草薙龍俊さんというのは1969年生まれ55歳の仏教僧侶、著述家。中学中退後上京、高校には行かず、大検をへて独学で東大法学部へ、37歳でインド仏教指導者佐々木秀嶺氏のもとで得度、インドで上座仏教を専修、宗派に属さない独立出家僧として活躍中とか。たまたまユウチューブをみていると「反応しない練習」であらゆるもやもや悩み解消とかの文字が。
(太宰府天満宮の飛梅開花)
極めて合理的でクールであった仏陀、お釈迦さんに学べと言う。まずは世の中の道理を理解すること。人生は誰しも四苦八苦の世界からは逃れられない。悩みの正体は執着心。生きたい、眠りたい、食いたい、交わりたい、楽しみたい、楽したい、音楽など感覚の快楽をえたい、認められたいなどの願望、欲望を持っている。ここであまりに執着しすぎると実現しない、満たされないことに不満、恨み、つらみが出てくる,、腹がたってくる・・・という「心の反応」を押さえなさい。それらの反応を起こす要因は快、喜びを求めてやまない「求める心」。根本は認められたい、自分を大事にしてほしいという承認欲求。心の過剰反応をするな!
貪瞋痴(とんじんち)むさぼる欲求、思うに任せぬことへの怒り、妬み、恨み、つらみなどの「煩悩三欲」がでてきたら、ああ、承認欲求がでてきたなと理解すること。四苦八苦の撃退欲求、ああこれは夢、幻なんだと熱をさます、乾き(渇愛)を押さえる。
次に私の関心をひいたのは「良し悪しを判断するな!」というくだり。現役時代、今、ことに及んで何が一番大事なのか、本質的問題は何なのかの判断能力がリーダーシップの最重要要素だと散々言われ、言ってきた。批判癖、判断癖が身に付いてしまい、家族をして私の言いようが上から目線で気分悪いと言われる始末。
人は何故判断したがるのか、1億総評論家、したり顔でコメントする。SNSに投稿する。結局、認められたい、気持ちがよいから、快楽があるから判断することに夢中になる。「ここまで言うか」というTV番組があるがそれぞれ評論家が言いたいことをがなりたてていい気分になっているのがわかる。
あらためて、「巧言令色、少なし仁」ですね。力強い弁舌で人の気をひく人間には要注意。ということで、「剛毅朴訥,仁に近し」ですね(論語、子路27)
ということで、相手のことを安易に判断しない、決めつけない。過去のいきさつは忘れる。人はかわるもの。相手を新しいヒトと考える。無関心でいろというのではなく、理解し合うことを目的として対応せよということ。私はこう感じているのですがどう思われますか?
人生の目的は「苦しみのない心で安らかに生きること」とするなら「反応して心を乱されるのは無意味である」としかと理解していきるべきかと思った次第。
過日の妻とのぶつかりも何故私が、トレイから鯖飯とお茶が滑り落ちた時、大声をだし、滑りやすいトレイをののしったのか。妻は、私の不注意を、トレイのせいにして、そんなトレイを買った私をせめていると感じたのかもしれないね。いやはや恥ずかしい反応でしたね・・・・