Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
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“私的所有”批判

2012-10-04 10:27:49 | 日記

* 立岩真也は、『私的所有論』の最初の最初(序)にこう書いた;
《私は誰か、私達はどこから来たのかと問うのではなく、何が私のものとされるか、何を私のものとするのかについて考えてみたい》

* またおなじ“序”でこうも書いた;
《私はできる限り具体的な「答」を探そうとしている。このように言うのは、こうした主題に関して言われていることのほとんどにまったく不満だからである》
(“こうした主題”を立岩は列挙している、たとえば、臓器移植、代理出産、死の自己決定など)

* そして“私的所有(批判)”があらわれる。

* 立岩の“私的所有”の定義は、とてもシンプル(いいかたにいろいろニュアンスがあるが);
《私の作ったものは私のものである》

* 立岩の(社会についての)思考は、ベーシックな“経済的”考察からはじまっている。“観念論(哲学)”ではない。また“具体的な”問題を(から)考える。しかし、そこから“こころ(精神)”の問題が、立ち上がってくることが、スリリングなのだ。



引用;

★ 私は(私のような、あるいは、私のようでない、しかし私の意のままにならない)誰かがいることによって、生きている。それが私の生体としての生存の必要条件であるわけではない。ただ単に、他者があること、他者があることによって生きているという感覚があるのではないだろうか。私が作れないものを失う時に、私達はその不在を最も悲しむ。私はそれが好きだったり嫌いだったりするのだが、それに近づく時に、そうした属性は剥ぎ取られ、他者は在ってしまう。他者は、私が届かないものとして経験されてしまう。

★ 私の選択と私の価値を信用しない感覚は確かにあるのだと思う。私がやったことが私を指し示し、私の価値を表示するという、全てが自らに還ってくるように作られているこの社会の仕掛けを信用しない感覚がある。そして、その人が「在る」ことを受け取る。私ではない者としてその人が在るということ自体が、苦痛であるとともに、苦痛をもたらしながら、快楽なのである。確かなのは、他者を意のままにすることを欲望しながらも、他者性の破壊を抑制しようとする感覚があることである。この欲望を消すことは無理だと思いながら、しかし抑制しようとする時、ここに述べた感覚があり価値がある。

★ その他者とは、自分に対する他人のことだけではなく、自分の精神に、あるいは身体に訪れるものであってもよい。私の身体も私にとって他者でありうる。私が思いのままに操れるものが私にとって大切なものではなく、私が操らないもの、私に在るもの、私に訪れるものの中に、私にとって大切なものがあるのではないか。そしてそれゆえに、それを奪われることに私達は抵抗するのではないか。

<『私的所有論』(勁草書房1997)第4章 他者>




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4 コメント

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注文しました (eiko)
2012-10-04 20:38:01
引用されている「他者」についての言葉にひかれて『私的所有論』を注文しました。“経済的”考察は、おそらく苦手分野ですが、予感として、ああほんとにスリリングかもしれないなと。
読了がいつになるかわかりませんが(笑)、読んで思うところがありましたら、またお邪魔いたします。
Unknown (warmgun)
2012-10-04 23:29:31
eiko さま

注文したんですか!この本、高いよね(笑)

ぼくも”経済”は苦手、この本がたんなる経済的考察なら、ぼくもまったく関心もたなかったでしょう。

けっして読みやすい本ではありませんが、ていねいに論旨をたどれば、むしろ明解な本だと思う(ぼくもまだ第4章までしか読めていないが)

でもこの引用部分だけで”予感”できるなら、立岩的思考への感覚は充分だと思います(僭越ないいかたですが)

途中でもいいから、”読んで思うところ”をお知らせください。

渾身の著への敬意を払いつつ (eiko)
2013-02-13 14:48:42
途中までとてもひきこまれて読み(といっても、指示代名詞につまづいたりしながらですが、大きな誤読はしていないと思います)、そうはいいつつ微かな違和ももち、後半になっていくと、その違和が膨らみ、なにかすーっと逸れていくように感じました。
逸れていくというのは、自分自身も青い芝の「問題解決の路を選ばない」について考えてきたいまの何かから逸れるという感じなのですが。

感触みたいなことだけ言うのはこの本に対して失礼だろうな。でもなにか違う。著者も、各自の立ち位置によっては「違う」ことがありうるって確かおっしゃってましたっけ。

著者は、ジャニスがお好きなんですね。また変なことを言いますが、私が「あ、この人いいな」と着目する人はたいがいジャニスを好きだと言う。(私自身はジャニスをよく知らない)(笑)
ジャニスを根拠にするのはへんてこりんですが、こういう方には敬意をはらい、ひきつづき注目すること。
私の「違和」は、もっときちんと読み、ロジックとまでいかなくても誠実に自分で考えないと駄目でしょうね。

・・というようなことを考えました。

Unknown (warmgun)
2013-02-14 00:51:38
eikoさま

ぼくもその後、なんとか最後まで読みました。

あなたに調子を合わせるわけではありませんが、《後半になっていくと、その違和が膨らみ、なにかすーっと逸れていくように感じました》と同じような感想を(ぼくも)持ちました。

ぼくは“青い芝”のような現実の運動体?についてもなにも知らないのです。

立岩真也の“文体”がややこしい、というのは、本人も気にしているようだし、たしかにそうなんだが、それは、彼の思考過程の誠実さとして受け止めることができる。

“違和感”は、もっと別のところにある。
でもそれはぼく自身の方に問題があるかも(ぼくにとっては、それは“他者との関係”のような気がします)

ジャニスが好きな人はいいひと!(笑)
これはおもしろいね。
ぼくもまさにジャニス世代でした。
でも“あのころ”は、ジャニスが一番好きだったんじゃないが。

むしろ近年、ユーチューブのライヴ映像で本当にすごいと思ったのでした。

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