wakuwakuな生活

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淵野辺から古淵辺りの境川沿いを歩く

2013-11-17 12:53:33 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
 平成25年11月9日(土)、どんよりした天気の中、鎌倉街道が境川に沿って通っていることで、もっと近場のことを散策してみようと意見が一致し、今回のウオーキングとなった。

 まずは、「でいらぼっち」の伝説の左足をついたところとされる、「菖蒲沼」
淵野辺駅から歩いて10分ほどの青山学院大学脇の横浜線沿いにひっそりとあった。
   


 そこから、町田堺の境川の方に行くと、「日枝神社」があった。淵辺義博が大蛇を退治したところだと説明してあった。
   


 次に、「八柄(やがら)八幡神社」に行った。元は「木曽八幡」といっていたが、木曽義仲に結びつくことを恐れて、名前を変えたとか。
 木曽義仲の息子義高を頼朝の娘大姫と結婚させようと、この道を通って鎌倉に行き、その時にこの神社に寄ったという。
      


 境川沿いをたどって、古淵駅の方へ行く。


 中里橋には、このあたりの歴史的人物である「淵辺義博」が後醍醐天皇の皇子である護良親王を逃がすとある史跡に当たる。
   

 これには、いろいろな見解があって、どれが正しいと判断するのは難しいが、私は以前読んだ、「南北朝異論」(中丸祐昌著)が一番近いのではないかと思っている。

 そのまま道沿いに進むと「龍像寺」に突き当たる。ここにも淵辺義博が登場する。
    


古淵駅に到着。ここに鷹のモニュメントがあるというから、それも見たくて、行く。なるほど、立派な鷹が空を飛んでいるようだ。ここは昔、殿様が鷹狩りを楽しんだところと昔の書籍に残っているらしい。
        


古淵駅の看板には、史跡案内があって、この近くに「鹿島神社」「大日堂」があるという。鹿島神社は新田義貞が鎌倉攻めの際に建立したという説があり、大日堂は、1335年南北時代の「井出の沢」戦い(中先代の乱)の時に亡くなった死者を弔ったものだという。私たちは町田の菅原神社の中にあった「井出の沢の戦いの碑」を見てきているので、出ての沢の広さに驚いた。
       

 
 このまま境川沿いを町田方面に歩いていく。この辺は、昔の鎌倉街道の道に通じる道になるはずだ。千ちゃんが調べたところによると、町田駅の近くにある「日枝神社」「幸延寺」「青柳寺」鵜野森にある「鹿島神社」の脇を鎌倉街道が通っているということで、そちらの方に行ってみる。
          

この鹿島神社の家紋は、八柄八幡も同じ家紋で、源氏の流れをくむ八幡太郎義家の家紋である。その流れがあるんだな~と感心した。歩いていると、そこかしこにこの家紋が出てくる。

近場にも、こんなにたくさんの歴史的なことが残っているのだなと感心する。
また一つ歴史が好きになっていく。
 

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1 コメント

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Unknown (みなちゃん)
2013-11-19 08:59:23
境川沿いにこんなに歴史の足跡が見られるなんて、感激。私も通ったことがあるのですが何も考えず、見ていないことがよくわかりました。古淵駅だって、横浜線に乗る時に使うのに、鷹のモニュメントに気づきませんでした。今度行ったときに、よく見てみますね。目的や視点を持って歩くといろいろと貴重なものが見えてくるんですね。
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