ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、元企業戦士の一身二生(いちみにしょう)、ハッピーセカンドライフ実現のための徒然実践写真日記

181108 帚木蓬生(ははきぎほうせい)「逃亡」読了、戦争の不条理、S20年前後の状況彷彿!

2018年11月08日 | アフターセブンティ

 新潮社から1997年に発行された細かい字の662ページにおよぶ大著。

 

第十回柴田錬三郎賞受賞とある。義兄から譲り受けて読み始めたが読了するのに大変。当時の新聞の書評欄に売れ続けている秘密は不条理を読み通させる筆力と解説されている。社会派小説と言っていいのか範疇はよくわからないが、表紙見返しに故国が終戦と同時に憲兵に牙をむいた。日本のために諜報活動に明け暮れた報いが「戦犯」の二文字だった・・。身分を隠し名を偽り命からがらたどり着いた故国も人身御供を求めて狂奔していた・・・。緊張感にみちた展開とあふれる感動の2000枚と・・記されている。

 著者、帚木蓬生さんは1047年福岡生まれ。私より二つ下。東大仏文卒―TBS勤務―九大医学部卒、現在精神科医。だいぶ頭の出来が私とは違いそう。冒頭に資料収集に協力してくれた人が紹介され謝意を述べておられるが第二次大戦中の香港で活躍した憲兵の話。敗戦と同時に支配者から非支配者に劇的に変化した一憲兵の心理描写、緊迫した逃亡生活、つかまって巣鴨プリズンにいれられ、死刑判決への怯えを心理学者的筆致で描かれている。


五木寛之さんなどは幼少の頃の平城での敗戦、引揚の実体験から執筆しておられるが帚木さんは未体験の敗戦、逃亡生活を原稿用紙2000枚も書ききるのだから、その構想力、筆力は確かにすごいのだろうね。鬼畜米英の戦前から神国ニッポンがやぶれてGHQのいいなりに日本人がコペルニクス的価値観変換を遂げる様、天皇の戦争責任問題などをからめせて読ませる本に仕立てあげている作者はやはりすごいものですね。

 私の記憶に薄い小学校入学前の数年の敗戦日本の日本人の生きようがこの本で詳細に描かれている。内田康夫の旅情ミステリーはすいすい読めるがこの本は字の小ささと622ページの暑さで読むのに苦労したが刑事とのおっかけっこの緊迫感や戦中の憲兵のスパイへの拷問場面には引き込まれた。この民間スパイへの拷問や虐殺が戦後戦犯容疑者として米英と日本の警察から追われることになるのである。今も続く不条理との戦いの小説である。

 戦後73年、まだアメリカの占領は続いているのか?沖縄対政府、本土、内地との出口なき戦いが続いている!天皇、皇后両陛下の懺悔の行脚は来年5月に終了するが・・・アメリカ、トランプ大統領の中間選挙、上院は共和党が過半数を維持したが、下院は民主党に過半数を奪還された。しかし大統領の好戦的、保守姿勢はかわらないに違いない・・日本は・・・

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181016 久しぶりの早朝ウオーキング、アオサギのみ遭遇。金木犀剪定、クリーンセンター宝満へ廃棄物処理!

2018年10月16日 | アフターセブンティ

 久しぶりに宝満川周辺の早朝ウオーキング。歩いてみて足の衰え実感。膝や腰がまあ順調と思っていたら足の指。踏み込んだ時に右足中指に痛みが走る。親指に意識して歩く。

6時過ぎだが青空がきれい。コスモスをいれて1枚。キリンビールのコスモスはまだ3分咲きとか。

田んぼにアオサギが立っている。獲物をさがしているのか。飛び立ったのを連写。約45分歩き帰宅。最後の100段階段がきつい。もう少し鍛える必要がありそう。

庭のもみじの紅葉はまだまだ先のようだ。はなみずきの赤い実があざやか。

朝食後、香りを楽しませてくれた金木犀などの剪定作業。高くなりすぎて隣家にもかかるし来年はもっと下の方で咲かせるため上部をカット。

白い花をさかせる裏のむくげも同様。剪定後の枝木をビニール袋につめるため小さく裁断する。この作業も大変。黒のビニールごみ袋が5~6個にもなる。

花壇のふちの枕木も20年で大部朽ちてきたのを残材で補正。これからは庭木のメンテナンスが大変になりそう。少しづつ計画的にやっていく必要がありそう。

 昼からマイ軽キャンの装備を全部出してゴミ袋や枝樹、断捨離した妻の衣類などを車に詰め込んでクリーンセンターにもってゆく。筑紫野市や小郡市などが共同で設置した産廃物廃棄センター。入庫時車の総重量1180kg、出庫時1100kg。ごみ重量80kg。10kg150円で廃棄料金1200円。80kgもあったようには思えないがまあいいか。帰り道の下原田公園、家族連れが弁当持参で楽しんでいた。

 まあ災害後のごみ処理や各家庭の不要生活用品、スーパーなどのレジ袋有料化問題、原子炉の廃炉問題などなど廃棄物処理問題はゆゆしき日本の重要課題ですね。便秘で悩んでいる女性も多そうだが美食のあとの苦しみは大変ですね・・・

 

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181012 市のがん検診、3年ぶりにカミーリア福祉健康センターで受診!バリウム胃がん検診、台から落ちそう!!

2018年10月12日 | アフターセブンティ

 3年ぶりに市のがん検診をうける。胃がん、肺がん、前立腺。大腸がんは先日近くのかかりつけO内科で検便。現役時代は毎年人間ドックを受けていたがリタイア後は市の実施する健康診断のみ。昨晩10時以降飲まず食わずで今朝8時40分にカミーリア健康福祉センターへ。

すでに受付始まっており番号札をもらう。41番。検診は9時からになっていたがみな早いね。3つのがん検診で1500円。2fに上って前立腺がんの血液検査。100CC採血、これでわかるのかね。1Fにおりてがん検診。中型バスくらいの移動検診車が数台並んでいる。

まずは肺がん。要するに胸部レントゲン。シャツ1枚になって撮影。ジャージは厚くてダメ。次はいよいよバリウムを飲んでの胃部レントゲン。3人ほど時間待ち。名前を呼ばれ横の診察車にのりこむ。パンツ1枚になって診察着を着る。ウエスト、足元のひもをしめる。

 ゲップの出る胃の拡張剤とバリウムをのんでレントゲン室へ。病院のよりもコンパクトにできている。レントゲン技師の指示で右腰をあげて静止、呼吸をとめて撮影、ぐるっと右回転、仰向けになって左腰をあげて・・・・。指示通り身体を動かし静止し呼吸を止める。結構大変。逆さになりずり落ちそう。落ちる老人もいるとか。時間は10分くらいだが内視鏡の方が楽かもね。

 終わるとホッとする。やれやれだ。9時40分、検査終了、下剤とペットボトル500ccの富士山天然水をもらい車にもどる。この下剤の名前おもしろいね。「バリウムストン」だって。水と下剤で空腹感なくなったがサンドイッチとコーヒの朝食を車内で。

 カミリア周辺をウオーキング。いい天気の秋日和。シニアがグランドゴルフを楽しんでいる。帰宅10時すぎ。やれやれのがん検診でした・・・・

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181006 京大本庶教授、ノーベル医学生理学賞受賞、小野薬品株価戻る!癌闘病、年1000万円つかって生き永らえたい!?

2018年10月06日 | アフターセブンティ

 季節の変わり目、例によって、鼻の奥がむずむずしてきてくしゃみ連発、鼻炎カプセル1錠のむと1時間ほどで効いてきてくしゃみは収まるが気分は風邪症状で倦怠感、クウオリティオブライフが低下する。金曜の夕方、かかりつけのO内科でアレルギーの薬を含めて薬をもらう。肺の音には異常ないようだがなんとなく身体が熱っぽい。といって熱は6度6分くらいだが。

 がん患者が抗がん剤を飲み続ける苦しさはこんなものではないに違いない。吐き気がしたり、頭髪がぬけたり、まわりにあたりちらかしたい気分だろう。

 京大の特別教授本庶氏がノーベル医学生理学賞を受賞した。免疫細胞のブレーキ役となるPD1を発見したというのが授賞理由。それが大阪の小野薬品との共同開発?でオブジーボという癌の免疫治療薬が実現、2016年4月28日、小野薬品の株価は最高値を付けた。

それまで8~900円でずっと横ばいだったのが5800円まで急上昇。しかしながら薬価が高すぎるということで厚労省命?で大幅にさげられ1年後には2000円台に株価下落。そして今回の本庶教授のノーベル賞受賞によりあらためて革命的癌医薬オブジーボが脚光をあびて株価が3600円まで回復。売上高経常利益率が24%、自己資本比率が87%、!!

 小野薬品は大阪の中堅医薬品メーカーだがもともと財務内容はいい。当初肺がん治療薬として売り出したようだが胃がんなどにも効能が追加され、開発コストも吸収されて業績はさらによくなる見通し。

 

 しかし薬価が引き下げられとはいえ、癌患者が1年間投与し続けるとなると1000万円はかかるとか。それに効果が発揮できる人はすべての癌患者ではなく2割程度らしいがこのあたりがこれからの開発テーマになるとか。

 働き盛りのビジネスマンや若い患者には朗報にはちがいなかろう。しかし私のように73になった年金生活者がどうしても生きていたい、生きなくてはならないという必要性や願望が薄い人間には1000万円も工面して生き永らえたいとは思わない。天命とおもってあるがままに任せてもいいと思っていますがご同輩の方々はいかがでしょうか?

 老人の医療費負担が年金財政改革のおおきな足かせになっているわけだから癌で死ぬ人が減るのは良いにしても政府としてはいたしかゆしではなかろうか?しかし医学、手術機械、医薬品などの発展進化はすごいものですね

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180929 家電業界のアフター満足度大! 貴乃花親方?

2018年09月29日 | アフターセブンティ

 購入して5年になる日立の500L冷蔵庫、制御パネル一番上のグリーンのエコマークの下に鍵のマークがついている。

子供が操作パネルをさわってもいいようにロック機能がついている。この鍵マークが点滅し続けて止まらない。庫内は冷えてはいる。

取扱説明書をひっぱりだしてみてみるとこのことが書いてあった。3回点滅の時は製氷皿がどうのこうのと書いてある。ちょうどいいかと思って庫内の大掃除。すっきりさせても点滅はとまらない。3回の点滅を除くケース。販売店に問い合わせて下さいとある。

 何回点滅するか数えてみると13回。13回点滅をつづけて5秒ほど消えてまた13回点滅、これを繰り返している。販売店のベスト電器に聞いてみても販売員は多分わからないだろうと思って直接、取説に書いてあった日立のエコセンターにTEL。つながるまでちょっと時間がかかったが女性が出てきて、13回点滅を説明すると、機械室のファンモーターか制御盤に問題が発生してと思われます。サービスを派遣しますので住所名前を教えてください。販売店とは10年保証で購入いただいていますね。お客様の修理代負担はございません。そりゃよかった。サービス日を決めて、ベスト電器にも連絡、修理受付センターにも連絡、10年保証を確認。

 数日後サービス員がやってきて、カセット式のファンモーターを交換して修理完了。13回点滅というのを連絡いただきありがとうございました。12回と13回では大部修理作業の場所や中身がかわるんですよという。妻が冷蔵庫廻りを掃除する時に冷蔵室下部の床に面した桟にメモみたいなのがはいっているのをみていたようだがそれに点滅回数と問題個所の関連表が書いてあった。

 まあいずれにしてもさっと問題が解決してよかった。家電メーカーは毎年新機種を出しているのだろうが大体寿命は10年とみておいてほしいとサービスマン曰く。買うときに10年保証にしていなければ2~3万円修理代をとられたかもしれない。まあ今回はベスト電器と日立のケースだったが日本の家電メーカーのアフター体制は〇だったね・・・

 それにひきかえ貴乃花親方はいったいどうなってんだろうね。不可解窮まる。貴ノ岩への日馬富士はじめモンゴル一派の暴力沙汰事件。貴乃花にどれほどの深慮遠謀があるのかと思わせたが結局あの事件もうやむや。マスコミもまったく追求しない。貴ノ岩が幕内に復帰し白鵬が41回優勝と幕内1000勝を達成、稀勢の里も薄氷の思いだったがとにかく10勝5敗でのりきった矢先に貴乃花親方が相撲協会に突然の辞表提出と弟子の他部屋への移籍願い。大山鳴動ねずみの一匹もでずに貴乃花騒動は終わってしまった。いったい貴乃花は何をしようとして何ができなかったのか、そしてこれから何をしようとしているのか????自民党が参院選の目玉に引っ張り出そうとしているとか・・・いい加減にしてほしいね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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180927 プリズム入りメガネのレンズ処方箋、H眼科へ。帰り県美術展写真チェック、天神「そじ坊」で出し巻き&熱燗!!

2018年09月27日 | アフターセブンティ

 福岡県美術展の写真部門展示が始まるのにあわせて博多のH眼科へ。乱視のせいもあるし左右視力アンバランスでみずらいとか時々だぶってみえるなどなどの症状に少しでもましになればと思ってまた博多駅前へ。プリズムで矯正してみようということだが・・・

 1時半、再度メガネ、度数、視力その他をチェック。18日にチェックしてるのにね。視力は一定していないので念のためという。利き腕があるように目にもあるとか。私は右が利き目。こちらが視力が低い。左でプリズム板を張ったほうがいいですねと看護師。

しかしプリズムをいれても劇的というわけにはいかない。度数は3らしい。ところが指定メガネ店に在庫ないらしい。とりあえず処方箋だけ頼む。どうやらあまり期待しないほうがよさそう。2時半終了、天神へ。

 県美術館のほうに向かう。水鏡神社からその横丁を通過して須崎公園へむかう。少し迷う。足指が痛い。どうも加齢というのはいやだね。ひざがましだからいいと思っていたら足の指ときた。どの骨もきしみ始める。

 県展展示の入選入賞作品をみる。相変わらずミサゴやカワセミのダイビング写真。ブルーエンジェルの飛行写真、去年私がだした蜘蛛の巣アート作品が性懲りもなく今年も。他のコンテストでみたような作品もでている。

 海苔のたねづけシーンや空港夕日写真。チーフ審査員曰く、コンテストの傾向と対策的写真ではなく写真はあくまで瞬撮、一瞬の切り取り。斬新なシーンにもっとチャレンジいただきたいと・・・。今年の県知事賞は災害から復興した久大線の鉄道、駅、人をからめた3枚の組写真。定番の被写体でないアップツーデイトなのが評価されたようだ!

 17時、久しぶりにアクロス地下の信州そば、そじ坊による。ここの出し巻き卵と燗酒がうまい。ミステリーを読みながら飲る。至福のひととき。締めは天然ワサビでざるそば。ソバの香り豊かでうまい。蕎麦ゆでしめて、18時、しばし天神中州界隈の被写体探し。

通りをビジネスマン、OL、車、バスが行きかう。

こだわりの文具店や高層ビルと雲。中州の黄昏時。

 18時半の西鉄特急で帰路に着く。今日はよく歩きました。スマホでみると15000歩。西鉄太宰府でバス待ち。しかし観光客が引きあがてしまい、参道の店が19時にのれんをしまうともう一挙に寂しい街になってしまうね。部活帰りの高校生が奇声をあげていた。新発見!改札前にグリーンのゴミ箱が4つ、分別されて設置されていた。コンビニ以外では設置されているのがめずらしい昨今、新発見でした。さすが太宰府、菅原道真の街。33分のバスで帰宅。疲れました・・・

 

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180919 博多駅周辺雑景。1年ぶりH眼科病院、頭が重い原因は?!

2018年09月19日 | アフターセブンティ

 JR二日市駅まで妻に送ってもらい博多へ。九州の玄関口の雑踏はかわらない。いくぶん外人客の姿が少ない感じ。コンコースから2Fにあがっていつもの場所から駅前を望む。

ガラス壁面、広告物、光と影とヒト。

改札を出る。

駅前の表情

大きなドーム型郵便受けのうえの子供の像。

ANAクラウンホテルの前をとおって住吉公園方面、居酒屋ぶあいそを左折してH眼科へ。1年4か月ぶり。看護師の面接の後、検眼、眼鏡チェック、眼圧測定。視力はかわらず。いつもかけてるメガネレンズのコーティングがなくなり傷だらけ。

2FにあがりI女医さんの診察室。

1、白内障の手術はまだする必要はない 2、手術をしてもダブりが消えるわけではない 3、20年前の網膜剥離の手術による左右視力差は元に戻らない 4、ダブって見えることの解消はプリズムレンズの使用など対症療法で対処するしかない 6、頭が重いことと眼科的初見との相関性はわからない 7、乱視もかなりあるのも影響しているかも

 眼底検査のための散瞳剤目薬をさして、DやGの部屋で眼底写真をいろいろ撮って、再度I先生の検診。特段にコメントはなかったので眼底に異常はなかったのであろう。また半年後、様子をみましょう、メガネレンズの処方箋はまた予約をとって調べに来てください!

 1時前に医院に入って診察をして会計をすませ、眼の渇き防止の目薬を前のO薬局でもらったのが3時半。瞳孔が開いているせいか太陽がまぶしく足もとがおぼつかない。やれやれ。4時6分のJRで二日市へ。駅の喧騒は私の視界のうっとおしさと関係なく続いていた・・・・・

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180917 安室奈美恵引退沖縄ライブ、私には縁はなかったが!妻の快気祝い寿しランチを孫たちと!!

2018年09月17日 | アフターセブンティ

 安室奈美恵という不世出のシンガー&ダンサー?の25周年、40歳引退ライブが16日、沖縄であったようだ。今朝のTVはもっぱらアムロデイ。

(ペンタックスK3、タムロン18-200、自宅庭)

 ウキペディアによるとその実績ははなばなしいね、ミリオンセラーを10代20代30代で出し続けるなんてすごいね。もうほしいものはすべてゲットしてこれからどう生きるのだろう?

しかし大挙沖縄におしかける安室ファン、チケット入手できなかったファンが会場周りに云万人、耳をすまして彼女の漏れ伝わる音を聞いている。それほど入れ込める対象をもてて彼らは幸せだね。

 25年前といえば私は48歳、とんと彼女には縁がなかったがすごいアーティストだったんだね

 妻の体調がほぼ戻った。退院したときワインを買ってきて、寿しでもとって祝おうと思っていたが孫たちと寿しランチにしようというので昨日、くら寿司志免店で実施。孫たちはここがお気に入り。

全員食欲満開。私も負けじと、トロサーモン、トロしめ鯖、ウニ、キンメダイ、鰯、コハダ、イクラ、ホタテ、ハマチ、サンマ、つぶ貝、デザートまでいれて腹満腹。6人で1万円でおつりが結構来るのだからやはり回転寿司は安い。年金生活者にはありがたい存在。

 かえり、写真仲間の定番撮影スポット(私は撮ったことがない)の志免鉱業所跡の竪坑に立ち寄った。

この炭鉱は戦前、良質の石炭を産出、海軍専用の炭鉱、戦後は旧国鉄の蒸気機関車用に使われたと案内板に記載されている。

バックに天の川などいれて撮れたら作品になるかもね。娘宅によってしばし休憩。今日も満腹になれて幸せでしたね。夕食は納豆ご飯でバランスをとらないといけません。いい1日でした。

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180905 妻が40数年ぶりに入院! omachiさんの「北円堂の秘密」読む!!八紘一宇のルーツ。

2018年09月05日 | アフターセブンティ

 今日で妻の入院3日目。高熱、悪寒、震えは感染症が引き起こしていたようだ。月曜日朝、近くのT病院につれてゆき、すぐ原因がわかった。抗生物質の点滴をすべく入院を即決定。

(庭のくちなし)

完全に熱がひいたら退院ということだが・・。思えばお産入院以来40数年、大病、入院もなく喜んでいたがまあ加齢とともに免疫力も低下したりで、お互いこれからいろいろ出てくるかもね。私はここ1~2年、眼がうっとおしい。太陽光がまぶしいとそれほど感じてはいないが白内障が進んでいるのかもしれない。

 さて先般、半藤さんの著書を紹介したときにomachiさんにコメントをいただき、WEB小説で「北円堂の秘密」というのがあるのでグーグルで検索して読まれたしというので今般、読ませていただきました。藤原不比等なる人物が奈良時代、古事記や日本書紀の編纂にかかわり、日本の国体を形作ったという歴史ファンタジーWEB小説。(大町阿礼おおまちあれい・作)

 藤原不比等なる人物についてはよく知らなかったが、30歳代~40歳代にかけて大宝律令や養老律令を手掛けて、日本の律令制度を完成させたこと、また晩年の50歳代においては国史の編纂に注力したのではないかと言われている。記紀には確かに律令制度に藤原不比等が関わったことが書かれている。しかし、国史の編纂については藤原不比等の関与を示す記述は見当たらない。ところがこの度の北円堂の発掘調査により発見された銅板の文字列には帝紀など国史に関係する文字が刻まれており、藤原不比等が記紀の編纂に関わっていたことがうかがわれる・・というファンタジック小説なのだが約1時間で読めるので関心のあるかたは読んでください。

 「八紘一宇」という熟語を半藤さんの著書から紹介したが、天の思し召しで天皇が現人神となり、善政をほどこし世界をひとつに幸せに導くという日本の国のかたちのルーツがこの小説で描かれているというわけです・・・なかなかおもしろかったですよ

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180828 「あの戦争と日本人」その2。人間がモノのごとく扱われた悲惨、非情、虚しい戦争!二度と起こしてはならない!

2018年08月28日 | アフターセブンティ

今日は昨日につづいて「あの戦争と日本人」を紹介していきたい。

要すれば、人間がモノのごとく扱われた悲惨、非情、虚しい戦争であったということですね。

7、鬼畜米英というのはいつ頃言われたのか

 太平洋戦争さなか鬼畜米英と洗脳されていた日本人は無条件降伏したあとケロッとアメリカになびいてしまったが、初めてこの4文字熟語をつかったのは昭和19年8月4日の朝日新聞。「見よ鬼畜米兵の残忍性」「勇士の頭蓋骨冒涜」。サイパン、ガム陥落、日本敗戦色濃い時である。

 昭和16年の太平洋戦争開戦からずっと日本人の戦意を落書きなどから分析していた「特高月報」によると、すでに国民は奴隷扱いされている。平和を愛する日本人ならば、はやく戦争をおわってアメリカの属国になったほうが良いという声が多かったらしい。

 日本は日英同盟のおかげで日露戦争に勝てたし、アメリカの仲裁のおかげで泥沼の日中戦争終えられた。戦利品へのよくボケのおかげで米英を怒らせ、中国への21か条要求など世界世論を無視した要求を突き付けたおかげで日英同盟や、日米通商航海条約が破棄されるなど孤立化の方向に傾いてしまったとか。

 日露戦争後の国防方針で山形有朋が攻撃的な軍事力強化を明文化、仮想敵国として陸軍はロシアを、海軍はアメリカを想定。この仮想敵国が昭和15年1月、条約破棄で真相敵国になってしまった。ABCD包囲網で生命線の石油も入らなくなった日本は戦争に踏み切らざるをえなかった。このことを天皇は一番危惧されたらしいが軍部は適当にごまかしてしまったとか。人材に恵まれなかったとされる昭和天皇の悲劇かもしれない。歴史は米英と仲が良い時は日本は順調、悪くなると日本はどんどん劣勢になっていってしまっていることを教えているという。

8、あの戦艦大和がいかにしてつくられ、戦果もあげえず撃沈されてしまったのか

 1908年10月、アメリカ戦艦16隻を中心とする大艦隊グレイトホワイトフリートが横浜入港、山形有朋は仰天、日本は大国をめざし8-8艦隊つくりを大方針とした。クラウゼビッツの戦争論を軍人はみな読んだ。森鴎外が翻訳した。そこに7割論というのがありそれを金科玉条にした。アメリカの7割、10隻の戦艦をもてば戦えると・・・・日本は破産覚悟で建造にふみきる。

 1914年第一次大戦勃発。1922年ワシントン軍縮会議。1929年世界恐慌、ウオール街大暴落。1930年ロンドン軍縮会議で日本は米英の67.5%。加藤友三郎などの英断で条約をのんだが東郷平八郎ほか反対派が海軍の良識派を追い出してしまった。石川慎吾という政治的軍人が出てきて、アメリカが作れない巨大戦艦、不沈戦艦をつくるべしと進言。貧乏海軍ゆえの不沈発想。

 日露戦争の勝利体験からぬけだせず、時代はいまや飛行機、空母、潜水艦の時代であることを読み切れず、大和の魚雷防御や浸水極限対策などないがしろにされた巨大な鉄の塊を作ってしまった。大和は昭和12年12月に呉の海軍工廠で起工、15年8月進水、16年10月試運転。ペリーの黒船にびっくり仰天した日本人が80年後に日本の技術だけで世界1の巨大戦艦をつくりあげたのだから驚嘆すべきことではあったが口径46センチの巨砲9門が火をふいて米艦を撃沈することはなかった。

 戦局悪化の中、大和をアメリカの戦利品にさせないために沖縄沖への特攻出撃を命じられ、昭和20年4月7日、米潜水艦の攻撃であっけなく撃沈され乗組員3332名のうち3056名が戦死、これは飛行機特攻隊死者4615人につぐ数字とか。彼らは2階級特進の栄誉にもあずからなかった。山本五十六は空母、戦闘機強化論者だったが軍首脳部はこちこちの石頭で日本を敗戦に追いやった。壮大なる日露戦争以来の大国志向、巨艦巨砲志向は悲惨の一語をもって終わった。ほんとに虚しいことであった。実にむなしい話だ

9、特攻隊はいつごろから具体化したのか

 葉隠れ思想・・武士道とは死ぬことと見つけたり!が軍人の精神的バックボーンになっていた。昭和18年には兵器弾薬材料糧食の不足欠乏が顕著、生産が消耗においつかず戦況がどんどん悪化。4月に山本元帥が戦死、7月に軍令部で特攻兵器の早期開発案、航続距離倍増、体当たり戦闘機、人間魚雷など。

 九死に一生から十死零生、すなわち生還は考えない作戦が考えはじめられた。昭和19年6月にサイパン、グアムなどマリアナ諸島が陥落していよいよ本土決戦が必至の状況になった。

 昭和20年1月8日、最高戦争指導会議で全軍特攻が正式にきまり、志願も強制も関係なく1億総特攻が決まった。4月に沖縄戦が始まり、まったく外道、非情というしかない作戦が実行にうつされる。最後まで目をつぶるな、突入角度は40~60度。2483機突入して命中したのは244機、奏効率は16.5%だったらしい。

 終戦の詔勅の夜、特攻を指揮した大西中将は遺書を残して自決。特攻の英霊に深謝、目的達成できず、わが死をもって謝罪す。残された一般青壮年の皆さま、軽挙妄動せず特攻精神を堅持して日本民族の福祉と世界平和の為に最善を尽くされたし!職業軍人たちは己らのメンツの為に悠久の大義の美名のもとに若者たちに無益な死を強いた。誠に恐ろしくも虚しい戦争であったとしかいいようがない。

10、そして原子爆弾が広島におとされた

  そもそも原爆とは。92番目の元素のウラニウム原石の235と238の元素を分裂させると猛烈なエネルギーを発生させる。が235は0.7%しか含まれない。これが濃縮ウラン。これが作れるかが第一の壁。この235を核分裂させると2~3の中性子が飛び出して235にあたり、核分裂の連鎖反応がおこり、ものすごい熱線とエネルギーをだす。

 この核分裂の実験をはじめて成功させたのは1938年、ドイツであったがヒットラーは原爆をつくるよりロケット弾を優先させた(1942年)。この実験成功に一番衝撃をうけたのがアメリカ。この爆弾が船ではこばれ真珠湾で爆発させられたら1発で港とその周辺は壊滅するとアインシュタインがルーズベルトに進言、1939年8月。大統領は即予算をつけて原爆開発研究を指示した

 米英は19449月に原子力協定の覚書に調印、日本が降伏するまで原爆攻撃を続行する旨警告することになろうと言明している。12月、ドイツ敗退。アメリカは昭和20年7月16日、爆弾を完成、ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の原爆が爆発。参加科学者の多くが実際使用に反対したらしい。

 何回か日本上空でB29が投下訓練。新潟、横浜、京都、広島、北九州が最初の投下候補地、歴史学者の反対で京都が外されたらしい。そして86日午前815分、トルーマンの命令で、エノラゲイが原爆を投下、広島上空570mで原子爆弾が炸裂した。ポツダム宣言を日本がさっさと受けいれていたら原爆投下はなかったのか、ソ連が日本参戦まじかで、日本降伏後の占領問題でソ連が出てくるのを阻止するため、やはり投下はされたであろうということが一般的見解とか。日本の科学者たちは広島の惨状をみて、ただ唖然とするばかりであった、という。

・・・こういうのを読んでいると何ともいえない気持ちになりますね。310万人といわれる戦没者たち・・・

11、八月十五日の終戦記念日、日本の一番長い日、どんな1日だったのだろうか

 日本人は玉音放送を聞き、どうしたか・・ただただ滂沱にくれた!? 終戦の詔勅を聞いたのは軍人と女性と年寄り、小中学生。私はうまれて3か月の乳飲み子だった。昭和40年当時の40代意識調査。悔し泣き32%、虚脱感39%、ほっとした28%だったらしい。まあ聞いた直後は虚脱感だったろうね。両親にこのあたりのことをもっと聞いておけばよかったと後悔。

 敗戦、終戦の夜、自決した反対派の阿南陸軍大臣は賛成した米内海軍大臣を斬れと遺書に残した。真意は?賛成派は天皇制持続のみで全面受諾。しかしどんな形で天皇が残るのか不明のままで受諾するのは無責任、自己保身と思ったらしいね。ずっと分かり合えなかった陸軍と海軍。悲劇のもとですね。この期に及んで本土決戦を主張する陸軍はばかかとポツダム宣言受諾、無条件降伏の賛成派は思っていたのだろう。陸軍は天皇の為に死なせてしまった165万の英霊に申し訳なかったのだろうか

 半藤一利原作の「日本の一番長い日」が映画化された。岡本喜八監督は終戦決定の事実をしっかり残そうとメガホンをとった。戦後73年、日本人は事実をどれほど認識しているか? ほんとに認識してるのか? 太平洋戦争の戦闘員の死者は陸軍165万人、海軍47万人とされている。広義の飢餓による死者は何%?同じく海軍の海没者(輸送船で撃沈されて死んだ軍人)は何万人?・・正解は70%、40万人。いかに無謀な作戦計画でなくなった人が多いかということ。こんな事実はわたしも知らなかった。参謀、幹部の責任は重い!

 昭和30年、「サイパンからきた列車」棟田博が短編小説を出した。深夜の東京駅15番ホーム。サイパンから死者をのせた列車が入ってくる。ラッパが鳴り人員点呼を終えた亡霊たちが故郷にかえり、また戻ってきて、人員点呼をして列車にのり、いづことも知れず去ってゆく!!今も深夜東京駅には身代わりになって死んでくれた亡霊たちが硫黄島からガダルカナルから亡霊たちが帰ってきているにちがいない!

 戦争の悲惨さ、非情さを知らない人間が日本の政治をおこない、国民はおおきな格差社会のなか、平和を享受し、欲望のおもむくままに生きている。自分の国さえ良ければ、自分さえ良ければ人のことは知ったことではないというナショナリズムが頭をもたげてきている。怖い世の中になりつつあることをあまり人は感じていない、とりあえず目先食うため、楽しむため!流れに流されやすい人間たち。少しでも冷静にいたいものだ!!

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