夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

真実の徳、真実の功徳、真実の供養について

2016年01月09日 16時22分41秒 | 真理の言葉
真実の徳、真実の功徳、真実の供養について

言葉(真理の言葉)が肉となった。
                                              ヨハネによる福音書 1―1
人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉(真理の言葉)で生きる。

                                               マタイによる福音書四―四


七億四千万円のマンションが売れるこの時代に、寒空に橋げたの下で誰にも知られることが無い、
また誰も通らない場所の橋げたの下の空き地で、もくもくと草を刈っている質素な服を着た男性を見かけました。
また溝の中に落ちているビニール等を拾い集めている姿に尊いものを感じました。
此処に『真実の陰徳』の姿を見ました。
先日も天気の良い日に一級河川の広大な土手の草を刈っている男性の姿を誰も通らない(通るのは私だけ)橋げたの上から発見しました。
その時はこの広い河川の土手を少しづつ刈っている姿に感心していました。
この男性と橋げたの下の空き地で、もくもくと草を刈っている男性は同じ男性ではないかと思いました。





『徳』を考えるうえで善根(ぜんごん)のよい果報をもたらす善い行ないによって、功徳を得ることを『徳』と云われています。


弘法大師空海の秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)の秘密荘厳心のなかで
法爾(ほうう)の計らいの無い心を普賢の大菩提心に住すべきであります。
その菩提心は、一切衆生が本来的にもっているものであって、
衆生がだれでも心の中にもっている『ほとけの心』なのです。
この菩提心は、一切諸仏の『すべての功徳』の法を包み蔵しているから、
もしわれわれの修証(しゆしょう)が出現すれば、それは、一切を導く導師となります。
もし根本の菩提心に帰してみれば、衆生の世界が即ち密巌国土(大日如来の仏国土)であります。
この座を起たずしてそのまま、よく一切の仏の事業(じごう)を成(じょう)ずるのです。
と菩提心の功徳を説いています。

既に持っている菩提心を起し、妄念をはなれて心を一ヶ所に集中し、静寂な心で『御仏』と『有情非情ありとしあらゆるものである一切衆生』を供養するのが『真実の徳』であります。
その中でも神、御仏様の前で三宝礼したり、拝礼して経を読誦したり、祝詞をあげたり、御先祖様、一切衆生(自然を含めて)に経、祝詞を読誦する『法供養』が最大で最勝の供養であります。




『注』
秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)―・・・八三〇年(天長七年)空海五十七才の時、淳和天皇の勅を受けて著した著書。
                   人間の心を十住心としてお題を揚げて奥深い神秘的な心を説き真実の世界へ導く著書。
法爾(ほうう)―・・・雨は衆生をうるおして益するので仏法を雨にたとえたもの。
普賢―・・・仏の慈悲のきはまりなり。普賢菩薩は慈悲を司り給う菩薩ゆえに
       大悲の行を修するのをみな普賢という。
秘密荘厳心―・・・秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)の十住心の中の一つ。
修証(しゆしょう)―・・・修行によって覚ったことのあかしをたてること。
事業(じごう)―・・・なすべきこと。なすべき仕事。
法供養―・・・阿弥陀経、法華経、一切経、大蔵経、聖書、甘露の法雨、祝詞等の『真理の言葉』で神、御仏、有情非情ありとしあらゆるものの
        一切衆生を供養すること。
        『物質で供養』する物施に対して、『真理の言葉』で供養するのを法施とも云ったりする。 

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