平成25年8月14.15日 JTBのツアーで
「平泉5つの世界遺産めぐりと日本三景松島・旅物語貸切クルーズ2日間」
に行ってきた。
一度は行ってみたいと思っていた平泉に格安で行けるので、申し込んだ。
一番の思い出は、以前テレビで見た「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)に行けたことである。
義経が、頼朝の圧迫に耐え切れなくなった藤原秀衡の子の泰衡に追い込まれ、妻子とともに自刃したとされているところで、
それに、その自刃から約500年後にこの地に立ち寄った芭蕉は、藤原三代な栄華も今は田野に成りて、金鶏山のみ形が残っている。高館に上れば、北上川は昔と変わらず流れている。そんな風景を見て「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」と感じて、有名な句「夏草や 兵どもの 夢の跡」を詠んでいる。
また、芭蕉は、義経の家臣で勇猛果敢に戦った兼房を思って、「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」とも詠んでいる。
1188年 泰衡に後白河法皇から義経追討の院宣が下る
1189年4月 義経 自害
1189年7月 頼朝 大軍を率いて進発
1189年9月 藤原氏滅亡
1689年 芭蕉が平泉に弟子の曽良と「奥の細道」の旅で寄る
パンフレットには、この場所は記載されていなかったので、行けないなと思っていたが、実際行ってみると、中尊寺から歩いて10分くらいのところにあって、自由時間のあいだに行くことができた。私としては、念願のこの場所に行けたので、十分に満足できた旅行であった。
あとは、順番に写真を貼り付けておこう。
まずは、一日目の松島である。
芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだところです。
松島は津波の被害にあまり受けなかったようで、瑞巌寺(伊達家の菩提寺)にいく参道に、津波到達地点の立札があった。
瑞巌寺の宝物館では、支倉常長がローマから持ってきた「ガラス細工の蝋燭台」展示されていて、ひときは目立っていた。
松島のクルーズではかもめが餌付けされていて、かっぱえびせんを手から直接あげることができた。
突き出た島に「五大堂」が建てられていた。「五大堂」では東北遠征を祈願して、坂上田村麻呂が毘沙門天を建立して納めたという。
宿は宮城蔵王温泉である。随分奥深く蔵王のスキー場まで行った。辺りも暗くなり、シーズンオフだから安く泊まれるのも仕方がないが、ここまで行かなくてもと思った。
2日目はいよいよ世界遺産の平泉である。
まず、世界遺産一つ目の毛越寺(もうつうじ)、二つ目の旧観自在王院庭園(きゅうがんじざいおういんていえん)にいく。
世界遺産3つ目 無量光院跡地 ここはほんとに草ぼうぼうで、藤原3代の時は平等院の極楽を真似て造られていたそうだが、今は昔という感じである。
そこで一句 「さらし野の 栄華も今は 夢の跡」
世界遺産4つ目は、金鶏山である。車窓からの見学であったが、これはよく分からなかった。
最後5つ目は有名な中尊寺金色堂である。写真もある
中尊寺の駐車場のところには、「マルコポーロが黄金の国といったのは、この平泉のことである」と大きく石碑に刻まれていた。
確かに中尊寺の金色堂は素晴らしかった。あれだけの金を使えた財力はいかがばかりか、想像できない。頼朝はつぶしに来たが、あまりのものにすぐに保護をしたと書いてあった。
また、伊達政宗は松島にも行っているし、毛越寺や中尊寺等にも偵察にきて、寂れたところを修理や整備をしている。伊達政宗の功績大である。
1日目 9918歩
2日目 14698歩 歩く。
今年の夏は、数多くの歴史に触れることができている。
歩いても本を読んでも。
こういうのを幸せと呼ぶのだろう。
感謝してやまない。
「平泉5つの世界遺産めぐりと日本三景松島・旅物語貸切クルーズ2日間」
に行ってきた。
一度は行ってみたいと思っていた平泉に格安で行けるので、申し込んだ。
一番の思い出は、以前テレビで見た「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)に行けたことである。
義経が、頼朝の圧迫に耐え切れなくなった藤原秀衡の子の泰衡に追い込まれ、妻子とともに自刃したとされているところで、
それに、その自刃から約500年後にこの地に立ち寄った芭蕉は、藤原三代な栄華も今は田野に成りて、金鶏山のみ形が残っている。高館に上れば、北上川は昔と変わらず流れている。そんな風景を見て「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」と感じて、有名な句「夏草や 兵どもの 夢の跡」を詠んでいる。
また、芭蕉は、義経の家臣で勇猛果敢に戦った兼房を思って、「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」とも詠んでいる。
1188年 泰衡に後白河法皇から義経追討の院宣が下る
1189年4月 義経 自害
1189年7月 頼朝 大軍を率いて進発
1189年9月 藤原氏滅亡
1689年 芭蕉が平泉に弟子の曽良と「奥の細道」の旅で寄る
パンフレットには、この場所は記載されていなかったので、行けないなと思っていたが、実際行ってみると、中尊寺から歩いて10分くらいのところにあって、自由時間のあいだに行くことができた。私としては、念願のこの場所に行けたので、十分に満足できた旅行であった。
あとは、順番に写真を貼り付けておこう。
まずは、一日目の松島である。
芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだところです。
松島は津波の被害にあまり受けなかったようで、瑞巌寺(伊達家の菩提寺)にいく参道に、津波到達地点の立札があった。
瑞巌寺の宝物館では、支倉常長がローマから持ってきた「ガラス細工の蝋燭台」展示されていて、ひときは目立っていた。
松島のクルーズではかもめが餌付けされていて、かっぱえびせんを手から直接あげることができた。
突き出た島に「五大堂」が建てられていた。「五大堂」では東北遠征を祈願して、坂上田村麻呂が毘沙門天を建立して納めたという。
宿は宮城蔵王温泉である。随分奥深く蔵王のスキー場まで行った。辺りも暗くなり、シーズンオフだから安く泊まれるのも仕方がないが、ここまで行かなくてもと思った。
2日目はいよいよ世界遺産の平泉である。
まず、世界遺産一つ目の毛越寺(もうつうじ)、二つ目の旧観自在王院庭園(きゅうがんじざいおういんていえん)にいく。
世界遺産3つ目 無量光院跡地 ここはほんとに草ぼうぼうで、藤原3代の時は平等院の極楽を真似て造られていたそうだが、今は昔という感じである。
そこで一句 「さらし野の 栄華も今は 夢の跡」
世界遺産4つ目は、金鶏山である。車窓からの見学であったが、これはよく分からなかった。
最後5つ目は有名な中尊寺金色堂である。写真もある
中尊寺の駐車場のところには、「マルコポーロが黄金の国といったのは、この平泉のことである」と大きく石碑に刻まれていた。
確かに中尊寺の金色堂は素晴らしかった。あれだけの金を使えた財力はいかがばかりか、想像できない。頼朝はつぶしに来たが、あまりのものにすぐに保護をしたと書いてあった。
また、伊達政宗は松島にも行っているし、毛越寺や中尊寺等にも偵察にきて、寂れたところを修理や整備をしている。伊達政宗の功績大である。
1日目 9918歩
2日目 14698歩 歩く。
今年の夏は、数多くの歴史に触れることができている。
歩いても本を読んでも。
こういうのを幸せと呼ぶのだろう。
感謝してやまない。