ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

雪の大晦日、年末のご挨拶

2010年12月31日 | アフターセブンティ

 3月にリタイヤして9カ月余り、あと1時間ばかりで年があける。昨日から雪で、ベランダの雪が氷のようになって、朝方の太陽の熱で溶け始め、写真のような犬ぞりが走っている感じがしてマクロ撮影をした。雪の粒子が宝石のように輝いている。
 65歳といえば、作家の五木寛之流に言うと家族を養うために働く「家住期」を終え、なににも束縛されない「林住期」というすばらしい時を迎えたことになる。何にもそくばくされないというわけにはいかないが80歳まで生きるとして自由時間6万時間をどうすごすかということでいろいろ模索してきた。その徒然をブログに趣味の写真とともにのせてきた。毎回4~50のアクセスをいただき、はげみになり、ありがたく思う。同じような境遇の団塊の世代の方々の参考になりそうな内容にしようと思っていたが、まったく思いつき、アトランダムであまり役にたちそうにない。来年はもう少し体系的に整理できればと思っている。
 政治の混迷はいかんともしがたいが来年は株価もあがりそうな気配がする。財務内容がよくて成長性のある会社で底値の株式をちょっと無理しても買っておけばうれしいことになるのではないか。来年の読者の皆さま方のご健勝をお祈りいたします。どうぞよいお年を!!
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渡辺淳一の「孤舟」を読む

2010年12月30日 | アフターセブンティ

 渡辺淳一といえば時代を読み、ビジネスマンの願望をよく知ったベストセラー作家だ。「失楽園」や「愛の流刑地」など日経新聞に連載された時は仕事にでかける電車の中で毎日楽しみして読んだものだ。久しぶりに書店をのぞくと平台にベストセラーとしてつみあげられていた。20万部売れているらしい。テレビのエコポイントで交換した図書券をもっていたので購入。
 常務執行役員であった主人公が60歳で非主流派ということで子会社の社長に追い出されるのを拒否して退職してしてしまう。毎日が日曜日の生活になり、自由を楽しむどころか妻、子からけむたがられ、無視され、娘が家を出、妻も娘のマンションにうつりヨガの助手をして働くという。ペットのビーグル犬と広い家に残され、一人住まいを余儀なくされる。主婦の仕事の大変さを思い知るも、会員制デートクラブに入会し、娘くらいの年頃の女性との逢瀬を楽しみ始める。ホテルでの食事や酒代、車代などで大枚を浪費したり、数回デートをかさねるが、その女性との思いがとげられない。ある日、結婚すると告げられ愕然とする。いままで付き合ってきたのはやさしいし、おいしいものを食べさせてくれるし、自慢げに昔話もしないし、権威をかさにきないからつきあってきたと言われ、目が覚める。もう大会社の重役ではない、犬を散歩させている、ただのおじさんになったのだ。だから風呂掃除もし、ごみ出しもし、ペットの世話もし、なんならプライドをすてて、駐車場の案内係員でもなんでもやらなければだめということを
自覚すべき。明日から変わろうと決意するところで小説は終わる。
 作家というのはいろんな形で取材したり、テレビほかで情報収集して、創造力を働かせて小説を書くのであろうが状況設定が少々極端な気がしないでもない。今まで、自分の秘書をもち、部下を動かし、銀座の高級クラブで接待をし、午前様で帰っていた男がいきなり24時間家におり、妻や家族を部下と同じようなつもりで相対していたのならうまくいくはずはない。専業主婦の仕事はやってみれば分かるが大変な仕事である。退職金、貯金、その他財産、すべて折半して別れましょうと言われても仕方ないくらいだ

私の場合、62歳で10年ぶりに福岡に帰り、妻との生活に戻ったが、65歳までは週3日の勤務を継続した。収入は半減、立場も変わったがいつも妻と顔を突き合わせているわけでなく、母親の介護の応援もあったので何回か妻との間でいさかいがあったがソフトランディングがまあうまくいった方だと思う。

経験上言えることはリタイアをうまくするには
1、自由になる軍資金はある程度確保しておくこと(月5~10万円)
2、よく言われるように自分なりの趣味をもっておくこと(一人でできるもの)
3、家族のために稼ぐという役割ではなくなったのだから、妻との共同生活者の立場で自分でできる家事は応援すること
4、ビジネスマン時代の価値基準を家に持ち込まないこと。昔話もきらわれる
5、つまらぬプライドはすてること
6、できるだけ地域のひとと触れ合う、自治会役員もかってでる
7、家にこもっているとろくなことがないので、できるだけ散歩、ジョギングなどの生活習慣をつけること
いずれにしても、しがらみから解放された自由人をめざし、こころ静かに生きたいものである。
 
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「最後の忠臣蔵」に感涙

2010年12月28日 | 趣味と交遊
 
1年ぶりに映画をみた。去年の12月に山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」を見て以来である。バイクで15分ばかりのところのイオンモール筑紫野の3Fにワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野というシネコンがある。毎週1本みて映画評論を書いても面白そうだが今年はどういうわけか足が遠のいていた。シニア料金で1000円でみることができる。いままでは免許証の提示など求められたが最近は見た目でわかるのかフリーパスだ。雪まじりの寒い日だったが見る映画が池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」だからというわけではないが寒風を体感しながら劇場に駆けつけた。
 テレビなどの前宣伝で「今年最後に泣いてください、ポプコーンなど食べながら見れる映画ではありません」と言っていたし、もともと赤穂浪士の討ち入り、忠臣蔵といえば毎年12月ともなればキャストもかえて放映され日本人の涙をながさせたものだ。わが小青年期の大石内蔵助といえば長谷川一夫か片岡千恵蔵であった。

 池宮忠臣蔵は「47人目の浪士」で今までとは違う視点で赤穂浪士をえがき話題を集めた。大石内蔵助以下47士による吉良亭討ち入り、本懐をとげて切腹という形で終わったのではなく、切腹の列に加わることを許されず「生き証人として後世に討ちいりの真実を伝えよ」と内蔵助(片岡仁左衛門)より密命をうけた寺坂吉衛門(佐藤浩市)が16年の歳月をかけて残された浪士家族にその真実をつたえるという切腹より過酷な生きよという使命を果たしてゆく物語。ところが過酷な使命を与えられ討ち入り前夜に姿をけした浪士が一人いた。それが吉衛門と親友であった瀬尾孫左衛門(役所広司)で内蔵助から隠し子・可音(桜庭ななみ)の面倒をみてほしいと懇願され、裏切り者の汚名をうけながら、京都の奥深い竹林で武士の身分をすて商人としてひたすら可音を育て仕える。可音も16歳の年ごろになり、育ての親にいつしか恋心が芽生える。奥深い竹林のなかに咲いた一輪の花のごとき桜庭ななみの可憐さ、忠義と一抹の恋情に揺れ動く役所広司の信義の男の苦しみが大画面に加古隆の哀切の旋律とともに描きだされ見る者の心をうつ。
 さらに映画では当時上方ではやっていた人形浄瑠璃のだしもの「曽根崎心中」がかなわぬ恋のせつなさをいやがうえにもかきたて、この舞台が可音と豪商茶屋四朗次郎のあととり、修一郎(山本耕史)との出会い、さらには16年ぶりの吉衛門と孫左衛門の再会が実現する。そして一切の誤解がとけ、可音は茶屋家に嫁いでゆく。祝言の夜、づっとともに可音を育て教え、自分の面倒をみてくれたゆう(安田成美)と一緒に暮らすことを「私は武士でござる」といって断り、切腹して果てる。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」と葉隠にあるが現代人には理解しがたい生き方ではある。数年前にみた「ラストサムライ」を思い出したが、二時間半ばかりの映画が終わってもしばらくシートに座ったまま考えさせらた。
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クリスマスイブ・ボーリング

2010年12月24日 | 趣味と交遊

リタイヤしてなにかスポーツをと思っていた。年に数回、宝満山に登ったり、往復1時間弱のジョグ&ウォーキングを週に何回かやるだけだった。いつも行く散髪屋の主人がゴルフをしましょうと盛んに声をかけてくれる。ゴルフは息子はしっかり仕事にも活かして楽しんでいるが私はクライアントの社長が今時ゴルフもやらんでどうするねとご本人が前に使っていたというリンクスのゴルフセットをおくってくれた。ここまでしていただいて何もしないわけにはいかず、近くのゴルフ練習場へいき、プロの指導付きのチケットを購入して練習を始めた。フォームばかり気にしての練習が続いたが楽しむレベルにいたらず、コースには1回出たきりで、なんせ気分的に24時間体制の仕事ゆえ結局それっきりに終わってしまった。

 リタイアに前後して、新聞にシニアボーリング教室参加者募集のチラシが入っていた。1回500円で5回で、火木金、午前午後の5コースから選べる。女性50歳以上、男性60歳以上とある。ボーリングなら学生時代やっていたしアベレージ150くらいはいっていたから、時間的にも週一、2~3時間だし、費用もゴルフと違ってしれている。さっそく申し込んでいってみると、男が3人、女が7人、平均年齢は60くらいかな、指導員がいて基本を教えてもらいながら3ゲーム位をなげる。ボーリングくらいとたかをくくっていたがなかなか安定せず、アベは100少々、がっくりきた。しかしながら結構楽しく5回コースを修了して、せっかく知り合ったから継続しようということになり、会長、副会長、会計を決めて、3500円で会員になって(月3ゲームの無料ゲーム券つきで靴もかれるのでほとんどチャラ)毎週1000円の会費、うち100円はつみたてて親睦にあてたり、Tシャツを作ってもよい)で継続、はや12月、今年最終のクリスマス例会となった。

 腕のほうはハイゲームがはじめて206点をだしたこと、190点台2回、170点台3回でアベレージは150点台、やはり安定はしない、ヘッドピンをはずすことが3ゲームで何回かある。たかがボーリング、されどボーリングだ。まあシニアプロを目ざすわけではないから女性陣とわいわいキャーキャーいいながらの2時間は結構ストレス解消になる。途中マイシューズを3500円で購入したがマイボールにはいっていない。ハウスボウルはみな穴が太めでフックボールがかかりにくい。マイボールにすると指の第一関節で握る形になり、ピン手前でぐぐーっとフックするボールが投げられる。まあいずれ2万円くらい投資して作ってみてもいいとは思う。
 新年ボーリング大会は年明け7日、終わったら新年会をやることに決め散会。ところでボーリングクラブ名はエンジェルボーリングくらぶ、Tシャツは明るいグリーン色である。
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云十年ぶりのコンサート、葉加瀬太郎のバイオリンに酔いしれる

2010年12月23日 | アフターセブンティ
 
葉加瀬太郎の20周年記念コンサートIN福岡シンフォニーホールに出席、感動の150分であった。若いころは音楽が好きでギターをやったり、民音に入ったりでコンサートもよくいった。それがコンサルタント稼業になって、24時間経営者と同じ立場で仕事をするという大義のもと、とんと御無沙汰、数年前に会社の親睦会(給与の1%を積み立て、会社が1%負担する福利厚生制度)でキャッツの公演を見たきりで、からきし文化的匂いから縁遠い生活をしてきたものだ。2か月に1回くらい、歓迎会や送別会ほかもろもろ状況対応でもっぱら飲み食いばかり、しかし二万円をこす豪華食事などできはしたが)
 友人が去年末、夫婦で聞きにいって、大感動したという情報が頭に残っていたものだから8月にコンサートの案内が新聞にのり、パソコンで予約(6800円)、セブンイレブンでチケット交換したが席の希望はできなかった。1F16列39番、前方右端でスピーカーが邪魔になりドラマーの顔が見えなかったがまあまあのポジションだった。
 地下の蕎麦屋で腹ごしらえをして20分前に着席したが8割方うまっていた(アクロス福岡のシンフォニーホール、2000人近く収容可)。女性がめだち、はげたおじさんの姿もちらほら、子供をつれてきている親の姿も多い。テレビの情熱大陸やNHK朝ドラの「てっぱん」の影響もあるのか・・。
 バイオリンの葉加瀬太郎を軸にピアノ、ギター、ベース、チェロ、ドラム、サックスなど総勢8人のクラシカルバンド?。18時半、メンバーが「私の音楽20年マーチ」を演奏しながら場内を行進することでコンサートが始まった。これで一気に場内が盛り上がる。
 1990年にバイオリニストデビューしてから20年、子供心や夢をキーワードにした記念CDに収録されている新曲を軸にプログラムが構成されている。間に福岡だけのオリジナル曲(FUKUOKA・・アルファベットと音階を対応させて曲をつくる実際を紹介)やバイオリンをひいたことのない客(今回はどこかの寺の尼僧さんが壇上へ)に引き方を教えたりで変化があってあっておもしろかった(題名のない音楽界手法だが)
一部の終わりはチゴイナルワイゼンの葉加瀬流アレンジ、最高に盛り上がった。たいした演奏技法だ。2部はテレビ番組のテーマ曲などが中心に展開され、ラスト曲では聴衆全員がたちあがり、手拍子やウエーブで最高潮に達し終了、アンコールの拍手にこたえた最終曲がひまわり(てっぱんのオープニングテーマ)。ステージ背面がひまわりでいっぱいになり、バイオリンの透き通るような響きが場内にみち、コンサートは拍手の嵐の中で終了。来年は女房をつれて聞きに来よう。感動の150分であった。
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二つのうれしいこと。昨日の円楽師匠の話のおかげかな!

2010年12月20日 | アフターセブンティ
 
今日は二つうれしいことがあった。心はればれである。2週間ばかりブログは休止していたがパソコンにワンクリックウイルスが感染したことと妻との価値観ミスマッチへのいらだちが原因だった。
 ウイルスはたまたま住まいの近くに「パソコンライフサポート」という表示が洋風一戸建住宅の玄関にかかっているのを信号待ちをしていた時発見、電話番号を確認して、あとで電話。「よくある事例ですよ、パソコンをもってきてもらえればすぐ診断できますよ」消しても消しても処理請求画面がでてくる。まったく頭にくるウイルス。古いパソコンで確認すると表示はでてこない。いっそ買い替えようかと思ったがデータがしこたま入っているので迷っていた。若い社長だったが症状をみて、なにやら操作。ウイルス削除ソフトを入れたとのこと。10分ででてこなければ削除成功です。待つのは長かったが成功。よかった。成功報酬5000円だという。安かった。コンサル時代は月、半日2回訪問して30万円もらっていた。ほんとに価値ある仕事ができていたか?
満足客はベストセールスマン!もろもろ案件があれば紹介させていただきますと思わず社長にいってしまう。若い起業家を応援したくなる。

 気分良く帰宅すると妻がミシンをひっぱりだしてなにやらつくっている。キルティングの生地をパソコンでオーダーして私の趣味の写真作品(全紙サイズで額をいれて75×60センチくらいある)を搬入する時などに使う大型の肩掛け袋を縫っているという。君も写真やったらどうと声をかけてもノーという。すべからく波長があわない。今に始まったことではないから夫婦といってもひとそれぞれと割り切っていたが少しでも自分の趣味に歩み寄ってくれた感じでうれしかった。クリスマスプレゼントだね。お返しは何がいいかね。パソコンで黒ダイヤのピアスがオークションででていた。3000円だという。ほんとにそんなのでいいの・・・

 昨日、今年の1月から参加している九州市民大学の最終講義がアクロス福岡であり、三遊亭円楽師匠(楽太郎から3月、6代目円楽を襲名)が講師。落語でも聞けるのかと思って出かけたが「笑いのある人生」という演題の講演であった。さすがに落語家で大学の講師もしているとかでまるで漫談のようでおもしろかった。この大学の受講生は8割がたが女性、だから笑いの反応が早い。それにひきかえ男は素直に笑わないのが多いとかでその歴史的背景もうまく説明していた。まあ動物やペットとちがい人間だけが笑うこと、考えることができるわけだから、ボケないためにも大いに考え、大いに笑うこと。さらには60もすぎたらじたばたしても仕方ないので、良い意味であきらめ、あるがまま生きることが大事。なにやら笑ってばかりいたので内容ははっきり思い出せないくらいだが愉快な90分であった。そんな開き直りの、前向きなリズムが今日の二つのうれしい出来事を起こしてくれたのかなとふと思った次第である。
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お財布と身体の健康増強セミナーに出席

2010年12月08日 | アフターセブンティ

 西日本新聞の無料マネーセミナーが天神で開催され出席、事前に申し込み、送られてきた受講券を持参して参加、エルガーラ8階ホールは満席。13時会場、13時半開会、平気で遅れてきてごそごそ席をさがす客には興ざめ、まったく非常識。
 講演はなかなかよかった。第一部のお財布の健康についてはJPモルガンアセットマネジメント副会長の中井氏。レジュメもよく、中高年の投資の勘所を教えてくれた。
 仮に65歳で貯蓄が3000万円、年金月23万円だとしてゆとりある老後のためには月38万円いるらしいが、15万の不足を預金とりくずしでいくと15年80歳で預金は無くなる。2%で運用すると84歳、4%で運用すると90歳までOK。
 預金金利はこれからずっと超低金利が続く(したがって預金はだめ)だから目標とけじめある投資が必要。ポイントは長期投資と分散投資。
 アメリカが量的金融緩和策第二弾QE2で50兆円の金が世界にばらまかれる。投資マーケットが動く。
 ウオール街の相場格言。「強気相場は悲観のなかに生まれ、懐疑のなかで育つ」まさに今の環境。市況が底の段階で無理してでも買い、ちょっと上向いたら利益確定のため早く売る(高値期待して持ち続けたらだめ)・・「楽観の中で成熟し、幸福感のなかで消えてゆく」長期投資と長期保有は違う。損する投資家は上昇機運のなかで株を買い、下落局面で悲観し、今や上がることを祈る哲学者になっているのがほとんど。
 私もネット投資をやっているが、ネット上で儲けた分が今、すべて含み損になってしまっている。すなわち稼いだ金はすぐ現金化してしまうことが大事ということ。

 第二部は78歳になられるあの世界の三浦雄一郎さん。目標、夢をもち、つらくない努力(日常生活に負荷をかけトレーニング)を継続することが大事という。
65歳当時、身長164センチで体重80キロをこし完全にメタボ。エベレストを征した男が住まいの札幌の500Mの裏山が登れなくなっていた。一念発起、5年後70歳でエベレストに登頂する目標設定。両足に3~5キロのの重り、背中に20キロの荷物を担いで普通に生活。2年で富士山に登れ、70歳最高齢エベレスト登頂を果たした。

 やはりテーマをもち、期限を設定することが大事と再認識した。ただし好きなことをストイックにやめてしまう必要はないとのこと。
 例によって蕎麦屋に立ちより、出し巻き、野沢菜、熱燗2合をやりながら鬼平犯科帳を読む、ざるそばで締めて、帰宅19時であった。
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体験農園ー収穫祭。500円検討の手料理持ち寄り今年のやさいづくりの反省会

2010年12月06日 | 趣味と交遊

 約10坪の土地を年間2万円でレンタル、この春からはじめた体験農園がはや12月をむかえ、先日、今年のやさいづくりの反省会をかねた懇親会、収穫祭があった。キューリ、なす、トマト、枝豆、トウモロコシなど春夏野菜は猛暑の影響で収穫のばらつきが大きく、まったくど素人の私など野菜づくりのイロハのイの字もわからない人間がよくやったものだが同じ畑で、同じ種で野菜作りをしながら出来具合の差はおおきかった。土づくり、雑草とり、水やり、普段からのメンテナンスが成果を左右する。ビジネスや営業の世界とまったく同じだ。苦労もあったが、自分でつくった無農薬野菜を生でマヨネーズをつけて食べる、とくに二十日大根など最高だったね。

 不作だった春夏やさいから奮起一番、秋冬野菜は成果はばっちりだった。この写真手前からニンジン、ごぼう、ネギ、さといも(春うえ、収穫まち)、春菊、ホーレンソー、二十日大根、小松菜、カツオ菜、水菜、レタス、ブロッコリー、白菜、キャベツ、大根、かぶと大成果。といっても朝どり市場の価格などみてみるとレンタル料がペイできたか疑わしいが汗だくだくで熱射病になるかと思うよななかで田作りえをして、立派に成長した大根やかぶをみるといとしさがつのる。
 40名ぐらいのメンバーがあつまり、それぞれ手料理を持ち寄っての収穫祭はたのしかった。農大の先生から優秀賞3名の発表があった。評価基準は成果とメンテナンスの両面。おおきく成長していても雑草ぼうぼう、つかった保温用のマルチシートほったらかしなどは減点。なっとく。奥さん方は成果はともかく料理方法に関心大。くさやなども焼かれたりして初体験のたべものも何点かあった。写真や陶芸で知り合った人も同じメンバーだったりしてたのしいひと時だった。この体験農園は西日本新聞などでとりあげられたりして福岡での草分け的な存在のようである。
 農大の先生曰く、せっかくの成果を収穫しないひとがいるのが残念。意外と家庭で計画的に使われないものだ。野菜がたかいたかいといっていながらである。我が家もそうだが、近くの友人に取り立てを提供、大変よろこばれた。1月中に収穫してしまい、23年度の準備にはいる。来季もぜひ継続しようと思っている。レタスで肉をまいてガブリ、ビールもうまい。
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