ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120728:ロンドン五輪、ポールMを観て聴いて、二日市街歩き撮影会へ、暑かった!

2012年07月29日 | 趣味と交遊

オリンピックと大福帳?別に相関関係はありませんがあとのテーマと関係があります。暑い日が続き、体を持て余していますが皆さん大丈夫ですか。6時ごろ目が覚めたときテレビをつけるとロンドン五輪開会式のセレモニーやってました。聖火到着前のやつ。眠気まなこで起き上がりトイレに行き、勢いは今一つ。顔を暑い湯で洗い、タオルで体をごしごし、ストレッチをかねてやる。ひげをそり、ローションをつけ顔をバチバチ、目をさまし、新聞をとり、スズメの餌を補充し、金魚に餌をやり、コーヒーを煎れる。食パンにチーズをおいてトースターにかける。バナナをむいてさらにおき焼けたトーストにブルべりジャムをつけコーヒーをカップにいれて食卓につき、新聞に目をやりながらまずはコーヒの苦みで頭に刺激。新聞は見出しをざっと流す程度。最近はスポーツ欄が増えている。いまやナデシコより男子サッカーへの注目度が高い。

五輪中継、聖火がやってくる。テムズ川にベッカムの姿。次代に引き継ぐ!が今回のテーマらしい。若手数人が最終点火者に。204の国が参加、聖火が204の点火口につぎつぎとうつってゆき最終的に一つに燃え盛る聖火となる仕掛け、世界は一つにというメッセージの具現化だろう。ハイテク&ハイタッチ。いい演出だ。そしてフィナーレにビートルズのポールマッカートニーがでてきて「ヘイジュードウ」をやりはじめ会場がいったいとなって大合唱。ビートルズ世代の小生、大いに感動。8時40分になっていた。今日は二日市町歩き撮影会が10時からある。バスでいこうと思っていたが時刻をしらべてみると9時台に適当なのがない。妻に送ってもらう。二日市中央通り商店街のT呉服店が集合場所。途中なぜか車がこみ時間ぎりぎりにかけこむ。二十数名がすでに着席待機していた。筑紫野市歴史博物館のY氏の「二日市宿」についてのレクチャー。筑紫野界隈は九州交通の要諦で薩摩街道、長崎街道、日田街道の合流するところでは原田宿、山家宿、そして二日市宿の3つの宿場町があったということ。仕事の関係で九州に長くいることになったがたまたま西鉄沿線に住居をもとめたのが因縁、二日市は特急の停る駅というレベルの認識で駅周辺の開発の遅さに辟易していたというのが正直な感想だったが話をきいて歴史的になかなか面白い街であることが再認識できた。

最初の撮影スポットがこのT呉服店、明治10年創業だから140年ちかい歴史がある老舗。集合場所がギャラリー米蔵となっており昔の庄屋さん。店の表部分だけ見ていると建物の裏の日本庭園や二階の太い柱の梁がめぐらされた住宅構造などからかいまみれる。中はみれなかったが茶色く変色した大福帳などが展示されていた。

呉服店をあとにして「二日市まち歩きマップ」をみながら町歩き開始。つぎの撮影地であるO酒造に行く前に普段とおらない路地裏にまわると古めかしい歴史を感じさせる建屋が残っている。

O酒造では社長直々に案内いただく。酒蔵の天井には慶応元年に建築されたむね書き残されている。社長が懐中電灯で照らしていただいた天井にその字が確認できる。二階に上がると酒の神様がまつられていたが女性の神さんとか。耐震補強が施されたてものの維持に努めておられる。予定になかった試飲も社長の計らいでできる。純米吟醸酒は結構な味でした。ここは最後の撮影ポイントにすべきだったかもね。つぎはこれまた老舗のE醤油さん。高い天井に醤油製造としての工夫のあとがうかがえる。

かんかん照りでなかったのが幸いしたが暑いのにかわりはない。御前湯にむけて一同歩をすすめ、町屋カフェ「T」で昼食。ほっと一息の数十分。食事も結構な味でした。

そのあとD別荘東門、二日市温泉街の撮影をして二日市八幡宮へ、そして最初のT呉服店ギャラリー米蔵で9月初めの生涯学習センターでの写真展の打ち合わせ、記念を撮影をして撮影会を終了。暑かったが結構な体験でした。

17時半、バスで帰宅。お疲れさんでした。

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120726 影のみち さがして歩く 大暑かな

2012年07月26日 | 趣味と交遊

沖縄で暑さのリハーサルをやってきたつもりだったがこの2~3日の福岡の暑さは格別。夜が特に寝苦しいね。2~3時間位で目をさます。昨晩は1時、目が覚めTVをつけるとナデシコジャパンが2-0でカナダをリード。2-1でむつかしい初戦をものにした。これから男子のスペイン戦、頑張ってほしいものだ。がいずれにしてもこの暑さはすごい。

 2月から始めた俳句の通信講座が7月の最終添削で終了。月々1980円の受講料はあと10回、後払い。まあ、あとはしっかり作句を続けてくださいというわけ。テキスト三冊は季語や切れ字など理屈っぽい内容、どう作句するかのプロセス論は受講者任せ。最後の添削句は次の3つ。総合評価は一応「優」となっていたがほんとかなって感じ。

         ひさかたの 声かわしけり ほたる狩

         赤と黒 テントウ虫よ ファッショナブル

         梅雨晴れの ずんと胸だす 娘かな

最後の句は西東三鬼という俳人の有名な句、「おそるべき君らの乳房夏来る」という先行句があるので同じ句意と思われるので惜しいという講評。俳句は理屈ではなくとにかく対象をじっと見つめ感動を5-7-5の定型におとしこみ季語と切れ字を入れる。すくなくともまずは100句は作ってみる。100句は結構な数字ではある。あらためて1日1句を目標にやってみよう。

         影の道 探して歩く 大暑かな 

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120725:五か月ぶりの探鳥会、めずらしいものと遭遇!

2012年07月25日 | 趣味と交遊

雨やらなにやらで竜岩自然の家のバードウオッチングは5か月ご無沙汰、久しぶりに出かけた。今回も野鳥の会の講師もいれて総員8名の参加。なにせ梅雨明けの暑さで鳥たちも木陰で休んでいるのかあまり出てこない。が今回は初めて遭遇したのが四つもあった。その一つはセッカ。今まで聞いたことも見たこともなかった種。ヒタキ科の鳥で低山の草地に生息する13センチばかりの鳥でさえずり飛翔といって繁殖期にはなわばりを誇示するため、ヒッヒッヒッと鳴きながら上昇し、ジャッツジャッツジャッツと鳴きながら降下するらしい。一夫多妻の鳥で1羽のオスのなわばりに20いくつも巣があったりするとのこと。うまい具合に葉の先にとまってくれたので写真をゲット。二つ目の初対面はなんとアオダイショウ。民家のブロック塀のうえにとぐろを巻いていた。

民家の屋根裏でネズミをとって食う。人には危害をおよぼさないらしいがネズミを飲み込んでぷっくりふくれたアオダイショウが天井裏から畳におちてきたらさぞびっくりすることだろう。

3つ目の遭遇はカラスウリ。ウリ科の植物だが夏の夜につぼみが開き、その中に隠されていた花が糸状に開きレースのようになるとのこと。このからすうりが十数個白い糸状の花を開いていた。

四つ目の初対面は河原に生息する「ニホンカワトンボ」。オスの翅は橙色であまりお目にかかることは多くないトンボで初めて見た。宝満川の流れの岩場に静かに止まっていた。ふつうなら見落としそうだがさすがに日本野鳥の会の講師のKさんの眼力はすごいね

そんなわけでいつもなら20種以上野鳥がみれるのだが今回は12種にとどまった。しかし初対面4種に出会えたのはラッキーでした。

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120714:10年ぶりの沖縄(E)・・さらばシーサー、こころのウチナワ

2012年07月20日 | アフターセブンティ

10年ぶりの沖縄ツリップ、最終日。沖縄の守護神シーサー、エメラルドビーチとも今日でお別れ。今や沖縄はタレントから食べ物までローカルからインターナショナルになったが基地問題だけはまだまだこれからの課題として続く。シーサーはこの状況をどうみているだろか

福岡は豪雨、洪水で大変なようだがスカイマークは飛んでくれそう。昨晩は観光客がどさっとはいってホテルは満室とのこと。遅めのバイキング朝食をゆっくりとって荷物を整理、モノレールで空港にむかう。今日も蒸し暑い。格安航空は20分前搭乗手続きをうるさくいう。スカイマーク34番ゲートから飛行機の着陸風景がばっちり撮れる。

 11時10分発502便。1Aのシートにのりこむ。窓が2つ確保できて撮影に好都合だ。離陸から高度を一気にあげ那覇空港とおさらば。

しかしジェット機というのは一歩まちがえばすべて終わりだがよく飛んでくれるものだ。なにせエンジンがとまったらグライダーのように滑空というわけにいかない。コンクリートと同じ海面に激突だからね。飛行機は絶対乗らないというひとの気持もわからないではない。

突如、おもいついたような今回の沖縄の旅だったがなつかしい人たちとも再会し、思う存分写真も撮った。まだ梅雨明けしない福岡より一足先に夏バージョンに体をあわせたようなものだが充実した沖縄一人旅であった。13時福岡につく。雨はやんでいた。こちらも蒸し暑い。博多ラーメンと幟がかかげられていた。無性に食べたくなり昼食。結構なとんこつラーメンでした。店をでたらなんと土砂降り。櫛田神社かいわいで山笠風景を撮る予定だったがあきらめて家路につく。

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120713:10年ぶりの沖縄(4)・・レンタカーで南部へ。エイサーと玉泉洞、夜、久米界隈探訪

2012年07月19日 | アフターセブンティ

 沖縄4日目。7時、バイキング朝食とる。どちらかといえば地元産中心のまあまあの品ぞろえで結構でした。豪快なエイサーをみてみたいと思っていてガイドブックをみると昔行ったことのある玉泉洞という鍾乳洞を軸に、おきなわワールドとして琉球王国の城下町や紅型、琉球ガラス、藍染めさらには伝統芸能エイサーの観覧もできると紹介されている。10時過ぎ、暑い中10分くらい歩いて那覇バスターミナルに行く。残念なことに玉泉洞方面のバスは1時間待ち。こりゃダメだとひきかえしジャパレンの店に入り情報収集。今なら6時間で6500円という。3~4000円で借れると聞きましたがというとそれはOTSさんでしょうという。昔おつきあいのあった沖縄ツーリストさんの国際通り本社に行く。社長はすでに2代目に継承されている。店頭の女性に聞くとなんと3500円でOK、保険をかけると500円追加。オーダーして泊(トマリン)のOTSレンタカーに行き、契約し車をうけとりチェック、操作説明をうけ、おきなわワールドの電話番号でナビ入力し出発。レンタカー初体験で若干不安があったがマツダのデミオはすいすい快調に走ってくれた。昔、家族で住んだことのある仲井間の交差点を通過、20数年前のこととてすっかり変わってしまっているので記憶がよみがえらない。

沖縄名物タコライスとあったので軽く腹ごしらえ。ドライカレーみたいだが結構スパイスがきいてうまい。お土産用にはスーパーでも売っているらしい。数件先にスーパーがありよってみるとオキハムが出していた。4つばかり購入して目的地にむかう。

12時半からスーパーエイサーの公演がはじまる。ワールドの入場券を購入、玉泉洞こみで1200円。ここでも赤瓦にいろいろな顔つきのシーサーが迎えてくれる。すでに演舞場には観光客が木の長椅子の席にすわり開演をまっている。日本人は3割くらい。やがて民族衣装に身をつつみ太鼓を掲げた演者があらわれ勇壮なエイサーが始まった。普通ならバチバチシャッターを押すところだがまことに残念ながら撮影禁止。なんでといいたい気持ちは喉まででているがビデオ、カメラ禁止の看板とスタッフから禁止宣告されてはしかたない。ただ楽しむことにする。リズミカルなダンスをまじえて太鼓を打ち鳴らしたり、腹にひびく大太鼓の演奏はすばらしいばちさばきで青い空、赤い衣装とともに心に残るものであった。

30分ばかりでショウは終了、土産物屋をくぐりぬける玉泉洞の入口。案内によると30万年の時がつくりあげた神秘の鍾乳洞で全長5キロ、公開されているのはそのうち890Mとのこと。涼しいとおもっていたが湿気が多く快適とは言えなかったが神がつくりあげた造形物といった感じ。地下5~600Mで川が流れているのは少々怖い感じがしないでもない。地上で地震があったらどうなるのかとあらぬ想像をしてしまう。

3~40分で地上にでる。地上は暑さと土産物屋が商魂たくましく待っている。

車にもどる。やけついていた。クーラーをガンガンかけて昔家族といった新原ビーチにむかう。サトウキビ畑を左手に右手に海岸をちらほら見る感じでビーチ入口につく。降りた途端にメガネが曇る。遠浅のエメラルドグリーンの砂浜が続く。

船底がガラスになっているグラスボートがういている。まさに沖縄のビーチは海岸で熱帯魚がみれるすばらしいところだ。子供たちが嬉々として遊んでいたことを思い出す。6時に車を返却せねばならないのでぼちぼち引き上げる。空港経由で那覇うみそらトンネルをとおって市内にはいり、ガソリンを満タンにして(9L,1200円)無事事故もなく返却完了。18時、まだ那覇の町は灼熱の夏。ホテルまでぼっちらぼっちら歩いて帰る。途中、コンビニでスーパードライとジーマーミ豆腐を調達してホテルに帰還。すぐに地下の大浴場で汗をながし、部屋でぐいっといっぱい。喉ごしのきりっとした感じはさすがスーパードライ。たれをつけて食べるジーマーミ豆腐、これが結構いける。しばしベッドでごろり休憩。九州北部は豪雨で被害甚大とか、飛行機もまともに飛ぶのか。あすはスカイマークの第一便。福岡から機材到着遅れってなことになるかもね。まあ今宵は沖縄最後の夜。どこにいこうか。ちょうど40歳の時に沖縄支社を開設して4年間仕事をした。商工会議所界隈を散策してみようと思う。

20時ごろぶらぶら出かける。ぎんぎらぎんの国際通りは横目でみてビジネス街の方向にあるく。ネオンの瞬きは少なくなる。商工会議所はあいかわらず古ぼけた景観で残っている。当時台湾と提携していたが相手がびっくりするような建物。いい加減、那覇商工センタービルなどと銘打って高層ビルがで出来てよさそうなものだが不思議だね。観光、基地、公共投資の3Kといわれていた沖縄だが一体どうなったんだろうね。ぐるっと周辺をまわったがさびしげな雰囲気。ハイボール酒場や各種居酒屋はここかしこにはある。

今帰仁銘酒と看板がかかげられたちょっと雰囲気のありそうな店にはいる。こぎれいなママさんが迎えてくれた。先客は5~6名。泡盛ロックとさわらの西京焼きを注文。やまとんちゅむけメニューが多いねというと沖縄バージョンもいろいろありますよといって島ラッキョウやナーベラなど出してくれた。トーフの上に2センチほどの塩漬け小魚を乗っけて食べるスクガラス(沖縄珍味)もオーダー。

しばらくするとカウンターは満席。隣に座った女性としばし歓談。ママにこれぞゴーヤチャンプルというのをつくってと注文。若い板さんが忙しそうに腕をふるっている。にがみのきいたうまいチャンプルをいただいて店をでる。あと5年は店をやっていますからまた来てくださいとはママさんの弁。またこれるかなと思いながらぶらりぶらりと懐かしのビジネス街をぬけホテルに帰還。パソコンでスカイマークの明日の運行予定をみると今のところ予定通りとでていた。寝ることにする・・・

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120712:10年ぶりの沖縄(3)・・軍港那覇港の朝、灼熱の国際通り、幻想の首里城

2012年07月17日 | アフターセブンティ

 沖縄三日目、今日も暑そう。7時に自転車を借りてカメラぶら下げ那覇港周辺バイスクリング。まだ風は涼しいが空は真っ青、暑さの予感。ファミマでサンドイッチとコーヒを仕入れて初日とは逆コースを行く。那覇港は軍港にもなっており鉄条網がそのにおいをただよわせている。奥武山(おうのやま)野球場近くの公園であさ食。もう蝉がないている。周辺には運動施設が多くアメリカ人らしきグループがそぞろ歩いている。

空港に向かうモノレールの下からワンショット。やはり政治によるインフラ整備は欠かせない。かつて下の渋滞路を時間を気にしながら空港にむかったものだ。

ホテルに9時前帰還。チェックアウト準備をして近くにあった県内2位のスーパー、タウンプラザカネヒデにみやげものの調達発送にまた自転車を借りて出かける。妻から頼まれていたものが一挙にそろう。パートのおばさんにも買い物の助っ人をしてもらい4~50分で終了。タコライス、そーきそば、うみぶどう、スナックパイン、ポークランチョンミート、コンビーフハッシュ、ちゃんプルハッシュ、琉球王朝(泡盛)、サーターアンダギーなどなど。タクシーを呼んでもらい県庁前のホテルチュラ琉球に移動。

豪華朝食つきで1泊4500円だから超安い。モノレール県庁前駅まで3分、国際通り入口まで2分。昨晩お世話になったM氏のビルに博多のお土産を届ける。モノレールにのって牧志まで。沖縄現店がこちらのショッピングモールの1Fにある。本社におられるH専務に電話して博多土産をこちらにお預けしておく旨お話しする。今からこちらに来るとおしゃるのでフランス製のリクライニングチェアーでお待ちする。15000円くらいの大変快適なチェアだ。20分くらいして懐かしのH専務が来られる。いつまでも若々しい綺麗なひとである。8人乗りのワンボックスカーでジャッキーレストランへ。満席。次にイセエビとステーキの店、三郎に行く。現役時代にも何回か言ったことのある味の名店。

えらいごちそうになってしまった。社長(現会長)はあいにく大阪、東京出張でお会いできなかったが真一文字の熱血漢でそのトップをささえて今日の会社をつくりあげられた名補佐役、No2がこのH専務だ。きびしい沖縄の流通業界の中で生き抜いてゆくのは並大抵ではないが精神的バックボーンを確立しておられるのがこの専務であり、会社の強みかもしれない。おたがい腹蔵なく話し合える間柄なので2時間弱あっという間にすぎ、昼間から豪華な食事を堪能さていただいた。ありがたきことである。多忙の専務に電話が入りお開きにしてホテル近くまで送っていただきお別れする。

ホテルでしばし休憩、16時、外は太陽ぎらぎらだったが首里城に行くべく国際通りをゆっくり探訪しながら安里まで歩く。途中、市場を迂回、庶民の熱気あふれる昔ながらの市場街を散策。

 

 原色の衣服類が通路にどさっと並べられている。安里からモノレールで終点の首里まで。夕方5時をすぎていた。地図に従い首里城公園のほうに下ってゆく。西日をうけながら20分近く歩く。熱中症になりそう。ここも中国人か韓国人か定かではないが団体客でいっぱい。泊港に大型客船が入ったとタクシー運転手が言ってたがその一行かもしれない。

赤を基調にした壁や屋根、金箔をはった柱、国王のシンボルである33体の龍が施された異国情緒ただよう琉球建築である。守礼の門近くにあったマンションに現役時代住んでいたが首里城正殿に入った記憶はない。かつて政治や儀式が行われた正殿は撮影禁止。しばし掲示物で過ぎし歴史に思いを果てる。

3分の2をすぎたあたりから撮影OKとなりバチバチとる。係りの女性に聞くとライトアップは19時15分からだそうでしばらく時間はある。西日ががんがんあたり赤い色を一層赤く照らし出していた。ライトアップされた城が映るという龍潭池まで下りて行き日が沈むまで時間をつぶすべく小料理屋にはいる。

泡盛とソーキソバを注文すると酒のあてにナーベラ(若いへちま)を出してくれた。結構いける。酒もすすみ、小さくしてもらったソーキソバもうまかった。20時すぎ店をでる。真っ暗、龍潭池ぞいの細い道は誰もいない。池もライトアップされ、その先に赤い首里城が幻想的に浮かび上がっている。

 

三脚をたて、絞りを8くらいにして撮影、シャッタースピードは4秒くらいになっている。ISOは800くらい。ほとんど)暗闇の中に浮かび上がっている感じではあった。2~30分、数十カット撮影し、守礼の門に回る。

ここも同様にライトアップされていたが写真を撮っているのは自分だけの独占状態。あまり関心はないのかね。21時、バスで帰還の途につく。220円で県庁前まで。このホテルは地階に大浴場とサウナがある。サウナで汗をながし、部屋でビール。至福の時でした・・・

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120711:10年ぶりの沖縄(2)・・癒しのヤンバルバスツアー、ガイドグレイト!ジンベイザメ巨大!

2012年07月16日 | アフターセブンティ

沖縄二日目の朝、5時に目が覚めた。ベランダに出ると昨日見えなかった那覇空港にANAのジェットが駐機しているのが見えた。300ミリの望遠に1.5倍のテレコンをつけて撮る。日の出前の薄明か、うみそらトンネルの道路灯がぼんやり光っている。港のほうに目をやるとぼちぼち船や車も動き始めてる。暑い夏の日の始まり、空はまだ雲が厚い。シャワーをあびて、フロントで朝食券を購入。ゴーヤ、ゆし豆腐、うみぶどう、ナーベラ(へちま)など懐かしのうちなー料理。パインのデザート、コーヒでしめて朝食終了。さて今日は今回どうしても見ておきたかった美ら海水族館だ。バッグにカメラ、望遠、小型三脚、アクエリヤスをほりこんで那覇バスターミナルへ。朝からタクシーの運転手君は陽気だ。650円。ガードマンが案内人がわりだというが頼りない。バスと車が県民の足代わりだがバスは8時以降、とくに遠方は便数が極端に減る。言われた空港からの名護行バスはあと30分待ち。ぐるりとターミナルをまわると8時半出発観光バスとの表示。水族館まわりは3コースあったが北部やんばるまわりDコース5000円に決め乗り込む。乗ってからきづいたが高速道で名護まで行ってしまうので途中の景色はないようなもの。Cコースは58号線、西海岸まわり(途中、琉球村や万座毛という景勝地がある)で市街地をくりぬけてゆくがちょと時間が多めにかかる。まあいいか、今回は中抜きで普段あまりいけないヤンバルだ。途中、都ホテルやホテル日航で客を拾ってゆくが総員16名の観光ツアーだ。子供をつれた若いおかあさんや、中年のおばさんグループ、韓国の若夫婦などいろいろ。バスガイドは安里さん、沖縄によくある名前、国際通りのきたはしも安里だ。なかなかチャーミングでガイドも上手、今や沖縄はタレントの生産地になっているがこのガイドさんもなかなかグレイト、すばらしい。人の喜びをわが喜びにできるホスピタリティ精神が感じられる。最初の目的地は小宇利島。大橋を渡ると周辺8キロのサトウキビの小島、きれいな砂浜が広がっておりマリンスポーツのメッカ。

あやしい雲が橋の上にかかっていたがエメラルドグリーンのビーチで海水浴客がちらほら。つぎに最近できたワルミ大橋を車窓から、眼下の絶景をみる。海が美しい

沖縄に世界遺産いくつありますかというガイドさんの質問。3つぐらいかと思いきやなんと9つあるという、が9か所の琉球遺産を一緒にして一つの世界遺産になっているということ。次にいく今帰仁(なきじん)城跡も14世紀ごろできたとされる琉球の遺跡の一つ。

暑い中での遺跡探訪だったがガイドさんのスマイルと熱心さに皆、嬉々と探望。600年前の歴史をほうふつさせる。岩の城壁は万里の長城を思い出させる。時間は昼をすぎ、いよいよ次はメーンスポットの美ら海水族館、バスですぐ近く。昼食は駐車場所であるチサンホテルリゾートか水族館4Fのいずれもバイキングらしいが沖縄そばが食べたい気分。

海洋博公園、水族館入口に噴水にいるかがうちあげられているモニュメント、そこから冷気が噴射されていて心地よい。空が真っ青、真っ白な入道ぐも、真っ赤なぶーげんびりや。ジスイズザ沖縄の夏って感じ!案内のガードマンにソーキソバ食べれるところあるかを聞く。ないという。さらに歩いて女性コンパニオンがいたので聞く。階段を下りて行ったところにパーラーがありそこで食べられるという。イルカショウが始まりますという案内を聞きながら沖縄そばをたべる。暑いなかだが結構いける。外国人らしき子供の集団がやってきてバーガーやタコライスを注文している。しばしイルカの大ジャンプと水しぶきを楽しみいよいよ水族館へ。福岡のマリンワールドへ去年孫といったがここの水族館はスケールが違う。水槽の巨大さもさることながら厚さ50センチの水槽アクリル壁は世界1でジンベエザメが3頭以上かわれているのはここだけらしい。ちいさいのはおおきいのに食われる運命にあるので、常に数を維持するため水族館のまわりの海のいけすで補充用の魚を飼っているとのこと。すごいもんです。4階大海へのいざない、3~2階、サンゴ礁への旅、熱帯魚やエイがうようよ。

1~2階が黒潮への旅、ここでマンタやジンベエザメと会える。3時から豪快な餌付けショウがあるとのこと。そして1Fが深海の旅ということで順に上から降りて行く構造になっている。

やってきました、ジンベエザメのいる大水槽。カフェ・オーシャンブルーにはいりシーカーサージュースを飲みながら魚たちの遊泳を楽しむ。しばし時を忘れる。

        美ら海の ジンベーザメや ウチナーの夏

3時からジンベエザメの餌付けショウ。飼育係りの女性がなにやら合図をするとジンベエザメが水槽の表面に浮上、大口をあけるとそれにめがけて30キロくらいの小魚がほりこまれる。それを水槽の下から見物というわけだ。すごいもんだね。下から写真をとったがあまり判然としないね。残念でした。大口をあけての泡しぶきはうつってはいますがね・・・

3時半駐車場に集合。ここから昔馴染みに電話、旧交を温めるといっても特にアポなしできたのでとりあえず伝言依頼。バスは最後の目的地パイナップルパークへと向かう。ガイドさんがいかがでしたと質問するがメンバーはやや疲れ気味。安里屋ユンタや芭蕉布をうたってくれた。なかなか上手。拍手だけは皆忘れずにしている。ウチナーグチ(方言)も教えてくれた。あ、い、う、え(い)、お(う)、き(ち)、く(い)。方言の95%をしめているという首里方言では( )のオンとなる。だからおきなわはうちなわとなるわけ。沖縄県人をウチナンチュ、本土の人間をヤマトンチュという。米軍基地の75%が沖縄にある。S47年の本土復帰も右側通行が左側になったが県民の希望とは程遠い復帰であった。敗戦日本がまだ続いてるのである。アメリカは日本にセックス、スポーツ、スピードの3Sで日本の復興を許し古き良き日本精神を骨抜きにしたがいまだに世界の警察を自認して、軍隊が居座り続けているということになるのだがヤマトンチュやいかに?

ガイドさんに名刺をもらって写真を送ることを約して国際通り18時半下車。友人にTEL。運よく夕食を共にすることになる。事務所はたまたま明日の宿泊ホテルの隣とは奇遇だね。M氏は18年間で、沖縄を着実に事業の基盤として確立された。立派なものだ。どこにいこうかということで国際通り入口のロータリー交差点のかどにパレットくもじという複合ビルがありその地階の「彦」という店、寿司とうなぎの専門。約2時間、さしみや泡盛、沖縄料理、人心の機微、もろもろ語り合い旧交は温まりすぎるくらい温まった。突然の訪問にもかかわらず歓待いただき大感謝。また本土での再会を約して別れる。今宵は写真のパソコン整理は明日にしてシャワーを浴び、心地よい酔いの中でなかで眠りにつく。

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120715:10年ぶりの沖縄(1)・・やはり暑さは格別、モノレールは割とゆったり。

2012年07月15日 | アフターセブンティ

10年ぶりの沖縄に旅立つ。息子が5月に帰郷時、ベネフィットワンという厚生施設を会社が利用、家族の利用も可といっていたが確かにホテルも安く利用できそうだったが手続きがいるのなんのと言ってるうちに7月に入ってしまった。パソコンで調べると格安航空券やホテルの連泊サービスなどあり息子をあてにする必要もなさそう。ということで梅雨もあけた沖縄に急きょでかけることにする。わざわざくそ暑いところに年寄りがでかけることもないといえばそうだが大阪が第一の故郷、福岡が第二の故郷、さしずめ沖縄は一番の働き盛りの40代はじめの数年間、心に残る交友関係があった第三の故郷といえる。年賀状でも是非の来沖をお待ち云々のが数人おられたので急きょ決めた次第。

はじめて格安航空のスカイマークに乗る。JALやANAと比べると往復で2万円近く安い。サービスポリシーとしてとってつけたスマイルはしませんとか、もちろんコーヒーなどの機内サービスはなく1杯100円など有料、客室乗務員は制服を着用しておらずほぼ自由とか。まあ昔のJALのようにお高くとまった慇懃無礼なサービスは不要だ。スカイマークの機種はB737-800で177人乗り、高効率な最新鋭ハイテク機らしい。主翼の端が折れ曲がりハートや三つ葉のマークがつけられているのが特徴。デジカメは電子機器の一つということで離着陸時の撮影は禁止とか。残念。雲海ぐらいしか取れそうになさそう。しかも昼間だから太陽に染められた雲海は無理。1時間半ほどで懐かしの那覇空港に着陸。戻り梅雨とやらで蒸し暑い。モノレールにのる。大阪の鶴見緑地線より広い、快適だ。旭橋で降りる。ホテルは歩15分とあったがタクシーでゆく。ワンメーター500円。降りた途端にメガネが曇る。すごい湿気。海側の部屋から船や飛行機の着陸が見え夕日がきれいとあった那覇ビーチサイドホテル。

とにかく汗を流すべくシャワーを浴びる。設備は古い。オリオンビールで喉を潤し一息つく。ベランダから離党ゆきのフェリーが見える。さっそく、2時間無料の自転車を借りる。夕日は7時半ごろらしい。

近くに中国の思想家、孔子とその弟子4人が祀られている孔子廟があり、すぐそばに正月よくいった波の上宮がある。自転車は風を切ってはしれるがそれにしても蒸し暑い。対馬丸記念館があり海鳴りの像が立っていた。先の戦争で沖縄に期間中の日本人の貨物船が撃沈され2百数十名の子供たちが犠牲になった。戦争の爪痕がここにも残されている。

神社の裏手に那覇市内唯一の波の上ビーチがありアメリカ人家族などが海水浴を楽しんでいた。ウイークデイなので人も少なくゆっくり楽しんでいる

泊港近くの公園に海に面したフローリングの遊歩道があった。夕日の時間も近かったのでたまたまローソンがあり沖縄弁当とビールを仕込んで待機。ちっかうにはあのわらじステーキで有名なジャッキーレストランがあるが今宵はとにかく夕日撮影。厚い雲の隙間から待望の夕日が出てきた。約30分、いろいろな表情を見せる港周辺の夕景を撮る。

あたりが夕闇に包まれてきたのでホテルに帰る。途中、迷路のような道に迷い、辻のソープ街に入ってしまったが薬局で道をききホテルに帰る。このソープ街はかつてアメリカ人の歓楽街でにぎわっていたところで今も客引きの男たちが店先に顔をだしている。ということで那覇初日の撮影は終了。シャワーをあびて寝ることにする。

 

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120704 手前味噌と生理的嫌悪

2012年07月04日 | 辛口ひとりごと

去年の12月初めに体験農園で味噌づくりをしたことはブログでも紹介したが先般、嫁いでいる娘にもおすそ分けをして、その後はじめて自分で味噌汁をつくってみた。玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンなど具になるものを下ごしらえして、カップ2杯の水に粉末だしをいれ煮込んだのち、自分でつくった味噌大匙1.5杯分をとぎ入れて完成。飲んでみる。まあこくがあっておいしくはある。まあこれを手前味噌というのかもしれないね。もっともまずい味噌がどんなものかはっきりはしないが結構でした。おすそわけした娘もおいしかったとのこと。いつも作っている主婦がいうのだから間違いあるまい。

さて今、民主党で造反、離党さわぎをおこしている小沢氏に対し東京都知事は痛烈に批判していておもしろいが、曰く、あの男は生理的に嫌いだねと言っていた。離婚する女性があれだけ惚れあって結婚した相手に顔みるのもいや、みるだけでぞっとする、生理的にうけつけないなど勝手なことをいってわかれてしまう。まことに人間というのはいい加減なところがあるのだがもろもろの経緯をへてえくぼに見えていたあばたが、えくぼどころか醜悪な怪物にみえてくる。小沢氏の面相も損をしているように思えるがしかしそんな男についてゆく議員が50人近くいるのがふしぎだね。まだえくぼにみえているのだろう。ふつう政治家というのは我が強くて取り仕切りたがる人間が多いようにおもうがさていつまでおとなしくついてゆくのやら?わたしも現役時代、この生理的に嫌いという輩が何人かいたのでよくわかる。不思議とこちらがそう思っていると相手にもわかるのだろう。ぎすぎすした関係がつづくことになる。

先日、2か月ぶりに写経会にでかけ、いつもの住職の法話があったがご本人が最近、腹が立つことが多いといってまだまだ悟れていませんねというわけ。仏教では諸悪の根源は「三毒」、すなわち「とんじんち・・むさぼること、怒ること、ぐちること」この3つを排除できれば心穏やかに生きて行けるというわけ。「我慢する」という慢には7つあるらしい。慢、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、卑慢、邪慢の七つ。おやっとおもったのは我慢というのは仏教から見ると自分の考えを唯一と思って、他を軽んじるおごり高ぶる心をいい、我意をはって他に従わないことをいうとある。

心が慢でいっぱいになると慢心ということだろう。経営の神様といわれた松下幸之助さんが「すなおな心」が人間にとって、経営者のとって最重要といっておられたがこれが一番難しそうだね。

去年、一匹だけ姿をみせていた我が家の「ヤモリ」が先日2匹、台所の窓の外側にへばりついていた。夫婦であらわれたのかな。

  夕食の あとしまつじっと みるやもりかな

人間世界のごたごたを彼らはどのように見ているのだろうか

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