夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

もう一人の私・・・二重人格・多重人格・憑依現象

2018年02月08日 22時04分11秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
もうひとりの自分はどんな人間だろうかと思う時があります。

もう一人の潜在意識の自分は観ることが出来ない。

しかし幽かに観じることが出来る。

潜在意識を貫いた奥深いところにまします『神の御愛』。



二重人格・多重人格・憑依現象


心理学的に分析する場合と神霊学的な憑依現象とにとらえる場合があります。



心理学的に於いては

烈しく亢進している私と、落ち込んでいる私、

笑っている私と、怒っている私のように人には二面性があります。

しかし三面、四面性と多数の面性がある人が存在します。

誰でも笑っている時の私は、怒っている私を、はっきりとは認識してはいません。

またこの反対の時も同様であります。

しかし心が平静な心の時には、笑っている心も怒っている心もどちらの心も認識出来て、

その意味合いも理解できます。

大概の人はこの相反する両面の心を動揺することなく認識出来ます。

この相反する心を認識出来ない時に、

不安状態が現われ烈しく亢進したり、落ち込んだりします。

これは相反する二つ心の間に『心の壁』が出来て、通じ合う連絡口がないのです。

だから互いの自分を理解出来ないで、また知るよしもないのです。

一面の心の状態(性格等)が、他の一面の心状態(性格等)を認識・理解が出来ませんので、

自分自身の全体像を把握したり、観ることが困難となります。

自分自身で意識の関門、

または意識の検閲官を創りだして抑圧しているからです。

他の人が観察するとこの人物は二人の人格の人が存在していると見られます。

このような状態を二重人格的な性格といわれています。



神霊学的な憑依現象の場合。

ある人に他の人格がのり憑依(うつ)て色々の行動をして、言葉を発するのです。

その人格が去って元の人格に復帰した場合は、

元の人格は、他の人格が憑依(うつ)てその肉体の脳髄を使って色々の行動をして、

話したことについては全然記憶がないのである。

憑依した霊が行動し、話したことが脳髄に記憶が存続しなければならないのに

元の人格は、その記憶が全然存続していないことをみれば

脳髄はただ肉体の機関であり、

記憶が出入りする門にすぎないのです。

記憶そのものをもっているのは脳髄の背後にある、

物質を超えた世界にある『霊智者』そのものなのです。

感情の昂奮、恐怖心などによって精神が混乱状態によって起こる障害を

取り去ることによって、殆どすべての記憶が潜在意識の世界から、

現在意識の世界へ浮かび上がらせることができるのです。

それ故に蓄えられた記憶は喪失することなく来世にもちろん、

何代も存続するのです。

だから数代前の記憶が現われて来るのです。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿