ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

220426 良性突発性頭位めまい症?!コブハクチョウ10羽、雛がかえり並んで泳ぐ、癒されますね

2022年04月26日 | アフターセブンティ

 ここ2~3週間、起き上がった時や上をむいて剪定する時など一瞬のふらつきを感じるのが続いている。数年前、寝床から起き上がるときグルグルッと目が回る。だましだまし起き上がるとだんだん落ち着いてくる。耳鼻科に行くと良性突発性頭位めまい症の診断。犯人は平衡感覚を維持する耳石が動いてめまいを起こす、眼振という症状らしい。良性と言うのは脳に起因していないということでそういうらしい。

 今回は程度はひどくないが頭がおもいのが続くのでN耳鼻咽喉科クリニックに出かける。今は良性と言うのは使われてないらしい。検査だけで1960円とられた。体重計みたいなのに乗って1分間停止、眼を開いているのでほぼ停止。次は眼をつぶって。わずかに動く。次は傾斜のついた不安定なゴム版のうえ。目をつぶると極端にふらつく。まあ大部バランス感覚がくづれているということか。漢方薬も含めて薬をもらう。血流を良くしめまいを改善する薬のようだがドクターから根本原因の説明はなかった。要するに加齢か?!葛飾北斎が80過ぎて体調不良に悩んだというのはでてなかったがね。

 一か月前、近くの大学のイングリッシュガーデン内の池に飼われているコブハクチョウの営巣抱卵をみた。卵も数個確認できたが、なんと10羽の雛がかえって、親の傍にくっついて元気に泳いでる姿をみせてくれた。うかうかフェイスブックなどにのせるとアマチュアうカメラマンが押し掛けるので控えていたが先日、西日本新聞に掲載、誰かが知らせたのだろうか。静かに見守ってやりたいものだ。聞くところによると親鳥は専門の飼育員がある羽を切って飛び出せないようにしているとか。まあ定期的に食事がもらえるし楽に過ごせるのだろうが・・。どうするのかね、10羽も生まれて。

 でも親の傍に一列縦隊で泳いでいる姿をみるとほんとにいやされる。平和日本ですね。ウクライナの国民がほんと気の毒・・・

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220421 九博ボラ活動本格始動か!ウオーキングで特別展、「北斎」を見る、画狂老人90歳、驚異の天才技!!

2022年04月21日 | アフターセブンティ

 10日の日に九博ボランティア、環境部会の6期生を交えた部会があった。マスクをしたままの自己紹介、耳がとおくなったせいもあるかもしれないが名前がききとれない。コロナ以前でも意識してハッキリ話す人は少ないがマスクのお陰でサッパリ聞こえない。私は5期生で後半の3年間が始まる。6期生の発進式は2年遅れで週末にある。我々はアドバイザー的位置づけでボラ活動が始まる。おたがいの名前と顔をはやく覚えられるように写真名簿を作るための集合写真を撮る。写真趣味の私の担当。6期生の中から誰かに交代してもらいたいと思っているが?この時だけはマスクを外してもらって撮影。

(北斎が炬燵にはいったまま絵を描いている。左は娘のお栄)

 ルミックスのコンデジFZ300にはセルフタイマーが10秒後に2秒於いて3回シャッターが切れるようになっているがこれまた目をつぶったりした向いたりする人が必ずでる。交流課のFさんに念のため撮ってもらうことにした。次の研修日の1日に配布予定。コロナが下げ止まりで活動も不確定要素は残しているがとにかく始動。アメリカなど8000万人が感染して99万人がコロナでなくなりいまだ収束していないがMLBなど見ているとマスクは全くしていないで野球を楽しんでいる。日本は観客制限はなくなったようだがベンチの選手はまだマスクをしてる。国民性はおもしろい!

(特別展で撮影可能コーナーの展示されている「日新徐魔図」)

 久しぶりに九博までウオーキングをして始まっている特別展「北斎」をみた。エスカレータ前で入場コントロールするくらい盛況。葛飾北斎と言えば富岳36景を描いた浮世絵師くらいの認識だったが晩年には画狂老人と名乗るくらい絵への際立った執念と才能は世界レベルであったようですね。1999年にタイム誌がこの1000年で世界を動かした100人のリストに唯一日本から北斎が86位でランクインしたらしい。

 90歳でなくなるまでに30回ほど雅号をかえたり、90回ほど引っ越しをしたらしい。家には食器などほとんどなく店屋物ばかりで着るものも無頓着、金銭感覚もなくただひたすら書き続けたとか。引越も家が汚くなってくる都度引っ越したとかいわれている。火事が多い江戸で火災にあうことがなかったが75歳ではじめて被災、ためおいた絵や資料などすべて焼失、この時ばかりは落胆。以後毎日、獅子たちをあつめた「日新徐魔図」を描き続けた。その連作200枚が九博の保有資産になっており今回大公開、九博でしか見れないのが特別展の売り物になっている。

 北斎は終生、絵を探求し続けたようで「神奈川沖浪裏」にしても中国画家に学ぶなどして30年ほど探求した結果が浪裏の爪のような文様に至ったとか、凄いものですね。80歳を過ぎてから長野小布施町岩松院の6m四方にえがかれた天井画、鳳凰図などを依頼され完成させている。まったくもって特別な才能と努力の人だったようだ。酒やたばこは飲まずクワイをよく食べたのが長生きできたとか、いやはやすごい特別展でした。

 1Fミュウジアムホールでデジタル北斎と称して20億画素とかの技術で実物大の「八方睨み鳳凰図」を江戸時代の小布施にいるかのように体感できるコーナーもあり、細い線、一本一本が詳細に確認でき非常に興味深い体験でした。

(ウオーキングコース)

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220418 作家五木寛之氏、89歳にして「青春の門」完結編に挑む!二泊三日阿蘇方面軽キャン車旅最終報告。

2022年04月18日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 作家はいつも頭を使い手指を動かし文章を綴り続けるから長生きするのかしらね。ほとんどの著作を読んだ五木寛之さんが今回、「私の親鸞」刊行し、中学時代の平壌からの引揚体験の真相をあきらかにされたらしい。苦難の引揚体験を著作のネタなどにはしたくなかったとか。なぜ親鸞にひかれたのか。悪人正機説「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」善人ですら極楽浄土にいける、まして悪人は極楽浄土へいけるのは当然ではないか・・ふつう人は反対に解釈する。善人ぶっている人間は自力で頑張ってきたと思っているから虚心に阿弥陀仏を信じることができないと・・・

 支配国の民がある日突然被支配国の民になってしまった。正直な人間は引揚船にのれなかった、五木少年は悪辣非業な大人の姿を見、いざというとき民を捨てた政府をみ、自ら必死になって悪辣なこともやって弟妹をひきつれて日本に帰ってきたという原体験。その罪意識がずっと心の底によどんでいたとのこと。その時に悪人こそ救われるという親鸞聖人の教えに接して、心がひらかれたということのようだ。

 夫婦とておたがい隠していることがいっぱいあるし、嘘をついたことのない人間などいないだろう。汝姦淫するなかれ!こころに邪心をもつ男がごろごろいるだろう。だからただひたすら阿弥陀仏に帰命し、南無阿弥陀仏を唱ええれば救われ浄土に行けるというのが浄土真宗の教えと言うことになる。

 何度も映画化された「青春の門」が週刊現代に連載されて50年、いよいよ完結編第10作目に挑戦するらしい。途中で寿命が尽きるかもしれないが書き続けることが大事という。私もこのブログ、ぼちぼち投稿するのがしんどくなってきてるがやめるとぽっくり逝ってしまいそう。

今年、初めての二泊三日軽キャン車中泊ツアーの最終報告をしておこう。大分の道の駅くすで日帰り温泉をさがしていたが結局見つからず、ふとみると大分自動車道くすインターチェンジが道の駅の隣。一瞬閃いて高速で浮羽稲荷神社のライトアップを撮りに行こうと決断、40分で杷木ICで降りて、18時頃、91段鳥居前にたどり着いていた。この神社は京都の伏見稲荷、松尾大社、それに太宰府天満宮の3祭神を奉っていて最近インスタ映するということで人気スポットに。

 黄昏時の数枚を撮った後、まだ真っ暗になっていないのでとりあえず夕食弁当。

19時、鳥居にコンデジをおしつけて三脚代わりにして十数枚撮影。三脚はあるがつい面倒でそうしてしまう。この思考態度はどういうことかな。

20時、道の駅うきはに戻り、カニカマをあてに大吟醸で一息。車中泊。いつもは道の駅原宿、バサロだが明日早朝いくので試しにとまる。

翌朝5時半、セブンで朝コーヒとエッグサンド。原ずる温泉街を通ってバサロへ。道路をはさんで菜の花畑が広がっている。

アングルをかえたり逆光であれこれ撮影。

8時、藤井養蜂場へ。まだ三連水車がは動いていない。

温室の錦鯉をとって、花見客がいなくなった秋月へ。桜の残花、青もみじを撮りに。9時過ぎ駐車場にとめ散策。静かな時間を過ごす。

あれだけ大混雑していた花見時がうそみたいに誰もいない。

静寂を楽しむ。

女学生二人が歩いてきた。金曜日の11時頃だが?駐車場に戻り、室内の整理整頓。昼過ぎ自宅に帰還。3日間470kmの走行でした。だんだん妻の車中泊ツアーへの規制が強くなりはしているがまあ四半期に一回は必要でしょうね。よく走りました!

 

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220415 屋根塗装リフォーム発注!はたして今回は?!!

2022年04月15日 | アフターセブンティ

2010年私が完全リタイアした年の2月に築14年で外壁屋根のリフォームをして12年、北側の屋根など塗装禿げや苔むした感じが酷くなってきたので妻の要望もあり屋根のみ塗装やりかえをすることにした。

3年前に福岡市で屋根外壁リフォームの市民講座をうけ、そのポイントを学んだ。業者の利益は材料代、職人の工賃、工事期間できまる。雨などでの工期延長が足場代など利益に影響、工事品質の決め手になる塗料の塗布量や下塗り、中塗り、上塗りの間の乾燥時間をメーカー基準通りやらずに施工してしまう。施主は空き缶までチェックしない・・ということを学んだ。1回目はまだ仕事をしていたのでほとんどチェックできなかった。雨で工期も伸びた。外壁は出来がよかったようだが屋根が失敗だった。

  

市民講座の後、屋根外壁診断をしてくれたO社に見積もり依頼、屋根の㎡から問題個所は知り尽くしての立派な5案の提案見積書。感じの良い技術的にも信頼できそうな担当者。遮熱塗料での見積り。しかし3桁、想定を超えている。了解をとって合い見積もり。チラシの入っていた地元のH社に見積もり依頼。若いがしっかりしていそうな担当の青年がきて、ドローンで屋根を撮影、建物の東西南北の立面図を提供。二日後に同じく5案の見積もりがでて同じ塗料案で二桁へ。屋根面積もO社とほぼ同じ。おおきな違いは足場代、高圧洗浄代など仮設工事費、それに管理経費と称するコスト。年金生活の身にとって30万円の差はおおきい。

遮熱効果ってほんとにあるの?とH社の青年に聞いたら、「それほど」と正直に答える。4つ目の普通のシリコン塗料にする案だとなんと40万円の差。ただH社の見積もりはどんな塗料を使うかは明示してあるが工賃込みの表示で材料費がどれくらいか不明。担当者に使用缶数を明示してもらい毎日チェックすることで納得、H社に発注することにした。足場の組立、着工は5月中旬になる。

O社の担当に電話、「お客さんが納得されたのならその会社に発注されてけっこうですよ」と気持ちよく了解してくれた。屋根工事費は両社同じくらいだったが仮設工事費と管理経費で差がついた。

H社に決めた要因は、金額のほかに担当者の人柄、会社組織で社歴が十数年、車で2~30分の地元で実績が豊富、会社案内やHPで社長の事業への志が明確、職人がほぼ自社所属、工事品質がしっかり維持してくれそうなこと。さてどんな仕事をしてくれるか楽しみではある。出来上がりに不満なら全額返済しますなどとうたっているが・・・・

  

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220412 ロッテ佐々木郎希28年ぶり完全試合!!阿蘇方面軽キャンツアー2日目、鍋ケ滝、杖立温泉!!

2022年04月12日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 なんとプロ3年目、20歳のロッテ佐々木郎希選手が28年ぶりに打者一人もださない完全試合を去年のパリーグ覇者オリックス相手に成し遂げた。さらには164kmの剛速球と148kmの高速フォークや120kmのカーブをおりまぜて13連続奪三振の日本記録、どうにも止められない怪物が出現した。ベーブルース以来の二刀流をなしとげ世界を驚かせた大谷に次ぐ東北出身アスリートの快挙。菊池も含めた東北からどうしてこんな怪物がうまれるのか不思議だね。東日本大震災で家族をなくした家族へのおもいが原動力にもなっているのではないかと新聞に。190センチ85kgのスリムな体から繰り出される魔球、肩を壊さないよう井口監督にしっかり制御してもらいたいものだ。

 さて前回につづき今年初めての軽キャン車中泊ツアーの第二日目のご報告。阿蘇道の駅での車中泊、結構冷えました。夜中に毛布を追加。5時半起床、セブンでコーヒ&卵サンド。再度大観峰にでかける。雲海は難しかろうが朝日を拝みに。逆光のなかの牛馬を撮って、小国のユーステーションに向かう。8時着。鍋ケ滝が予約制になって自由に行けなくなった。しかも9時から。光芒の撮影チャンスは夜明けの時間。坂本善三美術館にナビ設定して8時半着。

繁忙期以外はフリーでもOKとのこと。長靴を車から引っ張り出して9時、階段をくだり懐かしの滝のカーテンへ。

足もとがおぼつかない。慎重に足をはこび、滝の飛沫と苔むした岩を撮る。

滝の裏側から正面へでて、虫目線で撮影。

 

10時半撮影を終え休憩。妻からのラインで近くに夫婦滝、杖立温泉で鯉のぼり祭りがあってるという情報。夫婦滝、ナビ設定できず、場所も発見できずスルー。昼食弁当を道の駅で食し。杖立に向かう。ゴールデンウイークは大渋滞するスポット。今回はスムースに無料駐車場にすべりこんだ。

なんと3500匹もの鯉のぼりが風にたなびき、泡立つ川面の上を泳いでいる。壮観!

1時間ばかり滞在、「道の駅童話の里くす」にむかう。九州道、玖珠ICそばの道の駅。

こちらに回ったのは写友が伐株山(きりかぶ)の雲海写真を撮っていたためその場所確認。童話伝説でその昔、天にも届く大楠があり、村が影になって食物が育たない。大男に頼み込み3年余の歳月で切り倒した伝説。爾来この町がくす町と言われるようになったとか。

道の駅への途中、家畜市場入り口の交差点傍に切株山、万年山の表示板があったがとりあえず道の駅によって情報確認。温泉もチェック。道の駅をでて、今来た道をもどって、新長野交差点右折。直後にガソリンスタンドありそこを左折、直進、何か所か切株山の看板、20数分で伐株山公園駐車場着。

大ブランコやパラグライダーの発着、数組の客がゆったりと春の日永を楽しんでいた」。

眼下に玖珠の町が広がっている。雨の後、気温が下がり、翌朝晴れると雲海が発生し町々をおおう雲海景観、これを狙って写友は朝3時福岡をでて5時前にはここにスタンバイ。たいした執念ですね。イヤハヤ!

17時頃道の駅に戻る。このあとはまた次回のブログで・・・・・

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220409 令和4年、初めての2泊3日軽キャン車中泊撮影ツアーで阿蘇方面へ。帰還すると親友Kさんから便箋11枚の手紙!!!

2022年04月09日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 西日本新聞に南阿蘇の「一心行の大桜」が見頃の記事がでていた。福岡はおおかた散ってしまった感だが熊本の山手はまだ見頃なのかもしれない。このスポットは十数年前からアマチュア写真家には定番のスポットだった。熊本生まれの妻の弁では田んぼの中の菜の花の前の一本桜で大したことはないという。

(阿蘇連山をバックに、菜の花を前景に結構絵になっていました)

 九州最後の桜、撮ってくるよというと反対するかと思っていたら行ってみたらというので早速、高速九州自動車道にのって出かけた。軽キャン内はいつ出かけてもいいように準備は整っている。

 2016年に熊本大地震で赤い阿蘇大橋が崩落、大学生一人が犠牲になった。2~3年前、新阿蘇大橋が完成したというので行っては見たかったスポット。熊本大分は我々の写真クラブでも定番の撮影スポットがいっぱいあるのだがこの2~3年のコロナ禍で行けずにいたエリア。

(傍に震災遺構記念碑があり、難工事で賞をとったようだ)

  

ということで今回は「新阿蘇大橋」ー「一心行の大桜」「高森の千本桜」ー阿蘇大観峯ー道の駅あそ、温泉ー小国の鍋ケ滝ー杖立温泉鯉のぼり祭りー玖珠道の駅、切株山、パラグライダー基地ー浮羽稲荷神宮の鳥居夜景ー原鶴道の駅前の菜の花ー秋月の残花、青もみじ・・・の各スポットを頭に描いて敢行。昨日8日午後帰還、477kmの走行、阿蘇道の駅は寒かったが昼間は初夏の陽気でした。

 

 帰還したら分厚い白封筒の手紙。親友のKさんから便箋11枚の手紙。このブログでたびたび私が体調不良を書くものだから毎月1~2回は車中泊ツアーをすべしと勧めてくれていた。確かにツアー中は家にこもっている時のもやもやは解消するようだ。聖書への私の疑問に回答してくれていた。またじっくりリターンメールをしたためる予定。ありがとうございました。

車中泊ツアー初日は220kmほどの走行。ナビは前の阿蘇大橋を記憶していたようで若案内づれがあった。相当な難工事だったようだ日本の土木技術はすごいね。崩落した橋桁はそのまま遺構として残っている。新大橋はまた赤く塗るのかと思っていたら銀ピカの橋でした。

南阿蘇方面へ車で2~30分。高森の手前の「一心行のさくら」桜さくら植木祭りの会場に2時ごろ着。結構な数のお客さん。昭和初期の落雷で幹が6本にさけてドーム型に広がる美しい形になったようだが樹齢400年以上でその後の台風の影響などで幹が折れたりしてM字型になったとか、樹が弱くなり桜の付き方も少なくなったとか。

 

桜の景観を前にしておにぎり弁当。その後、20分ほどの車をはしらせ高森の千本桜へ。つづら折りの道路サイドに桜が咲いているがここはシーズンがほぼすぎた感じ。写真家はつづら折りの道路サイドから車の尾灯や前照灯を低速シャッターで光芒をとって撮影した写真がよくコンテストに出ていた。

16時。道の駅阿蘇に向かう。17時到着、懐かしの車中泊スポット。トイレ休憩の後大観峯に向かう。夜景チェック。風があり気温がさがってくる。観光客も少ない。大学写真部らしき面々が夜景撮影にきていた。

いままで頂上の展望台まで行ったことがなかった。

山あいに陽が沈んでいく。風が強く冷えてきた。日没18時半。

 空が茜色のグラデーション、美しい。道の駅に19時半戻る。とりあえず道の駅から2分の阿蘇坊中温泉「夢に湯」へ。400円安い。湯が硬質で熱め、疲れがとれてゆく。半年ぶりの車中泊ツアー一日目。あまり泡がたたない。洗髪もしてすっきり。冷たいトマトジュースがうまかった。車にもどり、ガラス面にマルチシェード。セブンでゲットした白鶴純米大吟醸をあけ、ぐい飲みでイッ杯、結構でした。カルビ弁当を食しなら杯を重ねる。車内のブルーランプが気分をいやしてくれる。すこし冷えてきた。10時前、シェラフにもぐりこみその上に薄い毛布を掛けて就寝。二日目のツアー報告はまた明日へ・・・・おやすみなさい

 

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220404 新年度胎動、明日ありと思う心の仇桜・・・!今を精いっぱい生きるのみ!!

2022年04月04日 | アフターセブンティ

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

親鸞聖人が詠まれたと伝わる和歌のようです。聖人が9歳の時、仏門に入られる決心をされ天台座主である慈円を訪ねましたが、すでに夜だったので、「明日の朝になったら得度の式をしてあげましょう」と言われた。しかし、聖人は「明日まで待てません」とおっしゃられ、その時詠まれたのがこの歌と伝わっています。「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」ということですが、親鸞聖人は、自分の命を桜の花に喩え、「明日自分の命があるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められているということです。

4月に入り、福岡では桜が散り始めました。日本人はとくに桜には思い入れがあるようです。刑務所で俳句の指導をしている講師が桜の木を持ち込んで俳句を作るように言ったらしいですが桜をみた受刑者たちはその桜にみいられたようにじっと見つめるだけだったとか。

                さまざまなこと思ひだす桜かな  

芭蕉の句に待つまでもなく日本人はそれぞれの思い出に桜が絡んでいるようですね。満開の桜の傍で卒業証書をもって立つ自分が、散りゆく桜の前で新たな入学、入社、あらたな挑戦の始まり。この時だけは謙虚な気持ちになるのではないでしょうか。

春時雨、わが家の和室の前のもみじが花芽をだし、バックの紫モクレンが雨露をいだいて鮮やかに色づいている。

午後、桜が散って花筏が撮れるとおもい、いつもの筑前、草場川にプリウスを走らす。気温がさがり肌寒い感じ。外に出ると思った通り桜並木道がピンクロードに変身している。どんよりした曇り空だがピンクの花びらがちりばめられた道にカメラをおいて虫目線で桜並木を撮影、いつもと違う写真がとれた。こんな時にもレジャーシートをしいておにぎりを食べながら花見をしている女性たちがいたが日本人は頑張りますね。

月曜日の今日は写真クラブの例会。あたらしい役割分担でスタート。座る場所をかえて新年度スタート。前回ブログの舞鶴公園の桜をはじめメンバーがもちよった作品の合評会。同じメンバーだがやり方がかわるだけで新たな感じがする。

13名のメンバーの内、80歳以上が10人。いうなればいつ死んでもおかしくない面々の集まり。「明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐のふかぬものかは」を心に刻んで、今を精一杯生きるのみですね!!

 

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