夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

神の愛(光り)を心に降りそそぐ。・・・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

2018年11月21日 22時42分45秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
秋水に紅葉映える、巫女舞う神楽の鈴冴えわたる。

はや四十一年目のお祭り、尊師の華やかさ蘇る。

今、生かされている有難さをかみしめる。

帰りは先輩の車で海岸線を迂回して帰路につく。

山の傾斜地『伊木力 みかん』の段々畑が続く懐かしい山道の風景を走りぬける。

お目当てのみかんは売り切れでありませんでした。

先輩が尋ねると、出荷するのに人手不足とのことでした。




自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④


無意識の罪悪感を解消させる手段として、もっとも広く行われているのは

『償い』である。

『償い』は犠牲を払うという形で形成される。

世の中の標準から考えてあまり高価すぎる犠牲を払わずに、

しかも罪悪感を解消させることの出来る『償い』を利用すれば人の再建を促進できる。



宗教が持つ償いの要素の顕著でまた具体的な治癒的効果を認めないわけにはいかない。

宗教は別の面ででも人々を救済する。

あらゆる宗教の信者たちのあいだに行われている種々の行事―

『懺悔(告白)』すること、『象徴主義』、『勤行』、『奉仕』すること、

悔恨して罪業消滅を認めてもうらうことなどを通じて、多数の人々を救済する機能を発揮している。



自分自身が意識していない、小児時代に形成された『超自我』は

『現代の現実』とは、かけはなれている。

多くの人はこの小児時代に形成された『超自我』の強制する不合理な命令を克服して、

良心を実際の役たせられる程度の知性と取り換えている。


神経症的な弱い自我を苦しめ、強権を振り回している超自我を処理するためには、

良心の再教育などは無駄な努力である。

叡智という光を良心に向けることができさえすれば、

良心を王座から落とすことが出来、弱い自我を強化させることが出来る。


知性的再教育より、情操的再教育がの方が一層大切である。