ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

わが家の3大ペットの一角、「亀吉」の足音で起こされる!

2011年06月25日 | マイ家族

 朝、なにかガタゴト、ギーギー音がしてめざめる。なんとわが家の3大ペットのうちの一つの「亀吉」(みどりがめ6歳、身長20センチ)が網戸を手であけて、寝ているフローリングの洋間に入ろうとしている。夜明けの朝の光の中に縞模様の亀頭が見え、一生懸命に前足で網戸を開けている。

書斎からデジカメをもちだし撮ったのがこのカット。ベランダで放し飼いしているがどうもフェレットがいつもいる洋間に興味があるらしい。昨晩は網戸を固定しているひもをはずして寝たので侵入してきたようだ。このカメは4~5センチの緑亀を息子が神戸で入手、四国四万十川や筑紫野の宝満川の流れを体験し、6回冬眠をへて、今や片手で持てないくらい大きくなり、かつまた結構頭がよい亀になっている。

普段はコロナという市販の餌をたべているが、板でつくった亀吉ロードをあがったりさがったり、ひなたぼっこをしたりしてたまにはアジのさしみの切れ端をやる。30X50X10センチのプラスティックボックスを用意し、上下用の板で亀吉ロードを作っている。餌と糞ですぐ汚れるのでそれを換えるのが私の日課。かえてもらった水に頭を突っ込んで水をごくごく飲む。

二つ目のペットは金魚である。これも2~3年前デイケアで女房の祖母がもらってきた金魚すくい用の金魚で2~3センチの大きさだったのが今や20センチくらいになり、金魚とはいえないあかうおといった感じ。8時、17時に市販の餌をやる。トントンと金魚はちの上ふたをたたくとばたばたとひれを動かし水をこばさんかりにして餌を食べる。金魚は水槽の大きさにあわせ成長するらしいがもう手狭な感じになっている。二つの水槽の水かえを週1回してやる。春さきは卵を産むので水の交換は大変である。

そして一番金と手間がかかり、そのくせ買主への忠誠心など見せないのがフェレットのマーブルである。これも6歳で人間でいうとおばあちゃんだ。寿命が8年くらいとされているがほとんど寝ている。完全に安心しきっている恰好で寝ており、少々手足をさわってもぐっすりねている。ぴぴじゃんという糞固定用の紙砂を補充したり、水を換えたり、たまには湯あみさせて身体を洗ってやる。慣れたもので気持ちよさそうにしている。24~5度に空調してやる必要があり贅沢なペットだ。
いずれのペットも自分がほしくて買ったものではないが今や家族の一員みたいなもので私の日課に組み込まれている。
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「さみだれが はこびきしか かぞくのえん」父の日プレゼント。

2011年06月19日 | マイ家族


「父の日に 宅配便きて サインしっかり」
梅雨前線停滞。ぐずついた天気が続いている。今日も団地内のゴミゼロ運動があるかないか微妙。先週は明らかに雨で中止。9時過ぎ霧雨、外にでると奥さん方が道路沿いの草を刈ってるのが目に入る。やるんだ。何も連絡がないからいい加減なものだ。団地というのは自主集団で組織ではないという発想で強いリーダーシップの発揮が暗黙におさえられている。とにかく割り当て箇所の雑草を刈る。腰に違和感、たいした力仕事ではないのに。40分で終了。中途半端。雨がちょっと降ってきた。参加賞のペットボトル(ほうじ茶)を1本もらい帰宅。
 しばらくしてドアホーンがなる。宅配便。宛名をみると自分宛。何も買った覚えがないが送り主欄をみると嫁いでいる娘から。「一の蔵すず音3本カートン入り」と書いてある。まったく失念していたが今日は第三日曜日で父の日であったな。誕生日はメールだったので今日は酒好きの親父あて贈ってくれたとようだ。「五月雨が はこびきしや 家族の縁」と次の一句。

ネットで調べてみると一の蔵酒造は宮城県の酒造メーカーで今回被災した企業だが1カ月余りで生産再開にこぎつけたようだ。6月は福岡でも激励試飲会が開かれたのでないか。この商品は「すず音発泡清酒」とありアルコール度数は5度くらいだがスパークリングワインのようにグラスにつぐと泡がぷちぷち音を発するのですず音と付けたようだ。
今晩何にする?と妻がきくのでパスタ&サラダ&すず音にしようと決定。図書館に本を返却、ベートーベンの交響曲シリーズ、小沢征爾指揮のサイトーキネンオーケストラのCD3枚借りてくる。なにせ時間があるのだからベートーベンの交響曲をみんな聞いてみようと思い立った次第。

帰って風呂に入り腰をマッサージ。18時、おいしそうに料理が出来上がっていた。体験農園からの収穫物も食材で使われている。
さっそく、すず音をグラスにつぐ。さすがに音まで聞こえなかったが涼しげ。乾杯!味はフルーティで女性好みだがおいしい。大変結構な夕食でした。ありがたきかな!!!
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S46~47年、日経小説「京まんだら」瀬戸内晴美を読む

2011年06月18日 | アフターセブンティ

 先日、久しぶりに筑紫野図書館を訪れ、小説類の棚をみていたら瀬戸内晴美のタグが目に入り、借りてきたのが講談社文庫の「京まんだら」上下巻750ページと「寂庵浄福」の3冊。痛快!寂聴仏教塾という本を読み、若干この著者に興味があったものだから手が伸びたのだと思う。タイトルからしてなんとなく色っぽい内容を想像したのものだが、巻末の解説をみておどろいた。なんと昭和46年8月から47年9月まで日本経済新聞に連載された長編小説だという。コンサルタント時代に渡辺淳一さんの「失楽園」や「愛の流刑地」など日経小説は朝出社時の車中で読むのが毎日楽しみだったことを思い出す。

 内容は14歳の時に、お茶屋はんて何するところですかと尋ねた主人公、扶佐が祇園に奉公して、お茶屋「竹乃家」の女将になるまでの彼女を中心に芸妓、舞妓、女性実業家、それを取り巻く実業家や役者、作家など祇園のお客との交わりを描いたものでほんものの男と女はどこが違うかやおんなの幸せとは何かが、祇園に生きる女の情と恋を縦糸に、京都の四季の移ろいを横糸にして華やかなまんだら模様に描かれ、さすがに作家瀬戸内晴美の力量を感じさせる名作。さぞやこの当時の経済人やサラリーマンの楽しみの日経小説であったろうと想像できる。わたしは大学をでて、最初の会社で営業をしていた26歳の頃でまだ日経新聞は読んでいなかったかもしれない。あまり記憶にない。
 著者自身が26歳で夫と子供をおいて出奔、28歳で離婚して作家の道を歩んでいるようだが私小説的においもしないではない。菊池恭子というエッセイストが小説に登場するが東京から嵯峨野に居を移したり、著者が2年後、奥州平泉で得度をうけ、法名「寂聴」となって、のち嵯峨野に寂庵を築く、そんな予告めいた内容が小説に展開されている。

 わたしも大学4年間は京都で過ごしたが、こんなにいいところがたくさんあったかなと思えるくらい、四季おりおりの素晴らしい京都が描かれている。あらためて小説にでてくる場所を訪れてみたいものだ。ただしこの時の京都は40年前だから今は大部変わっているとは思うが・・・
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「菩提を弔う」・・戒壇院、菩提樹の花

2011年06月16日 | 趣味と交遊

ボーリング同好会の女性から観世音寺 戒壇院での座禅会体験や菩提樹の花の香りを楽しむなど交流の場をもっと拡げたらどうでしょうかと話をもちかけられ、あらたな会合の企画案の作成をお願いした。
毎年6月になると戒壇院の菩提樹の話題がブログにもよく登場する。今年はまだ行ってなかったので早速、バイクにカメラをつんで出かける。
観世音寺の駐車場にバイクをとめて戒壇院の門をくぐるとあの菩提樹の花のかおりがふっと鼻孔をくすぐる。満開とまではいかないが結構、黄色いかわいい花が下向きに開き、鈴のようにぶら下がっている。

鑑真和尚が唐から持ち帰ったものであるとの表示がされている。菩提樹はお釈迦さまが悟りを開いた樹とされている。6年間の苦行をしても悟りをえることができず、苦行林をでて、気候のおだやかな川にでて身体をきれいにしてアシバッタという樹木の下で座禅をくんでいた。とそこへ若い女が子を授かったお礼に乳粥をもってやってきたらそこに釈迦が座っていた。てっきり樹の神様と思い釈迦に乳粥をささげた。そのおかげで体力が回復したお釈迦さまがあらためてその樹の下で座禅をされると、その翌朝、暁の明星が輝いた瞬間に悟りをえてブッダになられたという逸話。その樹が後に菩提樹と呼ばれるようになったと瀬戸内寂聴さんの仏教の本にでている。
 しかし、釈迦が悟りを得た樹は実際は菩提樹ではなく沙羅双樹であったと戒壇院の菩提樹の樹のそばに表示されていた。どこまで史実やらわからないがね。「菩提を弔う」という表現はなくなった人がどうか仏になれますようにとお祈りする意味らしい。

戒壇院座禅会は第一、第三日曜日朝8時~9時。25分座禅、10分経行、25分座禅、15分作務(掃除)、茶礼。彼女に連絡するとしよう。

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「梅雨ぐもり ぬるっと顔だす むつごろう」撮影バスツアー

2011年06月14日 | 趣味と交遊

 日曜日まで降り続いた雨が翌朝、ピタッとやんでくれた。8時近くのバス停付近にマイクロバスがつく。写真同好会の面々15名がそろう。筑紫野インターから一路、佐賀県芦刈町の海遊ふれあいパークまで。10時前到着、さっそく干潟をのぞきこむ。いるいる。ムツゴロウが愛嬌のある顔を巣穴からのぞかしている。

干潟に同居しているシオマネキというスナガニ科のカニが前を横切り、むつごろうの巣をうかがおうとしている。横目でみるムツゴロウをパチリ。カニにはあまり攻撃的でない。おなじムツゴロウどうしは縄張りあらそいで胸びれを開いて威嚇し合っている。なかなかすばしこいので高速シャッターで動きを予測しながらでないとなかなか撮れない。写真仲間ではむつごろうは定番の被写体。たかがむつごろう、されどむつごろう。決定的瞬間をものにするカメラマンはフィルムを20本ばかりつかうとか、デジカメでも500ショットはとるとか、相当執念がいる

たまたま近くの幼稚園児か、2~30人の子供たちが二人の先生に引率されて、体験干潟をめがけてまるで騎馬戦をするように階段をかけおり、泥の中に駆け込んでいった。顔中どろだらけでもきゃあきゃあ楽しく騒いであいる。こちらの被写体もおもしろそう。昼まで奮闘して、駐車場で昼食。しかし、あんなに泥んこで、眼に入ったら大変とかで親が反対したりしないのかね。

次の撮影スポットは4~50分先の肥前浜宿、長崎街道の宿場町でかやぶきの町家や白壁土蔵の酒蔵が多く残っている(通称酒蔵どおり)。醸造町は貴重な歴史遺産、生酒の試飲や昭和の部屋などあったりする。筑後川昇開橋の夕日撮影まで時間があるので最初の海遊パーク近くのシチメンソウ群生地に立ち寄る

晩秋の風物詩(海の紅葉)として有名で、渡り鳥など野鳥の宝庫でもあるらしい。H23年度の同好会の会長は写真の腕前もプロはだしだが九州の撮影スポットにも詳しい。今年は鳥をテーマに写真をとっておられるのでこの場所への想いは深い。12月ごろがいいらしいがぜひ再訪してみたいものだ。シチメンソウというのは塩生植物で秋には真っ赤に色づくらしい。
4時半に昇開橋につく。月曜日は休みで橋はわたれない。時間がたっぷりあるのでゆっくり早めの夕食、温泉もあるので入浴もする。塩分でぬめぬめしているが疲れがとれる。

6時半、橋のふもとに移動、雲がひろがり夕日は危うい。7時。雲の合間から夕日が顔をだすがすぐ隠れてしまう。7時半。残念でした。またにしましょう。一路、筑紫野にむかい帰途に就く。広川インターから筑紫野インターへ。8時半帰還。順次、メンバーがお疲れさんの声とともに降りてゆく。いいグループだ。
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「紫陽花や 熟年夫婦に 幸あらん」 龍護山 千光寺

2011年06月09日 | 趣味と交遊

 写真同好会の大先輩からあじさいのいいところあるよと久留米の千光寺を教えていただいたのでさっそく行ってみることにする。脚力ためしに90ccのバイク(ホンダリード)ででかけることにした。このバイクは大阪時代に足代わりで中古で買い、6~7年乗っているが結構小回りがきいて良く走る。といってもまだ走行距離は13000KMくらい。同好会のメンバーで750CCのバイクであちこち走りまわり被写体をものにしている同僚がいるが、昨今の中高年のハーレーダビッドソン人気ではないが少々関心がある。まあ、倒れて起こせるくらいの体力は必須だがいきなりは無理だとは思っている。
 朝一で体験農園にいき、ジャガイモを収穫して(約3キロ)段ボールに入れ乾燥準備をしてから、10時過ぎ、久留米に向かう。永岡から小郡をとおって久留米に通じる県道57号線を走る。結構大型トラックが多くブンブンとばすのでちっちゃなバイクは怖いね。久留米に入り神代橋を渡ったが左右不明、ままよと右折して、しばらくすると森林センター方面の表示があり、見たような記憶があったので左折、築水高校をすぎると、なんとあじさい寺の表示板、これが100M置き位に設置され案内してくれる。ラッキーでした

 10数台の車が駐車していたが50台くらいはとめられそう。鶯がいい声でないて迎えてくれる。まずはコンビニで買ってきた299円の弁当(こぶりで丁度よい量)とお茶で腹ごしらえ。この寺は1180年に栄西が建立したという臨済宗の寺だったのがたびたび火災にあったのち、1629年に筑後国の曹洞宗の本寺となったらしい由緒ある寺だということ。
1982年ころからアジサイを植え始め、いまや5000本くらいになっており「あじさい寺」として親しまれているというが、見たところまだ半分も咲いていない。お客さんも10人程度、1週間ほど早かったようだ。でも結構さいているのでゆっくり撮影にかかる。16~40ミリ広角、55~300ミリ望遠、50ミリのマクロの3本のレンズをもってきた。曇りがちで光も強くない。

 リタイア後の夫婦らしき2人づれが3~4組いたがどこも奥さんがリードして、なにやかやと旦那さんの世話をやいている。このベンチは汚いからズボンがよごれるよとか、気温があがると言ってたのになぜこんなカッコできたのとか、まあのんびり見なはれと言いたい気分だがどこの夫婦も同じようなものだなと痛感。
そこで一句。「あじさいや、熟年夫婦に、幸あらん」。ふと見るとあじさいの足元に石仏が笑みをうかべて手を合わせていた。パチリ1枚。
3本のレンズで約40枚ほど撮る。よさそうなのは4~5枚かな。満開の時の雰囲気がどんなものかわからないが、この耳納(みのう)山麓はろうばい、桜、あじさい、いちょう、もみじ、ハゼ並木と四季を通じて楽しめそう。またこよう。
片道1時間少々だったが90CCバイクではやはり疲れるね。そして大型トラックが結構多いし危ない。やはりナビ付きの軽キャンピングカーがいいかな。まあじっくり検討しよう。
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「夕食の あとしまつじっと みるやもりかな」

2011年06月04日 | アフターセブンティ

ここ数日の夜、ずっと「やもり(守宮)」が台所の流しのうえの窓ガラスにへばりついて動かない。やもりが家にとりつくとその家は災害から免れるという。がんらい、ヤモリは肉食の爬虫類でイモリは両生類で水がないとダメということだが、窓に吸盤でへばりついている姿はなんとなく愛嬌がある。「ヤモリ通信」というサイトがあるので検索していただいたらよくわかるがたくさん種類がいて、愛嬌のある顔をしている。

 ともかくヤモリが家に住み着いてくれるのはなにかいいいことのように感じて、最近、一日一句、俳句をつくることを思い立った関係で作ったのが表題の俳句。字あまりではあるがおいしい夕食をおえて皿洗いを手伝っていてふと見るとヤモリがガラス越しにじっとこちらを見つめているように感じて、ささやかな幸せを感じたという句であるが伝わりましたかな?

 さてこのヤモリ、なぜ家守と書かずに守宮と書くのか。昔、女房の浮気防止のためにヤモリの粉末を妻の体に塗っておくと操を守らなかったら塗られた粉末が消えてしまい浮気がばれるという仕掛け。で、貞操を守るということでヤモリのことを守宮と書くようになったらしい。まあ語源はともかく家のもろもろの災難から守ってくれるというのは結構なこと。クモや昆虫など生きたものしか食べないのでこちらから餌をやるのはちょっと難しそうだが「ヤモリ通信」と交信でもして教えてもらいますかな。
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