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人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『痛み』と云う観念の根源とその贖い (自己処罰)

2016年02月24日 20時56分07秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
『痛み』と云う観念の根源とその贖い(自己処罰)

人間の生命の実相は『佛』であり『如来』であり「神の子」である。
たとい心が迷って『痛み心』を現していても、本当は『痛み心』を観ずる『心も無し』であり、
従って、その本来無い『痛み心』が悟って成る佛もなしであり
況や『心』迷って生じる『痛み心』もないのである。
ただ『極楽世界』の安楽に満ちた本当の姿のみが実在する。

『痛み』と云う観念の根源とその贖い(自己処罰)

痛みは本来的には心が感じるのであります。
物質の岩石や机を打っても『痛い!』と叫ばないのであります。
物質である肉体が『痛い!』とは感じないのであります。
それは人間の心が『痛い!』と感じるのであります。
戦時中、爆風で右腕が吹き飛ばされた人が戦後復員した後に、ある時期が来ると右腕が激しく痛むのです。とっさに左手でその右腕をつかむとその右腕は既に爆風で無いので有ります。
既に爆風で飛ばされた無いはずの右腕が痛むのです。
これはどうしてか言いますと、心に過去の痛みが意識の中に存続しているからなのであります。
このように『痛み』は石や机や肉体の中には存在しないのであります。
『痛み』は人間の心の内(なか)に存在するのです。
例え対症療法的に一つの痛みを治療しても、新たに次ぎの痛みが出てくるのであります。
ですから心の潜在意識に潜んでいる『心の痛みの根』を取り除かないと完全には痛み自身は消えないのであります。
この『心の痛み』は、秘められた自分自身の罪の意識、今まで積み重ねた業(ごう)等の贖い(自己処罰)でもあります。
また痛みは敵対する存在でもあります。
イエスの言葉に『汝の敵を愛せよ』と言う聖句があります。
このように『痛み』は自分自身の贖い(自己処罰)でありますから敵対しないで、
吾が味方として『痛み』を心から赦し、和解して愛することが痛みを軽減する道となります。


この事が『痛い!』というその事実に合掌礼拝してありがとうございますと唱える理由であります。

『注』
    自己処罰―・・・自分自身で自分自身を処罰すること。

             無意識の底に潜んでいる所の『神に罰せられたい欲望』
             あるいは苦痛を受けることによって罪障を償いたい願望。
             自分自身の潜在意識に存在する心理的な暴君。





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