★ それからまた、あのマムの声がある。今マムについてわかるのは、覚えているのは、あの声だけだ。あの声を曇らせないように、黄ばんだ写真のすべてを、肖像画や手紙やマムが読んでいた本を、捨ててしまった。好きなのにもう顔さえ思い出せない人たちの声を聞くようにして、いつもあの声を聞いていたい。マムの声、そのなかにすべてがこもっているあの優しい声、あの手の温もり、髪の匂い、ワンピース、日の光、ベランダに駆けてきたロールとぼくの動悸の静まらないうちに勉強が始まったあの午後の終わりのひととき。
★ けれども、この教育がじつのところどのようなものであったか、今語ることはできない。父とマムとロールとぼくの四人は、当時、東はトロワ・マメル山の凸凹の激しい頂を、北は広大なプランテーションを、南はノワール川流域の未開墾地を、そして西は海を境とするあのブーカンの谷あいで、われわれだけの世界に閉じこもって暮らしていた。夕方、ムクドリが庭の大木で鳴くとき、詩を朗読したりお祈りを唱えたりしているマムの優しく若々しい声が聞こえていた。何を言っていたのだろう。もう思い出せない。鳥のさえずりや海風のざわめきと同じく、マムの言葉の意味も消えてしまった。今も残っているのはただ、木々の葉むらを照らす日の光やベランダの陰や夕べの香りといったものに結びついた、あの優しい、ほとんど聞き取れないほどかすかな声の調べだけだ。
★ ぼくはまた、マムの道徳の授業が好きだ。それは日曜日の朝早く、ミサでお祈りを上げる前に行われることが多い。それが好きなのは、マムがそのつど新しい話をしてくれるからだ。それはぼくたちの知っている場所で起こる話である。そのあとでマムは、ぼくたち、ロールとぼくに質問する。質問はむずかしくない。ただ、マムはぼくたちを見ながら問いかける。それでぼくは、マムの視線の優しい青が自分の一番深いところに入ってくるのを感じるのだ。
★ 「ある修道院でのこと、そこには12人が住んでいたのだけれど、ちょうどマムがあなたたちの年ごろにそうだったように、12人の孤児の女の子たちだったの。夜の食事の最中のことでした。テーブルの上にどんな料理が載っていたかわかる?大きなお皿に鰯が載っていたの。その子たちは鰯が大好きでした。少女たちは貧しくて、鰯というのは大変なごちそうだったのよ。そしてお皿には孤児の数とちょうど同じ数の鰯がありました。いいえ、そうじゃなくて一匹余計にありました。皆が食べてしまうと、シスターがお皿のまん中に残っていた最後の鰯を指さして、『誰が召し上がる?』と聞いたの。あなたたちだったら食べたいかしら。でもだれも手を挙げないの。どの女の子も答えないの。『それじゃこうしましょう』とシスターは楽しそうに言いました。ろうそくを消しましょう。暗くなったら、鰯を食べたい人は恥ずかしがったりしないで食べられるでしょう。シスターはろうそくを消しました。何が起こったでしょう?どの子も鰯を取ろうと手を伸ばしたので、べつの子の手とぶつかったの。大きなお皿のなかには12の手が置かれていたの!」
<ル・クレジオ『黄金探索者』(河出世界文学全集Ⅱ-09 2009)