

吉井(菅田将暉)は町工場に勤めるかたわら「転売ヤー」として格安で仕入れた物品をネットでさばいて利ざやを得ている。工場主(荒川)から職場リーダーへの昇進を打診されたり、転売屋の先輩村岡(窪田正孝)からの共同事業の申出をいずれも断る。感情を押し殺すクールな男だ。転売に専念するために恋人の秋子(古川琴音)と田舎の湖の辺りにある家に移り住む。ただ、その頃から何かに追われる感覚に襲われるようになる。


移転先の事務所で従業員として佐野(奥平大兼)を雇い仕事を始めた矢先、寝ている時何者から家に物を投げつけられる嫌がらせを受ける。警察署に届けに行くと、逆にニセブランドを販売しているのではとのタレコミがあると聞き慌てる。ネット上SNSでは悪いコメントが増えてきていた。ニセブランド品を再転売したことで被害を受けたネットカフェ住民の三宅(岡山天音)などの被害者たちがお互いの素性がわからないままにネットで共闘する動きも出てくる。そして、実行犯が徒党を組んで吉井の棲家に乗り込んでいく。


これまでの黒沢清作品よりもおもしろく観れた。
恐怖の醸し出し方が巧みである。前半から中盤にかけて何度ものけぞった。


菅田将暉演じる主人公は現実にいそうな人物である。「安く仕入れて、高く売り、利ザヤを取る商行為」は何も悪いことではない。ただ、ニセブランド商品などを販売すると犯罪だ。そこにはコンプライアンス上の一線が引かれているのに、吉井は割と安易で買い側からクレームが出てくるわけだ。

吉井の身の回りで不審なことが起き始める。誰もが吉井を狙っている。そんな状況をスリラー的に見せてくれる。うらみからなる誹謗中傷がネットを通して増幅し、集団が狂気の状態だ。破壊集団へと姿を変え暴走するのだ。ネット社会の恐怖である。次第に吉井は追い詰められる。

窪田正孝や岡山天音は直近で演じている異常人物のテイストを取り入れてこの映画の役柄に没頭した。古川琴音もいつもながらのほんわかした雰囲気だが、サスペンスになると違う局面を見せる。今回、黒沢清の俳優の起用と使い方はうまいと感じる。


⒈安く仕入れた品物を売るのは別に違法行為ではない
映画が始まってすぐに,工場主がもともと1個あたり400,000円で作った電子治療器を1箱3000円で30箱主人公吉井に売るシーンがある。それを高く転売して主人公が儲けるわけだ。売らざるを得ない状況になった男女が買い取る吉井にクレームをつけるシーンがある。もともと原価は高かったんだよと。

なんで文句を言われなければいけないのかな?と見ていて思った。別に悪いことをしているわけではない。安くてイヤだったら他の人に売ればいい話だ。これを見て、いつもながら黒沢清は意味不明な場面を作るなあと感じる。巨匠になりすぎで周囲からおかしなことも指摘されないのかな?毎回常識ハズレのシーンがある。

例えば直近で大きく業績を伸ばしているドンキホーテも、普通の定番品とこういったバッタ品も含む安く仕入れて売るスポット商品を組み合わせて利益を上げてきたのだ。商売の道理に反していないのにこれをクレームの形にして,しかも最後の復讐場面でこの売り主を入れることが不思議だ。工場主も同様だ。

⒉ネット社会の狂気
転売屋吉井の評判はネット上で最悪になっていく。きっかけの1つは10,000円で仕入れた高級ブランドバックを100,000円で売ったのが偽ブランドだったこともある。安く買って高く売るのは通常の商行為と言ったが,さすがに偽ブランドになると違う。警察に今度調査しようかと言われて、慌てて損失覚悟で価格を大きく下げる。

この辺りから恨まれることが多くなっていく。ネットでこういった被害者たちが集結する状況になる。お互いに名前を知ることなく,一緒になって転売屋を攻撃するのだ。おそらくこんな事は世間でもあるだろう。それにしても、この暴挙に普通だったら関わらないような人間が加わってラストに向かう。かなり大げさだけど、現実の世界で絶対ないことではない。


(ここからネタバレに近い)
⒊助っ人佐野の謎の存在
湖のそばの一軒家に事務所を構えたときに,採用したのが奥平大兼が演じる佐野だ。学校を出てなかなか良い仕事に恵まれない男だったと言うが,この映画は最後に向かって急激にこの佐野の存在感が強くなっていく。

まず、吉井の事務所兼住処にものを投げつけた男を捕まえる。吉井に嫌な思いをさせられた男たちが徒党を組んで、集団で吉井を懲らしめようとする。そのときに、佐野が銃を持って吉井を守る「孤独のグルメ」松重豊が演じるいかにも謎の男から佐野が拳銃を引き取る場面がある。吉井を懲らしめようとした男たちを撃退する中で,転がっている死体を自分に任せれば全部処理すると言う。われわれに裏社会に通じた男と感じさせようとしている。


そんな佐野の正体が何か?、最後に向けて佐野の存在の真相がわかる場面が出てくるかと思っていたが,結局謎を残した。なんでこんなに吉井を助けるんだろう。

実は、自分のパソコンを覗かれたということで、吉井は佐野をクビにしている。縁がなくなったはずだ。それなのになんでこんなに身をもってかばうのか?普通ではあり得ないことが最後に続く。芥川龍之介「薮の中」では真犯人がわからないまま大きな謎として残った。同じような感覚で佐野の正体についても解釈できるのではないか。あえて深入りしない黒沢清のうまさをこの映画を見て感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「西湖畔に生きる」 

2024-09-29 19:48:04 | 映画(中国映画)
映画「西湖畔に生きる」を映画館で観てきました。


映画「西湖畔に生きる」は中国映画、前作「春江水暖」で古い中国の雰囲気をにじませる映画を送り出したグー・シャオガン監督の作品である。前作は自分も魅せられた好きな映画である。前作同様杭州が舞台、直近でワンイーボー主演のダンス映画「熱烈」も都市開発が進み高層ビルが立ち並ぶ杭州を映し出していた。題名の西湖も出てくるが、郊外の中国茶の段々畑をドローン撮影で俯瞰して美しく映し出す。

杭州市の郊外に暮らす母・タイホア(ジアン・チンチン)と息子・ムーリエン(ウー・レイ)が2人きりの母子だ。10年前父は家を出て行方がわからず、タイホアは山の茶畑で茶摘みの仕事をしている。息子は大学出ても就職先が見つからず、やっと見つけた仕事も老人向け健康器具販売で詐欺まがいですぐ辞めた。タイホアは、茶畑の主人チェンと一緒に暮らすつもりが、その母親の逆鱗に触れ茶畑の仕事からを追い出される

一緒に辞めた茶畑での同僚の兄弟がいる会社に行こうと誘われて行くと、「足裏シート」を販売する会社だった。会社に行き集団で説明を聞き、違和感を当初持っていたタイホアも気がつくと周囲の熱狂に押されてマルチ商法の罠にハマっていた。


山水画の雰囲気を持つ風景の美しさと現代中国のドス黒い部分のコントラストが強い傑作だ。梅林茂の中華テイストの音楽が映像にピッタリと合う。
スタートから杭州郊外の緑あふれる段々畑をドローンで映す。小動物が動き回る田園風景の中で母子を映すカメラワークも柔らか「山水映画」の色彩が強いと思いきや一変する。


最近の日本では話題にならないが、まさしくマルチ商法の世界である。こういう悪い連中の拠点に行ったらマズイと言わんばかりだ。現代中国ではこういう詐欺がいまだに続いているのかもしれない。うさん臭い中国裏社会を描いた映画はどれもこれもおもしろい

⒈マルチ商法の手口
お茶摘みの同僚と一緒に勧誘される人たちが乗る大型バスに乗って行く。バスの中から洗脳が始まっているのだ。組織の女性が巨万の金が入ってくるよと集団全員に訴える。その勢いで現地に着くと、みんなを狂乱の渦に落とすショーのようになっている。足裏シートをたくさん売ってマネジャーになれば1000万元入ってくるよと主催者側が叫ぶと周囲は大歓声だ。母親のタイホアは疑心暗鬼だったのにだんだん周囲の勢いに同調するようになる。悪夢のような世界だ。

新興宗教にしろマルチ商法にしろ洗脳の構図は一緒だ。誘われて先方のホームグラウンドにいる時点でもうダメだ。この手の詐欺話は韓国映画に多いけど、中国でも詐欺は横行しているのか?前作は立ち退き問題を取り上げたが、今度は明らかな犯罪だ。


⒉詐欺に引っ掛かる母親と元に戻そうとする息子
最初の勧誘のシーンからしばらくして母親と息子がゴンドラのような小舟に乗って対面するシーンがある。もともとスッピンに近い母親がチリチリの髪でドギツイ化粧に変身する。完全に組織を信用している。息子は足裏シートを試すが、母親の部屋に行ってびっくりだ。商品の足裏シートの箱が部屋の中に大量にある。どうしたんだと聞くと、家を売って資金に充てたと。財産をぶっ込んだと聞き息子は大慌て。そして、組織を信じる母親の一方で懸命に母親を救おうとする。


こんなシーンを観ていると、安倍元総理の暗殺事件の犯人山上を連想してしまう。母親が統一教会に次から次へとお金を入れ込むことで、巡り巡って鉾先がとんでもない方に向かった。常軌を逸する行動でとても許されないことだが、犯人の気持ちは世間には通じて統一教会への締め付けが厳しくなった。この映画では息子はあの手この手でなんとか母親を助けようと奮闘する。

⒊西湖畔の美しさ
中国史の中でも古くから取り上げられる湖だ。杭州が舞台の映画「熱烈」では高層ビルが立ち並ぶ映像が多く、トレーニングシーンで湖畔が少し出ただけだった。マルチ商法の勧誘を西湖上の船で行ったり、歴史的な建造物の雷峰塔が出てきたりする。寺院を含めて建物の選択のセンスはいい。

この映画ではドローン撮影が効果的に使われている。先日観たノルウェーが舞台の「ソングオブアース」でもドローンから俯瞰して見る氷河や雪山の映像が良かった。時おり空を飛ぶ夢を自分が見て、地上を見渡して気がつくと目が覚める一歩手前のような風景が出てくる感じがいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「憐れみの3章」 エマストーン

2024-09-28 19:07:55 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「憐れみの3章」を映画館で観てきました。


映画「憐れみの3章」はアカデミー賞作品「哀れなるものたち」ヨルゴス・ランティモス監督の最新作である。「哀れなるものたち」同様にエマ・ストーンが出演し、ウィレム・デフォー、ジェシー・プレモンスとともに異なる3つの物語を演じる。ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス監督は毎回奇怪な発想の新作を発表している。これも異様な世界だ。

それぞれの要旨は次のようになっている。

第1話
日々の行動から食事、妻との性生活まで社長(ウィレム・デフォー)の指示にひたすら服従する男性(ジェシー・プレモンス)がありえない無理難題を突きつけられる話



第2話
海で遭難した海洋学者の妻(エマ・ストーン)が奇跡的に帰還したのに警官の夫(ジェシー・プレモンス)が妻に対して尋常じゃない要求をする話



第3話
カルト教団に取り憑かれて死んだ人物を生き返らせる特別な霊能者を探す女性(エマ・ストーン)の話



常人では理解しづらいわかりづらい話だ。
映画を観ながら、訳がわからないなあと感じていた。ヨルゴス・ランティモス監督は常人と違う発想をもっているようだ。自分はついて行けない。正直感想アップするか迷った。備忘録としておく。前回の「哀れなるものたち」は人造人間の話だけど、理解不能という流れでなかった。今回は困ったなあと思いながら席は立たず最後まで観る。本を読んでいるのであれば途中でやめてしまうような気分だ。映画宣伝に何度も観たくなると書いてあるが、もうコリゴリ

第1話より第2話の方がわかりやすい。海で遭難した妻がせっかく生きて戻ってきたのに夫は違う別人だと言い張る。「哀れなるものたち」もきわどいファックシーンが多かったが、第2話も変わらない。エマストーンも前回同様裸体を見せる。眉毛のメイクも前回同様だ。撮影時期が変わらなかったのだろうか?エマストーンは前作から妙に変貌してしまい、少し前のイメージが消え失せ色きちがいのようだ。

マットデイモンにそっくりのジェシー・プレモンス演じる警官も変に見えてくる。食欲がない。食事を出されても食べない。そんな時に妻に親指を詰めて炒めてくれと要求する。このあたりのシーンが強烈だ。


第3話もよくわからない。オ◯ム真理教ばりに超能力に狂う。死人を蘇生する霊能者を探し出す
ということで訳のわからない世界に入る。困ったものだ。
ただ、美貌の女性たちが次から次へと脱いでいくのはサービス精神旺盛かもしれない。でも意味不明?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「侍タイムスリッパー」

2024-09-27 15:24:16 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「侍タイムスリッパー」を映画館で観てきました。


映画「侍タイムスリッパー」はいわゆるインディーズ的サムライコメディである。 8月中旬に日経新聞の映画評をみてこれはおもしろそうと思っても、ほとんどやっていないし時間も合わない。縁がないのかな?と思っていたら、ここにきて一気に公開館が増えた。珍しいパターンで気になる。

幕末の侍が決闘している最中に落雷が起きて気がつくと時代劇の撮影所にいたなんて話だ。うらびれた映画館ではなく東京のど真ん中で劇場の大画面で観た。かなり映画を観ている自分でも知っている俳優はいないし、監督の安田淳一も知らない。先入観なくともかく観てみようという気持ちで観ると確かにおもしろい

とりあえず、作品情報を引用する。

幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門(山口馬木也)は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。
やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所


新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。(作品情報 引用)

現代の京都が舞台なのに時代劇ファンでも楽しめるおもしろさだ。
気がつくとタイムスリップという映画は数多いが、気がつくと現代の時代劇撮影所に幕末から来てしまうなんて発想がおもしろい。目を覚めると時代劇撮影所内の江戸時代の町並みだ。そこで悪党が庶民をこらしめている場面に出くわす。思わず正義の味方の武士に加勢するので撮影中のスタッフが当惑するなんてお笑いだ。

最初のシーンだけ幕末だ。まさに薩摩の武士を斬ってやろうとする会津藩士が主人公だ。決闘中に稲妻で気づくと、時代劇撮影所なのだ。撮影中に割って入り邪魔をして、女性助監督から「どこの事務所の方ですか?」「別の撮影現場じゃないですか?」と言われる。まさか幕末からタイムスリップとは夢にも思わなかった。


途方に暮れて町を歩くと、決闘をした時の寺の門にたどり着くではないか!でもそこで寝てしまって朝起きると寺の住職に助けられるのだ。しかも、その寺は時代劇のロケで使われていて、撮影所の女性助監督に連絡がいくわけだ。結局、記憶喪失になった人として扱われる。そして寺のロケで役者が急病になり、急遽斬られ役で起用されるのだ。


斬られ役でふつうに展開していった後で、有名俳優から共演したいとオファーが来る。ここで幕末を引きずった出会いがある。ここからグッとおもしろくなる。この出会いの内容は映画を観てのお楽しみに願いたい。話が出来過ぎでも、その偶然がなんかありそうな気がするストーリーだ。最後に向けてはこの映画の結末をどう落ち着けるのか予想がつかず一瞬ドキドキしてしまう。そんな緊張感をもてる映画だ。

自主映画とはいえ、そうは見えない。いくつかのコメントで「カメラを止めるな」との共通性を言う人もいたが、それは違う。この映画の方がレベルはずっと上だ。撮影した映像はしっかりしていて、大劇場の大画面にも耐えられる映像だ。これは監督の安田淳一の力だろう。履歴をみると、撮影技術には長けているようだ。衣装も殺陣も無名揃いの俳優さんもよかった。


京都だからできた映画でもある。おもしろい台本なので、東映京都撮影所が場所を提供してくれたのも超ラッキーだろう。時代劇愛を感じる心意気がすばらしい。京都は歴史が古く、昔の建物の門がそのまま残っている設定も全く不自然でない。いくつかの寺からも協力してもらったのも運がいい。メンバーを見ると確かにカネがなさそう。でもいい映画ができてよかった
普段映画を観ない中高年以上の人に薦めたい作品だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」吉沢亮&呉美保

2024-09-26 18:20:00 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を映画館で観てきました。


映画「ぼくが生きてる2つの世界」は耳の聞こえない夫婦のもとに生まれた男の子(コーダ)を吉沢亮が演じる成長物語だ。呉美保監督「そこのみにて光り輝く」は自分が好きな映画で、あれほどの作品をつくる人の新作がないのを不思議に思っていた。どうやら2人の赤ちゃんを出産して軽い仕事しかしていなかったようだ。その呉美保監督が五十嵐大の原作に共鳴して、港岳彦の脚本で9年ぶりに撮った作品だ。呉美保監督作品は観たかったが、テーマ的に苦手な分野かと思っていた。ところが、こうやって観ると完成度も高く共感がもてる作品に仕上がっている。

映像は主人公五十嵐大が生まれた時から追っていく。

宮城県の港町に暮らす耳の聞こえない夫婦五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)の間に大という男の子が生まれる。元ヤクザの祖父(でんでん)と宗教にハマる祖母(烏丸せつこ)も同居しているが、耳の聞こえないことで何かと不自由が多い。それでも、幼い頃から大は手話を覚えて母親の通訳的存在になっていた。


小学生になると母親が耳が聞こえず言葉もしゃべれないことで周囲の目を意識するようになる。思春期になり、大(吉沢亮)は障がいをもつ両親に生まれたことに悩みをもち、意思が通じにくいことで母親につらくあたるようになる。第一志望の高校に落ちて反抗する気持ちはもっと強くなる。高校を卒業してフリーターとなったあと、20歳になって父の勧めもあって東京へ行く。俳優志望だったが挫折して、物書きの道を歩もうとする。

予想よりはるかによくできている映画だ。胸に沁みる場面も多く感慨深い作品だった。
まずは俳優陣がいい。主演の吉沢亮はもちろんのこと脇役陣も絶妙な演技を見せてくれる。耳が聞こえないことで起きる小さなエピソードをそれぞれに簡潔にまとめる脚本と編集がうまい。反抗期があっても母親からの強い愛情を息子が成長するにつれて感じるようになる。その長い間の母子の絆を丹念に描いていて、自分のハートを響かせる。呉美保監督のさすがの手腕であろう。

耳がきこえない両親の下に生まれながら、耳がきこえる子供たち「コーダ」と呼ぶ。日本には2万人を超える人たちがいるそうだ。アカデミー賞作品「コーダあいのうた」でも娘役はそれなりの葛藤を感じていたが、能天気な両親のもとでもう少し明るい展開だった。こちらの方が日本映画らしく暗めのエピソードが多いかもしれない。

幼少時からの細かいエピソードが盛りだくさんだ。耳が聞こえない本人はたいへんなのはもちろんだが、両親の代役もする息子も大変だったのがわかる。そのたいへんさと母子の感情の交流をうまく結びつける。あとは無音の使い方「コーダあいのうた」同様巧みに使い分けする。


⒈俳優陣の活躍
両親役の忍足亜希子と今井彰人はろう者俳優。「コーダあいのうた」と同様に実際に耳が聞こえなくて話せない人が演じていると真実味が増す。息子の大は赤ちゃんから幼児時代、青年になって吉沢亮と配役がかわっていくが、母親役は生後間もなくからずっと一緒だ。20代から50代まで演じられるのも彼女が若々しいからだろう。

監督の呉美保吉沢亮を主人公にしたかったと作品情報で読んだ。吉沢亮はその期待に応えている。手話を覚え、セリフでなく顔の表情などで感情を表現する術にもたけていた。宮城県の塩竈ロケが中心だ。人影の少ない駅のホームで吉沢亮と忍足亜希子が親子で触れ合うシーンも情感がある。


⒉脇役の巧さと子役への気配り
主人公や両親とともに祖父母の存在感が強い映画である。宗教にハマる祖母を烏丸せつこ、元ヤクザの祖父をでんでんと巧みに演じた。良い配役だと思う。烏丸せつこは映画がはじまってしばらく彼女だと気がつかなかった。我々の世代はボリュームたっぷりの裸体に興奮させられた世代なのでなおのことだ。たまに見るが昔のイメージと違う老いた姿を演じられるいい俳優になった。実際の祖母は手話を身につけなかったので少しは気が楽だったのでは。

祖父は昔「蛇の目のヤス」という異名があった元ヤクザだ。泥酔してケンカしたり、刺青を見せつけたり、祖母に暴力を振るったりする。でんでんは園子温監督「冷たい熱帯魚」凶暴なイメージがあまりにも強い。こんな役柄はでんでんが得意とするところだ。


おそらくは時間をかけてオーディションをしたと思われる子役の選択も、その後に吉沢亮の顔になることを意識して選んでいるのがよくわかる。実際吉沢亮に似ていてリアルな感じを強める。

⒊上京後の苦労
原作者五十嵐大が高校卒業してから歩んできた道は波瀾万丈である。俳優になろうと思っていたが、オーディションにはなかなか通らない。パチンコ屋のフロアでもバイトをしていた。途中入社の面接でも落ちてばかりだ。

結局、プロダクションで編集の仕事をするようになった経緯が面白い。面接をして、元ヤクザの祖父の話をしたら、ユースケサンタマリア演じる社長にウケて即採用だ。面倒な仕事が来ても「(難易度がそれなりの仕事でなく)必ず実力より高い仕事が来る。」と社長に言われつつ仕事する。編集プロダクションで働く一方、耳がきこえない人たちのサークルにも加わる。自分の小さい頃からの経験を活かしながら実際にライターの仕事をするようになったのは結果的にはよかったのだろう。

大が生まれる時に祖父母が心配していたのを母方の伯母さんが回顧して大(吉沢亮)に話すシーンがある。耳の聞こえない2人からふつうの子が生まれるかどうかの心配だ。結局、祖父母は子供の耳がきこえることでホッとした。それを聞いて生まれてきてよかったと感慨深げな表情をする吉沢亮を見てジーンときた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ソングオブアース」

2024-09-24 22:36:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ソングオブアース」を映画館で観てきました。


映画「ソングオブアース」ノルウェー西部のオルデダーレン渓谷に住む夫婦の一年を追うドキュメンタリー作品。監督のマルグレート・オリンが自らの両親と美しい自然の春夏秋冬を映し出す。役所広司「パーフェクトデイズ」ヴィムベンダースが製作総指揮に名を連ねる。ノルウェーには行ったこともなく地名も知らない。地図で見るとノルウェー西部の海に接するヴェストラン県にある渓谷のようだ。はるか遠い。一生行かないであろうこの土地の魅力に魅せられる。

美しい自然の光景を大画面で堪能したい。音楽も含めてよかった。

ドローン撮影で氷河の渓谷から湖を俯瞰する。一時代前だったらこんな映像をとるのは難しかっただろう。冬は凍りつき、春から夏にかけてエメラルド色になるオルデバトネット湖と長年の蓄積で溶けてできた氷河が中心に映る。



84歳の父親は氷河や山の中に入っていく。1人でたたずむ父親を見ていったいどうやってその場所まで辿り着いたのかと思ってしまう。そして若き日からの暮らしを老人が語っていく。


夢で空中を飛びあがって地上を見ることがある。ハッとすると目が覚めるんだけど、山の頂上あたりをドローンで下を見ながら映す映像を観ているとそんな感覚をもつ。まさに夢のような世界だ。



冬から春にかけて、氷河が崩れ落ちる。溶けた雪は水量の多い滝のように流れる。夜になるとオーロラが空をつつむ。


秋には樹木は黄色に色づき野生の動物や鳥たちがその壮大な風景の中静かに動きまわる。なんて素晴らしいのだろう。
自分の余計なコメントもなしにしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Netflix「極悪女王」ゆりやんレトリィバァ&唐田えりか&剛力彩芽

2024-09-23 19:06:48 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
Netflixドラマ「極悪女王」は女子プロレスラーダンプ松本とクラッシュギャルズの長与千種、ライオネル飛鳥の3人を中心に繰り広げられる1980年代の物語である。


監督は白石和彌だ。文藝春秋出身のノンフィクションライター柳澤健「1974年のメリークリスマス」「2016年の文藝春秋」といった名作を書いている。その柳澤に「1985年のクラッシュギャルズ」という1980年代の女子プロレスについてそれぞれの私生活まで踏み込んだノンフィクションがある。これがムチャクチャおもしろい。自分は就職してまもない頃、当時は女子プロレスにまったく無縁だったのに引き込まれる

「極悪女王」は80年代の女子プロレスを描いたドラマで楽しみにしていた。ましてや大ファンの唐田えりかが出演するとなると見逃せない。配信開始後早々に観たが、大興奮しながらほぼ一気に観てしまう。よかった。「地面師たち」に引き続きNetflixはさすがだ。

ジャッキー佐藤とマキ上田ビューティーペアの黄金時代、高校生の松本香(ゆりやんレトリィバァ)は女子プロレスの魅力に取りつかれていた。1980年高校を卒業してパン屋への就職が決まると同時に女子プロレスの新人オーディションがあり挑戦する。そこにはのちにライオネル飛鳥となる北村智子(剛力彩芽)と長与千種(唐田えりか)も参加していた。何とかクリアして3人とも全日本女子プロレスに入門する。

運動神経のいい智子はすんなりプロデビューできるようになるが、長与と松本はプロデビューに至らない劣等生扱いだった。しかも、先輩のイジメも受けて長与は何度も挫けそうになる。やがて、試合に出られるようになっても立場は変わらない。これで辞めようかと思った時、長与千種は智子と観客も熱狂させる迫力ある試合をして認められる。2人はクラッシュギャルズとしてコンビを組む。


一方で松本香悪役として売り出そうとするが、悪役になりきれない試合しかできない。しかも、母親に迷惑をかけっぱなしの父親も放蕩が続き家庭内に面倒をかかえる。もともと、劣等生同士だった2人は仲が良かったのに、雑誌の取材で長与がダンプのことに何も触れないのに発奮して、突如極悪な悪役レスラーに変身してリングに現れる。先輩レスラーの反感もかいながらダンプ松本として悪役に徹するようになる。

すばらしいドラマだった。女優陣の鍛錬を身に沁みて感じる。
猛犬のようなダンプ松本を演じたゆりやんレトリィバァの迫力もすごいけど、ひいき目も若干あるが、唐田えりかにはビックリした。何とバリカンでアタマを刈って丸坊主になってしまうその心意気に敬意を表する。久々に見る剛力彩芽もプロレスファイトに没頭して見直してしまう。

女子プロレスを真剣に見ていなくても、今の50代半ばから上はビューティーペアの歌は知っているだろうし、クラッシュギャルズのファンも多いだろう。ダンプ松本がプロレスだけでなくコメディ番組などでも大暴れをしたのも知っているはずだ。オマケにジャガー横田は医者との間に高齢出産で産んだセガレの進学話で別の意味で有名だ。それぞれの固有名詞には誰もがなじみがあって、初めて出くわす人も少ないのではないか。

それだけにある意味フィクションであってもノンフィクションに近い「極悪女王」のストーリーにはすんなり入っていける。

⒈ダンプ松本(ゆりやんレトリィバァ)
もともとジャッキー佐藤の熱狂的ファンで試合の応援に行っていた。家庭環境は良くない。父親は外に女をつくり金欠の時だけ家に帰ってくる。母親は父親を甘やかして金を渡す。外でできた子にも香とつけてしまい呆れられる。他のプロレスラーも同じように家庭環境は悪い。プロレス界に入門してもなかなか芽が出ない。シーズン5のうち3まではさっぱりだ。それがシーズン4で変貌する。

顔に極悪ムードの化粧をして、竹刀を振り回す。観客席もグチャグチャにする。反則はやり放題。場外乱闘で椅子で相手の頭を叩くのは序の口でハサミで相手の頭を刺す。すさまじい流血だ。普段の生活でも同僚との関係を断つ。まさに猛犬のように荒々しくなる。長与千種との決戦は大流血だけど見ものの一つだ。


⒉唐田えりか(長与千種)
長崎の出身。両親とも家を飛び出して、親戚をたらい回し。小さい頃から空手をやっていた。ダンプ松本同様なかなかプロデビューをさせてもらえなかった。窃盗をしたのかと疑われイジメを受ける。もう辞めてやれと思って、ライオネル飛鳥との試合に気合を入れて臨むと観客から大ウケ。上層部からも見直されてクラッシュギャルズを組むことになり人気はピークになる。

ゆりやんレトリィバァ(ダンプ松本)が主演というクレジットだが、実質的には唐田えりかとダブル主演と言っていいだろう。今やメジャー監督に出世した濱口竜介監督の「寝ても覚めても」東出昌大の相手役になった時からずっとファンだ。不倫話でパッシングを受けたのは悲劇だったけど、よく耐えた。でも、がいても唐田えりかに惹かれる男の哀しい性はよくわかる。

その後映画に出てもカワイイ系ばかりだったけど、このドラマではプロレス技も次から次に繰り出し、かなり鍛錬したのがよくわかる。闘う相手への目つきも鋭いバリカンで丸坊主になったのには心から拍手を送りたい。ちょうどいい具合に東出も結婚することだし、世の女性陣の嫉妬もおさまるだろうからドンドンいい役を回してあげてほしい


⒊剛力彩芽(ライオネル飛鳥)
クラッシュギャルズでも人気があったのは長与千種の方だった。ただ、運動神経が良く、レスリングそれ自体ではライオネル飛鳥の方が一歩上の評価である。クラッシュギャルズとして歌を歌うことに徐々に疑問を感じてくる。もっとレスリングの練習をするべきだと長与千種と考えを異にする。

剛力彩芽がこのドラマに出演してプロレスラーを演じると知った時は意外に思った。そう言えば以前より見ないなあと思ったら、オスカープロモーションを飛び出していたことをすっかり忘れていた。さすがに出番は減るよね。流血シーンは唐田えりかの方が多いけど、剛力彩芽も頑張っていると思う。これをきっかけに飛躍できるといいね。


⒋ジャッキー佐藤とジャガー横田
ドラマがスタートする1980年はジャッキー佐藤がいちばんのスターだ。入門するダンプ松本も憧れていた。ところが、ジャガー横田がジャッキー佐藤との闘いに掟を破って勝ち、ジャッキー佐藤が引退することになる。そんな構図でスターの入れ替えが図られる。

プロレスは全部シナリオができているはずだが、シナリオをはずした真剣勝負に変わることもある。「ブック」という言葉が至る所に出てくる。わかっていて「ブック」を外すこともある。全日本女子プロレスの幹部松永兄弟の中でも意見が分かれて勝負が予定通りにならないこともある。そういった裏話も盛りだくさんなのも見どころだ。

ここで意外に思ったのは、ビューティーペアのジャッキー佐藤とマキ上田とが実はあまり仲が良くなかったシーンがあること。ジャッキー佐藤を演じる長身で美形の鴨志田媛夢という俳優は初めて観る。本物よりきれいだ。マキ上田は直近の出演作も多くおなじみになった芋生悠だ。

ジャガー横田水野絵梨奈が演じてずいぶんとベビーフェイスで現在TVで見せるドスの効いた貫禄ある姿と違うなあと感じる。ところが、昔の写真を見ると意外にもカワイイ系だった。思わず驚いてしまう。


ダンプ松本が主人公だけれども、ドラマを観終わったあとで改めて柳澤健の「1985年のクラッシュギャルズ」を読み直すと、色んな逸話がこの本から引用したような展開だと感じてしまう。本で言えば参考文献で引用元を記載するけど、何も書いていないのはどうかと感じてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする