ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

110926:ギリシャ国債半値?リーマンショック再来?

2011年09月26日 | 辛口ひとりごと


<3年前のリーマンショック時の保有株の含み損85万円>
 ギリシャの財政破綻危機を軸としたEUヨーロッパ経済危機の先行き不透明感やアメリカ経済の低迷などから世界同時株安、今日の日経平均も186円下がって8400円をわりこみ8374円でひけた。世界経済メルトダウン、リーマンショックの再来か?
 3年前の8月、日経平均株価が13000円台であったのが9月16日に世界第4位の証券会社、リーマンブラザーズが倒産し11600円まで日経平均がさがり翌10月10日には5年ぶりに9000円をわり8276円にまでさがった。その時の私の保有株式の含み損は85万円ほどになっていた。
金融機関への公的資金の投入や新興国の高度経済成長により翌年6月には日経平均も1万円を回復、2010年4月には11000円まで戻ったが5月にはまたぞろギリシャ金融危機が再燃、1万円を割った。
今年の1月4日10398円でスタートした株式市場は上場企業の好業績を背景に12月には12000円を突破するかの予測がなされていた。株価は今が底値で株式投資の絶好のチャンスで無理してでも買っておくべきとの専門家と称する人たちのご託宣であった。
そんななか、3月11日、東日本大震災勃発で回復基調にあった日本経済も減速、円高が追い打ちをかけ、日経平均も1万円をこえるどころか8500円~9000円をいったりきたり。週刊誌ネタでは暗黒の世界経済を予測し大暴落がくるから即刻現金化しておき、底値になった時の購入資金として準備しておけといった情報が踊った。
ギリシャがデフォルトに陥り、負債の返済ができませんという非常事態におちいると、ギリシャ国債などを保有しているEU諸国や世界各国の金融機関に大ダメージを与え、株価大暴落の引き金となる。G20などが行われても市場に安心感をもたせる打開策がなかなかでてこない。それがニューヨークや東京の株式市場に反映、今日の株価となったようだ。

<今日時点の保有株式の含み損100万円>
含み損の半分は銀行株、太陽電池や復興関連、自動車関連なども軒並み下がっている。
日本の国債発行残高がGDPの2倍以上で世界1危ういはずだが国民の金融資産1200兆円を背景とした国内保有比率が高いので相対的に安心感をもたれ、円高基調がおさまらないが、震災復興やデフレなどにより日本日本経済が低迷、さらに財政が悪化すれば第二のギリシャになりかねない。さあ、この際、損を覚悟に保有株を現金化し、暴落時の株購入資金を確保すべきか。世界の良識を信じ、日本企業の底力、日本人の叡智を信じ、株を長期保有しておくか、分かれ目ではある。まあ、どちらかと言えば後者なのだがね。この3年で株取引上の利益は毎年10数万円でているが、含み損は損切りの決断不足の結果である。保有企業の経営基盤はしっかりしていると思えるが株価だけは外国投資家の動向や為替動向などで上下してしまう。
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110922:「やがて死ぬ けしきも見えず 蝉の声」・・芭蕉

2011年09月22日 | アフターセブンティ

 
 台風15号の影響で日本各地は大変な被害や影響がでている。名古屋や東京など大都市は意外とかんじるほど災害に弱い。山、谷、川、海と共生しているいじょう、ひとたび想定をこえるレベルの風雨、地震などにさらされるとインフラがおっつかない。下水に想定以上の水が流れるとマンホールをふきとばし、地上に水があふれる。去年、私の住む住宅団地の下水道が県から市へ移管された。井戸水から市水にかわった。その時に思ったことだが180世帯、ざっと700人が朝、一斉にトイレを使う。ざっと水で汚物をながす。それらがつまりもせず、どこへ流れ、たまり、浄化され、どこへながれてゆくのか。あたりまえのように電気や水やトイレやつかっているがひとたびどこかが詰まったり、とまったり、オーバーフローしたら悲惨なことになる。安全や豊かさとはなにかを考える必要がありそうだ。

そんななか、わが家の庭でまだ蝉が鳴いてる。8月には夕方になるとカナカナカナとひぐらしが鳴き、9月にはいると裏山のほうでツクツクボウシが鳴き始め、季節の移ろいの予感を感じさせてくれる。その法師ゼミが庭先で「おおしいつくつく」と鳴いている。モクレンの樹にとまっているがどこにいるのか樹と同系色でみつけにくい。雨がやみ、太陽が顔をだすと鳴きはじめる。地上に出てくるのが遅かったのかどうかはわからないが一生懸命ないている。
 まさに芭蕉がうたった、「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」が実感として伝わってくる。
 鳴くのはオスのみで、メスは鳴かない。蝉のメスは樹皮に産卵、孵化した幼虫が地中に入り植物の根から養分を吸収し、数年から最長17年、土中で生活。さなぎになったあと地上にでて樹に登り、背中から割れてその皮をぬぐ。成虫期間は10日から20日、ひと夏の命。まさに今を生きつくすと言った感じで鳴いている。ひとの命もあすはどうなるかわからない。今を最高に生きる!この姿勢が大事なのだろう

蝉の季語の俳句はせつない
 蝉の殻 流れて 山を離れゆく  三橋俊雄
 子を殴ちし ながき一瞬 天の蝉 秋元不死男
 あるときは うつぶせしまま 朝の蝉 赤尾兜子
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110918:モトクロスレース初めて観戦、激撮!

2011年09月19日 | 趣味と交遊

友人の誘いでモトクロスレースの撮影にでかけた。台風15号の影響で南九州は雨予想、レース会場のホンダ技研熊本工場は九州自動車道、菊水ICをおりて約1時間の菊池郡大津町にあるが天気も心配だが、雨が降ってオフロードコースがぬかるんで、そして雨がやんでくれるのが一番撮影にはグッドとのこと。泥しぶきをあげて空中にまいあがるバイクを激写するというわけだ。
 天神、日銀前出発の大型バスには写真好きシルバーが40名ばかり、女性も半分近くシートをしめて、かしましくおしゃべり。どこでも女性は元気だ。私の隣席の男性は奥様が急に出れなくなって自分がかわりにきたというが最近、写真の初心者コースにかよいはじめたらしい。天神から基山経由で2時間、2気筒バイクの甲高い排気音がきこえてくると、みなそわそわして降車準備にかかる。写真指導の先生が撮影のベストポジションと高速シャッターで空中のバイクをうつしとるのと低速60分の1くらいで流し撮りするなどポイントを教えてくれる。まずは中高年、おもむろにトイレをすまして、先生のあとをぞろぞろ。三脚を広げ、撮影体制にはいる。

スタートして約10分、起伏のあるモトクロスレースコースを劇走する最初のヒルを飛び上がったところを一斉にとる。レースの監視員にピントを合わせ、いわゆる置きピンをして、そばを飛び上がるバイクを連写する。そろって飛び上がるのは1周目だけで、あとは1台か2台で何周かまわる。1台で目の前にきたバイクは流し撮りである。

何レースかばちばち撮ったがなかなか難しい。高画素で連射するとSDカードに記録するのに時間がかかるのか、この画像は観れませんなどモニターに出たりして焦る。やはりSDカードもいいのを使わないと記録速度が遅いということがわかった。またひとつ勉強した。サンディスク社のエクストリームプロというSDカードがいいらしいが4ギガで3~4000円するらしい。
九州大会といっても全国から選手、家族がキャンピングカーらしきもので大挙やってきている。昼から子供レースもあるらしいが親の方が心配そうにあれこれ面倒をみている。バスにもどって、途中コンビニで調達した弁当をたべる。レース場周辺には売店もない。午前中の激写で少々疲れた。

一休みしたのち午後、子供のレースが始まる。50CCのバイクだが装備、スタイルは立派なものだ。コース点検のバイクが1周して帰ってきてOKサインをだす。フラッグがふられ一斉に排気音をMAXにあげて走り出す。さすがに成人ほどのジャンプはみれないが悪路を懸命にバイクをあやつり走っている。親が一所懸命、こどもにサインを送っている。家族あげてやっているのだろう。
転倒というのは1件ぐらいの発生だったが単調と言えば単調だが排気音に酔いしれた1日であった。



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110915:体験農園、秋冬野菜、酷暑のなか、うねづくりスタート!

2011年09月15日 | 趣味と交遊

 秋冬野菜、一挙に種まき、苗植え。残暑のなか熱中症になりそう!
体験農園2年目、いよいよ後半戦に突入。T農園のN氏が春夏野菜の跡地に耕運機をいれ、秋冬用の用地づくりをしてくれたあとを、それぞれが作付計画にそって、肥料を入れ、ウネをつくり、苗をうえたり、種をまいたりする作業をせねばならない。これが短期間に集中し結構大変な作業なのである。去年の反省をもとに、先行で徐々に準備を進めてきた。

春に種イモを植え付けたサトイモと6月ごろ植えた生姜、落花生が収穫まちだがその隣に葉ものの畝をつくる。まず油粕と化成肥料の混合肥料をまいて、鍬で耕し、石ころや木くずなど排除し、溝は10~15センチの深さにして、土面を平らにして畝をつくる。こんな畝をニンジン、ゴボー用、レタス用、大根かぶ用、キャベツ用、白菜用、ブロッコリー用、さらにはネギ用と一挙につくりあげてゆく。これを3~4日にわけてつくりあげてゆく

作業を始める前に農業大学の先生からレクチャーがある。
1、秋冬物の準備種まきはお彼岸までにやってしまうこと。このお彼岸の23日が分岐点。
2、うまく育てる基本は草取り(やさいづくりの70%)と虫対策。防虫ネットのタイミングを間違うとネット内が病害虫の繁殖室になってしまう。苗葉の裏に卵をうみつけられないよう注意してネットを張ること。虫よけには貝殻などもOK。
3、キャベツや白菜などの結球性の野菜は外葉をきっちりつくること、ブロッコリーなど花を食べる野菜は花芽をきっちりつけることが肝要
4、大根かぶは今が播きどき。大根は土中の石を排除しておかないとまた根になってしまう。
5、落花生は9月末、生姜は10月末収穫、葉が青いうちは土中でまだ成長中。などなど講義。
暑いので作業にかかる。
ブロッコリー、白菜、キャベツ、レタスは苗をうえる(植生)。土は細かくふるいにかける必要はなく、多少ごろごろの土のほうが水や空気の浸透性があってよい。(今まで暑い中、余計な仕事をしてきたみたい)
大根は30センチの間隔をおいて、かぶは15センチ間隔で種をまく。はものは15センチの条間をおいて春菊、ホーレンソー、水菜、二十日大根などの種を筋蒔き。
陽が昇り温度がどんどん上がり汗だく、倒れそう。
 用意してきた保冷ボトルのスポーツドリンクを一気に飲む。晴れ渡った青空をみながら飲むクールドリンクは実にうまい。生ビールに匹敵するね。
 うまく育ってくれるように願いながら苗と種をまく。このあとは水やりと虫対策と雑草取りそして追肥をほどこすメンテナンスの良しあしが収穫を左右することになる。
あとの方が大変と言えば大変なのである。
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110913:十数年ぶりの屋上ビアガーデン、完全セルフ化!!

2011年09月13日 | アフターセブンティ

 まるで七夕様のように1年があっという間にすぎて、またコンサル会社の先輩OBお二人と再会。去年は山の上ホテルで会食したが、今年は天神界隈で唯一生き残っているという福ビル屋上ビアガーデン。エレベーターで屋上まであがり、入り口で飲み放題食べ放題1人前3300円をはらい予約席へ。若い女性スタッフはいるが席への誘導が仕事かほかには何もしていない。席に陣取ったのは良いがじっとしていたら何もこない。料理はバイキング方式、ジンギスカン用の肉は保冷庫にいれてある。生ビールは銘柄別のサーバーまで、ビアジョッキを棚からとりだし、もってゆき自分でいれる。あとの一人はトレイに料理を適当につめて席に戻り、とりあえずカンパイ。

 ビールは冷えてうまかった。しかし、なんでもかでも自分でやらねばならないのはめんどくさいし、サービス業の意味がないね。まあ、このスタイルにしないとやっていけないのかね。
 秋田から毎年、来福する先輩は70を超えているが血色のよい顔つきで元気そう。今回の東日本大震災では秋田はほとんど被害がなかったようだがコンサルの仕事はなかなか厳しいもよう。元気そうに見えたが帯状疱疹でひどい目に逢っているという。福岡在住の先輩は今年70になるとか。ぼちぼち75にむけた人生の店じまい準備をしておかなくちゃなどと言う。

「友、遠方より来る、楽しからずや」で料理に舌つづみをうちながら、杯を重ね、大いに語る。幸せなひと時である。それぞれ持論をもち譲らないのはコンサルタントのサガだがこだわると疲れる。とらわれず、あるがままにを標榜しているがつい昔仲間が集まると気勢をあげてしまうのは仕方ないかね。ジンギスカンの羊肉もやわらかくうまかった。2時間でひきあげ、いつもの店でカラオケでしめる。また来年9月、元気に会えるよう握手して別れる。22時の西鉄特急で帰路につき自宅へ22時40分着、ごみをだして、シャワーを浴びて暑い一日が終わった。
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110911:「日本人と宗教」・・宗教学者、山折哲雄さんの講演

2011年09月11日 | アフターセブンティ

 久しぶりにアクロスホールでの九州市民大学に出席。今回は80歳になられる著名な宗教学者、評論家である山折哲雄さんの講演。演題は日本人と宗教。東北三陸海岸を歩かれての実感をともなったお話。海外では大災害を前にして泣きわめき、おのが不運を嘆き悲しむのに日本人は災害を前になぜこのように静かにしておれるのか
 震災前、日本では無縁社会になってしまったと言われ、震災後、家族のきずな、助け合う日本人の絆が見直され「絆社会」と言われた。が問題とすべきは死者との絆が失われているのが憂慮すべきという。

 寺田虎彦という作家であり地震の権威者がいた。日本は西欧とちがい地震列島であり地震は予知できず人間は無力である。ここから「天然の無常」という考え方ができた。
お釈迦さんの言う無常には3原則があり、一つは永遠なるものは何一つとしてない、二つ目は形のあるものは必ず壊れる、三つ目は人間は必ず死ぬ。の3つである。この考え方を西洋人は受け入れることができない。だから大災害を前にして泣き叫ぶ。ところが日本人には無常感がDNAとして刻まれているという。予測もできないから、普段から心の準備をしておく。地震が起きてからではじたばたしても仕方ないと考える。だから地震は宗教問題であるというわけだ。

 一方で台風という災害がある。同時期の東大の倫理学の教授に和辻哲郎というひとがおり「風土」という著書で台風が日本人を作ったと提唱している。5年前に関東大震災の経験をしているにもかかわらず、日本人と地震との関連にはふれていない。
 世界の風土を3つに分類。牧草型社会、砂漠型社会(キリスト教も仏教も乾いた風土に根ざしており共通項がある)、3つ目がモンスーン型社会でここに日本が属している。受容的、忍従的、しめやかな激情、戦闘的恬淡などが国民性のキーワードとなるとしている。
 そこで今回の台風12号で近畿でおおきな被害がでたが、台風というのは季節性があり、南から北にぬけてゆく。だからある程度備えができ、威力を発揮するのが人間と人間の関係だという。だから倫理学の問題だというのである。
 地震は宗教、台風は倫理。
 日本は戦後、国防はアメリカに依存し、経済1本でがんばり、まさに松下幸之助が理念として提唱した「水道哲学」。無尽蔵に電気製品をやすく世界に提供するという理念を実践、世界のパナソニックになり、日本は経済大国になった。湯水のように電気をつかい文明の恩恵を受けてきた。それが原発事故を契機にリスクや犠牲はまっぴらという民意になってしまっている。安全はタダのように錯覚してきたのである。いつのまにこんなエゴイスティックな日本人になってしまったのか、と山折さんは問題提起する。アメリカのみが福島で戦う人たちをヒーローと表現した。日本のマスコミで彼らをヒーローと表現したのはどこもない。ここにリスクなき繁栄があると思いこんでしまっている日本人の危うさを感じる。 
 寺田虎彦、和辻哲郎という日本のすごい先達のいたことを事例にした含蓄のある日本人論であった。
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110905:武蔵寺写経会のあとレストランアラスカでコンサルOBと再会

2011年09月05日 | アフターセブンティ

 前職のコンサル会社OBが失業者の再就職支援長期セミナーをやっている。雇用保険の給付期間を終了した失業者に対し、再就職能力アップのためのセミナーに一定期間出席すると月10万円ばかり給付金を受けながら能力開発できる厚生労働省がバックアップし予算を付けている制度である。この2~3年いい加減な教育業者が乱立し社会問題化したものだが、業者の資格チェックが厳しくなったらしい。担当講師の実績やキャリアにより点数化されるということで応援依頼があったもの。書類にサインをするため最初はガストで会うことになっていた。
 2か月休んだ武蔵寺の写経会にでて、写経、法話、斎食(さいじき)の流れで13時終了。法話では仏像ガール廣瀬さんの話や24節季、お彼岸の意味などの話があった。そして約束のガストにいくと、当の友人が子供連ればかりでうるさくてゆっくり話ができないというわけで高取焼のそばのレストランアラスカに場所を移した。一度行ったことがあるが10数年ぶり。

テラスのほうに席をとって有機栽培のコーヒとやらを注文、370円と安い。ケーキはあいにくなかった。テラスの下側はため池があり鯉が数匹、土手の上には青鷺がじっとたたずみ、カエルか何かを狙っている感じ。客も少なくゆったりと話ができそう。コーヒ1杯で別にいやな顔もされない(とは友人の話)らしい。静かに読書でもできそうなちょっとした穴場だね。
 数か月ぶりの再会だったが元気にやっておりそう。私より10年年下だが75歳くらいまでは現役でやりたいとのこと。趣味の世界よりなにか世間と接点をもった形で仕事を続けたいといっていた。まあそれもよいだろう。確かに特段の制約のないなかでの自由な生活というのはなにか物足りないという感じがしないでもないがこう感じることこそがいけないと割り切ることが大事。目的は何か、いきがい、やりがいはあるか云々はコンサル時代、いやというほどだ言い続けてきた。その呪縛からの脱却である。先般の映画、ツリーオブライフの私の結論である。
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110901:カンヌ映画祭最高賞受賞作「ツリー・オブ・ライフ」を観た。感動?X

2011年09月01日 | アフターセブンティ

 カンヌ映画祭バルムドール大賞受賞の「ツリー・オブ・ライフ」を観た。
40年で5作目という伝説の監督、テレンス・マリックの話題作。後ろで見ていたおばさんの二人ずれが終わって出るときに「もひとつスカッとしない映画ね、疲れちゃったわね」。確かにね・・かくいう自分も印象に残ってるのは地球誕生のビッグバンの映像、モルダウなど全編に流れる音楽、厳しく子供たちをしつけてきた父親の会社がつぶれ、家を売って出るときに私の宝はお前たちだとつぶやくシーン。時代をこえてどこにでもあるような親子像。とくに父親と息子の関係は親子というより男同士のライバル関係にあるようなそんなもろもろのことは大宇宙の長い歴史からみればほんの瞬きの瞬間のできごと。これを映像美と音楽で哲学的に表現しているのか。まあ、人生のなんたるか考えてみなさいとなげかけている映画なのかね。単純に楽しむ映画ではない。

ワーナーマイカル筑紫野の「映画5回で1回無料券」をつかい久しぶりの映画だったが12時45分スタートで20人ばかりの観客であった。ぼーっとしていたせいかいつ始まったのかはっきりせず、地球の誕生、生命の発生的なジオグラフィカルな映像が続き、うとっと眠気を催した時、出産の場面がでて、子供がうまれ、二男、三男とつづき5人家族の姿が映し出され、モルダウがバックにながれ、楽しげな家族の生活が展開される。
画面が宗教の世界にかわる。聖書に人間は俗に生きるか、神に従って生きるかの二つしかないとでてくる。俗に生きる父親は子供たちに「成功には力が必要」と厳しく躾け絶対服従を強いる。喧嘩の仕方まで教える。父親自身は音楽家に成りたかったが実現せず悔いている。母親は神にしたがって生きるタイプでやさしく子供と接し、父親には不本意ながらもしたがっている。やがて長男は父親に反感をもち殺意までいだく。盲従する母親をも軽蔑する。
この映画はやがて成功した長男がなにかむなしく、幼いころを回想することから始まる。「小さい頃は父親が嫌いだった・・・だが」
 65歳までのビジネスマン人生でいろいろあったが、食わんがためとか、家族を養うとか、どう出世するとか、もろもろ考える必要がなくなった今、神にゆだねる生き方というか、さしずめ毎朝、読経している般若心経の「空」、くうの心境かもね。とらわれず、ありのままに・・・


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