2日目。朝はゆっくりと待ち合わせて、朝食のバイキングに行く。バラエティ豊かな食材で、美味しかった。お決まりのように少しずつ全種類を食べてきた。ただ、ゆで卵は前回のホテルの方が美味しかったかな。
ホテルを出て、改めて浜松駅付近
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を見て思ったことは、道路が広くビルが立ち並びキレイに開発された町だということである。。徳川譜代の領地であり、楽器やバイクの街でもあるので、財政が昔から豊かであったのだろう。そういえば本田宗一郎創立のお店には、当時の息子との写真が大きくウインドウに掲げてあったっけ。
まずは、安藤広重が描いた馬込橋方面へ歩く。浜松の観光案内所に行って、場所を教えてもらってから行く。聞いたほうがロスがなくていい。これは何回も歩いていくと身に付く知恵である。
着いてみるともうほとんど面影を残していない。中心に描かれている松?なんかも全く見当たらない。でも、私たちは「この辺から見るとお城も視野に入るから、きっとここまで下がって?描いたんだね」などと、にわか研究者になって、満足気である。
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そこから、いよいよ浜松城へ歩く。浜松城は市の中心にあり、どこからでも天守閣が見えて、分かりやすい。でも、幹線道路を横切らせないで、地下をくぐらせていて、歩行者にとっては、特に年配の人にとっては階段が多くて歩きづらいのではと思われた。
浜松城は公園の中にあり、天守閣の中に資料が展示されていて、それをじっくり見ることが出来た。また、そこでも詳しく説明してくれるスタッフの方が常駐していていろいろ教えてもらえることができた。
石垣は昔のままだという。家康を関東に移したあと、家康領であった東海の各地を秀吉腹心の武将に配置する。この浜松城は、堀尾吉晴が入城し、高く高度な石垣づくりや天守台を造ったとされる。
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入ってすぐのところに、鎧が展示してあり、それは家康が使っていたものと同じ形であるという。本物は久能山にあるという。これを聞いて二人ともいつかは久能山も行かなくてはと思った次第である。
家康が亡くなってからも毎年この鎧を上座に置き、新年を祝ったとされる。また重要な会議はこの鎧の前で行われたともされる。死んでもなお威霊を放っている。
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展示の資料を見ていると、家康にとって「三方ヶ原の戦い」が重要なキーポイントだということがわかる。
1572年、武田信玄に惨敗した戦いである。浜松城を奪いたい武田信玄は、わざと浜松城を突っ切り、三方ヶ原の方へ移動する。家康は家臣の反対を押し切って後方から信玄を追撃しようとするが、それは徳川軍をおびき寄せる戦略で、まんまと家康はそれにはまってしまって、ほうほうの体で逃げ帰る。その時に隠れた神社「浜松八幡宮」にも行って、家康公が隠れたとされる大きな木も見てきた。
家康は数多くの戦いに挑んだが、大きな負け戦はこの戦いだけである。この敗北を忘れないために、「しがみ像」を描かせ、慢心を自戒したと伝えられている。
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家康は29歳から45歳までをこの浜松城で過ごす。
1590年の秀吉が小田原攻めで勝利を収め、今まで北条が持っていた領地を家康に引き渡したので、そこから家康は関東一円を手に入れて、江戸城を本拠地として活動していったのだ。
また、家康は正室だった築山御前と長男の信康を織田信長に自害させられている。どうも武田と密約を結んでいると疑われることをしていたようだ。信康の奥さんは織田の娘で、旦那さんを裏切って、お父さんに報告をしていたそうである。戦国の世は、身内も何もあったものじゃないな~。
築山御前を祭っている「西来院」にも行ってきた。藤の木が見事だった。
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浜松城に展示してあった資料を貼り付けておく。
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浜松城を出て、2代目将軍 徳川秀忠公の誕生地で、産湯に使った井戸に行く。なぜお城で産まなかったというと、正室がいたので、家臣?の家で産むのが習わしであったという。
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道に迷いながらも、浜松八幡宮に行き、ここでは結婚式が行われていた。
途中、椿姫観音が祭ってある神社?があった。
それは、今川義元が桶狭間の戦いで負けて逝ってから、家康が浜松に攻めてきて、浜松城の前身の引馬城の女城主がお田鶴で、降伏を受け入れずに、待女18人と戦い、見事に討ち死にをした。それに感動した家康が作ったとされる。
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それから、引馬城跡にいって、浜松駅に戻った。
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浜松は、うなぎが有名なのは周知のことであるが、こうもうなぎ関係の弁当やらお菓子やらが並んでいるとは驚きだ。私たちもお土産にうなぎせんべいを買い、帰りの新幹線で、うなぎ弁当を食べようと買い、家族にもうなぎ弁当を買って、帰路につく。
いつものように、こうやって好きな歴史に触れ、楽しい時間を過ごせたことに感謝をして、終了する。
万歩計は31277歩 約18キロ歩いたことになるが・・・
(これがどうも信頼できない)
二人の東海道歴史探訪に、ついに新幹線が出てきたことに感激です。着実に西へと進んでいることを実感します。