平成29年5月20日(土)5月だというのに福島のほうは猛暑日を記録するなど、この辺も真夏日を記録して、夏を思わせる天候の中、久しぶりに「甲州街道」へのウォーキングへ行ってきた。
急に暑くなったので、体も慣れてない。二人とも「暑いね」「もうだいぶ歩いたね」「なかなか食べるところがないね」と寡黙な中にも、休むところを探しながら歩く。
そして、ふらふらしながらも、今回も、いろいろな新しい歴史的知識を知ることができた散策だった。
まず、一つ、京王線に乗っていて、久しぶりの友人に会う。「どっか座れるところはないか」と電車内を歩いている、急に手をつかまれて、「やだ~、こんなところで会うなんて。」と。
職場で倒れ、しばらく入院していた友人で、復帰のために、懸命にリハビリを頑張っている。旦那さんと6大学野球に応援に行くという。明るい笑顔で、近況を話していて、「あー元気になってよかった。どうしているか、心配していたところ」と、エールを送った。
調布で乗り換え、府中駅へ。「大國魂神社」の方から甲州街道沿いを歩き、「谷保天満宮」(やほてんまんぐう)へ。
菅原道真の三男が、福岡にお父さんが左遷した後に、この場所に館を構えたという。
また、甲州街道から下がっていたところに、この天満宮があったのは、昔は、多摩川沿いに甲州街道があったが、川の氾濫で、問題があったので、河岸段丘の上段の方へ甲州街道を江戸時代以降に造り替えたためだと、学芸員の方が話していた。
近くに「城山」(じょうやま)という、城跡があって、そこには今も「三田さん」が館を構えている。どうも、鎌倉時代の源氏の家来が、ここに城を作り、長年ここを治めているというが、資料が残っていないので、はっきりとしたことは分かっていないと、同じ学芸員さんが言っていた。
次に、ずーっと甲州街道を歩き、多摩川を渡って、「日野宿」へ。
そこには「日野宿本陣」があり、そこは佐藤彦五郎という人が、近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」があったところであり、のちの新選組局長近藤勇や副局長の土方歳三、沖田総史、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだところです。
また、近くの石田村というところは、土方歳三の生まれたところでもあり、6番隊隊長の井上もここの出身であるという。
早くに両親を亡くした歳三は、この佐藤彦五郎という人を義兄として、いろいろ面倒を見てもらっていたという。
ここで稽古を積んでいた近藤たちは、幕府の要人を警護して、京都に行くという仕事をしてから、新選組の構成を考えたという。
「新撰組ふるさと歴史館」にも行った。佐藤道場や新選組の成り立ち、京都の池田屋事件のこと、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、五稜郭での戦いの後の隊員のこと等、やはり詳しく展示していた。
暑い暑いと言いながらも、こんないろいろなことを知ることができ、歴史的人物が生活していた町を体感することができ、うれしい限りである。今回も18500歩くらい歩いたな~、自分にお疲れ~
急に暑くなったので、体も慣れてない。二人とも「暑いね」「もうだいぶ歩いたね」「なかなか食べるところがないね」と寡黙な中にも、休むところを探しながら歩く。
そして、ふらふらしながらも、今回も、いろいろな新しい歴史的知識を知ることができた散策だった。
まず、一つ、京王線に乗っていて、久しぶりの友人に会う。「どっか座れるところはないか」と電車内を歩いている、急に手をつかまれて、「やだ~、こんなところで会うなんて。」と。
職場で倒れ、しばらく入院していた友人で、復帰のために、懸命にリハビリを頑張っている。旦那さんと6大学野球に応援に行くという。明るい笑顔で、近況を話していて、「あー元気になってよかった。どうしているか、心配していたところ」と、エールを送った。
調布で乗り換え、府中駅へ。「大國魂神社」の方から甲州街道沿いを歩き、「谷保天満宮」(やほてんまんぐう)へ。
菅原道真の三男が、福岡にお父さんが左遷した後に、この場所に館を構えたという。
また、甲州街道から下がっていたところに、この天満宮があったのは、昔は、多摩川沿いに甲州街道があったが、川の氾濫で、問題があったので、河岸段丘の上段の方へ甲州街道を江戸時代以降に造り替えたためだと、学芸員の方が話していた。
近くに「城山」(じょうやま)という、城跡があって、そこには今も「三田さん」が館を構えている。どうも、鎌倉時代の源氏の家来が、ここに城を作り、長年ここを治めているというが、資料が残っていないので、はっきりとしたことは分かっていないと、同じ学芸員さんが言っていた。
次に、ずーっと甲州街道を歩き、多摩川を渡って、「日野宿」へ。
そこには「日野宿本陣」があり、そこは佐藤彦五郎という人が、近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」があったところであり、のちの新選組局長近藤勇や副局長の土方歳三、沖田総史、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだところです。
また、近くの石田村というところは、土方歳三の生まれたところでもあり、6番隊隊長の井上もここの出身であるという。
早くに両親を亡くした歳三は、この佐藤彦五郎という人を義兄として、いろいろ面倒を見てもらっていたという。
ここで稽古を積んでいた近藤たちは、幕府の要人を警護して、京都に行くという仕事をしてから、新選組の構成を考えたという。
「新撰組ふるさと歴史館」にも行った。佐藤道場や新選組の成り立ち、京都の池田屋事件のこと、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、五稜郭での戦いの後の隊員のこと等、やはり詳しく展示していた。
暑い暑いと言いながらも、こんないろいろなことを知ることができ、歴史的人物が生活していた町を体感することができ、うれしい限りである。今回も18500歩くらい歩いたな~、自分にお疲れ~