去年はいっぱい蕾があり咲いていたわが家の梅が今年はせいぜい5~6輪、さびしい限り。ギャアギャア鳴き声をあげてやってきて庭の餌台のミカンを突っつき、メジロをおいはらっていたヒヨドリが全然姿をみせない。
去年12月の武蔵寺(天台宗)での写経会でもらった令和4年の1枚ものカレンダーの法話のタイトルが「山も川も海もみな移り変わる」であった。いわゆる諸行無常、「おごれるもの久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」の例の平家物語の一節。誰もが知っている真理、これが仏教の教えであることを知っている人は多くはないかもしれない。
しかし真理は頭で知ってはいても自らの境遇の変化に我慢できず、破滅的行動にでる、これがおバカちゃんである人間の実態であり新聞の社会面をにぎわす羽目になる。
自らがかよう心療内科でガソリン放火で25人を死に至らしめ自らも焼け死んだ事件、東大赤門前で受験生や親をまきこんで殺傷事件をおこした自信喪失の受験生、母親の在宅診療のやり方に不満をもち散弾銃で担当医とスタッフを殺傷した62歳の男の事件など。一体かれら犯罪者にどのような深層心理がはたらいたのか??週刊誌の記者たちは真相究明に走りまわっているのだろう。
コロナ禍、格差が拡大、教育の場においては親の経済力が子供への教育投資格差につながり、親の年収が800万円以上と400万円以下の家庭の教育費は3~4倍になっているという。子供は親を選べないと思っていたが輪廻転生の宇宙の原理からいうと子供はどの親の元に生まれるというのを前世で決めているらしい。母の産道を通るときに前世の記憶は消滅し、おギャーと生まれ出る。貧乏な家に生まれた子は貧乏な親に感謝しながら頑張ってゆくという使命を与えられているとか。
ところがそのことがわかっていない人間の無明があらゆる苦しみの元になっている。お釈迦さまは富裕な釈迦族の皇子として生まれ、美しい妻や子を得たが人間の生老病死の姿をみて悩み29の時すべてをすてて出家、6年の苦行を重ねたが悟りを得られず、行を中止、中道を歩む。菩提樹のもと地元の娘から乳粥をきょうされ体力回復、瞑想を続け宵の明星がかがやく早朝、開眼した。人生の苦しみの根源は人間のもつ煩悩であり執着する心であることを悟ったとされる。生への執着、若さへの執着、健康への執着、そのことが生老病死と言う人間の苦の根本原因とした。
加齢とともに若い頃、元気な時できたことがことごとくできなくなってゆく。これを諸行無常、当たり前のことと考え、今を大事にし、感謝する生活をする。因果関係を好転させるためのよい縁を重ねてゆく。
大切な老親をなくしたとはいえ、なぜ散弾銃でお世話になった医者やスタッフを殺傷してしまったのか、この男の無明のおそろしさ・・・親の過剰な期待、東大志向にたえられなかった受験生の無明、親の無明・・・・。日本の教育の在り方????