夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。

2019年03月09日 15時54分14秒 | 真理の言葉
朝から妻の肩、首筋のマッサージ。

妻曰く、貼り薬3枚分の効果があるわ!



肉・魚介食からベジタリアン(野菜食)の道へ!

人間が犬に転生する事があるかとの問題は、

仏説よりますと、弟子に肉食を禁ぜられた理由のなかには、

食膳に上る魚貝などの類も、かって父母たりしものが転生し来たったものがあるから、

父母の肉を食べることになるおそれがあるから食べないが好い。



輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。
(吾々は本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。)


『本生経』などによりますと釈迦ご自身が鳩や熊や色々な動物に

転生して来たという幾多の物語を説いておられます。

肉体は心の顕れであると云う原理を推し進めると、

人間の心が畜生の状態になると。

畜生の形、姿を現わすことは不思議ではないのです。


禅宗の『無門關』第二則 百丈野弧には百丈和尚が五百生の間に

野弧に生まれること云々とあります。

前百丈和尚は野弧に生まれていたが、今百丈和尚は真理を悟られ、

その野弧身が直ちに死んで裏山に死骸となって横たわっていたと云うことが『無門關』にあります。

吾々が本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。

この神の子である根本因をくらますことがなかったならば、『不眛因果』

こそ野弧身(煩悩身)を砕く、一大鉄槌となるべきである。



『無門關(むもんかん)』第二則

無門曰く、不落因果、甚(なん)としてか野弧に堕す。

不眛因果、甚としか野弧を脱す。

若し者裏に向かって一隻眼を著得せば、

便(すなわ)ち前百丈 贏(か)ち得て、

風流五百丈なることを智得せん。



『注』

輪廻(りんね)・・・衆生が迷いの世界に生まれ変わり死にかわりして、
          車輪のめぐるようにとどまることのないこと。
          迷いの世界である三界、六道に生死を繰り返すことをいう。

本生経(ジャータカ)・・・釈迦 (しゃか) の前世物語。
             仏の過去世における菩薩行のこと。

無門・・・仏の異名。心性、真如のこと。
     修行者を導くのに特定の関門を立てないこと。

無門關(むもんかん)・・・趙州無学の公案のこと。
            趙州和尚が修行僧から犬に仏性があるかと問われて『無』と答えたが、
            この『無』の一字は何を意味するのであるかという問題。

百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)・・・懐海大智禅師。
                   中国江西の馬祖道一禅師の法燈を嗣いだ名僧。

野弧(やこ)・・・ここで言うは野狐ば野キツネばかりではなく、
         真の人間(悟り開いた人間)ではない
         変化身又は迷っている仮相身は悉く野狐である。

不落因果(ふらくいんが)・・・修行を十分に積んだ者は、因果の法則に縛られない法則。
              しかしそれは誤った見方である『不眛因果』の境地に達しなければならない。



不眛因果(ふまいいんが)・・・原因結果の法則のように因果律をくらまさず、そのまま因果に従順に従うこと。

者裏(しゃり)・・・ここ。またはこの中の意。

一隻眼(いつせきがん)・・・人がもつ左右の眼以外のもう一つ眼のこと。
              真実を見ぬく心眼のこと。

著得(じゃくとく又はちゃくとく)・・・得た。えたり。




一切のすべての苦しみ、悲しみ、災難の世の響きを慈しみ観じ、救い給う観世音菩薩。



うす紫匂う貴女の笑顔



カリ塩の多い野菜は水晒しをしてアク抜きをして食べると陰陽が整います。



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