夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

魂が愛に生きるとき

2017年04月17日 20時52分42秒 | 日記・エッセイ
魂が愛に生きるとき

院内の窓の向こうは激しい雨が降っている。
気温があがりマスクをかけて仕事をしていると息苦しくなる季節になりました。
エアコンが効いている部署に行くとホッとします。

水も温み、休日には男の子、女の子の声が響きわたり、
共に遊んでいる小さな太刀洗川(たちあらいがわ)も豊な流水となり、
散り敷く花びらと共に諸々の穢れをあらい流しているようである。

能く一念『喜愛の心』を発せば、煩悩を断ぜずして涅槃を得。
                         親鸞上人

愛は決して観念の遊戯ではないのである。
諸々の愛着がことごとく解脱されたとき
真の法愛、仏の愛に達するのである。

悩みの波紋は、必ず消えつつあるものであって、
必ずしも一度にすみやかに消えるとは決まっていないということを知ることが肝要であります。

魂が深切に飢えるとき、人間はこの世に生きていられなくなるほど淋しくなるのだ。
かかる人間にとっては金や寿命などは魂の深切さにくらべると破れた瓦にひとしいのだ。








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