ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

121128 登り窯より作品の窯だし、緊張の一瞬!

2012年11月28日 | 趣味と交遊

今朝は小石原へ嘉麻峠越えで行くことにする。ナビをセットし7時40分出発。9時10分前到着予想とナビに表示されている。なんとか橋右と音声がでたが橋の手前か渡って右か不明。行き過ぎたがなんとなく手前と感じ戻る。しかしなんかぐるぐる回っている感じで到着予想が9時10分すぎとでている。が次々音声指示がでてそれらしい道に出る。10分前に到着。主要メンバーはすでに作業準備中。9時ミーティングあり窯だし作業が始まった煉瓦がひとつひとつハンマーで取り除かれ、焼成された作品群が姿をあらわす。メンバー一同緊張の面持ちで作品が取り出されるのを待つ。いい色合いの作品をみて歓声があがる。つぎつぎ出され、整理台に並べられる。

それぞれ自分の作品に一喜一憂しながら研磨作業が始まる

わたしの処女作品は白の釉薬をつかった果物器と惣菜器

黒の釉薬をつかっためおと茶碗とぐい飲みの5作品。先輩メンバーは一人で十数個制作している

釉薬が熱で溶けたり灰をかぶったりで微妙な色合いになっている。電気窯ではでない色合いとのこと。先輩ベテラン衆は大型の見栄えの良い作品を作っている。プロ並みのできばえのも結構ある。しばし研磨作業のあと窯元の奥様にだしていただいたお汁粉に舌鼓をうち談笑。昼前後始末をして、窯元の先生にお礼をのべて解散。あらためて帰宅後、実際にミカンなどいれてみる。自分が苦労して作ったオリジナルだから愛着がでてくる。ちょっと気合をいれて作品作りの構想を練ってみよう。

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121126 吉永小百合の「北のカナリアたち」を観る。利尻富士が美しい厳寒の地の人生模様!

2012年11月26日 | アフターセブンティ

ワーナーマイカル筑紫野、9時20分からの「北のカナリアたち」を観に出かける。前回、予告編で「終の信託」とこの映画が記憶に残っていたが疑似サユリストゆえ、北を観ることにする。湊かなえの「往復書簡(幻冬舎)」が原作らしいが私と同じ1945年生まれの吉永小百合が40代、60代の清新な女性を演じている。まったく違和感が感じない若さですね。学生時代、リュックを担いでいわゆる蟹族として2週間ばかり北海道を旅行、最北端の礼文、利尻島にもわたったことがある。東映創立60周年記念の映画らしいがスタート時の岩に波しずくが当たる画面は懐かしいね。中村錦之介、大友竜太郎、片岡知恵蔵など時代劇をよく見たもんだ。

 さてこの映画、バイオリンの響きとともに重々しく始まる。吉永小百合演じるところの離島分校の女性教師(川島はる)として余命半年の大学教授の夫(柴田恭平)と赴任、そこに男女3人づつの子供たちがいる。それぞれに家庭事情を抱えている。親の世界が子供の世界にも影響を及ぼす。おじさんと二人暮らしのノブという最年少の男の子、吃音で年上のイサムにいつもいじめられては大声で泣きわめく。ハルはオルガンでノブの泣き声にあわせメロディにのせてゆく。それにあとの5人も追随してゆく。子供たちのカナリアコーラスグループが誕生する。ノブの長所を発見してやり、グループの結束につなげてゆく。一貫したはるの関係する人に対する優しさの表出。コーラス発表会で島民の大喝采をうける。はるはしばし楽しい教師生活をおくるが病気に苦しむ夫に何もしてやれないことに心の痛みをかかえる。同じような心の痛みをかかえる警察官阿部(ナカムラトオル)が島に赴任してくる、この男にハルはいつしか心をひかれてゆく。こんな時に事故がおこる。合唱大会のソロをすることになった島のスナックをやってる母親の娘ユカ(宮崎葵)、その母親にたぶらかされている父親の息子直樹がユカをなじり全員が大ゲンカ、その後ユカの声が出なくなる。ハルの夫が気分転換にバーベキューでもしたらとすすめる。そこでナオキがユカに謝ろうとするとユカが駆け出し崖から足を滑らし海に転落、ハルの夫が助けに飛び込み波にさらわれ死んでしまう。ユカは助かったがこの事故の直前、ハルが姿を消し、阿部と会っていたことが発覚。この1件でハルは島を追われる。カナリアたちは歌を忘れる。

 ハルは東京で図書館士として働き定年を迎える。ここに刑事がやってきてノブという男が殺人の容疑者になっていることを聞かされ驚く。ユカは自殺しようとしたのか、ハルはなぜ阿部とあっていたのか、いうならばサスペンスドラマであるのだが20年後、島を訪れ5人と再会、それらの謎がひとつひとつ解かれてゆき、子供たちがそれぞれに心の闇をかかえていたことを知りハルもなぜあの時阿部とあっていたのかいきさつを説明する。警察に追われていたノブは島にもどり、隠れているところを警察官になったイサムに追い詰められ鉄塔の梯子の上から転落、病院に運ばれ生死の境をさまようが奇跡的に助かり人を殺したいきさつを吃音しながら刑事に話す。生まれながらにして不条理を背負ってきた真面目な吃音のノブという男の人生に刑事も憐れみを覚える。ハルのたっての願いを聞き入れ、分校のあれはてた教室で6人が最後のコーラスを合唱する。実は逃亡中のノブから電話をうけたハルが20年後の宿題発表に島に帰りなさいとすすめ、教室での再会となった。船でつれてゆかれるノブに先生も友達も皆あなたを愛しているわよ、必ず帰ってきてよと告げる。

 まさに一途な誠実な女を演じてきた吉永小百合にしかできない映画だと思う。はじめて吉永小百合がのキスシーンをみたが男と女の色恋を感じさせない切ないシーンではあった。亡くなった夫は海に飲み込まれてゆくとき手を振っていたと生徒の一人が告白、自ら死ぬつもりであったのだ。阿部に会いに行くように勧めたのは実は夫であり、阿部に死ぬなよ、生き抜けよと伝えてくれと言われ、ハルは阿部に会いに行ったということも明かされる。とにかく生きること、生きておれば必ずいいことはあるものよというメッセージをこの映画は送っているようだ。ネットではハンカチなしには見れませんよとあったが最後のコーラスシーンでは思わずうるっとくる。こんな映画をみると現在の世相や己自身の生き方が世俗の垢にひたりきっているかのように思えてくる。心が洗われる映画ではあった。

 

 

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121125 妻、岡山へ息子と。竜岩自然の家、探鳥会、29種目視!!

2012年11月25日 | 趣味と交遊

 登り窯から帰った夜、爆睡。夜中に息子が帰ってきたことにもきずかなかった。木曜日、福岡で会議、そのあと飲み会で遅い帰宅の息子だった。23日の祝日、岡山に帰る息子に妻がついてゆきたいという。熊本の旧友、地元の教習所で一緒だった40年来の女友達、そして娘一家が交友の範囲。昔、やっていた趣味も今はやっていない。内弁慶では困る。せいぜい遊んでらっしゃいと送り出す。JR二日市まで車で送り、その足でボーリングの例会に行く。10年あまり大阪で単身まがいの生活をしてきたから一人でいるのはどおってことはないが、ずっと妻が介護をしてきた義母が2年前に亡くなり、自分自身も65で完全リタイア。二人だけの生活が2年近くになった。ボーリングにきている女性陣にも夫に先立たれた人が多いが、一人で楽しそうにやっているように見える。あくまで見えるだけだがほんとのことはわからない。妻はそんなことには一切頓着ない、あまり考えたりしないたちだね。自分とはまったく違う。

日曜日、朝、晴れたので早めに起きて、宝満川のサギ、二日市神社の銀杏を撮って、そのまま、竜岩自然の家へ探鳥会に出かける。まだ一部にきれいな紅葉が残っていた。

バードウオッチング参加者は8名。いつものメンバー。寒いかと思っていたがいわゆる小春日和。気持ち良い日差しの中をゆっくりゆっくりウオッチングしながら歩く。野鳥の会のK氏がここについた時、キクイタダキを見たという。体重わずか5~6グラムの日本最小の野鳥だという。それはすごい出会いでしたねと盛り上がる。今日は冬鳥がわんさと出てきそうな予感。早速、こずえのいただきに「ホオジロ」がお出迎え。

このあたりは宝満川の上流になるが岩場に「キビタキ」がせわしなげにあるいている。

するとそこにばあーっと「アオサギ」が飛んできてわれわれの姿をみてくるりと飛び去った。

つぎにお出ましは尾羽を上下にふって「ジョウビタキ」がさえづっている。300ミリの望遠だからしかとは判別しにくいがKさんが先導して教えてくれる。あいかわらず第一発見者はK氏である。声と一瞬の動きを察知する神の眼をもっているみたいだ。待望の猛禽類のおでまし。ノスリ、ハイタカ、ハヤブサなどだが空高く、山際を旋回したりして肉眼でも発見しにくい高度。

最後のトリアワセでは目視で29種いましたねとK氏。キセキレイ、ハクセキレイ、セグリセキレイ。ホオジロ、アオジ、カワラヒワ、イカル。マヒワ、ウグイス、キクイタダキ、シジュウカラ、エナガ、ジョウビタキ、ヤマガラ、メジロ、ガビチョウ、スズメ、モズ、ツグミ、シロハラ、ヒヨドリ。そしてハシブトガラス、ハシボソガラス、アオサギ、キジバト。そして猛禽類3種というわけ。ほんとにこんなに見たかなと思うくらいだが写真に残すのは至難のわざ。まあしかしこのバードウオッチングもデジスコにコンデジ、照準器などフル装備で30数万円するらしいが好きな人は投資するもんだね。まあぼちぼちやります。

 

 

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121124 土と釉薬と炎と空気と灰との絶妙の統合芸術、登り窯を一昼夜40時間体験!

2012年11月24日 | 趣味と交遊

朝8時、小石原にむけ出発、いよいよ待望の登り窯実習。9時にT窯につくとすでに準備が始まっており、組まれた作業台に成形されたメンバーの作品が並べ始められていた。

けじめとして9時過ぎ朝礼、会長から挨拶があり作業が始まる。固まっている釉薬を水を加えて溶きほぐす作業を手伝う。大きなバケツに10数種類の釉薬が用意されているが底に固まっているのを解きほぐし成形品にかけ流せるようにしてゆく。

夫婦茶碗は艶あり黒、ぐい飲みは艶消し黒、皿は白に決める。まだ底に破水剤(釉薬をはじき、棚板にひっつくのを防ぐ)を塗っていない茶碗と果物皿に筆で塗布する。乾いた成形品を高台をもって、ひしゃくでまず内側にかけ流し、そしてじゃぶっとバケツに2~3秒突っ込み、そして釉薬を落とす。それを板に乗せて、指のあとがついている個所を筆で補整する。釉薬をかける前に紙やすりで成形品の表面をきれいにする作業はし忘れ。あとでネットでみて知る。まあ素材のあらけずり感そのままでいいか。できあがったメンバーの成形品を高さをそろえて3番窯に先輩がそろえてゆく。狭い窯の中での作業は大変そう。

三時半、3つの窯への窯入れが終了。窯焚き神事がはじまる。お酒や供物、塩などが窯におかれ、窯元頭首が火打ち石で点火するはずだったが残念ながら火打ち石器の不調でライターで着火。お盆での迎え火や送り火で炎には神聖な感じがするがこの登り窯でも焼き物の出来栄えはまさに神の領域、よい作品ができるのを祈りつつ薪をくべ続けるしかない。

炉の上にはなぜか沖縄のシーサーがおかれていたがじっと見守ってくれそう。3つの窯のその下にある窯に火がつけられれ大きな丸太が数本奥に入れられていたがこのあぶり工程がじゅうようとかで一晩かけて明朝8時ごろに一番窯が1000度になるように薪を順次いれてゆく。急激に上げ過ぎてはいけないということで交替で仮眠をとりながら続けて行くことになる。

最初は大変な作業になるのかと思っていたが初日は泊まり込みのメンバー6人と窯元の先生一家と飲んだり食ったりしながらワイワイ楽しい雰囲気で時間が推移。出していただいたイノシシや鹿の肉が大変美味で酒もうまかった。それに私は東峰村の星空を撮影するつもりで楽しみにしていたがまことに残念ながらくもり空で何も見えず雲の間から10分ばかり月が見えた程度でがっかり。前の晩は見事の星空だったと聞かされよけいに残念な気分。まあまたの機会に残しておこう。

窯元さんのお宅の立派な岩風呂に入らせていただき久しぶりの熱い湯で非常n刺激的。薪で焚いた風呂というのもすごいね。薪ストーブも大変暖かい。暑いぐらいである。一番窯の23時ごろには400度になっており随時薪がほりこまれる。

1M位の太い薪がほりこまれる。扉を開けた時の熱風がだんだんすごいものになってくる。興奮していたせいか、工房の薪ストーブのきいた部屋でしばし仮眠のつもりが結局ほとんで寝ずじまいで夜をすごす。深夜3時には700度、明け方の6時には900度まで上がっていた。

1000度近くになるとすごいね。炉のなかの炎はまさに渦巻いている感じ。

 

8時、一番窯が1000度になる。これであぶり工程が終わり扉がしめられ、次に一番窯の薪の投入口の煉瓦が取り外され、1250度になるまでこれからは5分おきぐらいで薪が投入続けられる。窯の上に設置されている温度計をみながらの作業。温度計のセンサーは窯の天上部につけられているので実際は1300度くらいまで上げないと成形品が置かれているあたりでは1250度にならないらしい。

先般準備した薪がどんどん消費されてゆく。

10時半ごろには1200度を超えた。陽をあびた窯の上部から煙が立ち込める。シーサーがじっと見守っている。

12時半ごろやっと1250度になる。3つの窯をだいたい4時間づつくらいで1250度まで上げて行くのが基本らしい。深い緑色の織部という釉薬などは上げるスピードが速すぎると緑色がとんでしまうとか。それぞれの釉薬による温度特性があり、なかなかむつかしいところだが予想外の色がでることもあるのが登り窯のおもしろさとか。一番窯の薪の投入口がしめられドベで封印されてゆき2番窯にうつる。このとき2番窯は900度をこえていた。ここでも投入口の煉瓦がとりはずされる。一番窯から炎が上がってきているのがみえる。上の窯になるほど余熱で熱せられているのでここで10分間隔での薪投入となる。

1.5Mくらいの長い薪が4~5本、5~60センチの短い薪が1000度になるまでは奥と手前に2~3本投入、13時半、1000度を超えたあたりから奥に3本、真ん中に2本、手前に4本と投入されてゆく。14時1056度、14時35分1135度、14時50分1150度、15時30分1200度、15時50分1212度、16時20分1235度。このあたりで2番窯の投入口がふさがれ、ドベで密封され、いよいよ我々の作品が入れられている3番窯の薪投入口が開かれる。センサーが2番から3番にセットしなおされ、この時の窯の温度は895度。登り窯最上部で煙突とも近いため排気口の調整がなされる。2番窯同様10分おきに薪が投入され35分後の17時に1000度に到達。19時まで時間をかけて1250度まで上げて行くことになる。5日後くらいから窯出しが可能となるらしいが我々の作品の窯だしと鑑賞会は1週間後となる。さてさてどんな作品が出来上がっているか緊張の瞬間が待ち遠しい。今回は5~6年ぶりの徹夜になったが素晴らしいメンバーの方々とともに貴重な体験をさせていただきました。感謝!!

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121118 わが家のペット、クサガメの亀吉、冬眠準備!

2012年11月18日 | マイ家族

わが家のペットはフェレットが亡くなったので現在、巨大金魚とクサガメのふたつ。金魚の水槽はすぐ汚れるので3日に一度は水の交換と水槽洗浄、朝夕2回のえさやり。クサガメは春夏は同じく定期的に水交換、2回の餌、固形ドライ餌、たまに刺身のくず。亀吉と命名されたクサガメは体長5センチくらいの時に息子が購入、爾来8年ばかり我が家のペットになっている。散歩につれてゆき、ウンチの後始末をする必要ない楽ではある。

このクサガメは分類学的には動物界脊索動物門、爬虫網カメ目イシガメ科クサガメ属に分類され、ペットショップの大半は大陸からの輸入品らしい。国産種は体長30センチ、大陸産は25センチくらいまで成長するとか。カメキは現在21センチほど。寿命は20年以上というからまだ十数年は生きそう。肉食傾向で雑食性、昆虫や果物、水草などなんでも食べるらしく泳ぎもうまいとか。変温動物で太陽にあたって甲羅干しして体の活性化を図る。したがって寒さに弱く25度以下になってくると食欲が減退、動きが鈍くなる。外気が10度以下になるといよいよ冬眠準備をしてやる必要がでてくる。

じっとしておればエネルギーと酸素も少量ですみ、皮膚呼吸で水面にでる必要はなく、寒い冬は仮死状態で過ごす。

30センチくらいのポリバケツに川砂を10センチばかりいれてやり、銀杏の落ち葉を敷き詰めて、水をさらに15センチばかりいれて、しばらく置いて、浮いてくるゴミをすて、亀吉をいれてやる。バケツのうえに板をひいておくと水中でじっとしている。そして押し入れなど気温変化の少ない押し入れなど暗所にいれて来春まで冬眠させる。来春暖かくなってくるとごそごそ動き始める。それまで「ゆっくりおやすみなさい」というわけである。

 

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121116 小石原へ、登り窯本焼きのためのまき割りにでかける

2012年11月16日 | 趣味と交遊

21、22日のT窯での本焼きのために小石原へまき割りにでかける。登り窯での40時間本焼きには膨大な薪がいる。住宅の解体廃材が集められており、それを薪割り機械で割っていく作業。陶芸クラブの新人だし、普通は電気炉で焼く陶芸教室がほとんどだが、本格的な登り窯で自作品を焼けるのが私の入会した陶芸教室の最大の売りらしい。なんでも体験してやろう精神で生きている私としては二つ返事でOKをだし、I氏の車ででかける。約1時間で到着、紅葉がきれい。気温は10度を割っており、作業場にはなつかしい薪式のストーブがたかれていた。あたたかい。

薪割りというとマサカリで1本1本割ってゆくというイメージで肉体労働をイメージしたがそれを薪割り機械がやってくれる。ただ割れた薪がどこに飛んでゆくか注意しないとけがをしかねない。なにせ解体廃材だから釘もでているし、異形サイズが多いの機械にセットするとき注意がいる。

何回かやってみるとコツがわかり、スムーズに作業がすすむ。割れた薪をサイズを合わせながらつみあげてゆく。両サイドは崩れないように井桁に組む。9時半から16時半まで作業、かなりの薪ができたがまだ倍以上薪を用意する必要があるらしいが残りは当日にまわすことにする

のぼり窯の原理は先生からまた講義をしてもらうことにしているが17時の神事からはじまり約40時間、1200度くらいの高温で焼き続ける。一番窯が1200度になると2番窯に熱風があがってゆく仕掛け。成形された陶器にかけられた釉薬が炎と空気、灰などがまざりあい、微妙な色合いを陶器につけてゆく。まさに神のみぞ知る創作の妙とか。21日から徹夜の作業が待っている。楽しみではある。ついでに夜の星座の運行を写真におさめればと思っている。

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121114 野田総理電撃解散宣言、結構でした!

2012年11月15日 | 辛口ひとりごと

 

14日の党首討論はおもしろかった。あれだけ野田総理をうそつき呼ばわりし、解散を迫っていた阿部総裁もびっくりだったろう。まさか党首討論の場で解散宣言するとは。ほんとに二人でこの場で決めてよいのかなどのたまわっていた。しかし民主党というのは組織の体をなしていないね。みずから選んだ社長のいうことにことごとく反対する幹部、社員のいる組織などありあえない。前原戦略相が今、バタバタしているのは自分のことしか考えていない輩だといったとか。まったくそう思うね。マニフェスト不履行、約束違反などいうが世界は日々流動している、それにタイムリーに反応していかないと勝ち残れない。消費税増税という国民受けしないことを決めてしまった、当然政治家がみずからも痛みをわかちあわないと国民は納得しない。定数削減を条件として阿部総裁にせまった野田総理、久しぶりに気持ちがよかったろう。第三局と称される連中もあまりの唐突な解散宣言に時間がないとか言っている。さすがに橋本市長、時間がないなんて何を言ってんだ、やるっきゃないと。

しかし政治は経済に優先するというがここ数か月、尖閣問題をじくに政治が経済を低迷させてしまった責任は大きいね。その張本人の石原太陽党は何ができるのかね。おりしも中国共産党、新旧総入れ替えする模様だ、わけのわからん国だがね。野田総理も反野田をいう輩は出て行ってくれと思っているのではないかね。現状組織のままの民主党では誰も票を入れないだろう。

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121113 内田康夫、浅見光彦シリーズ、「透明な遺書」、緊迫の展開で一気に読了!

2012年11月13日 | 趣味と交遊

2~3年前は藤沢周平や池波正太郎、佐伯康秀の時代小説。文庫本がずらりと書棚に並んでいる。最近は戦後史の正体など自分史をふりかえる観点からの書籍が読書傾向。先般、義兄が譲ってくれた推理小説が内田康夫のサスペンスミステリー。私立探偵、浅見光彦シリーズ、テレビ化もされている。これが実におもしろくどんどんひきこまれてゆく。去年、おなじく義兄がくれた「日蓮伝説殺人事件」「箱庭」もおもしろかったがあらためてこの推理小説作家のすごさに感じ入った次第。テーマが戦後史にからむ政財界、検察、警察、そしてやくざ、暴力団がからむ疑獄事件をテーマにしていたからなおさら面白かったのかもしれない。

この内田康夫という推理小説作家、1934年に東京でうまれ今78歳、軽井沢在住、囲碁を楽しみ、奥さんと豪華客船で世界旅行を楽しんでいる悠々自適の作家とか。いままでの出版物の累計発行部数は1億冊をこえるらしい。定価1000円とすると印税10%として100億円の収入となる。すごいもんだね。東洋大学文学部をでて日本テレビにはいりCMアニメやコピーライタをしたり、CM会社の社長も経験したとか。1980年、46歳の時「死者の木霊」を自費出版、翌年朝日新聞の読書欄で注目をあび、82年に商業ベースでのデビューをはたしたとか。浅見光彦シリーズも100冊をこえ、ほかにも岡部警部シリーズ、信濃コロンボシリーズがあるらしい。

しかしこういう作家の頭脳構造はどうなっているのかね。事実背景調査力、構想力、文章能力、すごいもんだ。まあ、とにかく、どんどんひきこまれてゆくその魅力はどうしようもない。いまから義兄がくれた2冊目、「上海迷宮」を読むことにする。

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121110 地元の市民文化祭開催、写真同好会作品展示!

2012年11月10日 | 趣味と交遊

地元のコミュニティセンターで毎年この時期文化祭が催される。土日の二日間、このセンターを利用している種々のサークルが日ごろの成果を発表したり、模擬店が出されたりする。わが写真愛好会も昨日、展示会場設営、作品展示を終え、今日10時文化祭がスタート、昼から会場当番ででかける。急に気温がさがり、外の模擬店はちょっと寒そう。豚汁やうどん、おでんなどがよく出ていた。

センター内では生け花や水彩画、水墨画、書道、彫刻、写真他ずらり展示。地区の小学生の絵画やサークル外の個人参加作品も展示されている。市民のための文化祭というふれこみ。明日は大研究室ステージで日本舞踊、フラダンス、社交ダンス、ピアノ演奏、カラオケ、民舞、合唱、詩吟、和太鼓、コーラス、太極拳など盛りだくさんのプログラムが組まれている。まあ、しらふでカラオケをやる度胸はないがみんな楽しみにしているようだ。

わが写真クラブは今回12点の出品、会場の制約でちょっとさびしい出展数ではある。わたしも三回目の出品体験。クラブ創設8年目になるがよく続いている。年会費も1000円でただみたいなもので制約もないのがいいのかもしれない。隣のコーナーはパソコンデジカメ研究会が出品、我々もほとんどがデジタル一眼になっているので展示サイズ以外だんだん境目があやふやになってくる。

子供がじっと桜、由布岳、特急湯布院号の写真に見いっていたがポピュラーなきれいな写真が一般の人には受け入れられるようだ。あすは天気も崩れる予想だが3時閉会までは降らずにいてほしいものだ。

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121108 実父の命日、義母の三回忌、墓参。特定健康診断3回目、中性脂肪値増。

2012年11月08日 | マイ家族

実父の命日が11月6日、義母の命日が11月8日、墓は市内平等寺をあがった山手の同じ場所にある。年に数回、墓参に訪れる。雑草ぼうぼうのほったらかしの墓も結構あるが我が家の二つの墓は墓石もこけむしることはない。義母の三回忌は4日に福岡の金龍寺で法要を終えている。こういう墓参の習慣はずっと引き継いでもらいたいものだが子供たちが多分やってくれるだろう。墓をきれいに掃除し、花を活け、お酒と水を置いて、線香をたむけ、般若心経を読経し手を合わす。2か所の墓を2時間ばかりですませる。さっぱりしたいい気分で帰宅。

先月3回目の市の特定健康診断の結果を聞きに行く。再検査を要する問題点はなかったが内臓脂肪値は標準値内だが上昇幅が大きい。摂取カロリーが多い感じはする。食後、寝酒代わりの焼酎はやめたほうがいいかもね。朝食は必ず取るし、昼ももちろん。料理講座などに行ってる関係で昼のチャーハンでも量が多そう。炭水化物のとりすぎかね。摂取分を燃やす毎日の運動量も足りないかもね。継続性が足りない。今宵は久しぶりに家内と25分ばかり歩いたがこの程度ではね。昼間、ステップアップ運動を200回ばかりやったが結構足腰に負荷がかかっている。毎朝、起床時、ストレッチ運動を10分ばかり継続しているがおかげで今年は腰痛に悩まされるということはなかった。毎日、継続してやっていることを増やすことにしよう。

たまたまTVでコレステロール対策が放映されていた。善玉コレステロールHDLは標準範囲は40-86、私は61で3年変わらず。これが40以下だと悪玉コレステロールLDL(標準70-119)が70以下でも要注意。私は125で去年より1下がったが基準オーバー。悪玉が善玉の2.5倍以上あると要注意らしい。コレステロール以上に中性脂肪(標準範囲50-149)が149以上の過大値だと超悪玉を発生させやすく要注意とか。私は80だったが前年より30アップ。基準内だが急上昇が問題だとか

改善対策は週3回以上、各15分以上の早足ウオーキング。食事はイワシ缶とわかめの生姜和えがよいとか。・・でした

 

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