さてはて、大昔から問題となっていた某事は、そろそろ大詰めの局面を迎えようとしているが、いかんともしがたい事態も出来しているので、やや感慨めいたことをも含めて、纏めておく。
某事については随分前からこの紙面で綴り続けているように、一部の人々の職務怠慢によって滞り続けていたのであった。途中から、余りにも精神的にすり減るので、間に入っていた(?)亮右衛門氏にほぼ丸投げで対応を任せていたのであった。まあ、このあたりの私自身の怠慢も可成りの問題であると思うのだが、亮右衛門氏が引き受けてくれたのは、いろいろな意味で見ていられなくなったからなのだろう。
さて、今朝方、その亮右衛門氏から事態終局へ向けての提案が来た。事態が動くのはもう何ヶ月ぶりだろうか。しかしその案はとても大胆な案であった。
曰く、××のものを氏が肩代わりして・・・(以下の部分は可成り政治的な駆け引きがあるので銘記できない)・・・なんとか終局へ持ち込む、というものであった。
氏としても、私とのつきあいが長いから、普通にやって私がこの案では受けないであろうということは先刻承知で・・・部分をつけて提案してきたのであるから、相当の覚悟があるようだ。
中々こちらも返答しづらいが、多分今日中に返事をした方がよいのだが、未だに返事をしていない。突っぱねているとか、機嫌が悪くなったとかではないから、もう一寸待ってってね。
とはいえ、・・・部分については、げに、と思わんではないのであるが、最初のところがな。この件、最近私としては、能力だとかやる気だとかという次元の問題ですらないという思いがしているのである。具体的にいうならば、最早倫理観の問題であると考えている(・・・具体的になっていない気もする)。一年半以上も、やりますやります、と言い続けているわけだからね。こういうことを言うと亮右衛門氏が、また旧世界の遺物みたいな観念を持ちだしてきて・・・と言うだろうけれども、これなくして人間世界は成り立たぬような気がするのである(段々話がズレてきた。ヤキが回って耄碌してきたのであろう)。
こんな提案を亮右衛門氏がしてくるあたり、終局へ向けて彼もまた真剣なのであることは、判ってはいるのだが、どうしても何の罪咎なく氏が肩代わりするという案は受け入れられない。これだけ諸方に迷惑を掛けながら、のうのうとしているというのが我慢ならん。そういうことをいっていては永久に終わりは見えん、と言われるだろうけれども、そんな筋の通らぬ話はない。××が腐った人間に成り下がってゆくだけである。だから、この点だけは譲れぬ。こういうことを考えているあたり、私も相当に頑固だと思う。
こういう錯綜があるから、なかなか返答できぬのである。困ったなあ。しかし、この事案を終局へ向かわせる好機は、どう考えても今回が最後なのであり、どうにかせねばならんが、上記の溝を埋めるには、余りにも時間がないのである。明日明後日には、結論を出さねばならないだろう。困ったことだ。万事休す。
抑もの始まりとして、某事を計画したのは私なのであった。当時、この集団のあり方自体に思うところがあって、折角頭数も揃っているから、ということで始めたのであったが、結局斯様の紆余曲折の中で、各人はバラバラになり、一部には連絡の取れなくなった人もいる(いや、狭い社会だから顔を合わせたりはするけれどね)。主導的立場であったから、斯かる望ましくない現状を作ってしまった責任を感じるのである。
まあ、回想したり、修繕を図ったとしても、今更何が改善されるわけではないのだ。だからこそ、今の人たち(主にKさん)には可成り申し訳ない気もするのである。このような全体の険悪さが昨年末の事件を引き起こした遠因ではないかと思うからである。
そういうことがあるから、何とか目に見える形で成果をまとめて、遅ればせながらこの集団に紐帯を、と思うから、どうしてもこの件については、完結を見たいのである。最近では、そういう思いのほうが強くなってきた。そう思えばこそ、妥協したくないのである。いや、どこかで誰かが妥協しなければ完結を見ない状況にあるのだが・・・・・・。
それに、・・・部分についても、何らかの見解を示さねばならないが、これは近いうちに亮右衛門氏と直にあって見ぬことには始まらぬように思っている。嗚呼、こうやって解決を先延ばしにするのだなあ。
嗚呼、こうして感慨を述べている間にも着実に時は過ぎ去って行く。しかし、体良い返事の文言は未だに定まらない。これは真っ向勝負しかないのかな。
かくしてまた、集団に溝を増やして行くのだな。紐帯を、と思いつつも亀裂を増やして行く・・・、それが某事の本質であったのかも知れない。決して意味のない企画であったとは思わないが、万感の思いが去来する。
いずれにせよ、どういう形にせよ、待ち望んでいた終局は確実に近づいている。
某事については随分前からこの紙面で綴り続けているように、一部の人々の職務怠慢によって滞り続けていたのであった。途中から、余りにも精神的にすり減るので、間に入っていた(?)亮右衛門氏にほぼ丸投げで対応を任せていたのであった。まあ、このあたりの私自身の怠慢も可成りの問題であると思うのだが、亮右衛門氏が引き受けてくれたのは、いろいろな意味で見ていられなくなったからなのだろう。
さて、今朝方、その亮右衛門氏から事態終局へ向けての提案が来た。事態が動くのはもう何ヶ月ぶりだろうか。しかしその案はとても大胆な案であった。
曰く、××のものを氏が肩代わりして・・・(以下の部分は可成り政治的な駆け引きがあるので銘記できない)・・・なんとか終局へ持ち込む、というものであった。
氏としても、私とのつきあいが長いから、普通にやって私がこの案では受けないであろうということは先刻承知で・・・部分をつけて提案してきたのであるから、相当の覚悟があるようだ。
中々こちらも返答しづらいが、多分今日中に返事をした方がよいのだが、未だに返事をしていない。突っぱねているとか、機嫌が悪くなったとかではないから、もう一寸待ってってね。
とはいえ、・・・部分については、げに、と思わんではないのであるが、最初のところがな。この件、最近私としては、能力だとかやる気だとかという次元の問題ですらないという思いがしているのである。具体的にいうならば、最早倫理観の問題であると考えている(・・・具体的になっていない気もする)。一年半以上も、やりますやります、と言い続けているわけだからね。こういうことを言うと亮右衛門氏が、また旧世界の遺物みたいな観念を持ちだしてきて・・・と言うだろうけれども、これなくして人間世界は成り立たぬような気がするのである(段々話がズレてきた。ヤキが回って耄碌してきたのであろう)。
こんな提案を亮右衛門氏がしてくるあたり、終局へ向けて彼もまた真剣なのであることは、判ってはいるのだが、どうしても何の罪咎なく氏が肩代わりするという案は受け入れられない。これだけ諸方に迷惑を掛けながら、のうのうとしているというのが我慢ならん。そういうことをいっていては永久に終わりは見えん、と言われるだろうけれども、そんな筋の通らぬ話はない。××が腐った人間に成り下がってゆくだけである。だから、この点だけは譲れぬ。こういうことを考えているあたり、私も相当に頑固だと思う。
こういう錯綜があるから、なかなか返答できぬのである。困ったなあ。しかし、この事案を終局へ向かわせる好機は、どう考えても今回が最後なのであり、どうにかせねばならんが、上記の溝を埋めるには、余りにも時間がないのである。明日明後日には、結論を出さねばならないだろう。困ったことだ。万事休す。
抑もの始まりとして、某事を計画したのは私なのであった。当時、この集団のあり方自体に思うところがあって、折角頭数も揃っているから、ということで始めたのであったが、結局斯様の紆余曲折の中で、各人はバラバラになり、一部には連絡の取れなくなった人もいる(いや、狭い社会だから顔を合わせたりはするけれどね)。主導的立場であったから、斯かる望ましくない現状を作ってしまった責任を感じるのである。
まあ、回想したり、修繕を図ったとしても、今更何が改善されるわけではないのだ。だからこそ、今の人たち(主にKさん)には可成り申し訳ない気もするのである。このような全体の険悪さが昨年末の事件を引き起こした遠因ではないかと思うからである。
そういうことがあるから、何とか目に見える形で成果をまとめて、遅ればせながらこの集団に紐帯を、と思うから、どうしてもこの件については、完結を見たいのである。最近では、そういう思いのほうが強くなってきた。そう思えばこそ、妥協したくないのである。いや、どこかで誰かが妥協しなければ完結を見ない状況にあるのだが・・・・・・。
それに、・・・部分についても、何らかの見解を示さねばならないが、これは近いうちに亮右衛門氏と直にあって見ぬことには始まらぬように思っている。嗚呼、こうやって解決を先延ばしにするのだなあ。
嗚呼、こうして感慨を述べている間にも着実に時は過ぎ去って行く。しかし、体良い返事の文言は未だに定まらない。これは真っ向勝負しかないのかな。
かくしてまた、集団に溝を増やして行くのだな。紐帯を、と思いつつも亀裂を増やして行く・・・、それが某事の本質であったのかも知れない。決して意味のない企画であったとは思わないが、万感の思いが去来する。
いずれにせよ、どういう形にせよ、待ち望んでいた終局は確実に近づいている。